~ blessings ~ 2



普段なら騒がしい年頃の少年たちで溢れ帰っている寮も、殆どが帰省してしまい、夜を迎えた今は不気味なほどに静かだった。ただ、正確には誰もいない訳ではない。下に寮監がいるのは分かっている。

「たまに、なんだかんだと帰りそびれる奴は出るんだけどな。今回はお前らだったか」

寮監は日向を病院に連れいていってくれた後、薬も飲ませてくれていた。結局インフルエンザの検査は陰性で、貰った薬も解熱剤と抗生物質だった。「移動できそうなら、家まで車で送っていってもいいが」と言われたが、日向の弟妹がまだ幼く、家でゆっくり養生することも難しいだろうことを考えると、元気になってから戻った方がいいような気がした。
若島津がそう告げると、寮監は「分かった。日向の家には連絡しておく。お前も、自分の家に連絡しろよ。夕飯は出前な」と言って自室へ戻っていった。




夕飯に出前のカツ丼を食べてから風呂に入ると、他に特にやることも無くなって、若島津は少し意外に思った。
練習三昧で自分の時間など、全くない毎日。休みがあれば、あれもしよう、これもしようと、考えていた筈だ。
だが今、制約があるとはいえ、自由な時間が手に入ったのに、何をする気にもならなかった。

ゲームはこれといってやりたいものが無かった。本も溜まっているが、そんな気分ではない。マンガは新しいものが無かった。
部屋の片付けは・・・というと、これもまた、寮の他の部屋に比べれば、日向と若島津の部屋は綺麗なものだった。私物をそれほど持っていない日向と、必要なもの以外は実家に置いて来た若島津だから、散らかりようもない。
部活で使うウェアや、授業で使う教科書やノートといった類のものは、日向は若島津が驚くほど綺麗に整頓していた。

       あんた、そんなきっちりした性格だったっけ?

と若島津が聞くと、

       ばぁか、こういうことは俺がお手本にならなきゃ、勝たちが真似しちまうじゃねえかよ。

そう言って、日向は笑った。

家族のことを話す時の、いつもと同じ、柔らかくて優しい笑みだった。
その時の日向の笑顔を思い出し、そしていつの間にか思考が日向に飛んでいる自分に気がついて、呆れてしまう。

       意外と、無趣味だったんだな、俺って。


とりあえず・・・とばかりに、若島津は冬休みの宿題に出たプリントを机の上に広げた。何もする気にならないなら、どうせしなければならないことを片付けた方がいい。


だけど。
日向が眠っているから。
日向と話すことができず、目を見ることができず、笑いあうことができず      。 
ただそれだけで、こんなにも生活が無機質で、つまらなくなるものだろうか・・・・・。


しばらく課題である英文プリントの和訳に取り組み、時間を潰した。一段落ついたところで、そろそろ自分も寝た方がいいかと、若島津は机の上にシャーペンを置く。
日向の様子はどうだろうと、彼の寝ているベッドに近づいて寝顔を覗き込んだ。
小学生の頃と、顔つきは大差ないような気がした。特に目を閉じている時には、瞳のきつさが消えて、可愛らしいとさえ言えるような気がする。

       長い睫だな・・・

ふとそう思い、何とはなしに触れてみたくなって手を伸ばす。指の先が触れるか触れないかのところで、日向が身動いで、若島津は動きを止める。

「・・・ん・・・。わか・・しま、づ・・」

名前を呼ばれて、起こしてしまったかと日向の顔をさらに覗き込む。だが日向はその一言を発したきりで、後の言葉が続かない。依然として眠りの中にいるようだった。

「日向さん?・・・・・日向?」

昔の呼び方で呼んでみる。まだ、二人が東邦に来る前の呼び方。
やはり日向が目を覚ましている気配は無い。なんだ、寝言だったのかと、若島津は少しくすぐったい気持ちになる。

       もしかして、俺の夢を見てくれているの・・・・?


どんな夢に、自分は出てきているのだろうか。日向のことだから、サッカーをしている夢だろうか。夢の中の自分は、彼の隣で同じスピードで走っているのか。それとも、彼の前に壁として立ちはだかっているのか。或いは彼を後ろから守って、ゴールを決めた彼に走り寄っているのか。
いずれにせよ、夢の中でも自分は彼に近いところにいるのだろう。

       もう一度。

もう一度、名前を呼んでくれないかと、静かに呼吸を繰り返す口元を見つめるが、その唇は動かない。


こんな風に親しくなれるとは、日向と出会った頃には思いもしなかった。幼い頃から空手ばかりをしていたから、特に遊び相手も必要なかった。道場に通ってくる年上の少年たちを相手にしていたから、学校の同級生など、どこかで子供っぽいと馬鹿にしていた部分もある。
そんな時に、日向と出会った。

最初は無口で、愛想のない奴だと思った。だが、何故か気に入らない訳ではなかった。「見た目がいいのに、勿体無い」と思っただけだった。
同じクラスだったから話す機会もあり、そうすると大分印象が変わってきた。ぶっきらぼうな口調も、どこか怒ったような顔つきも、その向こうには柔らかくてまだ幼い日向の本質が隠されていて、それを見せまいとしているだけなんだとやがて気がついた。小さい両の肩に、家族を守る、といった気概を乗せ、自らを奮い立たせていたのだと、今ならばすぐに分かる。

だけど。
       だけど、俺もあの頃は子供で。

理解するのに、少し時間がかかってしまった。

       ごめんね、日向さん・・・。

今の自分があの頃の日向に会えたなら、その背負ったものを少しでも軽くしてもあげられただろうに・・・と、今の日向だけでなく、昔の日向にも若島津は想いを寄せる。

「ん・・・」

声に促されて日向を見ると、うっすらと額に汗をかいている。体温を測ってみると、37.5度まで下がっていた。この分なら、順調に明日の朝には熱も下がりきるだろう。
若島津は日向の額に貼ってある冷却シートを剥がし、濡れタオルで汗を拭ってやったうえで、新しい冷却シートを取り出して貼り直す。
体も汗をかいているなら着替えをさせる必要があるが、そこまでではないようだった。

       そういえば・・・。

朝に日向を病院に連れて行く時には、若島津が日向の着替えを手伝った。
幼い子供ならいざ知らず、体格のいい中学生がパジャマ姿というのは緊急で運び込まれたのでもなければおかしいだろうと、ジャージに着替えさせて、送り出した。
が、若島津が練習を終えて部屋に戻ってきた時には、日向は違うパジャマに身を包んでいた。寮監は「ジャージのままっていうのも何だからな。パジャマに着替えさせておいたぞ」と言っていた。

朝にパジャマを脱がせたときの日向の姿と、寮監の言葉を思い出して、若島津は胸の奥にチリッとした小さな痛みを感じた。


       なんだろう。・・・・どうってことないじゃないか。


具合が悪くて、日向は着替え一つにも誰かの手助けを必要としていた。ただ、それだけのことだ。
なのに、若島津の中にどうしても消えないわだかまりがある。振り払おうとしても、何度も頭の中で再生してしまう映像がある。


発熱のために熱くなった体。 伸びるのが先で、まだ逞しさがついてこない手足。 少年らしい丸さを残した頬。 滑らかな肌。 若島津の言うままに、思うようにならない体を動かす日向。

それらが若島津の中にいる、今まで目をそらしてきた何かを起こそうとしているかのようだった。

       違う。
そんなんじゃ、ない。
日向と自分は、そんなのじゃない・・・。

子供じみた独占欲なのかもしれない。目を瞑っても日向の映像は消えることなく、若島津はそれらを払うように頭を振った。


「・・・っ」

ふいに熱い手が自分の手に触れてくるのを感じて、若島津はビクリと身を竦ませる。

「・・・日向さん?」

見ると、ぽかりと目を開けた日向が、枕に頭を預けたままで若島津の方へ手を伸ばしていた。
熱のせいで瞳が潤み、頬が赤かった。

「・・・お前・・・どうした?・・・寝ぼけてる、のか・・・?」
「・・・・・」

寝ぼけているのは、あんたじゃないのか。
若島津はそう思ったが、それは言わずに、「気分はどう?」と聞いた。

「・・・?・・頭が、痛い」
「まだ少し熱あるからね。でも薬も効いているみたいだし、いつもみたいにすぐ治るよ」
「・・・・お前は、寝ないのか?」
「もう寝るよ」

日向はまだ若島津の手を掴んだままだった。日向は手のひらも熱く、掴まれた若島津の指先から体温が伝わってくるほどだった。

「お前、冷えてる。・・・・風邪、引くぞ」
「あんたが風邪ひいてんだよ」
「ん・・・?」

やっぱり寝ぼけているようだ。それとも熱のせいで意識がはっきりしていないのか。

「もういいよ、寝なよ」
「ん・・。もう、29日になったのか?」

29日になったどころか、もうじき29日は終わるのだ。でも、若島津にとってはどうでもいいことだった。家での誕生日祝いは延期になったが、多分、無くなった訳ではないだろう。それよりも、こうして思いがけず時間ができて、たとえ臥せているとしても日向と二人きりの時間を持てたことの方が大きい気がする。
普段、同じ部屋で過ごしているとはいっても、日常はあまりにも忙しなく時間が過ぎていく。どちらかというと、一番残念な思いをしたのは日向の家族だろう。もしかしたら、直子や勝は泣いたかもしれない。

      可哀相なことをしただろうか・・・。

若島津がそう思ったとき、「誕生日おめでとう」と、掠れた声が耳に届いた。

「え・・?」
「お前の誕生日だ。・・・嬉しいな」
「・・・嬉しいの?」
「・・・嬉しいだろう?」

お前はそうじゃないのか・・・と、不思議なものを見るような目で、日向が若島津を見上げていた。

「そっか・・。ありがとう。嬉しい、よね。やっぱりね」
「・・・おやすみ」

若島津が納得すると、日向は満足そうな笑みをその顔に浮かべ、また眠りについた。若島津は暫しの間、日向の寝息が規則的なものになるまで、手を掴ませたままで動かなかった。

      明日の朝になったら、もう覚えていないだろうか。

日向は、若島津に贈った今の言葉を、忘れてしまうだろうか。

若島津にとっては、誕生日は単に歳を1つ取る日であり、反町にも言ったように『貰えるものが貰えれば、それでいい』日だった。だが、今、日向は「嬉しい」と言ってくれた。日向が嬉しいと思うのならば、それは若島津にとっても特別な日になる。

・・・嬉しいだろう?、というあの疑問系の一言に、「お前が生まれてきたのだから、嬉しい日に決まっているじゃないか」という日向の想いが入っていたような気がする。
あくまでも、気がするだけだが。


      それでもいい。

思わぬ形で受け取ることになった目に見えない贈り物を、胸の奥に大事にしまって、若島津も自分のベッドに潜り込む。


枕元の時計を見ると、あと5分ほどで日付が30日に変わるところだった。
若島津は日向と巡り合わせてくれたあらゆるもの・・・幼い頃の自分や日向、それから父親、母親にも・・・に感謝をし、残り5分、これまでで最高の誕生日を過ごして、幸福な気分のまま、眠りについた      。 






END

2012.12.29

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