~ blessings ~



若島津はその朝、枕元に置いてある時計の、無機質なデジタル音で目を覚ました。

東邦学園中等部の寮に入って早9ヶ月になるが、これは滅多にないことだった。何故なら、若島津よりも常に先に目を覚ます同室の人間が、思わず『何で朝からそんなに元気なんだよ・・・』と突っ込みたくなるくらいの元気さで、「朝だぞ!若島津。起きろ、練習行くぞっ」と起こしてくれるからだった。
眠気やだるさといったものを微塵も引きずらない日向とは対照的に、若島津は言葉も発さないままに布団からモソモソと這い出す。夏ならまだしも、季節が本格的な冬となり、こうも早朝に冷え込むようになると、少なくとも若島津にとってはベッドから出るのは気分のいいものではなかった。

だが、日向は季節を問わず、いつもきっかりと同じ時間に起きて、若島津を起こしてくれる。
若島津にすれば非常にありがたいことだった。同室の人間が日向じゃなければ、朝練に遅刻して罰をくらうなんてことも、あったかもしれない。同室の人間が起こしてくれたとしても、それが日向じゃなければ素直に起きるかどうかも怪しいからだ。

しかし、今日はその日向が声が聞こえてこなかった。
いつもなら、もう少し、もう少し、と布団にしがみついて日向に怒られるのだが、今は『日向が起きていない』というその異常事態に頭が覚醒し、跳ね起きるようにしてベッドを下りる。

「日向さん!?」

もしかして、自分を置いて先に行ってしまったのか・・・?とも思い、日向のベッドを覗き込む。

「・・・ありゃ」

そうして若島津は、その整った面に似合わない、気の抜けた声を出した。





日向が熱を出した。
それ自体は、大して珍しいことではない。
小学校時代も何度か熱を出して倒れることがあった。日向の場合、問題はそれらの兆候もなく、溜まったマグマが噴出するかのように突然に高熱を出して動けなくなることで、そして、そのタイミングがいつも悪かった。


「え~。日向さん、よりによって、今日熱出しちゃったのお?」
「そうだ。だから今日は練習休み」
「今日はっていうか・・・今日で練習終わりじゃないの。相変わらず、あともうちょい、ってとこでエネルギーが切れちゃうんだねぇ~。日向さん」

日向が熱でダウンしたことを若島津から聞いた反町は、事実ではあるが、日向が聞けばショックを受けるだろう台詞を口にした。

だが、反町の言うことも尤もで、それについては若島津も不思議に感じていることだった。

日向に限って、気力が失せたとか、緊張感が途切れたとか、そういうものではないだろうと思っているが、確かに「もう少し後だったら良かったのに」と誰もが思うタイミングで倒れるのが日向だった。
小学6年時のサッカーの全国大会でもそうで、日頃から家族のため、サッカーのためと無理を重ねていた日向は、疲労を溜めに溜めて、よりによって大会の最中に倒れた。
もっとも、しばらく休めば、毒素を出し切ったかのようにスッキリとして起きてくる日向のことだったから、今回も若島津にしろ反町にしろ、それほど心配はしていない。

ただ、「ほんと、タイミングが悪いなあ・・・」と、誰もがしみじみ思うだけだった。



「日向さん、今日お前と一緒に家に帰るつもりだったんでしょ?」
「そうだけど。・・・まあ、あの様子じゃ無理だよな」
「じゃあ、日向さんが帰るのは明日か。健ちゃんはどうすんのさ」

健ちゃん、と呼ばれて嫌そうに顔を歪めて見せた若島津は、「俺も帰れる訳ないだろ」と言った。

「え、じゃあ誰もいなくなる寮に二人きり!?やっだあ~。日向さん危な・・」

最後まで反町が言い切る前に、若島津に頭を叩かれた。

「ちょっと、痛いじゃんかっ」
「くだらないこと言ってるからだ。・・・・お前な、俺の場合はあの人を置いて帰ったりしたら、家でどんな扱いを受けるか分からないんだからな」

一見して取っ付きにくそうなところのある日向は、だが一旦親しくなれば、裏表のない正直な性格が誰からも好まれた。日向自身も相手を気に入れば、その人を好いていることを態度で示したし、またそうすることで自然と人を惹き付けた。大人に対しても同様で、アルバイト先の雇い主や若島津の両親も、物怖じせずに人の目を真っ直ぐに見て話す日向を可愛がっていた。
ことに若島津の母親の可愛がりようは、実の息子である若島津よりも気に掛けているのではないかと思うほどで、「本当に小次郎くんは素直でひねくれたところが無くて可愛い」とよく言っている。 この年末年始の休みだって、「一度は必ず小次郎くんを連れていらっしゃいね」と母親から念押しされていたのだ。

「じゃあ、お前も帰らないの?・・・お前の誕生日だっていうのに?」
「・・・俺の誕生日であっても、無理だな」

日向が熱を出したその日は、年内の練習最終日というだけでなく、若島津の誕生日でもあった。年の瀬も押し迫った、12月29日。一応、予定では若島津の家でもケーキとご馳走を用意してくれている筈ではあった。
朝に実家に電話して「帰るのは明日になるかもしれない」と告げたところ、息子が帰ってこないのが残念というより、日向が熱を出した方が心配、というのが母親の声に色濃く出ていたのは、若島津の気のせいではないだろう。

「まあ、誕生日なんかは別に、どうでもいいけどな」

貰えるもの貰えれば・・・と言いかけた時に、先輩の一人に、「若島津。日向は今日どうするんだ。帰れんのか?」と声を掛けられた。

練習が始まる前に、日向が熱を出して練習を欠席することはキャプテンから皆に告げられていた。だが、こうして日向のことが気になるらしく、さっきから何人かの先輩に同じようなことを繰り返し若島津は聞かれている。それに対して若島津はというと、

「大丈夫だと思いますけど・・・・。ただ、冬休みに入る前に、日向さんのクラスでインフルが出ていたから、病院で検査して貰うって寮監が言ってました。あ、もしあの人が陽性だったら多分俺にもうつっていますから、あまり近すぎ過ぎないでくださ・・・ゲホ。あ、部屋にも来ないでくださいね」

と、丁寧に咳の一つ二つを加えて、答えていた。

「お前、ほんっと性格悪いのな」
「本当に部屋まで来られて風邪がうつったりしたら、却って申し訳ないだろ」
「よく言うよ」

反町は諦めたように肩をすくめ、「反町!しゃべってばかりいないで練習しろ!」と離れた所から怒鳴る先輩に、「すみませ~ん!」と返事をして練習の列へと戻っていった。









年内最後の練習を終えて、サッカー部のメンバーはクラブハウスにてジュースとお菓子で軽く打ち上げを行った。若島津や反町ら一年生が、監督のポケットマネーで既に購入していた飲み物を、監督や顧問、先輩たちに1本ずつ配って回った。

「せっかくの締めの日なのにな、日向がいないんじゃ、つまんねえな」

あちこちでそういった声が上がるのを聞いて、反町は「そうですよねぇ。俺らもそうですもん。ちょーっと、寝ててもいいですから、覗きに行きたいですよねぇ~」とわざとらしく若島津を見ながら返し、若島津はそれに対して僅かばかり口の端を上げてみせた。
4月に入学した時には、「目つきが悪い」「生意気だ」「思い上がっている」など、日向の本質を知りもせずに、見た目や印象だけで口さがなく日向のことを悪く噂する先輩もいた。 特待生として、一足早く東邦学園中等部のサッカー部で練習を始めていた日向と、若島津は入学してから再会したのだが、すぐに若島津には日向が置かれている状況が理解できた。


だから、この9ヶ月は若島津にとって日向をプロデュースする期間でもあった。元々、日向は不器用だけれども、その人となりを知れば、先輩にしろ同期にしろ、多くの人間から愛されるだろうことは自信があった。自分がここまで追いかけてきた人なのだから、そうでなければ困る、とさえ若島津は思っていた。
その抜きん出た才能ゆえに妬まれることがあるとすれば、それは当然のことだ。日向がこのままサッカー選手として順調にキャリアを積んでいくならば、この先も妬みや嫉みといった感情をぶつけられることがあるだろう。それらに慣れておくことも、日向にとっては必要なことかもしれない。
ただ、媚諂いや狡猾さとは無縁で、そして決して要領のよいタイプではない日向を、若島津は自分が守れるのであれば、守ってやりたかった。


だが今の日向は、もう自分が何をしなくてもいいくらいに、皆から慕われている。

        少し、理想に近づいてきたね。・・・ようやく、あんたを好きに走らせるための土壌が出来てきた。

中学に上がって1年目の今年、大空翼に勝つことが出来なかった。
だが、東邦はこれからだ。これから日向を活かすためのチームを作り上げていくと、若島津は決めたのだ。
周りの部員たちとジュースで乾杯しながら、若島津はベッドで一人眠り続ける日向のことを思った。





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