~ 強面天使と悪魔な俺 ~<綻び>編 2





ドライヤーの熱風と、小次郎の家事に荒れた手が健の髪の毛を乾かしていく。

「はい、健。もういいよ」

しばらくして、小次郎はドライヤーのスイッチを切った。あらかた渇いていれば問題ない。確かめるように、何度か健の長い髪を指で梳いた。

「健の髪、だいぶ伸びたね。切らないの?」

切って欲しいという訳ではなかった。健の長くて艶のある黒い髪を、小次郎は気に入っている。触れてみればサラサラと指から零れ落ちるそれは、小次郎からしても美しい。一見すると女の子のような髪型だが、健にはとてもよく似合っている。

それに・・・と小次郎は思う。
少し冷たい印象のある健の美貌と、黒々とした流れるような長髪は、合わさると不思議とより凛々しさが強調されていた。少女めいた印象は無く、どちらかと言えば勇ましい少年      むかし健の家に、白馬に跨って弓を引く若武者の絵が飾られていたことがある。美しく凛とした姿の若武者に、その頃の小次郎は自然と健の姿を重ねていたが、今でもそれは変わらない。

小次郎はぽつりと零した。

「健の髪・・・俺、好きだよ」
「・・・・・」

健からの応えは無かった。小次郎は首を傾げる。どうにも今日の健はおかしい。静か過ぎる。小次郎に練習試合があった時は、いつもなら真っ先にその結果を聞いてくるのに。

「けん?」

健の髪を整えながら小次郎が柔らかく名を呼ぶと、ガシっとその手を掴まれた。健は小次郎に背を向けたままで聞いた。

「小次郎ちゃん。・・・どうして、さっきのあいつに送って貰うことになったの?」
「さっきのって・・・三杉のこと?それは、俺が足を挫いた時に、あいつん家の車が近くにあったから・・・」
「明和FCの人間じゃなくて、どうしてあいつ?」
「俺たちは電車で行ってたし・・・それにあいつ、病院に知り合いがいるとかで、すぐに診察の予約もしてくれたんだ。怪我にも慣れているのかな。最初に三杉が見てくれて、一応病院に行こうって」

その言葉を聞いて、健は振り向いた。小次郎の手を、更に強く握り込む。

「・・・っ、痛い、よ。健」
「・・・小次郎ちゃん、あいつに、触らせたの?足・・小次郎ちゃんの、足を?」

正面から小次郎の目を覗きこむ。自分以外は近寄らせないと、触らせたりしないと、何度もそう誓わせた筈なのに。

「だって・・・!俺は大丈夫だって言ったけれど・・でも、捻るのは癖になるかもしれないから、見せてって・・・」
「あいつがそう言ったの?誰が・・・誰が小次郎ちゃんの靴を脱がせたの?靴下は?誰が小次郎ちゃんから・・・脱がせたの?」
「・・・・」

沈黙が答えだった。小次郎の腕を掴む健の手に力が入る。小次郎の眉根が寄った。

「いたい・・けん、離してよ」
「小次郎ちゃん、足を見せて」
「・・・え?・・ま、待って・・!けん・・っ!」

嫌がって逃げようとする小次郎の手を、健は素直に離した。その代わりに捻挫をして足首を固定された左足の、ふくらはぎを掴む。そのまま背中側に押すと、不安定な体勢だった小次郎は簡単に後ろにひっくり返った。

「な、何!?健、何するんだよ・・・!」
「黙って」

驚いて大きな声を上げる小次郎に構わず、健は小次郎の足首に巻かれた包帯をほどいた。シュル・・と弛んだそれは、すぐに外れて下に落ちる。

「けん・・・!」

小次郎は健が何をするつもりなのか分からなかった。時折り、健はおかしくなる。自分に対して酷いことをする     だけどそれには、理由が無い訳じゃない。自分が何かをしでかして健を怒らせたりした時だけ、健は凶暴な面を見せるようになるのだ。たとえばあの、初めて健に嘘をついた時のように。

(でも、今日はどうして・・・?俺が、三杉に送ってもらったりしたから?)

今回は何がいけなかったのだろう     小次郎がそう考えていると、健が小次郎の左足首をゆっくりと手で擦った。

    小次郎ちゃん。俺以外の奴に簡単に触らせたりしないでって・・・俺、言っていたよね?」
「でも、健・・!三杉は本当に怪我がどんなか、それを見てくれただけなんだよ!?」
「それでも、だよ。それでも駄目だ。     医者は仕方が無い。でもあいつや、他の友達も駄目」
「どうし・・健・・!」

疑問の言葉は最後までは声にならなかった。健がふいに小次郎の踝に顔を近づけて、唇を押しつけたからだ。小次郎は驚愕のあまりに、抗うことも忘れた。

「・・・や、健、健・・っ」
「誰にも触らせないって、もう一度ちゃんと約束して」
「・・・ひゃ・・!」

健の舌がちろりと肌の上を舐めた。生温い濡れた感覚に、小次郎は小さく悲鳴をあげた。

(やだ、やだ、やだ      !)

こんなのはおかしい、こんなのは恥かしい      そう思っているのに、どうしてだか身体から力が抜けてしまう。
止めさせようと両手を健の左肩に置いたが、ろくに押し返すことは出来なかった。

「・・けん、けん・・っ、くすぐったい・・っ、それ、やだぁ・・」
「じゃあ、約束して。小次郎ちゃん。俺以外の奴に、触らせないって、もう二度と」
「わ、分かった・・!分かったからあ・・っ」

小次郎が半泣き状態で承知すると、健はようやく小次郎の足を解放した。小次郎は床に寝ころんだままで、呼吸を整える。

(び、びっくり、した・・・・)

『小次郎ちゃんは、俺のものだよ』     ほんの小さな頃から、何度も繰り返され、囁かれてきた言葉。そう言われる度に、『そうだよ、そして健は俺のだよね』と返してきた。だから、健になら何をされてもいいと思っていたし、思っている。

(でも、こんなのは     

嫌だ嫌だとは言いながらも、健のことが嫌だとか、気持ち悪いとか、そういう感情や感覚は小次郎には無かった。ただ恥かしくて仕方がない。それに健が怒っているらしいことは分かっても、その理由までは本当の意味では小次郎は呑み込めていない。
健の取った行動の本質を知るには、小次郎は幼過ぎた。

(やっぱり・・・俺が、なにか怒らせたんだよな・・)

ぼうっとした頭で天井を見上げていると、健が覆い被さってきた。自身よりも大きい小次郎の身体を抱きしめて、小次郎の胸に頬を押しつける。

    乱暴にしたことは、謝るよ。ごめん」
「・・・・・」
「でも、忘れないで。小次郎ちゃんは、勝手に俺以外の奴に触らせたりしたら、駄目なんだよ。小次郎ちゃんは俺のものなんだから」
「・・・・うん」
「俺が小次郎ちゃんの知らないところで、小次郎ちゃんの知らない奴とベタベタしていたら嫌でしょう?     それと同じなんだよ」
「うん」

そう言われたなら、小次郎にもよく分かる。
何処まで行っても、自分は健のもので、健は自分のもの     小次郎にとっても健にとっても、ずっと変わらない、幼い頃からの約束のようなもの。
子供じみた独占欲は理屈では無い分、当の子供にはすんなりと受け入れることが出来た。

「ごめんね、健。もうそんなことしないよ。・・・けん、どうしてそんな顔をするの?」

健の要求がようやく腑に落ちて、ふわりと笑って健を見上げた小次郎は、今度は心配そうに眉を顰めた。自分の上に乗り上げた幼馴染が、何故か苦しそうな顔をしているから     

「健?どうかしたの?」
    小次郎ちゃん。サッカーは、楽しい?」
「?・・・楽しい・・のかな。よく分からない。でも、勝つと嬉しいよ。俺は誰よりも強くなって、大人になったら母ちゃんたちに楽をさせてあげたいから」

健はくしゃりと顔を歪めると、何も言わずに小次郎を強く抱きしめた。



今回だけじゃ無い。以前にも健の知らないところで、健の知らない人間と小次郎が親しくしていることを知った。それもサッカー絡みの知り合いだった。
本音を言えば、小次郎からサッカーを取り上げてしまいたい。だが、それは出来ない     サッカーは小次郎のよすがだ。いつか自分が家族を養うのだと言って、そのために新聞配達をしながらクラブに通っている彼の努力を知っている。そんな小次郎にサッカーを諦めさせることは、さすがに健であっても出来ない。

だけど     このままにしていたら、どうなる?小次郎を手離すことなど絶対に有り得ない。だが、小次郎の方から手を離そうとしたなら     ?たとえば、自分の代わりにあの、三杉のような人間の手を取ろうとしたなら    

健は恐ろしい想像に背筋を震わせた。三杉の上品な笑みに似合わない、挑発的な光の浮かんだ瞳が脳裏に浮かんだ。



小次郎は急に強さを増した健の腕の力に、ふ、と息を吐く。

「けん?・・・どうしたの?今日は何か変・・・。何か、心配なことでもあるの・・・?」

渾身の力でしがみつかれて苦しい筈なのに、自分の背中に手を回してポンポンと軽く叩いてくる小次郎を、健はより深く自分の中に抱きこもうとした。小次郎の体温をより近くに感じられたなら、そうしたなら、こんな事は何でもないことなのだと思えるような気がした。


「けーん?だいじょうぶだよ。何も怖いことなんかないよ。俺がずっと傍にいるよ」

幼馴染の名を優しく呼び続ける小次郎の上で、健はただひたすらに、小次郎の温かさを貪っていた。







END

2019.03.03

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