~ 強面天使と悪魔な俺 ~健誕生日編 3
しばらく二人でゲームをしたり、東邦学園のパンフレットを見ながら来るべき中学生活を想像したり、健が小次郎のために録画していたバラエティ番組を見たりした。
16時を回った頃に少し空腹を覚えて、小次郎は健に聞いた。
「健。持ってきたケーキ、どうする?もうちょっと後で食べる?」
「ううん。今一緒に食べようか。待ってて、持ってくる」
健がケーキと皿とフォーク、それからナイフを持って部屋に戻ってきた。小次郎が箱を開いて見せると、感嘆の声を上げる。
「すごいね、小次郎ちゃん。お店で買ったケーキみたいに綺麗。どんどん上手になるね」
「味も、なるべく甘くないようにしたんだよ。健でも美味しく食べられるように」
切り分けたケーキを一口食べて、「美味しい」と健は嬉しそうに笑う。小次郎もパクリと頬張って、濃厚なチョコレートケーキの風味を満喫する。
「食べきれなかったら、後でおばさんたちと分けてね」
「うん。でも小次郎ちゃんのだったら一人で食べきれちゃうかもね」
「それでもいいよ」
普段はそれほど甘いものを食べない筈の健が、一口食べては「おいしい」だの、「小次郎ちゃんは本当にお菓子作りが上手だね」だの、「また作ってね」などと言ってくれるので、小次郎も面映ゆくなる。こんなに喜んでくれるなら、誕生日じゃなくても作ってあげるけれど・・・と思った時に、気が付いた。
(そういえば寮に入ったら、こういうことも出来なくなるんだな・・・・)
親兄弟と離れるだけじゃない。
これまで当然のようにしていたことが、出来なくなるということだ。家事をする必要が無くなる代わりに、好きなお菓子を作ることもできなくなる。ただひたすらにサッカーに打ち込む生活が待っている。
それはそれで有り難い環境だし、何より母親と弟たちを楽にしてやれるのだから、不満などある訳が無いけれど。
だけど、今は家の外だけで演じていればいい『強い日向小次郎』を、学校だけでなく、寮に戻っても続けなければならないのだ。
( 健が。せめて健が寮で同じ部屋になってくれるのなら)
東邦学園の寮は二人部屋なのだと聞いた。そうであれば、その同室者が誰になるのかによって、小次郎の今後の生活は大きく変わりそうだった。
「小次郎ちゃん?どうしたの?急に静かになったね」
「あ、・・ううん。何でもないよ」
『できれば健と同じ部屋になりたい』 それはささやかな望みではあったけれど、今の時点で口にすることは、小次郎には憚られた。
いくら『健なら大丈夫』と信じているとはいえ、これからが受験本番なのだ。目の前の大事を控えた健に、その先の個人的な悩みを相談するのは、余りにも自分勝手に思えた。
「・・・ほっぺにチョコレートがついてるよ」
「え?」
少し俯き加減で黙々とケーキを口に運んでいた小次郎の頬に、健の指が触れた。
「ほんと?」
「ほんと」
「健、汚れちゃうから、触らない方が」
小次郎が伸ばされた手を除けようとすると、軽く肩を抑えつけられた。健が膝立ちになって覆い被さってくる。
夕暮れ時の残照を背に、健の髪も肩も腕も、全てが金色の淡い光に輝いていた。眩しさに小次郎が目を眇める。やっぱり健は綺麗だな、と思った。
小次郎の大好きな、大切な幼馴染。その整った顔がゆっくりと近づいてくるのを、小次郎はまるでスローモーションのように感じながら見上げていた。
頬に、ぬるく濡れた感触があった。
「・・・・・・」
健に舐められたのだと認識するまでに、数秒かかった。そして健が何をしたのかを理解した小次郎は、「・・な、なにっ?健、なに・・?」と飛び上がらんばかりに驚いた。
だが健は、小次郎を離そうとはせず、その上からも退こうとはしなかった。柔らかく、だが絶対的な力でもって小次郎を抑えつける。
「・・けんっ!なに、・・・や!」
小次郎が健から逃れようとすると、今度は完全にカーペットの上に押し倒された。健は更に強い力で小次郎のことを組み伏せてくる。空手以外の格闘技もたしなむ健にかかれば、多少は小次郎の方が体格がいいといっても、何のアドバンテージにもならなかった。
「健・・・!」
小次郎が名前を呼んでも、健は小次郎を放してはくれない。ぴちゃぴちゃと水音を立てて小次郎の頬を舐め続ける。
「健、もう・・!もうチョコ、取れたよ・・・!くすぐったいよ・・!」
本当はくすぐったいんじゃない。だが小次郎には、何と言って健を止めればいいのか分からなかった。
舐められることには嫌悪感は無い。それはもちろん、相手が健だからだ。健なら自分に何をしてもいい、だって自分は健のものなのだから 小次郎はずっとそう言い続けてきたし、実際にそう思っている。
だが自分に乗り上げた幼馴染が無言で頬を舐めてくるのを普通だと思うほどには、小次郎は常識外れじゃない。それに健の放つ異質な空気 いつもの優しい健とは違う歪なものを感じて、逆光でその表情が見えないことも相まって、小次郎は少し怖かった。
(昨日だって、健はほっぺにキスをしてきたけれど・・・)
だがその時とは、健の纏っているものが全く違う。他人には分からないかもしれないが、長い付き合いの小次郎には分かる。
(・・・こわい?・・・俺、健のことが怖いの・・・?)
そう思うことは、小次郎にはなかなか受け入れ難いことだった。
健は家族以外では、唯一あるがままの自分を晒すことのできる相手だ。健を信頼しているし、健の傍にいれば安らげる。幼馴染として仲良く育ってきたし、これからもお互いに大事な存在として付き合っていきたかった。
(なのに。・・・なのに、おれ、健のことを ?)
小次郎は自分の感情を整理できずに持て余し、ただ一人困惑していた。
そんな小次郎の脅えを察知し、健は嗤った。心の奥底で。
小次郎の心情など、手に取るように分かる。幼い頃からそうだった。いつまでたっても擦れることなく素直で、実年齢よりもはるかに幼い小次郎の心の動きは、健にしてみれば読み取り易い。
(あの時くらいだ。俺が小次郎ちゃんのことで間違えたのは )
今年のエイプリルフール。その時は小次郎が嘘をついたことを、健は見抜けなかった。それは偏に『嘘』だったからだ。小次郎が自分に対して嘘をつくなどと、夢にも思わなかったからだ。
だがもう小次郎は嘘をつかないだろう。健に『嘘は難しいから、もういい』と約束したのだ。
(どのみち嘘をつかれても、次からは見抜けるとは思うけどね・・・)
健の薄くて小さな舌が、小次郎の頬の上を緩やかに移動する。やがてその柔らかく湿ったものは、小次郎の唇の端を優しく撫でた。
「けん・・・!」
とうとう怯えたように小次郎が大きな声を出す。健は顔を上げた。
「俺が怖い?」
「・・・・・けん」
「俺が、小次郎ちゃんにこういうことをしたいって言ったら、小次郎ちゃんは嫌?」
「・・・よく、分からない」
困惑した顔で答える小次郎に、健は満足そうに笑った。
どうして自分がこんなことをするのか、小次郎には分からない。それで当たり前だ。それが正解だ。小次郎の周りからそういった性的なことを排除してきたのは、他ならぬ自分なのだから。
でも今の小次郎は脅えている。未知なる感情に戸惑っている。それも正解だ。だって自分は、いつまでも『兄弟のような幼馴染』でいたい訳ではないのだから 。
(少しずつでいい。この子を怖がらせたい訳じゃないから)
自分が望むことと、小次郎が望むことが異なるなら 健は、譲る気は無い。
だが恐怖を与えたい訳じゃ無かった。だとすれば、小次郎にとっての健の立ち位置を変えていくしかない。
徐々に。ゆっくりと。だが確実に。
「驚かせてごめんね。小次郎ちゃんが、俺の誕生日だっていうのに暗い顔をするから、酷いなって思って。意地悪しちゃったんだ」
小次郎の手を引っ張って身体を起こしてやり、腕の中にそっと抱きこむと、小次郎がほっとしたように息をつくのが分かった。安心させるように、優しく背中を撫でてやる。
(今はこれでいい。少しずつ)
だけど、東邦に進んで、中学生になって、高校生になって、大人になったなら。そうなったなら、いつかは 。
健は小次郎を抱きしめる腕に力を込めた。
(東邦に落ちる訳には絶対にいかない。小次郎ちゃんが俺じゃない誰かと同じ部屋で暮らすだなんて、ありえない)
赤ん坊の頃からの付き合いなのに、未だにこんなにも小次郎に夢中だ。寮の二人きりの部屋で、自分以外の誰かが小次郎と生活を共にするのを想像するだけで、これほど凶暴な気分になるくらいには。
健は心を落ち着かせるために、深く息を吸った。
「ねえ、小次郎ちゃん」
「うん?」
「いつかでいいから・・・俺、欲しいものがあるんだ。小次郎ちゃんから、欲しいもの」
健がそう言うと、小次郎はパアっと顔を輝かせて「何?俺があげられるもの!?ならいいよ!」と即答した。
「うん。小次郎ちゃんだけが持っているものなんだ」
「なあに?何が欲しいのか言って」
だが健はその問いには答えなかった。「もう少し大きくなったら、教えてあげる」と言って。
「・・・それじゃ、よく分かんないよ。今はまだ、欲しくないの?」
「今はまだ、いいんだ。でもいつか大人になったら・・・、その時は、ちゃんと頂戴ね?約束だよ?」
健から身を離して、小次郎が微笑んだ。「うん!約束!」と小指を立てて健に差し出す。
また一つ小次郎を縛る鎖を増やして、健はその美しい顔に綺麗な笑みを浮かべた。
「健。お誕生日おめでとう。これからの1年も、健にいいことがありますように」
「ありがとう、小次郎ちゃん」
12月29日が終わるまでには、あと数時間あった。健は途中だったケーキの皿を再び手に取って、満足そうに口に運んだ。
END
2017.12.29
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