~ 強面天使と悪魔な俺 ~健誕生日編
「ん、綺麗に出来た」
アプリコットジャムを挟んだスポンジケーキにグラサージュショコラをかけて、その出来上がりに小次郎は満足そうに頷いた。なめらかなチョコレートがつやつやと輝いて、美味しそうだ。後は胡桃と砕いたクッキーをトッピングして、チョコのプレートをのせれば完成だ。
「兄ちゃん、上手にできたねえ!おいしそう~!直子も食べていいの?」
「まさるもたべるー!」
直子と勝が、小次郎の足に纏わりついて『ちょうだい、ちょうだい』と強請ってくる。小次郎は優しく笑って、日頃から可愛がっている幼い弟と妹を見降ろした。
「ちゃんとうちの分も作ってあるから、そっちは直子と勝も食べていいぞ。チョコを塗るの、兄ちゃんと一緒にやろうか」
「うん!やる!やりたい!・・・・でも兄ちゃん。じゃあ、こっちのはどうするの?誰かにあげるの?」
直子が不思議そうな顔をして小次郎を見上げる。
小次郎は残っていたチョコの欠片を二人の口に一つずつ押し込んで、微笑んだ。
「これは健にあげるんだ。 明日は、健の誕生日なんだよ」
明日、12月29日は健の誕生日だ。12歳の誕生日。
隣の家に住む幼馴染の男の子は、小次郎にとっては自分の家族と同じくらいに大切な存在だ。赤ん坊の頃から一緒で、兄弟同然に育ってきた。いつだって他の誰のことよりも自分を優先してくれる健のことを、小次郎は大好きだ。
だから健の誕生日も、大したことは出来ないにせよ、小次郎は心からお祝いをしてあげたかった。
8月の小次郎の誕生日には真夜中に健がやってきて、真っ先に「小次郎ちゃん、誕生日おめでとう」と言っくれた。小次郎は最初は誰が忍び込んできたのかと心臓が凍りつくほどに驚いたが、健だと分かって嬉しかった。
その日の夜にも健は再び訪れてくれて、小次郎に誕生日プレゼントをくれた。それはサッカー日本代表のシンボルマークである八咫烏を象ったキーホルダーで、反射材で出来ていた。「外が暗いと、こういうのが無いと危ないからね」と言って、小次郎がサッカークラブで使っているスポーツバッグにつけてくれた。その日からそのキーホルダーは小次郎の大切な宝物だ。
だから小次郎も12月に入って健の誕生日が近づいてきた頃、聞いてみたのだ。何か記念になるものをあげたくて、「健、何が欲しい?」と。
小次郎ちゃんからお金のかかるものなんて、貰いたくないな。
じゃあ、俺が何かしてあげるのでもいいよ?
・・・何でも?ほんとに何でもいいの?
うん!何でもいいよ!
健がして欲しいことで、自分が出来ることなら何でも! と意気込んで小次郎が答えると、健は少し考えるように首を傾げた後、「じゃあ、ケーキを焼いて。小次郎ちゃんの手作りケーキが食べたい」とオーダーした。それでこうして現在、小次郎はケーキ作りに勤しんでいる。
(健にあげる方のは、ギリギリまで甘さを抑えたんだけど・・・大丈夫かな)
健が甘ったるいお菓子を好んでいないのは、昔からのことだ。それこそ小次郎の記憶にある限り、健がクッキーや飴といった甘い菓子を喜んでいたことは無かった。いつも「いらないから、小次郎ちゃん食べて」と言って、全部小次郎に寄越してきた。そのうち小次郎がお菓子作りを趣味にするようになると、それだけは何故か好んで食べるようになったけれど。
おかげで小次郎は幼い頃、おやつには全く不自由しなかった。
(もしかして・・・俺がこんなに大きくなったのって、健の好き嫌いのせいなのかな?)
ふとそんな風にも思ったが、やっぱりそんなことはないか・・・とすぐに思い直す。
何歳の時の写真を見返しても、常に小次郎の方が健よりも大きかった。お互いの家をよく行き来していたから二人で映っている写真も多いが、どれも年相応の可愛らしさを見せる健の隣で、その年齢にしては厳つい顔をして逞しい体つきの小次郎が写っている。
(・・・健は昔から、綺麗で可愛かったなあ)
小次郎は実のところ、自分の写真を見るのが好きじゃなかった。あまりにも目つきが悪くて可愛げの無い子供が写っているからだ。健と比較してしまうと、尚更人相が悪く見える。
(健が、俺の見た目なんか気にしないって言ってくれるから、いいけど・・・)
小次郎自身は自分の顔が嫌いだし、実際の年齢よりも上に見える外見のせいで大変なこともあるが、健は「小次郎ちゃんがどんな見た目でも関係ないよ。俺はこのつり上がった目だって可愛いと思うし、引き結んだ口元も大好きだよ」と言ってくれる。誰もが褒めそやすほどの容姿をもつ健が、小次郎のことをそう慰めてくれる。
嘘をついているのではないだろう。だけど小次郎は幼馴染である健が贔屓目で見てくれているのも分かっている。
だから健がそんな風に言ってくれることが、嬉しくもあり、ほんの少しだけ哀しくもあった。
その日、夜になってから健が小次郎の家にやってきた。
「健!?どうしたの?」
「小次郎ちゃんに、言いたいことがあったから」
日が暮れてからも気温が下がり続け、外は益々厳しい冷え込みとなっている。凍てつく空気が肌を刺すほどに痛い。そんな中を健は隣の家からとはいえ、わざわざやってきたというのだ。
寒さで鼻の頭と頬を赤くした健を、小次郎は急いで玄関の中に迎え入れる。
「健!こんなに寒いんだから、夜は外に出ちゃ駄目だよ。大事な時期なのに、風邪ひいちゃうよ?」
健はそれなりに防寒のための服を着こんでマフラーも巻いていたが、首から上は冷え切っていた。小次郎はその頬に両手を当てて「こんなに冷たい・・・」と呟く。
「小次郎?どうしたの?」
「ううん!何でもない!健が、忘れ物を届けてくれただけ!」
玄関に向かったまま戻ってこない息子を気にして、家の奥から母親が声をかけてくる。それに対して「何でもないよ」と安心させるように答えると、小次郎は健に向き直った。
「本当にどうしたの?俺に言いたいことって何?」
「ちょっと外に出てきて。すぐに終わるから」
「?・・・うん、ちょっと待ってて。上着を取ってくる」
小次郎は中綿のジャンパーを持ってくると、健に手を引かれて外に出た。冷たい風が小次郎の肌を撫でていく。家の中との寒暖の差にブルリと身体が震えた。あまりにも寒すぎて、意味も無く小次郎は可笑しくなってくる。
「ふふっ!健、すごく寒いね・・・!」
にこにこと笑って「寒い寒い」と繰り返す無邪気な小次郎に、健は眩しいものでも見るかのように目を細める。「そんなに寒いなら、もっとこっちにおいでよ」と小次郎の身体を引き寄せた。自分のマフラーを外してグルグルと巻いてやる。
「健が冷えない?」
「大丈夫。こうしてくっついてれば暖かいから」
健は小次郎の身体を更に引き寄せ、ギュ、と強く抱き込んだ。小次郎もギュ、と健に抱きつく。
「健と俺だけで、押しくらまんじゅうだね」
「楽しい?」
「楽しい!健と一緒なら、何でも楽しいよ!」
小次郎が笑顔になって夜空を見上げた。視界いっぱいに広がるのは、宝石を散りばめたようなの満天の星々。降り注ぐ銀の光に目を奪われ、小次郎は知らず「綺麗だね・・・」と呟いていた。健は何も言わず、ただ小次郎を抱き締める手に力を込めた。
「小次郎ちゃん」
「ん?」
「11歳の俺と1年間、一緒に過ごしてくれて、ありがとう」
「・・・けん?」
ふいに思わぬことを言われて、小次郎は目を丸くする。健の肩に手を置いて少し離れ、小次郎は健の顔を覗きこんだ。
「毎年のことだけど・・・この1年も、小次郎ちゃんと過ごせて楽しかった。小次郎ちゃんは?」
「俺・・・?俺も勿論、健と一緒で楽しかったよ。さっきも、そう言ったよ?健と一緒なら、何でも楽しいって。・・・健?どうして急に、そんなことを言うの?」
健が傍にいることなど小次郎にとっては当たり前のことなのに、どうして今になってそんなことを言い出すのか。常には無い健の言動に、小次郎はふいに不安に襲われる。まさか、健はこれまでどおりに、自分の傍にいてくれるつもりが無いのでは ? 何らかの理由で、東邦学園を受験できなくなったのでは ?
「ああ、違うよ。そんな泣きそうな顏しないで」
「けん」
「明日は俺の誕生日でしょう?でも小次郎ちゃんは、俺がやったみたいに夜中に来たりしちゃ駄目だからね」
「・・・健はいいのに?」
「小次郎ちゃんは駄目。危ないから。来るのは明日、都合のいい時間になってからでいいからね・・・って、それを伝えに来たんだ」
「・・・うん。分かった」
陽が落ちてから健と出掛ける時は、健が小次郎の家に迎えに来ることになっている。約束している訳ではないが、それが二人の間では当然のこととなって久しい。健が迎えに来ないというのなら、すなわち小次郎はその時間帯には健と会えないということだ。
「明日のお昼ごろ、健の部屋に行くね。俺ね、ちゃんとケーキ用意したよ」
「ありがと、小次郎ちゃん。楽しみにしてるね」
健は小次郎のことをもう一度強く抱きしめる。小次郎は「痛いよ、健」と笑う。こんな風に健が小次郎にじゃれて抱きついてくるのはいつものことだったので、小次郎からしても違和感なく受け入れている。だがその後に髪を撫でられて、頬にキスをされ 軽くではあったが、唇が触れていったことには小次郎も驚いた。
「健?」
「じゃあお休み、小次郎ちゃん。明日は俺に、小次郎ちゃんの時間をちょうだいね」
「・・・うん。おやすみね、健」
腕の中から小次郎を解放し、健はにっこりと笑って背を向けて走っていく。
その姿を見送った小次郎は、一人取り残されたその場所で、健に触れられた頬にそっと指を這わせた。
首に巻かれた柔らかなマフラーに鼻先まで埋めると、慣れ親しんだ健の匂いがした 。
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