~ 強面天使と悪魔な俺 ~こどもの日編 2









「小次郎ちゃん。お帰り」

小次郎が自宅の最寄り駅に着くと、健が迎えにきてくれていた。明和FCのメンバーの殆どは一つ前の駅で降りていたから、小次郎は残り少ないメンバーに別れの挨拶をして、健に走り寄る。

「健。迎えに来てくれたんだ」
「沢木がメールを寄越したからね。でも、思ってたよりも遅かったね」

小次郎は携帯電話を持っていない。だから健はサッカーをしている時の小次郎に連絡を取りたい場合は、同じ学校の沢木を経由することにしていた。

「待ってた?ごめんね。・・・色々あって」
「色々?何、どうしたの」

小次郎の表情はいつもと変わらず、特に顔色が悪いということも無かった。だから健はまさかそんな話だとは思わなかったのだ。
事の顛末を小次郎から聞くまでは。





「・・・・ち、 か、 ん・・・・・・?」
「うん。痴漢なんだって」

痴漢らしいよ      と、あまりにもあっさりと小次郎から発されたものは、小学生男子にとってその言葉はともかく、行為自体は身近なものではない筈だ。能動的にしろ受動的にしろ。

若島津家と日向家の近くまで戻ってきた道すがらだった。「今日の試合はどうだったの?」と問う健に小次郎は大会の結果を報告し、そのついでのように電車の中で自分が遭遇した事件を告げた。
健は最初、何を話されたのか分からなかった。「気持ち悪い奴がいたんだ。痴漢されたんだよ」という小次郎の言葉の意味を一瞬遅れて理解した時には、全身の血が凍り付いたような気がした。

「痴漢、なんだって・・・って、痴漢にあったのは、小次郎ちゃんじゃないの・・?」
「それが微妙なんだよ。俺であるようで、俺でないような・・・?」
「ちょっと待って。分かるように言ってよ、小次郎ちゃん」

このまま小次郎を家に帰して別れることは出来ない。そんなことできる訳がない。
健は小次郎を一度家に寄らせて大会から戻ったことを告げさせると、そのまま自分の部屋へと連れていくことにした。


自分の部屋へ向かう短い間も、どういうことなのか、何をされたのか、一体誰が触ったというのかと、一刻も早く小次郎を問い詰めたかった。だが外では誰に聞かれるか分からない。磨滅しかかっている忍耐力を総動員させて、何とか凌ぐ。小次郎と繋いだ手の指先が冷え切っていて、健は自分が酷く動揺していることに気付かされた。

自室に入ると健は小次郎を部屋の真ん中に座らせて、その向いにお互いの膝がつくくらいの距離で座る。

「小次郎ちゃんじゃないの?小次郎ちゃんは触られてないの?」
「それは、あの・・・さ、触られたんだけどさ・・・。でも、そいつは俺を狙ったんじゃなくて、間違えたみたいなんだ。俺の隣にいた奴と」
「やっぱり触られたんじゃないか!」
「でも、本当は岬・・・えっと、他のチームの奴でね。一緒の電車で帰ってきてたんだけど、ちっちゃくて細くて可愛くて、女の子にも見えるくらいに綺麗な子なんだよ。電車がすごく混んでいてね、そいつとくっついて立ってたんだ。だから間違えたみたい。俺とそいつのこと」

体を触られたことには間違いないのだ。どこの誰とも知らない男が、小次郎に触れた。性的なことなどまだ何も知らないまっさらな小次郎に、その男は穢れた欲望を一方的にぶつけた。
怒りのあまり、健の目の前が真っ赤に染まる。極限まで冷やされた血が一気に沸騰したかのようだった。

できるものならその男の、小次郎に触れた手を切り落としたい。いや、それだけじゃ足りない。消えてしまえばいい。この世から完全に消し去りたい。虫けらのように踏みつぶして、断末魔の苦しみを味わわせたい。地獄に落ちろ。生きながら人でないものに貪られ続けるがいい         健は小次郎に対して痴漢という愚行を犯した男に、殺意すら覚えていた。

「健?聞いてる?」
「・・・聞いてるよ」

全身が震えるほどの憤りを感じてはいるが、だがそれよりも小次郎のことが気掛かりだった。サッカー絡みを除けば、普段は家族と健以外を近くに寄らせることのない小次郎だ。それが見知らぬ人間から性的な暴力を受けたのだから、強い恐怖に襲われていても不思議ではなかった。
だがそれにしては小次郎が妙に落ち着いていることにも健は気づいていた。とりあえず小次郎の話を聞くのが先決だと判断する。

「小次郎ちゃんは触られた後、どうしたの?すぐに誰かに助けて貰えたの?」
「うん。すぐに岬が気が付いてくれて、『何してるんだ』って言ってくれて・・・。それで次の駅で降りて、駅員さんに引き渡してきたんだ。見た目は普通のおじさんだった」
「そう・・・。小次郎ちゃんは、大丈夫だった?気持ち悪かったんだよね?どこを触られたの?」
「・・・お尻と、足。気持ち悪かったよ。・・・怖かったし」

おしり。あし。
健は全身の毛が逆立つような気がした。
やはり抹殺するだけでは足りない。永遠に苦しみもがくような罰を与えなければ気が済まない     

「でも、されたのが岬じゃなくてよかった、って思った」
「・・・小次郎ちゃん」

健は荒れ狂った感情がスウ・・と凪いでいくのを感じた。
小次郎はいつもこうだ。他人と関わっても決していいことがある訳じゃない。それどころか泣いて帰ってくることが多いのに、何をされてもどんな時でも誰を恨むこともない。
こんな目に合ったのが俺で良かった、俺なら強いし、我慢できるから      小次郎はそうやって他人を庇い、思いやり、そして自分が傷ついたことを内に隠して無かったことにしてしまう。
だから健がたまに暴いてやらないとならなかった。傷は一度晒してしまわないと、手当もできない。露わになった傷に小次郎が耐えられず泣きだしたなら、健が全身全霊で癒してあげる      その繰り返しだった。これまでは。

だが今回の件はそれほど小次郎に深い傷を負わせたようには見えなかった。健はそのことを不思議に思う。

「岬はね、本当に綺麗な男の子なんだ。それで電車でもよく痴漢にあうんだって。だから、気にしても仕方が無いから忘れることにしてるんだって。『クズみたいな人間のために傷つく必要はない』って言ってた」
「俺もその通りだと思うよ」
「きっと自分と間違えたんだろうって。だから忘れてって。『ごめんね』って謝られたよ。岬が謝る必要ないのに」

健はようやく正しく理解した。『俺であるような、ないような』との小次郎の言葉の意味を。『自分と間違えたんだろう』という、岬という名の少年の言葉が、どう小次郎に作用したのかを。

変質者が狙ったのは小次郎ではない。よく痴漢にあう岬であり、たまたま隣にいたから間違えたのだろう。        そう思わせることで、岬は小次郎を守ってくれたのだ。大人の男から性的な対象として見られたという事実を、無かったことにしてくれた。
だから小次郎は、自分自身が欲望をぶつけられたとは思っていない。自分がどういう目に合わされたのか、正確には理解していない。その犯人がどういった悪戯を小次郎にしたかったのかなど、認識しないで済んだのだ。

岬という少年には健は会ったことが無いが、素直に感謝した。触られたことに変わりはないが、お蔭で小次郎が妙なトラウマなど抱え込まずに済んだ。



だが       、と健は思う。

(相当に小次郎ちゃんの性格を把握しているし、気に入っている・・・ってことだよな)

明和FCの面々に関してなら、どんなメンバーがいるのか、各々が小次郎にどういう感情を向けているのか、大体を把握している。なるべく自分で確かめた方がいいから、練習も何度か見に行っている。
だがさすがに他所で行われる大会ともなると、部外者である健がついていく訳にもいかない。チーム間やそこに所属するメンバー間の交流に口を挟むなどできる筈がなかった。

これからもこうして健の知らないところで、小次郎が誰かと出会い、親交を深め、手を差し伸べたり差し伸べられたりするのだろう。小次郎は健だけのものだというのに。
段々とそうした機会が小次郎に増えていくことを思うと、焦燥感とも不快感とも言えるようなマイナスの感情が、蔓を伸ばすように健の内にはびこってくる。

「あ!」
「どうしたの?」

突然に小次郎が声を上げる。「忘れてた!」と言って。

「そういえば岬の誕生日って、子供の日なんだって」
「子供の日・・・って今日だね」
「大会の日がそうだって、昨日まで覚えてたのに。今日になったらすっかり忘れちゃった。おめでとうって言えなかったな・・・」

残念そうに唇を尖らせる小次郎は、健が今どう感じて、何を考えているかなんて想像もしないだろう。
健の中に侵食してきた蔓は、その先を外に伸ばして小次郎を捉えたがっている。捕まえて縛り付けて閉じ込めて、誰にも見せたくない、会わせたくない、雁字搦めにしたいと、暗くて狭い場所で蠢いている。

だが今はまだ大丈夫だ。小次郎は自分の傍にいる。このまま同じ中学、高校と進むのだ。高校を卒業したら一緒に住むのだと約束もした。金銭的なことは問題ない。小次郎さえ傍にいてくれたら、自分たちはきっと何もかも上手くいく        

「また来年があるよ」

岬に感謝はしているものの、それは小次郎が絡んだからであって、結局は健にとって小次郎以外の存在はどうでもいい。だからつい返答も雑なものになる。

小次郎はその短い返事に少し驚いたように目を丸くして、それから「そういう問題なの?」と言ってふわりと笑った。







END

2016.05.05

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