~ 強面天使と悪魔な俺 ~こどもの日編
爽やかに晴れ渡った5月のある日、連休中だということもあり、関東のとある県の大型運動公園において小学生チームによるサッカー大会が行われた。
出場チームは関東・東海地方から集まった強豪チームばかりで、歓声と応援の中、子供たちは思いきり走ってボールを追い、勝負を競った。
静岡から来た南葛SCの優勝で大会は幕を閉じたが、決勝を争った明和FCとの実力差は攻撃においてはほとんど無かった。明和FCの抱える問題点は守備にあるということは、衆目の一致するところだ。
ミーティングを待たずして、監督の吉良はどうにかして強いGKをどこかから見つけてこなければならないと考える。反射神経がよく判断に優れ、DFに的確な指示を出せるGKを。それが出来なくては、このままでは日向小次郎という逸材を擁していても日本一になるのは難しい。それくらいに南葛SCは攻守のバランスが良く、またそれをコントロールする中盤が優れていた。
「負けたからには長居は無用じゃ。明日からもっと厳しく指導するからな。帰るぞ!」
「はい!」
小次郎も悔し気に唇をキュ、と引き結んだ。
(絶対に冬の全国大会までにはあいつらより強くなる。そして優勝する !)
自分自身にそう誓った。
「あ、小次郎!」
「岬」
試合を終えた選手たちはそれぞれに帰路に着く。クラブのバスや保護者の車で来ているチームが多かったが、小次郎たち明和FCと岬たち南葛SCの面々は電車での移動だった。
運動公園の最寄り駅、ホームで小次郎を見つけた岬は、敵チームということも関係なくトトト・・・・と駆け寄ってくる。
「一緒の電車なんだ。ふふ。嬉しい。・・・でも、すごく混んでいるね」
「そうだな」
駅は人で溢れ、ホームも混んでいた。運動公園では他の競技の大会も行われていたし、体育館ではバスケットボールの試合が行われていた。運悪くそれらの終了時間が重なってしまったのだろう。
電車に乗れば、中はもっと混雑すると思われた。
「お前、こっちに来てていいのかよ。南葛のメンバーはあっちにいるぜ」
「んー?・・・いいのいいの。僕、小次郎と話したかったんだ」
にっこりと微笑まれて、小次郎は内心で「うわあ・・・」と感嘆の声を上げた。
岬太郎とは去年のこの大会で知り合いになった。他のチームとの試合を眺めている時から、小次郎にとっても気になっていた選手だ。パワーはそれほど無いけれど、センスが良くてパスが正確だった。チームメイトの大空翼との連携プレーはスピードがあって時にトリッキーでもあり、小次郎をしても止めるのが難しい。二人がゴールデンコンビと称されていることを、小次郎もその時に知った。
また岬の容貌も小次郎の目を惹いた。
赤ん坊の頃から健と一緒に育ってきて美形なら見慣れている筈なのに、その小次郎から見ても岬は驚くほどの美少年だった。
普段紫外線に晒されている筈の肌は不思議とそばかすや黒子もなく、あくまでも白くて滑らかだ。頬はほんのりと桜色をしていて、さらさらとした絹糸のような髪の毛は陽の光に透けると金色にも輝いて見える。初めて会った時、小次郎は岬のことをハーフかと思ったほどだ。
顔立ちは整っているけれど、健の冷たく見えるほどの完璧な造作とは違って、受ける印象としては優し気で繊細で、そして甘くて可愛らしい。一見したところでは、少年ではなく少女と勘違いしてしまうだろう。瑞々しい果実を思わせる唇を少し引き上げて彼が微笑めば、それが大人でも子供でも、また性別に関係なく、大抵の人間は好印象をもつ筈だ。それほどに岬太郎は人に愛される姿形をしていた。
(岬って、本当にすごく綺麗だ・・・。健と並んだら、絵になるだろうな)
小次郎は岬のことを男だと分かっていても、こうして向かい合うとついドキドキして見惚れてしまう。
こんなに綺麗な少年は、健以外ではこれまで見たことがなかった。中性的で万人に愛されるその姿は、まるでテレビや本でしか見たことのない宗教画の中の天使のようだと思う。崇高な存在なのに、無邪気で可愛らしく天上を舞う神の御使い。今もこうして目の前でゆったりと微笑まれると、さっきまでフィールドの上で戦っていたのが現実でないような気がする。
(すごいなあ・・・。天使みたいな子って、ほんとにいるんだなあ・・・)
「小次郎?」
「あ!・・・あ、悪い」
つい岬の微笑に見入ってしまい、その本人が顔を寄せてきたのにも気が付かなかった。呼ばれて慌てて瞬きすれば、『天使のよう』と例えたばかりの顔が至近距離にあり、光を弾く金茶色の瞳が真っ直ぐに自分を見上げていた。
「どうかした?ボーっとしてたよ。大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫だ。・・・それより、ちょっと離れろよ。・・・お前、近い」
グイ、と岬の肩を押すと、「ふふ」と岬は笑いながら少し離れた。だが小次郎はそうしている間も首の後ろにチリチリとした焼け付くような視線を感じる。振り向かなくても分かるような気がした。岬と同じ南葛SCの大空翼が、きっと今自分たちを見ている。
岬と親しく会話をするようになってから、大空翼によく睨まれるようになった。おそらくゴールデンコンビの片割れである岬に小次郎が近づくのが気に入らないのだ。そうと分かっているのだから無視すればいいようなものの、結局は気になっていつも振り向いてしまう。今もそうだった。翼は小次郎の予想通り、いかにも忌々しいといった表情でこちらをねめつけていた。
(やっぱり睨んでる・・・!ものすごく、怖い顔をしてる・・・!)
見るんじゃなかった・・!と慌てて顔を戻すが、既に目にしてしまった鬼のような形相は忘れられない。
岬のことは勿論嫌いじゃないけれど、大空翼にあんな顔で威嚇されてまで一緒に居たい訳ではなかった。それでいつも「お前、そろそろ戻った方が・・・」と匂わすのだが、肝心の岬は「いいのいいの。あっちのメンバーとはいつも顔を合せているんだもん」とあくまでもマイペースだった。
今日もまた同じか 小次郎がため息をつくと、岬は「あ、電車来たよ。遅れないように乗らなくちゃね。小次郎」と更に身を寄せてきた。
電車の中は酷い混雑だった。こんなに混んでいる電車に乗ったのは、小次郎にとってはこれで人生2度目だ。1度目は去年の夏に電車で隣町の花火大会に出掛けた際で、その帰りに酷く混んだ車両に乗ってしまった。
その時は健と一緒だった。健は電車の混み具合に眉を顰めたものの、それでもドア付近の比較的楽なスペースを見つけるとそこに小次郎を立たせて、自分は周りの人間と小次郎の間に立った。
「健。健がつぶれちゃうよ。代わろうよ。俺の方がどう見ても大きいのに、おかしいよ」と小次郎が健の服の裾を引っ張ると、「小次郎ちゃんがこっちに立つと、色んな意味で危ないから。ごめんね。俺が帰る時間を見誤ったんだ。もう少し我慢して、大人しくしててね」と言って、頑としてその場所を替わろうとはしなかった。
そんな風に女の子みたいに守られて、こんな見た目なのに・・・とすごく恥かしかったけれど、その時の健は今思いだしてもカッコよかったと思う。
その記憶があるから、小次郎は電車に乗るとすぐに奥を目指し、手すりの横の位置を何とかキープするとそこに岬を押しこんだ。
「小次郎?・・・僕を守ってくれるの?」
「電車が揺れたら危ないからな。お前なんかすぐに人に潰されちまう。だからそこにいろ」
「ふふ。小次郎、カッコイイね。・・・僕、女の子みたいな扱いをされるの嫌な方なんだけど、小次郎相手だと全然平気だ。どうしてだろ」
どうしてだろう、と聞かれても小次郎も返答に困る。だから「知らね」とだけぞんざいに答えた。あまりに距離が近いのでそのまま見つめ合うのも気まずく、小次郎は視線を岬から外して、窓の外を眺めた。
電車は時折揺れながら線路を走る。車体が傾く度に人も揺れて結構な負荷が岬を守る小次郎の腕や背にかかってくるが、どうにか耐えていた。
「小次郎、大丈夫?そんなに無理しないで、僕に体重をかけていいんだよ?」
「ああ。大丈・・・」
ぶ、とまで続かなかったのは、背後に違和感を感じたからだった。
小次郎は小学生にしては背が高いので、岬よりも頭一つ大きい。その小次郎の耳のすぐ後ろで、ハアハア、という忙しない呼吸音がした。
(・・・?走って乗りこんできたのかな?)
たまにダッシュで電車に乗り込んできて、しばらくゼイゼイと苦しそうに呼吸をしている人を見掛ける。その類かと思った。そのうち治まるのだろうと思って気にしないようにしていると、ますますその音が近くなって、息が耳にかかるようになった。
(・・・!き、気持ち悪い・・・っ)
このひと嫌だ、離れたい、と思って身をよじろうとするが、殺人的に混んでいる車内では身動きも取れない。そうしているうちに今度は尻に何かが触る感触があった。どうやら撫でているらしい。大きな手のひらと長い指だと分かる。大人の手だと思った。
(何!?何!?)
人知れず焦っていると、その手は小次郎が声を出さないことに付け上がったのか、徐々に動きが大胆になって太ももの内側へと移動してくる。
「・・・・・っ!」
おぞましい感触に小次郎はぎゅ、と目をきつく瞑る。生温かい手がこれ以上内側へと入ってこないようにと、腿の内側に力を入れて足を閉じた。
押してくる人の重さから岬を守るために腕を扉と手すりについて踏ん張っていて、今の体勢を保つのにもかなりの負荷がかかっている。それに余計な力が加わることになってしまったのだから、腕は限界に近かった。手すりを掴む手がプルプルと細かく震え始める。
「小次郎?どうかし・・・」
「・・・みさき・・」
隠せそうには無かった。小次郎は演技をすることも、誤魔化すことも、甚だ不得手なのだ。
視線が合ったその瞬間、岬は小次郎に何が起こっているのかを覚ったようだった。愛くるしい瞳が驚愕に大きく見開かれた後、汚物を見るような目に変わって小次郎の背後を捉えた。
それから可愛らしい朱い唇が下劣な輩を糾弾するために開かれる。不思議と小次郎にはそれらの岬の動作がスローモーションで見えた。
だがそこから先の細かいことは、恥かしさのあまり小次郎はよく覚えていない。
back top next