~ 強面天使と悪魔な俺 2~ 4
ドッと音を立てて、小次郎と健が芝生の上に倒れる。律は血相を変えて健に駆け寄った。
「健ッ!!大丈夫か!?」
「・・・・は・・ッ、ゲホッ」
小次郎を抱え込んだまま咳込む健は、心配して声を掛けてくる律にも答えられない。
一方、強烈な打撃と激痛を覚悟していた小次郎は、何がどうなったのか分からなかった。ただぎゅっと瞑っていた目を開けば、健が苦しそうに咽ている。そこで初めて、自分が何をしたのか、してしまったのか小次郎は気が付いた。
「けん、けん・・・っ!」
「馬鹿野郎!突然飛び込んできたりしたら、どうなるかくらい分かるだろうッ!」
律が怒鳴るが、それすらも耳に入らない様子で、小次郎は健の名前を呼び続ける。
「健、健、ごめん・・!ごめんね・・っ」
ボロボロと涙を零して、小次郎は健の腕にくるまれたまま、その胸にしがみついた。
ようやく呼吸が整ってくると、健は痛みに歪めていた顔をゆっくりと笑みの形に変えて「小次郎ちゃん・・・大丈夫だった?」と自分に縋りついて震える小次郎に囁いた。身体に回していた腕をそっとほどいて、その髪を撫でてやる。
「ごめんね、ごめん・・・っ!」
「小次郎ちゃん・・・。俺こそごめんね。もう泣かないで。俺は大丈夫だよ。こんなの慣れてるもん」
「・・・う、・・・っく」
「ごめんね。小次郎ちゃんを泣かせるなんて、俺はほんと駄目だね。こんなじゃ、小次郎ちゃんを守っていくなんて言っても、その資格もないね」
「・・・おい、健」
すっかりその存在を無視された形になっている律が声を掛けるが、健はそれを視線で抑え、唇に指1本を当てて『黙ってろ』とジェスチャーで伝える。
「小次郎ちゃんは俺が怪我したり、痛い思いをするのが一番イヤなんだもんね。だから空手の稽古も、俺のことが心配で見ていられないくらいなんだもんね」
「・・・健っ」
小次郎は驚いた。健にそんなことを打ち明けた覚えは無い。だけど健の言う通りだった。
幼い頃から、健の空手は自分よりも体格が良くて強い相手にばかり向かっていくものだった。受け身は最初に叩きこまれていたが、それでも体格が違えば力づくで倒されて思わぬ怪我をすることもある。なにしろ健は今でこそ小次郎ほどではないにせよ背丈もある方だが、昔は細くて小さくて、まるで女の子のようだったのだ。
そんな健が痣だらけになったり怪我したりするのを、小次郎は見たくはなかった。今は好むと好まざるとに関係なく喧嘩に巻き込まれることが多いので、強くあることの意味も重要性も分かっているつもりだ。それでも今だって、健が痛い目にあったり傷を作ったりするのはできるだけ見たくない。
無茶をする健自身が結局のところ小次郎を空手から遠ざけていたのだが、小次郎自身は健に止めて欲しいとも、嫌だとも言えなかった。
だって守って貰ってばかりいる立場の自分が「心配している」だなんて、どの面下げて言えるのか。健に無理をさせたくないなら、自分が強くなるしかないのだ。
だけど頑張って喧嘩も強くなろうと思ったのは、つい最近のことだ。まだまだ健のようには強くなれない。
「ううー」
健に助けて貰ってばかりで負担を掛けているのが申し訳ないと思うのに、それでも健が自分の気持ちを分かっていてくれたことが嬉しくて、小次郎はくぐもった声を出して更に健にしがみついて泣いた。
自分の胸に顔を押し当てて泣き続ける小次郎の大きい身体を、健はしっかりと受け止めて抱きしめる。「はー・・・。でも焦ったあ。小次郎ちゃんが無事で、ほんと良かった」と笑って、小次郎の首筋に顔を埋めた。深呼吸をすると、嗅ぎ慣れている小次郎の汗の匂いがする。いつだって健を癒して安心させてくれる、小次郎だけがもつ香り。
健はこの薫りを嗅ぐといつだってこの上もなく幸せな気持ちになれた。あまりに強い多幸感にくらくらとするほどだ。どんな場面であっても、どんな状況にあっても、小次郎は傍にいるだけで自分を高揚させてくれる。
誰にもやれない、と健は思う。この子だけは誰にも譲れないのだ、と 。
律は健の身体が大丈夫そうであることを見てとると、安心して大きく息を吐いた。それから「いやあ・・・。アキ兄の言ってた以上だな」と一人ごちる。
「健、俺は稽古に戻るわ。お前も叱られないうちに戻れよ。・・・じゃあ小次郎。またな」
それでも懲りずに「またな」というところが、健の従兄と言えるかもしれない。
「あ、うん。また 」
またね、と最後まで言葉にすることはできなかった。健が小次郎の目の淵に溜まった涙をちゅ、と吸い取ったのだ。あまりのことに小次郎は驚いて固まってしまう。
律は健からのあからさまな牽制に内心で盛大なため息をついて、だが表面上はそれを軽くスルーして道場に戻っていった。
「健?」
「小次郎ちゃん。いつから律と会ってたの?いつも二人きりだったの?なんで俺に一言も言ってくれなかったの?」
起き上がって芝生の上に座り込んだ健は、向いに小次郎を座らせて優しい口調ながらも問い詰めた。
「えっと。三日・・前?回覧板を置きにきて・・・見つかっちゃった」
小次郎は健に問われるままに、律と出会った日のことを説明した。途中で「内緒にして欲しいんだろ?」と半ば脅されたことを明かすと、健は見目麗しい容貌にふさわしくない舌打ちをした。
「どうして、すぐに俺に打ち明けてくれなかったの?」
「だって、健が怒ると思ったから・・・」
怒られるからと言って、自分に黙って自分の知らないところで他の人間と会っていたのかと思うと、健は沸々とした怒りを感じる。
だがこれは今の小次郎にぶつけたからといってどうなるものではない。空手で鍛えた精神力でどうにか自制した。
「どうして俺が怒ると思ったの?俺、小次郎ちゃん相手に怒ったことある?」
「・・・無い」
多分今日までは、だけど・・・と小次郎は心の中で付け足す。
「でしょ?じゃあなんで?」
小次郎は正直に、自分は怒られたことが無いけれど、健が他の人間に怒りを向けるのを見たことがある、と答えた。あんな風に健に冷たい目で見られると思うと嫌だったと。
それを聞いた途端、健は目を丸くした。
「他の人間と小次郎ちゃんが一緒の訳、ないでしょう?どうしてそんなこと思ったの」
「どうしてって言われても・・・」
ただ怖かったのだから仕方が無い。健の怒りが、というのもあるけれど、それよりも約束を破ったことで健をがっかりさせてしまうことが嫌だった。
言葉の足りない小次郎から、健は時間をかけて忍耐強く、その本心を引き出した。
「・・・やっぱり俺が悪かったんだね。あのね、俺が小次郎ちゃんに怒ることがあるとしたら、それは小次郎ちゃんが俺に秘密を持ったり、俺よりも他の奴を優先させようとする時だけだよ。小次郎ちゃんが俺のことを一番に思ってくれない時だけ。だって俺は小次郎ちゃんが一番なんだもの。いつだって大好き。何があっても、俺だけは小次郎ちゃんの味方だよ」
「・・・俺も!俺も健が一番好きだよ。健が誰と喧嘩したって、健の味方するよ!」
健の膝の上に乗り上げて、小次郎はその首に勢いよく抱きついた。自身よりも体格のいい小次郎に飛びつかれて、健は再び地面の上に倒れる羽目になる。
「もう、俺に隠しごとはやめてね」
「うん。ごめんね」
「それから、律と二人きりで会ったりしないで。律だけじゃなくて、お願いだから誰とも二人きりでなんか会わないで。俺の知らないところで小次郎ちゃんが誰かと一緒にいるなんて思うと、それだけで俺、おかしくなる」
「・・・じゃあ、健が一緒にいてくれる?」
小次郎はすっと身体を離して、健の目を真っ直ぐに見つめた。健以外の誰かにそんなことを強要されたなら、そんなのは自分の勝手だと言い返すだろう。だけど今自分に「お願い」と言ったのは、他の誰でもない、健なのだ。
どうして健が自分のことを親戚から隠そうとするのか それは聞いたことが無いし、多分これからも聞くことは無い。確かめたい気がしない訳じゃないけれど、だけどそれをするのは怖いような気もした。もし小次郎の考えるとおりだったとしたなら、そう健に肯定されたなら、もう今までのように健の傍にいられなくなる。そうなるくらいなら、何も知らなくてもいい。
それに・・・と、小次郎は思う。
さっきみたいな追い詰められたような健は見たくない。そのためなら誰と会えなくても構わない。その代わり、健に傍にいて欲しい。どのみち昔から、小次郎には健しかいないのだから。
「 うん、いるよ。俺が小次郎ちゃんの傍にずっといる。だから・・・」
俺のものでいて 。
健はゆったりと微笑んで、小次郎の頭を優しく引き寄せてその耳元で囁いた。
そうされてもただ擽ったそうに首をすくめる小次郎が、その言葉の重さを正確に量れるようになるのはまだ先のことだろう。だけどいつかは必ず知る日が来る。
小次郎の優しさと寂しさを利用しているのだということも、健は分かっている。だけどそれの何が悪いというのか。
自分が生まれ落ちたその日から、小次郎は自分のものであり、自分は小次郎のものだったのだ 。
「小次郎ちゃん。服が汚れちゃったね。家の中に入って着替えよう?」
「健は道場に戻らなくていいのか?」
「まだ背中痛いから、治まったら戻るよ。だからそれまで、俺の部屋に行こう?小次郎ちゃんの見たがってた、この間のミラノダービーも録画してあるよ」
「ほんと?やった!健、ありがとう!」
日向家では地上波放送しか入らないから、有料のスポーツチャンネルでしか放映されない海外リーグ等の試合は、健がまめに録画してくれている。
小次郎は満面の笑顔になって、健に抱きついた。健に対しては普段からスキンシップ過多の小次郎だから、こんな風にじゃれつくのは日常だ。だが小次郎の体温と香りに包まれて、時間にすればほんの僅かのことだが、健は頭の芯が痺れたようになって動けなくなる。
幼い頃と少しずつ変わってきている、健よりも成長の早い身体。熱くて重みがあって、確実に大人へと近づいていっている小次郎の肉体。
健は今はまだ自分よりも逞しくがっしりとした小次郎を、力をこめて抱き返した。
「こんな風に抱きつくのも、俺だけにしてね」
「尊たちはいいだろ?」
「あいつらと、俺だけにしてね?」
「・・・そんなこと言われなくても、他にいねえもん。こんなこと出来る奴」
唇を軽く尖らせて拗ねたような表情をすると、男らしく猛々しい顔も少し甘えた風になる。健は小次郎のその顔から目が離せなかった。
(そんな表情だって、いつか誰かが可愛いって言いだすのかもしれない。もしかしたら・・・いや、きっと)
自分しか知らなくていいと思っている小次郎の魅力に、いつの日か誰かが気が付くのかもしれない。
それは嫌な予感ではあるけれど、同時に確信でもあった。それほどに外見がどうあれ、小次郎の魂は美しい。穢れなく、人を疑うことも騙すことも何一つ知らない、まるで幼子のような小次郎だ。その澄んだ瞳に心惹かれる人間が自分以外に出てきたって不思議じゃないだろう。どんなに見つからないように匿ったとしても。
(それに、そんな奴以外にだって)
厳つい強面とは裏腹に色気の出てきた小次郎の体は、そういった趣味の男ならたまらなく興味をそそられるだろうと思われた。
(守ってみせる。俺のだから。小次郎ちゃんは、俺だけのものだから)
だから絶対に誰にも渡さないし、触れさせもしないのだと、健は誓いを新たにした。
「健。早く部屋に行こうよ。ビデオ見よう?」
「うん。それと小次郎ちゃん、今日はお風呂入ったら、ウチに来る?泊まっていきなよ。律にはバレないように離れに直接来て。あっちなら、夜は爺ちゃんと俺しかいないから。・・・あ、いいや。俺、迎えに行くよ。小次郎ちゃん、暗いの苦手だもんね」
「いいの!?」
「母さんだけには言っておくからさ。だって律だけずっと話してたなんてずるい。俺も小次郎ちゃんと一緒に居たいよ。いい?絶対に母さんとおばさんの他には知られないようにね。内緒だよ?」
「うん!」
嬉しそうに返事をする小次郎に、健の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
よいしょ、と芝生を払って立ち上がると、小次郎はボールを大事そうに抱え、健はその小次郎の手を大事そうに引いた。
それから二人は離れにある健の部屋へと向かって歩き始めた。
END
2016.02.10
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