~ 何でもあげるよ ~ 2
とはいえ、そんな幸せな時間は邪魔者の多いこの寮で長続きする筈もなく。
しばらくは生温い目で見守っていてくれた奴らも痺れを切らしたのか、俺と日向さんの二人の世界にフォーク片手に次から次へと割りこんできやがった。
俺のバースデーケーキはあっという間に原型をとどめないくらいにグチャグチャになって、食欲旺盛な男子高校生たちの腹に収まっていく。人が捌けて誰もいなくなった後には、見事に食べ尽くされて空っぽのトレーだけが残った。
でもまあ、それでいいんだ。みんな喜んでいたみたいだし、残ったら勿体ないし、個人的に俺は美味しい思いもしたし、楽しかったな。また来年もしよう。
そんな風に振り返りながら、俺は一人で談話室から続くベランダに出て夜風に当たっていた。梅雨で蒸し暑い時期とはいえ、ここは山の上だから夜になれば涼しくて、部屋の中にいるよりもよっぽど気持ちがいい。
ただし気を抜くと虫がぶつかってくるから要注意だけどな。
空を見上げると、夜の闇でも分かるほどに雲が厚く垂れこめてきている。空気がひんやりとしてきたし、明日は雨になるのかもしれなかった。今日はなんとか降らずにもったのになあ、なんて残念に思う。
だけど、いざ梅雨が明けたら一気に暑くなるんだ。そうなれば今の比じゃないくらいに、練習でも試合でも、体力と気力が削られていくようになる。そう思うと本当にうんざりするけれど、暑くなればなるほど喜々として走り回る人もたった一人いるんだよな。
一体どういうことなんだよなあ・・・。俺だって同じ夏生まれなんだけどな。でも、あの人ほど夏の太陽が似合う人を俺は他に知らない。炎天下でもだらけることなく凛として立つ姿は、暑さに強い体質といえばそうなのかもしれないけれど、それだって神様に与えられた才能の一つに違いなかった。
そんなことをつらつらと考えていたら、当の本人がガラガラと掃き出し窓を開けて俺のいるベランダにやってきた。
「反町、ここにいたのか。・・・ケーキ美味かったよ。ごちそうさま」
「いーえー。どういたしまして」
「それと誕生日おめでとう」
「ありがと」
日向さんは俺の隣に来て、同じように手すりに寄りかかって空を見上げた。やはり夜の空気が涼しくて気持ちいいのか、前髪を風に遊ばせたまま目を閉じて大きく深呼吸をする。形のいい額があらわになり、そうなると常よりも少しだけ幼く見えた。
「あー、風が吹くと涼しいな。気持ちいー・・・・」
リラックスして気を許してくれている日向さんを眺めながら、俺は今年の誕生日が無事に過ぎて終わりそうなことに感謝した。だって去年はそれどころじゃなかったから。
去年の中等部3年の夏は、とてもじゃないけれど誕生日がどうとか言える雰囲気じゃなかった。サッカー部のメンバーは皆が皆、一様に追い詰められたような顔をして、部室もグラウンドも沈鬱な空気に満ちていた。
その一番の原因は、日向さんの突然の失踪だった。それとそのきっかけともなった武蔵との試合。三杉が発作を起こして倒れた、あの試合だ。
三杉自身はいつ何が起きても覚悟の上だったかもしれないけれど、対戦しているこっちはそんなつもりも覚悟も当然なくて。だから目の前で倒れられた時には驚いたのと怖いのとで、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
心臓マッサージとか気道の確保とか、人が倒れた時の初動対応は授業で習った覚えがあったけれど、そんなものはいざとなると頭の中から飛んでしまう。
俺たちはまだ子供で、良く知る人間の身に降りかかった災厄に結構な衝撃を受けていたし、それは日向さんだって同じだった。寧ろ俺たち以上に動揺していた。
なのにそんな日向さんに追い打ちをかけた大人がいたんだ。
「相手の心臓を蹴破ってでも点を取れ」なんて、一体どういう神経してんだよ。そんなん、人として許されねえよ。
日向さんと若島津が小学生の時にいたチームの監督だったというおっさんは、あの試合の後に俺たちに接触してきて、よりにもよって日向さんに「人を死なせてでも」なんて意味の言葉を投げつけやがった。お父さんを亡くしているこの人に向かって、よくもまあ言えたものだと今でも思う。
本人的には真意は別のところにあったとしても、口に出してしまえばそれはあまりにも非人道的で、馬鹿げた考えだった。本当にそんなことになったら、俺らの人生は終わるっていうのに。
しかもおっさん、このままだと俺らが日向さんについていかなくなる・・・みたいなことまで言ってくれちゃって。そんなこと、全く、誰一人として思ってやしなかったけどな!
だけど日向さんは、誘われるままに沖縄に行ってしまった。俺にはどうしてなのか理解できなかったけれど、それほどこの人が追い詰められていたってことなんだろう。
その時期は本当に最悪で、北詰さんの怒りも当然といえば当然だったし、だけどそこまで日向さんが思い詰めたのは俺たちが支えられなかったからでもあって・・・俺自身もどう受け止めていいのか分からなかった。
ひっきりなしに次から次へと問題ばかりが起こっていたから、俺も部室でしょっちゅう「誰か厄払い行って来いよ!」ってわめいていたよなあ・・・。
それに比べればこの夏は平和だ。緊張感が無い訳でも慢心している訳でもなく、チームがいい感じで仕上がってきているから、必要以上に恐れたり委縮することもない。
できるだけのことはしてきたし、あとは自分たちが積み上げてきたものを信じるだけ。俺自身には出番があるかどうかも分からないけれど、万が一望まれた時には俺にできる精一杯のことをするだけだ。
俺は隣に立つ日向さんを眺めた。今はちゃんとここにいる。居るべき場所に帰ってきてくれた。ちゃんとあの夏の日、戻ってきてくれて良かった。
沖縄でどんなことをしていたのかと問うた時に、嵐の海に向かってボールを蹴っていたのだと答えられて、どれだけ肝を冷やしたことか。
普通、有り得ねえだろ。中坊のガキを台風直下の海に放り出すとかさ。
あれは俺が初めて他人に対して「死んじゃえばいいのに」と思った瞬間だったね。あのおっさん、いなくなればいいのに、って。
・・・分かってるんだよ、吉良さんが日向さんのことを想って、あんなことを言ったっていうのは。
だけど、だからといって納得なんか出来やしない。日向さんの身が危険に晒されたっていうのは、無かったことにはならない。「一度だけ危うく波に攫われかけた」なんて馬鹿正直に明かされれば、尚更だった。この人を失っていたかもしれないという恐怖は、忘れられるものか。
そういや、それを聞いた時には若島津もとうとうプツンとキレたんだよな。
あいつが日向さんを殴るのを見たのは、あの時だけだ。後にも先にも、あの一回だけ。
あればかりは俺も、日向さんの味方は出来なかったよなあ・・・。
「来年も、こうしてさあ。・・・みんなで楽しめると、いいよね」
「・・・悪かったな。去年は、こんな風に出来なくてよ」
何気なく漏らした言葉で、日向さんは俺が何を思いだしていたか勘づいたようだった。俺は声を出さずに笑った。今更この人相手にほじくり返すことでもない。
「インターハイが終わったらさ、今度は日向さんの誕生日だからね。何してお祝いしようか」
「お前、もうインターハイ終わった後の話かよ!」
日向さんはプハっと吹き出した。気が早いと思われたみたいだ。
「ちゃんとインハイのことも考えてますよう。・・・だけど誕生日だって大事だもん。早め早めで準備しておかなくちゃ」
だから何か欲しいものがないか と尋ねた俺に、日向さんは少し考える素振りを見せて、それから「インハイ優勝」と答えた。
「・・・いやいや、待って。それはそうなんだろうけど・・。でもそれって、俺があげられるものじゃあ、ないよね?」
「なんでだよ。俺にくれるだろ?反町。インハイ初優勝」
「俺、試合に出して貰えるかどうかも分からないんだよ?」
「出れる。お前が必要になる場面は必ずやってくるから、絶対に出れる。そう思って準備しておけよ」
「・・・・・・」
「なんだよ。お前は強いよ。そんなん、俺が誰よりも知ってんだよ。・・・え。まさかお前、自信無いとか言わねえよな? 俺がお前のこと信じてるのに」
「いや・・・。ごめん。なんつーか」
あ、どうしよ。顔が熱を持って火照ってきた。多分、今の俺は茹蛸みたいに赤くなっている。
日向さんって、ほんとに天性のタラシなんだもんな。狙ってこうなんじゃないんだもんな。勝てる訳がねーよ。しかも最近、ますますタチ悪くなってるよ。
「欲しいのは3年連続優勝だからな。くれるよな?反町。俺にまず、最初のインハイ優勝をさ」
世にも美しい姿をした人が、当たり前のことみたいに無邪気に命じてくる。そりゃあ逆らえないってもんでしょ。これってもう、女王様に額ずく家臣同然だよな、俺。
しかも、こんな風に言われたらさ。『信じてる』なんて言われちゃったらさぁ。
何だってしてあげたくなっちゃうじゃん。何だって差し出しますよ。俺の持っているもの、全部、って。
日向さんの人心掌握術に半ば本気で脅えつつも、元より勝とうとも考えていない俺は全面降伏をした。
「仰せのままに」
一瞬、膝まづいて手の甲にでもキスしようかと思ったけれど、本気で嫌がるだろうから止めた。
でもいつかは、ね。手にキスだけじゃなくて、全部を俺の好きにさせて欲しいよね。
14の歳にこの人に恋をして、それから早2年。ハードルは高いし、障害物も多い。全国どころか世界中に散らばるライバルたちは中々に手ごわくて、そう簡単にはいかなさそう。それでも今のところ、俺は結構いいポジショニングが出来ていると思う。
一つ歳を取ったとはいっても、まだまだ16歳。サッカーだけじゃなく、恋愛だってこれからが本番で、自称スピードスターの本領発揮だよな!
俺は両手をグッと握って、「よっしゃあ!これからこれから!」と気合を入れた。すると日向さんが何を勘違いしたのか、「おう!」と元気な返事をくれた。
END
2016.07.26
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