その2
京阪電鉄に行きました
2008年4月〜9月
京阪電鉄に動きが出ました。2008年春のことです。まず急行車両の新造、それに伴う旧3000形の改番、中之島延伸、コーポレートカラーへの車両塗装の変更、そして元特急車だった1900形の廃車とかなり大きな動きが発表されました。たぶん今までにはないような大規模な一大転機です。2008年4月に1度だけ京阪に行きましたが準備不足でまともな収穫は得られませんでした。それを反省に私なりに勉強したうえで、その後3回にわたって京阪を訪れたのでした。 |
4月の失敗に懲りて、まずは無難に撮れる場所探し。なにせ関西の路線なので参考資料と首っ引きで勉強です。この唯一残る3000形特急の1編成を狙うべく京都から電車の先頭で張りました。改番になる前の3000形のナンバーで是非記録したいところです。途中ではすれ違わなかったのですがとりあえず大和田駅で降りて大阪方面にカメラを構えると、まもなく京都行の特急でやってきました。 大和田 |
さて3000形特急は押さえられたものの廃車となる1900形が満足に撮れなかったので4ヵ月後再び京阪を訪れ、今回は1900形を狙うことにしました。 朝の通勤時が狙い目で、一応ほとんどの列車がカバー出来る大和田に今回も行きました。案の定1900形は朝の運用に入っていました。これは三条行でその後は淀の車庫に入り夕方まで出てきません。次に来た標準色の1900形はみごとに被られました。 |
被られた標準色の1900形は行先が分からなかったのですが、どうも三条行だったとみえて結局2編成しかない1900形は戻って来ることなく淀の車庫に入ってしまったようです。待っている間に撮った旧3000形です。すでに8000形に改番されています。京都に戻る途中淀には2両の1900形が昼寝をしていました。夕方出庫を撮る手もあったのですが、今回はこれにて撤収しました。 森小路 2008年9月10日 |
どうも標準色の1920Fがまともに撮れないうちに「さようなら1900形」の副標をつけるようになり、引退が近づくにつれ心は焦り始め、最終日の2日前に再度京阪に出撃しました。この日も1920Fは昼は淀でお昼寝、夕方から仕業に就きました。出区を確認したあと、中書島で待ち受けました。かなり暗くなっていましたがなんとか進入時を1枚。このあとこれに乗って枚方市まで行きました。 中書島 |
京阪のHPに1920Fと1930Fが夜の「ひこぼし」に入る旨が掲示されていたので、枚方市駅で交野線のホームに行き、「ひこぼし」を待ちました。しかしホームはファンで一杯。こんなアングルの写真を撮るつもりはなかったのに、みんな前に出るのでこれしか撮りようがありません。まあ今晩の「ひこぼし」はおまけみたいなものと諦め、明朝の「おりひめ」に期待することにしました。 枚方市駅 |
さきほど中書島から乗ってきた1920Fが淀屋橋折り返しで特急「ひこぼし」で戻ってきました。もう7時を過ぎていて通勤客の姿は少なくなっていましたがファンだけは黒だかりの山。1900形はこんなに人気があったのか、と思いを新たにしました。 枚方市駅 |
翌朝は前もって予定していた光善寺と香里園の間の踏切に直行。まずは1本目の「おりひめ」です。ハトマークの特急看板が付いていました。顔だけ撮れればよいと思って標準で思い切り近づけてシャッターを切りました。 光善寺〜香里園 |
そして最後に京阪の粋なサプライズがありました。 続いてやってきた旧3000形特急が「K特急」の副標を付けてきたのです。もっともこれもHPに載っていたのですが、こういう事前の告知はファンにとって嬉しいですね。こういったイベントの詳細があまり一般には知れ渡らず、一部の情報通のマニアだけにしか分からないことが多いのですが、今回は違いました。京阪を見直しました。 2008年10月17日 |