第91回   11月30日

 
おかしなブログが多いですね

 

やあ、みなさんこんにちは。

めっきり寒くなりました。もうお出かけには暖かな格好が必要です。
なんといってもじっと列車を待っている間が寒い。これからが一番嫌な季節ですね。

店長も若くないんだから、あんまり無理はしないほうがいいんですが、体が元気なうちはいろんなところに出かけたいですよね。

いつも思うのですが、列車が廃止されたり、老朽化した車両が引退したりするのは、必ずといってよいほど春先(年度末)なんですね。だから雪景色は撮れるかもしれないけれど、もう桜なんかの花開く時期には走っていない、ということが多いんです。

まず、寝台特急の「日本海」が廃止になりますね。これから奥羽地方で撮ろうとすると、もう雪の中の写真しか撮れないことになります。十和田観光電鉄の廃止も決まりましたが、これも有名な工業高校前あたりの満開の桜並木を走る姿はもう撮れません。
桜でいえば、JR東海の「あさぎり」371形も引退だそうですね。山北の桜との組み合わせはこれもできません。

もうそろそろ危ないと思われる列車や車両は、まだ廃止が発表される前や、そんな噂の立つ前に、しっかり撮っておくべきなんでしょう。これから冬に向かう時期に廃止の発表があったって、ほとんど何もできません。これから撮影の条件はますます悪くなっていくのですから。あれだけ関東地区で走っていた113形(スカ色、湘南色とも)があっという間に姿を消してしまいました。なくなるときって早いんですね。

店長もあまり人のことは言えないのですが、どうも最近のファンというのはなくなることが分かってから動き始める、という連中が多いですね。もっとも全てを撮り尽くしているわけではないのだから、そういったニュースを聞いてから慌てて出撃するということもあるかもしれません。ここで店長がいつも書いているように、普段から撮っていれば突然廃止のニュースが入っても慌ててバタバタすることもないと思うのですが、どうなんでしょうね、やっぱり尻に火がつかないと、人間ってなかなか腰が上がらないものなんでしょうか。

また、なくなるという切迫感で撮る、という特殊な雰囲気がそういった彼らの好奇心を高揚させて、特別な自己満足感を与えるのかもしれません。本当はそんな切羽詰った気持ちが鉄道ファンの本心とはとうてい店長は思えないし、そんなファンは単にお祭り騒ぎ好きの人間と同じで、果たして鉄道ファンと呼べるのか、とも疑問を持ってしまいます。
そういう店長も、しまった!このニュースは知らなかったというときもあります。そういうときは、それでもパニックにならない前にいち早くしかるべき場所に撮りにいきます。もっとも、それでも狂騒状態になると思われるときにはもう諦めて、出かけません。

店長はいつも思うのですが、なくなるとなると何故あんなに人が出てくるんでしょう。そんなことなら普段からしっかり撮っておけばいいんです。最近の話ですが、京王井の頭線の3000形が引退しましたが、このラストランのときも有象無象が出没したようですね。店長はもうたくさん3000形の写真は撮っていましたので、あえて出かけることはしませんでした。第一、「さよなら3000系」のマークをつけた車両なんて撮りたくありません。やっぱり鉄道というのは普段のもくもくと働く営業運転の姿が一番であって、飾られた車両というのは、やっぱりイベントなんですね。

そういえば、店長は東北新幹線から200形が消える、というのでこれは慌てて撮りに出かけました。このホームページの「今日の1枚」を見ていただければ、なんとか数枚200形をゲットできたことがお分かりかと思います。ただ、このときはどこの撮影地も店長だけで、特に大宮でも一人でまったりと撮ることが出来ました。当然E1形やE4形の(今はまだたくさん見られるけど、次第に数を減らすであろうと思われる車両)写真もしっかりと撮りました。特に新幹線は撮影地が限定されるので、200形がなくなる直前は、そういった撮影スポットは大賑わいしたのではないでしょうか。つまり、最後になって慌てるようなことは出来るだけ避けたほうがよい、ということです。

ところが、数ある鉄道ブログを見てみると、こういった「なくなる」「廃止」「臨時が走った」「イベントが開催された」というようなネタものがなんて多いんでしょう。ブログというのはもともと「意見」「論評」「記録」という意味の、一種の日記のようなものでもあるわけで、ニュース性を持った速報記事とは違うんですね。一般のブログは、社会に対する意見や批判、個人的な出来事を書いた日記というか備忘録のようなものが多いんです。ところがテツのブログは「今日はこれが走りました」とかいうネタものばかり。それでないとブログが書けないんですかね。ブログはニュースとでも思っているのでしょうか。もっとも、今は猫も杓子もブログの時代で、中学生になるともうブログを開設したりするんですね。簡単に出来るからです。そしてネット上での友達が欲しいからです。

テツのブログを見ていると若い(幼い)連中のブログが本当に多い。彼らのブログは一定の傾向があります。文章も稚拙で見ていてすぐ分かります。まずアクセス数を気にするため、どうしても内容がニュース性のあるもの(というか無理してニュースに仕立てている?)に限られてきます。あるいは気を引かせる内容。要はみんなにかまってほしいんでしょうね。アクセスが増えて「友達」もたくさん出来る、ということが彼らにとっては必要なんです。内容のよしあしではないんですね。つまり、ネット上であれこれやりとりすること、レスポンスがたくさん入ることに無上の喜びを感じるのでしょう。ですから文章や写真なんかは失礼だけどまことに稚拙。一回はクリックするけどもうそのあとは二度と見ない、というようなものが多い。コンテンツ重視ではなく、いかにみんなにかまってもらえるか、みんなの気が引けるかが制作のポイントになるんでしょう。だけど彼らにはそんなにテツを語れる友人がいないのでしょうか。

たしかにインターネットの魅力は、顔も知らない、世界の不特定多数の人間に無限に近く見てもらえる、という点にあります。それが特性ですから、当然それを利用してネット上で他人とコミュニケーションをとろうとするのは当たり前といえば当たり前。しかし、学校では友達も出来ず、家にこもってパソコンを打ちながらネット上でしか他人と会話出来ない、というのも実に寂しいものがありますが、こういう若者が増えていることも厳然たる事実です。店長たちの若い頃はとにかく外で友達と遊んだし、面と向かったコミュニケーションをはかっていました。それが人間どうしの絆を形成していく上でとても重要だったからです。今は顔の見えないパソコンのモニター上でしか会話をすることができなくなってしまっているんですね。ゲームも同じ。モニター上の仮想敵としか戦うことが出来ないんですから。店長たちの時代は、砂場で相撲をやったり、放課後みんなで野球をやったり、つねに遊びや戦いの相手は生身の人間でした。

こういう若者がオトナになったら一体どういう人間になるんでしょうね。まず、他人と目を見て話す、ということの出来ない人間になってしまうのでしょう。先般、店長のパソコンが不調になったので、知っているパソコンメンテナンス会社の社長さん(社長さんみずから出張サービスしてくれます)にお願いして自宅まで来てもらったのですが、そのときの会話をご紹介しましょう。
店長=「いやいや、社長さんみずからお越しいただいてありがとうございます。こういった出張サービスをする社員はほかにもたくさんいらっしゃると思いますが」 社長=「パソコンには精通していて、ものすごい技術を持った人間というのは世の中にはたくさんいるんです。でも、われわれのこういったお客さんの家に出向いて、そこで安心してパソコンの修繕を任せてもらえるいわば営業を兼ねたエンジニアというのはなかなかいないんです。」

要するに、社長さんは何を言いたかったか、というと、パソコン技術は備えていても、人間関係がスムーズにいかない若者が多いので、こういう商売の社員を雇うには問題のある人間が多い、ということなんですね。そりゃそうでしょう。テツのブログなんかを見ていても、これは社会では通用しないな、というのが画面を通じて伝わってきますものね。最近のニュースでも、大学生の就職内定率が最低だ、といわれています。パソコン技術には優れてはいても、内向的でゲームばかりやっていて、ろくに本も読まず(本は人間性を醸成するのに不可欠です=これはいくらネット社会になっても言えることです)、友人もロクに作れないような不健康な大学生をいったいどこの企業が採用しますか。店長は昔、総務関係の仕事をしたこともあり、社員採用にかかわったり、面接をしたこともあります。ですから面接で丸をつけるか×をつけるかのコツ(ツボ)は心得ているつもりです。

まず、声の小さいのはダメ。背中を丸めている姿勢の悪いのも×。字のきたないのも感心しません。これって、みんなパソコンオタクに似てません?まずPCとは会話をしないから声を発することが少なくなる。パソコンの前に座ったきりなので、自然に猫背になる。字を書くのもキーボード打ちだから、直筆で書くことが少ない。なんか不採用の条件にみんなぴったりですね。まあ、だからといってネット社会を否定するものではなく、逆にこれほど情報を簡単に入手出来るツールというのは極めて貴重です。要はそれに自分の人生の大半を溺れさせてはいけない、ということです。手紙、年賀状など出来るだけ自分で書きましょう。活字本を読みましょう。辞書をひきましょう。生身の友達をたくさん作りましょう。肉声での会話をたくさんしましょう。これらは店長たちの時代には当たり前のことでした。その当たり前のことが、今では出来ていないのですね。

話はもとに戻りますが、稚拙で他人にかまってもらいたいことがミエミエのブログは、安易に無料でブログが立ち上げられるようになって急増しているように思われます。まるで「友達」(その人のブログに登録されて誰でも見える)の多いのがステータスになっているようです。でも店長にいわせれば、「類は友を呼ぶ」でみんな同類なんですね。アクセス数の計数も一緒です。同類にたくさん見てもらってもTVの視聴率ではないんですから、多ければいいってもんじゃないと思うのですが。そんな連中がやたら多くなってきたものですから、2チャンネルあたりに厨房とかDQNとか池沼とかいわれてバカにされるんですね。はては「かまってちゃん=とにかく書き込んで誰でもいいからレスを求める、かまって欲しい症候群」と呼ばれてしまうんですね。もっとも、この「かまってちゃん」は若者だけではなく、大のオトナにもいますが。

某巨大鉄道掲示板にはこの手の「かまってちゃん」が入れ替わり立ち替わり訪れ、そのうざったさに2チャンネル系が荒らして、最後は掲示板から追放されるということが繰り返されています。そもそも「荒らし」はよくないのですが、一方でなんの学習能力もない「かまってちゃん」もいい加減目覚めなさい、といいたい。というより、そんな掲示板にしがみついていることがおかしい。2チャンネル系はちょっとした言葉尻を捉えて書き込んできます。顔が見えないことをいいことにして、目上の人間だろうが誰だろうが乱暴極まりない言葉で中傷してきます。そして最後には「そんなにかまって欲しいのなら自分のブログを作れ」とお決まりの文句が。確かにバカにされても仕方のないような投稿も多いのです。ですから店長の知る限りでは、まともな実力のあるファンは嫌気がさしてさっさとその掲示板から離れて出ていきましたね。

ブログやホームページには検索してたどり着くことが多いので、見るまではどんな内容だか分かりません。ときどき、とんでもないブログに遭遇して「ああ、こういう酷いのもあるんだ」とあきれてしまうことも多々あります。何を言いたいのか言語不明のもの。毎回決まってホーム駅撮り、画角が斜めっているもの(掲出する写真くらいちゃんと水平に正して出せといいたくなります)、鉄道写真の基本を全く理解していないもの、などこんなのがネット上に無数に浮遊しているんですね。
もちろん中には心温まる楽しいブログもあります。旅行日記など読んでいても楽しさが伝わってくるものも多いです。そしてまったりとした撮影記。きっちり写っている写真。こういうのはいいですね。ニュース性などなくても楽しく読むことができます。むしろ、これが本来のブログではないでしょうか。

それに反していつまでも上記のような巨大掲示板にしがみついている人間も多い。店長も昔、投稿していたことがあるのでよくわかります。「無題」と表して本文には何も記載がなく、ただポンと写真が出ているもの。普通はその写真を撮ったときの思い出や、列車名・場所は書くものですよね。最近ようやくわかったのですが、そういう人間は日本語が書けないんですね。でなければ意図的に書かない。この写真について知りたいことがあったら聞いてこい、みたいに。それがまたヘタクソな写真なのが笑えます。

要するに、おかしな人間が多い、ということです。掲示板とかブログを見ていると、尋常でない人間が多いのに驚きます。こういうのに一番人間性が表れるんでしょうね。しかも写真も見るに耐えない。基本が出来ていないからです。小学生でもあんな酷い写真は撮らない、というような。そして「かまってちゃん」。
まともに書けない。まともな写真も出せない。掲示板のみならず、こんなブログが多いのにあらためて驚かされました。

まあ、店長はそういうのはスルーして、好きなものしか見ないことにしています。もっともそういうのはすでに店長のお気に入りに入っていますが。