第67回   11月19日

 
 
ウィンストン・リンクの写真


やあ、みなさんこんにちわ。お元気ですか。

めっきり寒くなりました。この1ヶ月ほど気温が急激に下がる時期はありませんね。前回のころはまだシャツ1枚でお出かけしていましたが、今はダウンのベストにウィンドウブレーカーといういでたちです。これから日はさらに短くなるし、温度もどんどん下がります。もっともあと1ヶ月半で新年になってしまうんですね。時間の経つのは歳をとればとるほど早くなっていきます。

店長は今から3月ころまでが一番嫌いな時期です。世間から緑が消えて一面茶色の世界になっていくのです。昼の2時を過ぎると日は傾き、写真の発色も夕方のように赤くなります。鉄道写真の時期ではなくなります。しかも列車を待つ間は寒いし、良い事はひとつもありません。だからといってお出かけはしないか、というとこれまたシコシコと出かけるんですね。テツのサガの悲しさです。しかもまた、こういう時にイベント列車とかがけっこう各地で走るんですね。この週末からの3連休にもいろいろ走るようです。店長はどうしようか、今悩んでいるところです。

さて、このところ毎日のようにマスコミを賑わせている22年度予算の事業仕分け。すごいですね〜。ここまで公開すると国民にとっては政治がとても身近に感じられます。これはネットでもライブで中継しています。店長もヒマなときはパソコンで見ています。
まず店長が感じたことは、こんなに税金の無駄遣いがあったのか、ということです。今までも信じられないような無駄遣いはあったことはあったのですが、こうやってあらためて知らされると憤りすら感じますね。霞ヶ関のお役人はとにかく無駄な仕事を作るのがうまい。そしてそれに億単位の莫大な予算をつけてシラッと通してしまう。それが今までのやり方だったんですね。

無駄な仕事だけではありません。闇に隠れて天下っていた独法などの役人の人件費まで計上しているのですね。そしてわけの分からない「なんとか財団やなんとか機構」などの多いこと。聞いていると見苦しいまでに役人たちはこの事業は必要だと言い張ります。そりゃ、そういった事業があったほうが得な人たちもいるでしょう。国民の血税だということを忘れて甘い汁を吸う人間や、ごく一部のその事業に携わる関係者たち。予算に余裕があれば「ないよりあったほうが良い」という程度のものばかり。われわれ庶民が宝くじでも当たって一時的に収入が増えたなら、多少は不必要と思われる贅沢品を買ったり、海外旅行に行ったりすることはありますが、普通に考えれば少ない収入に合わせて切り詰めた支出を考えるのですよ。

ところが役人の考え方は違うんですね。お金は湯水のように湧いてくるものだ、と思っているのでしょうか。本当はこういうこともやりたいのだが、今は歳入が少ないのでもうちょっと待とう、あるいは縮小しよう、などという感覚は皆無。ほっておいたら各省の概算要求は果てしなく膨れ上がっていきます。店長は今の民主党政権下でもまだまだ甘いような気がします。当初の「大臣は各省の利益代表ではない」という言葉が多少むなしく聞こえてきます。大臣によっては「事業仕分けで勝手に切り込んでくるのは遺憾だ」というような発言をしているようですが、これには期待した国民は裏切られたように思うでしょう。こんな豹変する大臣はいりません。首相は即刻クビにして欲しいですね。

店長は期待した新政権に落胆したことが二つあります。一つは2ヶ月たって、有能な大臣とそうでない大臣がはっきりしてきたことです。副大臣や政務官が優秀であるがゆえに余計存在感の薄い閣僚が多いこと。もう完全に省益を代表する大臣になってしまっている御仁もいます。
二つ目は、官房機密費を公開しないことです。野党時代はあれだけ公開しろ、と騒いでいたのにこの手のひらを返したような言動。これは信じられません。首相まで官房長官にまかせてある、と逃げ腰です。なぜ公開しないのでしょう。これは某新聞の社説にも書かれていました。国民の信頼を裏切る行為だと。こんなことでは国民の支持率を維持することは困難でしょうね。
まあ、新政権に期待度が高かっただけ、失望感も大きいのかも知れません。

さて、前回書き残したウィンストン・リンク氏の写真のお話にしましょう。
店長は1987年にアメリカで出版されたこの写真集を見るたびにため息が出ます。時代は1950年代。アメリカのオールド・グッド・デイズでした。そして古きよき時代から力強く新しい「繁栄」のアメリカに移る過渡期でもありました。鉄道では蒸気機関車が急速に姿を消していき、新しいディーゼル機関というテクノロジーが時代を築こうとしていました。ウィンストン・リンクはこれらの消え去る蒸気機関車とその時代に生きた人々を「夜の闇」を共通の背景にして撮り続けたのです。そして莫大な金のかかるこの撮影をリンクは誰の援助も受けないで成しえたといいます。

そもそもリンクはニューヨークで広告写真家として活躍していましたが、たまたま訪れたバージニア州でこの撮影の舞台であり主人公となったノーフォーク・アンド・ウェスターン鉄道に出会いました。そして間もなく消え去る蒸気機関車を写真に残したいと考えたのです。それも昼間ではなく、夜間の白く夜空に舞う蒸気と煙を映像に残そうと、闇の中でのストロボ撮影を思いつくのです。これは大がかりでした。写真を見ていただければ分かりますが、ハンパな発光ではないのです。舞台となる線路のざっと50m四方に60個ものストロボを設置。これもリンクが作成した独自の照明装置であったといいます。これにリンクが自分で演出した登場人物や小道具を配置します。写真の一コマごとにリンクが作り上げた物語があるのです。

店長はまず考えてしまいます。数十個のストロボをどうやって同時発光させたのでしょうか。写真を見る限りは一つあたり数百ワットの光量が必要だと思われますが、そんな電源があったのでしょうか。そしてシャッターと同調出来たのでしょうか。アナログの時代、よくこのような技術があったと驚きます。シャッターも店長の推測ではかなり高速で切っています。今のカメラのストロボ同調も1/125secまでがいいところです。昔の店長が初めて手にしたペンタックスの一眼レフでは1/30まででした。それが1950年代に一体どのくらいのシャッタースピードで同調させたのでしょう。謎は深まる一方です。なにはともあれ写真を一枚見てください。



アベックたちが集まるドライブイン・シアターです。手前のビュイック・コンバーチブル
には肩を寄り添う二人が。そしてオールド・グッド・デイズを思わせる車。その向こうを蒸気機関車が白煙をたなびかせて走り去っていきます。

この写真もリンク自身の演出です。ビュイック・コンバーチブルもおそらくリンクの愛車だと思われます。この写真を見てまず思うのは列車が流れていないのでシャッタースピードはけっこう速いということです。恐らく1/250以上でしょう。さらに手前の人物から遠くの機関車までピントがあっています。それだけ被写界深度が深い、ということはかなり絞りを絞っているということです。言い換えればこれだけの被写界深度とシャッタースピードを優先させるためにはストロボの発光量は相当なものでなければならなかった、つまりすごい光が一瞬で焚かれたということです。そしてその一瞬とシャッターを同調させる技術がリンクにはあったということです。



この鉄橋下の車も演出です。道路から20mはありそうな鉄橋上の機関車全体にこれだけの光を当てるのは大変なことです。機関車もピタッと止まって写っていますのでシャッターも高速のはずです。背景が漆黒の闇というのも素晴らしいですね。

この写真にはびっくりしました。ストロボを焚かなければ恐らくどこにも光のない真っ暗闇のはずです。それがこれだけ被写体が浮かびあがる明るさにするには一体どのくらいの光量が必要だったのでしょうか。想像もつきません。また、機関車が止まって写っていますのでシャッターはかなり高速で切っているはずです。これらの「光量」「絞り」「シャッタースピード」の三要素をいかに組み合わせればこのような写真が撮れるのか。もちろん理屈上は可能ですが、これを1950年代にやってのけたことがまさに驚異でしかありません。

リンクは多くの助手を使ってこれらの撮影を行なったといいます。その一人だったトーマス・H・ガーバーは「リンクの撮影はまるでイベントのようだった」と語っています。撮影機材のハード面もさることながら、1枚の写真に凝縮された力強い蒸気機関車はもとより、線路を取り囲む自然、そしてその時代の人々を組み合わせて「物語」を作るという技術は秀逸なものがありました。ガーバーはさらに述べています。

『そして列車はやってくる。音、光、最後に姿が現れる。緊張が走る。リンクの合図でライトが焚かれ、列車に向けて人物が手をあげる。シャッターが切られる。すべては終わり、静けさが再び訪れる。周囲の人々がびっくりするようなリンクの笑い声が聞こえたら、撮影が成功した証拠だった。』伴田良輔著「奇妙な本棚」芸文社刊より

いま、それから50年余。いささかも色褪せないこれらのモノクロームの写真を見ていると、子供のようなリンクの嬉々とした「笑い声」が聞こえてくるような気がします。