1960年代 こんな国電が走っていました
まだ茶色い国電が全盛のころです。我々は憧れていた 80形湘南電車の初期には間に合わず、既に東海道からは多くが雄姿を消していました。初期形と言われる3つ窓車はHゴム化され地方線に、2次形量産車と言われる正面2枚窓車も大半がHゴムに改造され、本来の美しい木製窓枠ではなくなっていました。それでもなんとか クモユニを連結した16両編成を東海道線で撮っています。他はいわゆるゲタ電と言われた茶色い各種改造された電車を含め、各路線で撮っています。我々が幼いころ出かけた懐かしい昭和の首都圏の光景です。 |
正面細部は改造されていますが、当時は画期的な15両編成の80形で統一された、沼津〜東京間専用の湘南電車です。 品川〜大井町
クモユニを連結した見事な16両編成、全長320m! 最長の客車列車より長かったのです。 品川〜大井町 2枚とも昭和37年撮影
東京駅停車中の湘南電車。ライトは旧式150W、運用幕窓も変わっていませんが、既にHゴム、タイフォン取り付けに改造されています。
左側の中線にはEF53が、右側の急行列車にはダブルルーフの荷物車が見えます。線路に降ろしてもらいました。 昭和36年 東京駅
沼津駅に到着したクモユニ81です。到着と同時に荷物と郵便物の搬入が行われます。郵便車には金銭類保護の為職員が添乗しました。 昭和37年
改造車ばかりとは言え、田町電車区にはまだまだ、80形湘南電車がいました。これは1両で停まっていたクモユニ81です。 昭和36年
私が撮った唯一の原型の80形。しかし古いカメラだったので、巻き上げに失敗。木製窓枠の鼻筋がピッと通った
正面と、ライトを支えるステイとその後ろに屋根に繋げる筒を付けているのが分かります。 昭和35年 東京駅
これは昭和38年冬に身延線を撮りに行った時、静岡に都落ちして転属になっていた東海道線の80形の3枚窓が来ました。 富士駅付近
まだ東京地区にいた80形三つ窓車です。Hゴムに改造されているのが残念です。高崎線に都落ちした湘南電車です。 昭和36年 上野駅
全金製の湘南電車です。2両目は全金製の1等車でしょうか。初めて見ました。高崎線の堂々の14両編成の湘南電車です。 昭和39年
常磐線には雑種の中に半流線型のクモハ60がみられました。戦前の代表車で堂々としたスタイルでした。 昭和38年 南柏〜柏
クモハ60を撮りたくて、松戸電車区に行きました。この頃は自由に入れてくれました。良い位置にいませんでしたが、捉まえました。 昭和39年
前面窓が斜め10度に傾斜している異色の101形のスタイル、クハ79がいたので撮りました。これは山手線にもいました。 昭和39年
これは制御車が不足し、中間車を改造した常磐線クハ55です。改造部分の妻面の引き戸を残しているので正面はプレスドアはその
ままで、行き先票は左脇に落とし込みの形で取り付けてあります。ごちゃまぜの6両編成。一時期の常磐線です。 南柏 昭和37年
クハ79先頭の京浜東北線。見事に72形4扉車で統一した編成が多く走っていました。72形全盛時代。手前は京急です。 昭和40年 東神奈川〜横浜
京浜東北線は北行方面の先頭にクモハ73が連結される編成が多くみられました。六郷鉄橋を渡ります。 昭和39年 鶴見〜川崎
京浜東北線72形登場前の、砲弾型ヘッドライト、半流線型の美しいクハ55。旧型国電を代表する車両でした。 昭和37年 品川〜大井町
総武線はまだ半流線型の3扉車40形が活躍していました。御茶ノ水が始発で車掌さんが行き先看板を入れ替えています。 昭和39年 御茶ノ水
横浜線には72形が入る前は、クモハ60が先頭の美しい編成が走っていました。最後尾は両運転台のクモハ40です。 昭和40年 八王子
南武線にはこれまた美しい正面貫通式クモハ11の400番台が走っていました。沿線はのどかな風景でした。 昭和39年 登戸〜中野島
南武線の電車区?のようですがどうも武蔵中原ではないような周囲の感じです。車両はクモハ11-400番台が現役のころですが、簡単に
入れた(柵もなかったと思います)新しく作った駐留所のような感じでした。どこかお分かりの方はご教示ください。 40年前後です。
横須賀線用に走っていた両運転台荷物車のモニ13です。「荷物」と言う前看板がないので正面貫通扉がすっきりしています。 昭和41年 田浦