京王帝都電鉄

京王線と井の頭線は、幼少のころから世田谷に住んでいた私たちには、小田急線と共に一番近い路線で、ほとんど毎日のように見たり乗ったりしていましたが、特別に魅力ある車両もなく、しかも身近過ぎることもあり写真はあまり撮っていません。たまたま来た電車に向かってシャッターを切る程度でした。それでも『なめくじ会』の「つーさん」はまだ現役で走っていた京王線の戦前14m車の名残りを撮っています。
我々のネガをみてみると一応当時の各形式がありますので、写真を主に昭和37年から40年代の京王帝都の電車を振り返ってみたいと思います。車両もさることながら、昔の世田谷の光景が偲ばれます。当時の私の家から一番近い駅は「代田2丁目=今は新代田に駅名変更」で、歩いてわずか3〜4分でした。とても懐かしいです。

 


                  ■京王線



 
戦前に製造された2400形14m級小型車です。昭和30年代末も元気に走っていました。これは両運転台ですが運転室扉がありません。
       中間にダブルルーフ車を連結しています。固定編成で先頭車だけは残念ながらすでにデカ目で2灯化されています。  桜上水電車区       


 
 
 

 
2両固定編成で支線に使用されていたデハ221形です。これは改造されて片運転台化され運転室扉があります。  桜上水


 
 
 

 
デハ2125形を先頭に14m車5連が本線を走ります。これも既にヘッドライトが2灯です。昭和38年にはこんな凄い電車が走っていました。「つーさん」の撮った
渾身の1枚です。のどかな世田谷の風景でした。一つ目時代は撮るのがちょっと遅かったようですが小型ライト2灯がまだ救われます。    八幡山〜芦花公園

 

 
 

 
戦後の新造車デハ2600形です。大きな2つ目に改造され、ノーシルノーヘッダーの典型的不細工電車の異色車でした。 仙川〜つつじヶ丘


 
 
 

 
オール2600形の美しい編成と、違和感のないシ-ルドビームの2700形が並ぶ当時の京王を代表する車両たちです。  桜上水


 
 
 

 
2700形は湘南形の2枚窓とバス窓、大きなアンチクライマーが特徴でした。これもシールドビーム2灯化されています。  高幡不動


 
 
 

 
京王に初めてカルダン駆動で登場した2000形です。当時5連は全編成同一形式ということはなく、付随車に14m旧型を連結しています。 仙川〜つつじヶ丘








これは形式でいうと2010形です。登場当初からシールドビームの2灯で初の方向幕式でした。5000形登場で一時期アイボリーに塗装された
2028です。従来の緑と新塗装の2010形同士が並びました   高幡不動                              
                              






アイボリーとはいえほとんど白に近いので、モノクロフィルムは露出に苦労しました。5000系がまだ増備されないときにはこの2010形が
特急になって京王八王子まで走りました。これはこれでとても颯爽として格好良かったですが。   桜上水             



        
 

 
そして画期的な新型車5000形が登場しました。昭和38年のことです。空気バネ台車装着で初の貫通式前面となりました。登場時のエンジ色の
帯は運転室扉下からヒゲが伸びていました。「特急」が京王線特有の狭い家並の間を縫って走っています。         代田橋〜明大前
 
 


 

 
サイドから見ると帯のヒゲが下に伸びている塗装がよく分かります。これは旧型台車を流用しています。   桜上水







芦花公園駅を発車する新宿行「特急」の4両編成です。この頃の芦花公園駅は6両用にホームを継ぎ足しています。大変貌の駅です。



 
 

 
この頃から特急、急行以外にも種別が増え、丸い種別看板にも興味が出ました。朝方6両の新宿行通勤急行です。 下高井戸〜明大前




                  ■井の頭線 



 
これは被災した戦前の車両の改造車です。制御車ですが大きな窓、外側を覆った「埋め込みライト」が特徴でした。   永福町



 
 
 

 
制御車ではありますが、埋め込みライト、アンチクライマー、大きな前面窓など均整のとれたスタイルの車両でした。  東松原〜明大前


 
 
 

 
戦前の京王帝都の主力電車でした。被災で3両だけが生き延びて活躍していました。富士見が丘に車庫が出来たころです。



 
 
 

 
アンチクライマーが連結器上にあるので1250形とはちょっと顔つきが違っていました。1400は早めに2灯化されていました。 明大前〜永福町
 


 
 

 
どっしりとした感じだった1700形。このときはすでに2灯で、ぶら下げ看板から行先板入れ枠が取り付けられています。   永福町


 
 
 

 
これは昭和37年撮影です。まだ1つライトで行先板も吊り下げ式でした。堂々の風格がありました。   東松原〜明大前







参考:これは1700形とは違い、正式には1710形です。完全に別形式であり、スタイルは全く異なります。ただ双方とも京王線に投入
されるはずの電車としての経緯があり、似たような形式になっています。ホイールベースの長い台車を履いています。ネガはとっくに
お釈迦になり、小さいプリントから何とか再生した1710形の貴重な写真です。陸橋は今の環状7号線です。  昭和36年 代田2丁目



 
 


回送看板を付けていますが、夕方走る新聞列車兼荷物列車でした。1両しかありませんでした。戦時に使われた渡り線が見えます。 代田2丁目
 


 


井の頭線、終点渋谷駅の2番線です。面白い車止めが使われていました。多くの職員が出て、荷物の搬入をしていました。







古豪の101形の後釜は、両運転台の1763号が使われました。単行運転が出来るので重宝されました。  代田2丁目


 
 
 

 
1800形です。張り上げ屋根で前面真中が狭い3枚窓は京王線の2600形に準じています。この大型ライト2灯は不細工面の典型です。 永福町
 


 
 

 
それでも美しい時代もあったのです。ライトが原型の1灯の時代です。行先板も吊り下げの大判です。独特の京王顔でした。 東松原〜明大前






 
湘南形2枚窓の1900形です。京王線の2700形に準じていました。   明大前
 


 
 

 
京王線の2000形の「井の頭線」版です。カルダン駆動で井の頭線にもようやく高性能車が登場しました。  富士見が丘


 


 
 
井の頭線のこのあたりは歩いても自転車でも簡単に行けるところで、学校帰りにも撮っています。   東松原〜明大前



 
 
 


井の頭線の昭和30年代後半の1000形が走る日常的なヒトコマです。東大前と統合される前の木造の駒場駅も懐かしい。   今は亡き駒場駅


 
 
 

 
そして昭和37年に登場した画期的なステンレスカーの3000形です。正面のFRP部分が着色されていました。 これは3000形1次車で
車体のスソが絞られていない狭幅、片開きドアで2次車以降と違ったスタイルでした。台車は私鉄では画期的な外側ディスクブレーキ
でパイオニアV台車を使用しています。この3000形からは4両固定編成で正面には方向幕が取り付けられました。   永福町〜明大前




 

 
3000形は2次車から広幅で車体スソが絞られたスタイルとなりました。扉も両開きとなっています。昭和40年の神泉駅です。
 
 




 
確かに60年代は電車の技術開発と同時に、抜群のスタイルの車両も登場しました。この3000形は今も地方で走っています。  永福町