1992年の韓国旅行

4泊5日で遊びに行きました
 
 

鉄道好きの知人に韓国の鉄道に乗りに行かないか、と誘われてぶらりと韓国に旅立ちました。時は1992年4月、ときの大統領は盧泰愚。全斗煥の独裁政権からはかなり民主化されたとは言え韓国はまだいろいろな制限がありました。鉄道の撮影は自由だろうかという心配もあったのですがこれは杞憂に終わりました。
なにはともあれ釜山とソウル間の特急「セマウ号」に乗り、さらには有名な太白線の羅漢亭のスイッチバックも列車から見ようというもので知人が事前にしっかり計画を立ててくれました。またその知人が清凉里機関区長とも面識があるというので、機関区の見学撮影も出来たという特別のおまけがつきました。楽しい4泊5日の韓国の旅でした。

 
 

 
成田空港を4月2日の10時20分発 JAL957便で発ち、12時30分に 隣国韓国の釜山・金海空港に到着。
その日は釜山泊りで翌3日の釜山8時発のセマウル2レでソウルに。3日はソウル泊りで翌4日に路線図
の青線部分の清凉里10時発急行391レで太白線を経由して江陵に行きます。江陵は夕方に着くので、
夕食を食べたあと夜行急行400レ寝台で5日朝に清凉里に戻るという計画です。5日には清凉里機関区
を見学し、ソウル市内も観光します。 そして6日のJAL952便で帰国します。 贅沢なのんびり旅行です。

 
 
 



JAL便で釜山に到着した前日は市内の「ロイヤル観光ホテル」に宿泊。今朝は地下鉄に乗って釜山駅
に直行しました。ここは釜山駅前広場です。これから列車の旅が始まります。      1992年4月3日
 
 
 
 

釜山駅ホームにはすでにわれわれが乗る8時発ソウル行「セマウル号」が入線していました。7300形ディーゼル機関車
が重連で牽引です。初めて見る韓国の特急用機関車に圧倒されました。当時は青とクリームのツートンカラーでした。
 
 
 
 

 
われわれの乗る特室(1等車)の入り口では特室乗務員がお出迎えです。赤い制服に身をまとった
女性でした。 出発到着のときにはドアの開閉の操作も行ないます。車体は全車ステンレス製です。

 
 
 
 

 
特室車内です。横2席−1席の座席配置でゆったりした空間です。もちろんリクライニングシートです。
 
 
 
 


食堂車にいってみました。 真っ赤なクロスが派手ですが清潔な車内です。 メニューが窓の上の
ボードに写真入で掲出されています。われわれは一番無難と思われるお弁当を注文しました。
 
 
 
 

 
これがお弁当定食です。野菜と焼き魚と海老フライにご飯という日本と変わりない幕の内でした。


 
                      

                                 列車は約4時間後、12時12分に首都ソウルに到着しました。 それにしてもこの7300形機関車の重連は迫力があります。
                                 初めてのソウル駅なので全てがもの珍しくしばらく来る列車を撮りました。こちらのホームに111形DCが入線してきます。


 
 

 
これはセマウル号のディーゼル動車です。先頭車の半分にエンジンを搭載した動力集中式です。形はTGVに似ています。
 
 
 
 

 
この日泊ったのは等級4つ星の「ソウルガーデンホテル」です。鉄道は左側通行
ですが道路は右側です。あまり理解出来ないバス停の表示でも、なんとかバス
に乗って南大門を見学したあとホテルに入りました。    ホテルの窓から撮影
 
 
 
 

 
翌朝はソウルからとなりの清凉里駅まで行き、清凉里10時発の江陵行急行に乗ります。ソウルは電化されていないのに
ここ清凉里は電化されていて電車が発着していました。急行391レに乗り込む前にあれこれ撮影です。  1992年4月4日
 
 
 
 

 
ホームに停車中の 7500形ディーゼル機関車牽引の中央線釜山行「ムグンファ号」です。 この巨大機関車が色といい何とも
すごいです。このあと8000形電気機関車に牽引された江陵行急行391レに乗り いよいよ太白線経由で江陵に向かいます。
このページの一番上の路線図を参照下さい。 青のマーカーを引いた線が391レの行程です。 清凉里を10時の出発でした。
 
 
 
 

 
391列車は2時間強でやがて太白線の分岐駅堤川に着きます。われわれの乗った列車は8000形単機牽引でしたが
堤川で上り列車を見ると、なんと8000形3重連でやって来ました。ここで前2両を切り離します。それにしてもすごい!
 
 
 
 

 
ここから太白線に入ります。この線は石炭や鉱石を搬出する重要な貨物路線でひっきりなしに貨物列車と
すれ違います。このあたりから太白山系の勾配区間にさしかかります。           391レのデッキから
 
 
 
 

 
列車は山間の駅石項に到着です。 ここで上り客車列車と交換しました。山岳地帯に入ると天気は次第に悪くなって
いきました。こんな光景は日本でもよく見られ、駅員さんの制服も似ています。手動の客車ドアから降りて1枚です。
 
 
 
 

 
族善線が分岐する 甑山駅に着きました。広い構内です。堤川に向かう重連貨物列車が発車していきました。
これは最後尾の客車から撮ったものです。日本と同じ客車のつくりで、デッキの連結幌部分はオープンです。
 
 
 
 

 
甑山駅構内に古い5000形ディーゼル機関車がいました。なにかアメリカのロッキー山にいる雰囲気になりました。
 
 
 
 

 
列車は午後2時すぎに舎北駅に到着しました。かなり標高は高くなっているはずです。肌寒いなかを結構な人が
降りました。この線の急行の停車駅では必ずと言っていいほど列車と交換します。ここも採鉱の町なのでしょう。
 
 
 
 

 
やがて列車は太白線から嶺東線に入り有名な桶里と羅漢亭のオメガカーブとスイッチバックを下ります。
これは羅漢亭のスイッチバック駅です。 興田信号場から羅漢亭までは走行の向きが変わり客車最後尾
が先頭になるので車掌さんが無線を持って最後尾で先導します。 私に韓国語で「邪魔だからどくように」
と言っていたようですが言葉が通じません。ここがハイライトなので、私もしつこく脇から撮りました。線路
脇で羅漢亭の駅員さんが敬礼しています。この写真は客車が前方に進んで引込み線に入るところです。
 
 
 
 

 
列車は羅漢亭の駅を通過して再び急勾配を下ります。 左に引込み線、右に国道38号線が見えます。ドラマは終わりです。
右手山の中腹に桶里から興田に向かう線路があり、その下の国道の向こうに今度は興田から上の写真の羅漢亭引き込み
線に向かう下りの線路があります。 典型的な三段式スイッチバックです。 外からここの走りを撮ったらすごいのでしょうが。
 
 
 
 

 
終点の江陵です。この先線路はありません。昔はここからまだ北に伸びていたそうです。38度線に近い日本海に
面した街です。時刻はすでに夕方の5時。まだ陽が明るく、このあと市内に出て夕食を食べ街中を散歩しました。
 
 
 
 

 
駅の近くの桜が咲いている踏切に行ってみました。丁度釜山発江陵行のムグンファ号が来ました。主力機関車
7100形の牽引でしたが、車体が汚れていて綺麗な写真にはなりませんでした。このあと思わぬハプニングが。
 
 
 
 

 
せっかく折り返し清凉里行ムグンファ号400レの寝台に乗るつもりが、事前に用意したチケットが5日乗車と
なっていたため江陵駅で変更しようにも4日のこの日はすでに満席で、結局寝台には乗れず普通座席車に
乗るハメとなりました。これで一夜明かすのは少々きつかったし、おまけに暖房が全く効かず一晩中寒い思
いをしました。何か臭うと思ったら 江陵から乗った女性二人がはしゃぎながら箸でなにやら食べています。
 
 
 
 

 
400列車は7500形ディーゼル機関車の牽引でした。車内が寒くてなかなか寝つかれない夜、走ってホームの端まで行き
思いきりストロボを焚いています。光量が足りずこんな写真になってしまいました。というより機関車が大きすぎるのです。
暗くて機関士の姿が見えなかったので焚いたあと機関士に「ごめんなさい」と謝りました。              駅名不明
 
 
 
 

 
とにかく寒い車中で数時間寝ると、やがて列車は清凉里に着きました。明け方の5時です。あたりは暗く寒い朝でした。
すぐソウルに戻りホテルで仮眠したあと、再びソウル駅に出撃してしばらく列車を撮ることにしました。ここは駅の北口で
京義線の議政府行普通列車が4300形ディーゼルに牽かれて出発して行きました。             1992年4月5日
 
 
 
 

 
北口には陸橋があり しかも架線がないので上からすっきり撮れます。今は建て替えられたというソウル駅の屋根
が見えます。これはソウルの列車基地の城北基地に回送されるムグンファ号です。ここは格好の撮影地でした。
 
 
 
 
このあとお目当ての清凉里機関区に行きました。知人が知っている区長さんに面会を求めると
すぐ入り口まで出てきてわれわれを迎えてくれました。 若い紳士的な区長さんでした。機関区
を自由に見学させてくれたうえに 機関車の運転席まで入れてくれました。貴重な体験でした。



その時の名刺はまだ持っています。機関区長ではなく機関車事務所
長となっています。韓国では機関区を機関車事務所と言うようです。
 
 
 
 


まず目に入ったのが入換用と思われる小型のロコでした。よく分からないので停まっている機関車は全て撮りました。
 
 
 
 

 
すごい機関車がいました。 7500形ですがエンドキャブの反対側から写しています。 日本では見られないDLです。 この
塗装の7500形はどうも清凉里機関区の受け持ちの中央線の主力のようでした。7000番台のDLの基本形となりました。
 
 
 
 

 
かつては京釜線の超特急を牽引した6300形。わずか10両しか製造されなかったといいます。この当時は
細々と京元線の輸送の任に就いていたものと思われますが、今では全機廃車になったと聞いています。
  
 
 
 

 
機関庫に入っていた5000形の運転室です。ブレーキ弁は日本と変わりませんね。
 
 
 
 

 
機関区には電気機関車も数両いました。この8000形はフランス製で中央線ほか交流電化区間に使用されていました。
 
 
 
 
 
 
8000形電気機関車に乗せてもらいました。勾配用のため速度計は120kmまでしかありません。
 
 
 
こうして楽しい機関区の見学はおわりました。区長は日本語が堪能だったので会話がはずみました。
このあとホテルに戻り ソウル最後の夜をバーで過ごし、翌6日にソウルからJALで帰途につきました。
 
 
 
 
なんと帰りのJALはエグゼクティブシートでした。当時はまだ喫煙席があったのですね。今思えば
全てが贅沢な旅行でした。韓国ウォンを持ち帰ったのですが銀行では両替は出来ませんでした。