中央西線・篠ノ井線


D51だけですが、スイッチバックあり、重連あり
ときたま3台運転も見られた絶景の路線でした。

 

 ■中央西線・落合川の印象



 
中津川・落合川間3.8キロは、落合山トンネルをサミットにして双方から25‰勾配があり、この一駅間だけにD51の専用補機が設けられていました。昭和47年には新線が開通し10‰の勾配に緩和されて補機仕業はなくなり、つまらない線になってしまいましたが、それまではこの落合川では補機付きの列車の素晴らしい出発光景が見られました。落合川には転車台がないため、中津川に向かう後部補機はバック運転となりました。これは重連で落合川を猛然と出発する長大貨物列車ですが、後部に補機を付けた3台運転でした。狭い駅だったため、後補機はどうやっても入りません。
 
 

 
 
 
 
 

 
これが中津川から正向きで来た補機が今度は逆向きの後部補機で、もの凄い迫力で列車を押し上げて行きました。 昭和45年
 
 
 
 
 
 
 

 
注・これが中津川からの専用補機245号機で、落合川駅で切り離され、上の写真の後部補機に連結されます。
 
 
 
 
 
 
 

 
落合川駅で後部補機連結の為、しばらく停車をしていた上り貨物列車です。ナンバーがスリーセブンのD51777でした。  昭和46年
 
 
 
 
 
 
 

 
この列車は塩尻からすでに前部重連でやってきました。1面2線の狭い島式ホームだったように記憶しています。  昭和45年
 
 
 
 
 
 
 

 
これは木曽川を入れるため高台から狙った単機牽引列車ですが、ご覧のように狭くてカーブしている駅なのでどうやっても後部補機が入りません。
 
 
 
 
 
 
 

 
しかしながら、逆向き後部補機はパワー全開で素晴らしい煙とドレーンを吐いて、出発して行きました。木曽川が煙で見えません。  昭和45年
 
 
 
 
 
 
 

 
落合川から坂下に向って複線の下り用トラス鉄橋が出来ていました。架線がないのでトンネル真上から撮った急行「しなの」です。
 
 
 
 
 
 
 

 
このトンネルの上には簡単に登れた定番の撮影地でした。坂下に向っても登り勾配でした。
 
 
 
 
 
 
 

 
旧線の上り線から撮った新線の鉄橋を行くD51貨物です。勾配は大したことはなく、単機牽引が多かったです。  いずれも昭和46年
 
 
 
 

 
 
 

 
落合川駅待合室に泊めてもらい、翌早朝の列車と木曽川を撮った思い出の1枚です。駅長さんは良く泊めてくれましたね。   昭和45年
 

 
 
 
 
 
 
 

 
中津川から旧線沿いに歩きました。旧線の単線を下る「快速木曽路」です。    昭和45年 落合川〜中津川
 
 
 
 
 
 
 

 
いかにも木曽路らしい景観を走る下り貨物列車。水力発電がまたがいいですね。    昭和46年 坂下〜田立
 
 
 
 
 
 
 

 
真夜中の木曽福島駅。中津川までずっと下り勾配なのに必ずここで回送補機を付けていました。既にビームが張られています。
 
 
 
 
 
 
 

 
電化工事が進む木曽福島で出発を待つ下りD51重連の貨物列車。蒸気機関車の終焉でした。この夜の目的は出発の録音でした。 昭和47年 木曽福島
 
 
 
 
 
 
 ■篠ノ井線のスイッチバック
 
 桑ノ原
 
 
 
 
篠ノ井線の最初の信号場です。まず姨捨方面から篠ノ井側の引き込み線に下り貨物列車が進入します。手前は本線です。
 
 
 
 
 
 
 

 
篠ノ井方面から上り重連貨物列車が本線を豪快に登っていきます。手前は引き込み線で水平なのでいかに本線が急勾配か分かります。  昭和40年
 
 
 
 
 
 
 

 
これは2010年時点の桑ノ原です。姨捨側だけ引き込み線(信号場)は生きていますが、高速道が景観をぶち壊しています。
 
 
 
 
 
 
 

 
姨捨との間のトンネルを抜ける上り列車。長野独特の前面白線の帯がいいですね
 
 
 
 
 
 
 姨捨
 
 

 
姨捨は駅だったので、スイッチバックでありながら複雑な線路配置でした。ホームの有効長はとても長かったと思います。  昭和40年
 
 
 
 
 
 
 

 
DCの普通列車と駅で並びました。右側が冠着方で、まだこれから急勾配が続きます。左は長野方面行です。   昭和40年
 
 
 
 
 
 
 

 
千曲川が流れる長野盆地を背景に下り列車が急勾配を下ります。上り列車の爆煙も良かったですが、皆さん撮ってるし。  昭和40年
 
 
 
 
 
 
 

 
姨捨のホームを左手に見ながら雪の中を上り列車がやってきました。姨捨の様子は基本的に今と変わりません。  昭和43年
 
 
 
 
 
 
 
 羽尾
 
 

 
篠ノ井線の列車密度が高まったので、最後に出来たスイッチバック式の信号場です。従ってコンクリートの崖壁などかなり強引に造った後がうかがえる信号場でした。しかしご覧のように非常にシンプルな配線で、引き込み線からは全容が見えて撮りやすい信号場でした。この高低差を見ただけで急勾配と言うのが分かります。線路は残ったようですが2008年に使用停止になりました。まずは重連で冠着方面に登る上り列車を追ってみましょう。
 
 
 
 
 
 
 

 
一旦、上り引き込み線に入った後、列車交換します。その後姨捨方面の山裾にへばりつくような引き込み線にバックで入ります。
 
 
 
 
 
 
 

 
そして再び猛然と急勾配の本線に突入します。みんな同列車で前補機はD51477です。崖の造りがいかにも人工的です。  いずれも昭和43年
 
 
 
 
 
 
 

 
これは姨捨側の引き込み線から、一旦冠着側の引き込み線に入った後、再び本線に入って下って行く下り列車。  昭和43年
 
 
 
 
 
 
 おまけ
 
 

 
松本には大糸線用のC56がいました。小型のC56にもの凄い大きな集煙装置が付いています。
 
 
 
 
 
 
 
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