大船渡線・山田線・北上線
誰も行かなかった路線をつーさんが、たった一人で行きました。凄いな〜 |
昭和42年撮影
列車本数も少ない路線で、ここを走っている蒸気機関車のC58、D50、D60 は幹線で沢山走っていたのに彼だけ東北旅行の際に立ち寄っています。勿論それぞれの路線で撮ることは意味のあることですが、他の仲間は一切行っていません。そういう意味では驚くと同時に、よく行くな〜などと思ったものです。しかし今見ると、車両こそ平凡ですが、よく歩いて素晴らしい過疎路線の光景を撮っています。特に雪の冬は、みんな誰も行こうとはしませんでした。こういう仲間もいたんですね。
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大船渡線も地味な路線でした。 このときに訪れたところは一関から少し入った陸中門崎と岩ノ下間でした。蒸気機関車の主力はC58でしたが、一関に2両配属されていたD50も時折顔を出していました。大船渡線は線路規格の低い乙線かと思っていたらなんとD50が入線出来たのですね。これはD50が牽引する一関行の上り貨物列車1382レです。
陸中門崎〜岩ノ下 |
山裾を出たところで1枚、すぐ2枚目です。一関に2両いたうちのD50の346号です。どうやら稲刈りが終わった頃ですね。 昭和42年 秋
すでにDC王国で昼間は1日数本の貨物列車でしか蒸気機関車は見ることが出来ませんでした。これは一関に向かう上り374レ貨物列車です。 陸中門崎〜岩ノ下
上の写真の374レを手前に引き付けてもう1枚です。少ない蒸気列車を2枚は撮るようにしていたんですね。
当時大船渡線にはまだ朝夕にC58牽引の客車列車が走っていました。これは朝方の上り一関行
の324レ普通列車です。これも最初の1枚です。 陸中門崎〜岩ノ下
続けて2枚目です。こうやってカット数を稼ぐ以外にありません。
陸中門崎で一関方面向きのD50と気仙沼向きのC58の変則重連が構内で付換をしていました。このD50はバック運転用にテンダ上部が切り取られていました。 陸中門崎 |
付換の終わったあと、下り381レ貨物にはこの変則重連が連結されました。この入れ替えは、ここまでC58単機牽引で来たのですがここでD50の補機を付けるための機関車の付け替えだったのでしょう。転車台がないからこういう向きに連結せざるを得ないわけです。
陸中門崎駅 |
こういう仕業の為、D50はテンダが切られていたんですね。陸中門崎出発。
北上川鉄橋を渡るD50346牽引の上り1386レ貨物列車です。ここは一関に向って登り勾配になっていたんですね。D50346号は重油タンクを積んでいませんでしたが、もう1両の267号は重油搭載でした。 陸中門崎〜真滝 |
一関にはもう一両D50がいました。これもテンダ上部両端がバック運転用に切り取られ、しかもテンダ越しに後ろが見える様に窓がついているのも一興でした。ただドームに重油タンクが載り、デフも上の角が斜めに切られていて原型の面影は全くありませんでした。(Te)
40年 一関機関区 |