室蘭本線・千歳線
室蘭本線は「ニセコ」を撮りに渡道すると必ず立ち寄った路線です。C55からD52まで走っていて列車本数も多く飽きることがありませんでした。 昭和41年にはまだC55の1号機が室蘭機関区に配属されていてC57とともに客車列車を牽引していました。本当は礼文の海岸線を行く列車を撮りたかったのですが、ここでは山線に心が走っていて時間をあまりとらなかったこと、礼文華に行く道が全く分からなかったことなどで結局お手軽な所でしか撮りませんでした。従って自慢できるような写真はありません。 また新線に切り替わる予定の千歳線・西の里にも行ってみました。 パシフィックの軽快な走りも良かったし、本州から航送された長大貨物を牽くマンモス機D52も圧巻でした。 |
室蘭行普通列車が到着しました。なんとC551の牽引でした。トップナンバーはあこがれでした。 昭和41年 追分
夕方の室蘭機関区でターンテーブルに乗るC551号機。 昭和41年 室蘭機関区
昔は跨線橋などない駅が多くこうして線路を渡ったのですね。懐かしい光景です。 昭和45年 萩野駅
室蘭線はほとんどが平坦線ですがここは丘陵とトンネルがあります。C57の牽く室蘭行普通列車 昭和45年 栗丘~栗山
名所の「三栗」の栗丘に行ってみました。風の強い日でほとんど平坦なのに黒煙を吐いて来ました。 昭和45年 栗丘
たいした勾配でもないのに風が舞っていて、黒煙をまき散らして上り長大貨物がやってきました。 昭和45年 栗丘~栗山
静狩を出発するC57牽引の上り普通列車 昭和42年 静狩~旭浜
国道が本線をオーバークロスする有名撮影地です。ファンは私1人。綺麗なDD51重連が臨時を牽いて来ました。 昭和42年
同じ跨線橋から静狩駅通過のD52貨物を撮りました。逆光ですが、これも今ではいい思い出になりました。 昭和42年
機関車は長万部では交換せず、鷲別まで通しで牽引します。D51の貨物は殆ど見ませんでした。 昭和42年 長万部
夕日をあびて機関区で憩うD52 昭和42年 長万部
マンモス機D52牽引の下り長大貨物列車が長万部を出発して行きます。 昭和42年 長万部
降りしきる雪の中を突進するD52牽引の上り貨物列車。北のD52は逞しい。 昭和43年 旭浜
夏の午後、上り長万部行普通列車がのんびりとC55に牽かれてやってきました。 昭和42年 長万部~旭浜
駅に戻ると、到着したC55の列車はまだホームに止まっていました。ラッキー! 昭和42年 長万部駅
長万部から室蘭本線を旭浜方面に歩くと、すぐ鉄橋がありました。草を掻き分けて行くと、丁度下りC57の列車が来ました。
今は昔。空のセキを大量に牽引して、専用列車が夕張方面に出発して行きました。 昭和41年 追分
追分機関区(ちょうど右側がそうです)を見学していたら岩見沢行のC55の普通列車が追分駅を出発して行きました。 昭和41年 追分
ボイラー上部が欠けた変形煙室扉のD51です。戦時型だそうですがまだこんなのがいたとは驚きでした。ライトの
位置が低いので奇異な顔になっています。双方とも休車状態の様でした。 昭和41年 追分機関区
栗沢で上り貨物列車と交換する朝の岩見沢行普通列車です。この日はD51の重連でした。 昭和45年 栗沢駅
千歳線は沼ノ端~札幌を結ぶ短絡線であり大動脈でもありました。途中、前後に10~15パーミルの勾配がある西の里越えの
ため貨物列車は重連になることが多く、D51のほかにもC57やC58が補機で活躍していました。 昭和45年 千歳
旧西の里信号場にも行きました
客扱いしない信号場に、いったいどうやって行ったんでしょうか
今は新線に切り替わり思い出となった西の里信号場。駅員さんはいましたが、どうやって下車したんだろう? 昭和45年 西の里
信号場のすぐ下は勾配を緩和した新線が敷設中でした。信号場に停車中のC58の専用貨物。 昭和45年 西の里
釧路行特急「おおぞら」です。西の里が華やぐ一瞬です。 昭和45年
信号所の母屋を入れて撮りたいと思い、札幌行北斗(北斗も走っていたんですね)停車を入れての全景です。建物が傾いています。
今度は札幌行「おおぞら」とDC急行の交換です。板張りの小さい簡易ホームから。しかし良くここで撮らしてくれましたね。
千歳方面から専用貨物が10パーミルの勾配を登ってきました。後部にD51の補機を付けています。 昭和45年 西の里付近
西の里からどう帰ったのかも覚えていません😢
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