鹿児島本線ほか

 
とりあえずは田川線、久大線、肥薩線
などにも行ってみました。親戚の家の
訪問を兼ねた南九州早回りの旅です。

  
 

まずは田川線です。多くのファンは反対側の勾金から来る石炭満載列車を撮るのですが、ひねくれ者の私は、下り列車の崎山から10‰の勾配をカラセキで油須原に向かう姿が俯瞰出来る場所まで歩きました。遠くから列車が見える絶好のポイントだったのですが、勾配を登っているのに煙が全く見えませんでした。  昭和44年 崎山〜油須原
 
 
 
 
 
 
 

 
こういう時は泣けますね。でも9600はもう嫌と言うほど撮っているので落胆は無く、駅まで歩く暑さに参りました。
 
 
 
 
 
 
 

 
下り列車が油須原を出発
、勾金に向かって10‰を下る列車で誤魔化しています。  以上  昭和44年 油須原
 
 
 
 
 
 
 

 
久大線に入り、勾配を登る区間を探して湯平で降りました。庄内からD60は歯切れの良いブラストで急勾配を登ってきました。 昭和43年 庄内〜湯平
 
 
 
 
 
 
 
 

 
続けて鳥栖方面へのD60牽引客車列車がやってきました。基本的に門鉄式デフは好きになれないのにD60にはなおさら似合いません。   昭和43年 庄内〜湯平
 
 
 
 
 
 
 
 

 
晴れていれば由布岳が見えたかもしれませんが、小雨までパラついて、しかもD60は標準デフなのに絶気。  昭和43年 庄内〜湯平
 
 
 
 
 
 
 
 

 
夕方、湯平からDCに乗って大分に戻る途中、小野屋駅で鳥栖行の列車と交換をしました。分かっていたので窓から1枚です。
 
 
 
 
 
 
 
 


大分から豊肥線のC58牽引の列車が出ていました。すでに架線が張り巡らされています。    昭和43年 大分駅
 
 
 
 
 
 
 

 
これは中津車庫にいた 大分宇佐参宮線 のロッド式駆動のDLです。まだ小型蒸機はいたはずなのに姿は見えませんでした。

 
 
 
 

 
 
 

 
代わりに、木造古典客車が列をなして車庫まで連なっていました。私はこのほうが楽しいし、遥かに関心がありました。  中津駅
 
 
 
 
 
 
 
 

 
昭和39年、日豊本線・臼杵の親戚の家に行きました。宮崎のC5555が通常デフで客車を牽引していました。55号機はC55の中では短命でした。
 
 
 
 
 
 
 

 
 昭和39年には大分以南の臼杵ではまだD50、D60が見られました。特急「富士」もここで撮れば良かった(^^)。  臼杵〜上臼杵
 
 
 
 
 
 
 

 
それから4年後に再び臼杵を訪れましたがもうC55は日豊本線ではほとんど見られず、C57がDF50と一緒に走っていました。
 
 
 
 
 
 
 

 
肥薩線大畑駅から真上に登る道があり、ループ線に出ますが、そこから人吉方面を臨むとこんな感じで撮れました。 

 
 
 
 
 
 
 

 
正直、ようやく蒸気機関車らしい光景に出会えました。大畑からループを登る朝の客車列車です。これは感動しました。  昭和45年 大畑〜矢岳
 
 
 
 
 
 
 

 
肥薩線ももっと撮りたかったのですが、駆け足の九州だったので、この程度しか撮れませんでした。重油を積んでこの煙は素晴らしい!
 
 
 
 
 
 
 

 
重装備のD51が混合列車を牽引して、えびの高原を登ります。もうこの頃は荷が少なく単機牽引でした。  昭和45年 大畑〜矢岳
 
 
 
 
 
 
 

 
客車1両と客車と荷物車の合造車1両のたった2両を牽引して、人吉行が音もなく下ってきました。後補機付きは夕方に1本あっただけでした。
 
 
 
 
 
 
 

 
同じD51とは思えない本格的重装備に改造された肥薩線用のD51。敦賀式の大きな集煙装置にドーム後の重油タンク。言う事ありません。  吉松
 
 
 
 
 
 
 

 
鹿児島のC57が吉松に来ていました。これは4次型のC57で、給水温め器がカバー化されデフも上部が45度に切り取られ密閉式キャブ、船底テンダーとC59タイプになっています。私は4次形の写真は少なく、機関区まで追いかけて撮りまくりました。 昭和45年 吉松駅
 
 
 
 
 
 
 

 
鹿児島本線です。土地感がないので、出水駅で降り西出水寄りに歩いてみました。C61の上り普通列車がやってきました。  昭和44年 出水〜西出水
 
 
 
 
 
 
 

 
雨が降って来たので駅に戻り、丁度やってきたC61牽引の普通列車の出発を撮りました。       昭和44年 出水
 
 

 
 
 
 
 

 
下り寝台特急「あかつき」がやってきました。DD51の牽引でしたが、C61の時ってあったのでしょうか?   昭和44年 出水

 
 
 
 

 
 
 

 
薩摩松元寄りに線路沿いを下って行くと彼方からC60牽引の下り客車列車がブラストを響かせて登って来ました。C60が力行する姿を初めてみました。
 昭和44年 上伊集院〜薩摩松元

 
 
 
 
 
 
 

 
その後、上伊集院に戻りました。ちょうど鹿児島に向かうC60牽引の普通列車が発車して行きました。   昭和44年 上伊集院
 
 
 
 
 
 
 


 
列車名は不確かですが臨時急行「霧島」だったように思います。D51が牽引してきました。    昭和44年 上伊集院
 
 
 
 
 
 
 

  
鹿児島駅を出発する上り普通列車。駅前には何もない寂しい田舎駅だった記憶があります。  昭和44年 鹿児島駅
 

 
 
 
 
 
 

 
鹿児島駅で出発を待つ上り客車列車牽引機はC61で、唯一門鉄デフを付けた13号機でした。    昭和44年 鹿児島
 
 
 
 
 
 
 
 

 
駅から歩いて鹿児島機関区に行きました。結構遠くて距離がありました。機関区にはC61、C57、8620
がいました。広い機関区でしたが機関車は数えるしかいませんでした。        昭和44年 鹿児島
 
 
 
 
 
 
 

 
このハチロクはバック運転の時に視界が良いC56式のテンダを付けていました。初めて見ましたが九州でも新しい発見があったのですね。
 

 
 
 
 
 

 

 
機関区の庫には所狭しと機関車が押し込まれていました。既に休車も多かった様です。
 
 
 
 
 
 
■もったいないスナップ
 
 
 
 

日豊本線回りの西鹿児島行特急「富士」です。もっといい所があったのに、親戚の家に行った時で、自由が利きませんでした。 上臼杵

 
 
 
 
 
 
 

 
これも鹿児島本線のどこの駅か分からない謎の写真です。ま、両方とも旅のスナップと思って下さい。撮影者は友人の姉です。

 
 
 
 
 
九州はまだまだ行っていない路線も多く、きっと我々の知らない名場面がたくさんあったのでしょうが、記録としてはこんなところで終わっています。もっと時間をかければほかにもいろいろなところに行けたのですが、どうも思いが東北や北海道に偏っていたように思います。



インデックスに戻るにはブラウザの
「戻る 」を使って下さい