常 磐 線
大型ハドソンの活躍場所でした
私たちが常磐線の蒸気機関車を初めてみたのは上野駅でした。水戸電化の直前で大型ハドソンがまだ首都圏を走っていたときです。 ただそのころは中学生になったばかりで、ちゃんとした写真など撮れるはずもなく、私たちがカメラにしっかりと常磐線の蒸機を収めるようになったのは平電化後のことです。そのころハドソン群は平機関区に集結して仙台までの未電化区間で最後の活躍をしていました。 常磐線の白眉であったC62牽引の特急「ゆうづる」の撮影は早朝でしかも高速でやってくるので苦労もそれだけ多かったのです。ASA100のフィルムでは、レンズは一番明るいF1.2 まで開ける必要があり、カッチリした写真は不可能でした。 待っている間に時折ハドソンに混じって走ってくる、C57やD51が極端に遅く感じられたのを思い出します。 |
早朝5時半すぎにやってくる特急「ゆうづる」。かなりのスピードなので高速シャッターで切らねばならず厳しい撮影となりました。これは2倍増感しています。「ゆうづる」を全編成入れて撮るのは難しかったと思います。 昭和42年 末続〜広野 |
亘理と岩沼の間に逢隈という信号場がありました。今ではモダンな駅になっています。列車交換のあと逢隈を出発する上り普通列車。 昭和40年 逢隈信号場 |
C60の牽く朝の上り普通列車。バスがいいですね。 昭和40年 四ツ倉〜久ノ浜
午後の優等列車上り急行「第1みちのく」です。唯一の青森〜上野間昼間急行でした。 昭和40年 四ツ倉〜久ノ浜
仙台のC61が昼の機関区で休んでいました。あまり見なかったけど、C61も結構走っていたんですね。 昭和41年 平機関区
四ツ倉には英国ナスミスウィルソン製、磐城セメントのタンクロコが顔を出していました。 昭和40年 四ツ倉
ナスミスウィルソンを横目に、下りD51貨物が出発して行きました。 昭和40年 四ツ倉
貨物列車と交換後、夕刻の亘理を出発する上り普通列車。既に貨車は尾灯、C62はライトを点灯しています。 昭和40年 亘理
これはC57牽引の臨時急行「第2ひめかみ」とのことですが、常磐線回りだったのでしょうか。急行名のサボは着いていますがこれが第2ひめかみかは自信がありません。本来の「ひめかみ」は東北線だったようですが。 昭和40年 逢隈信号場付近 |
C62の牽引する水戸行普通列車が一ノ関行普通列車と交換して出発していきます。 昭和40年 四ツ倉
珍しくC60が平に来ていました。これはお召機だった名残りでしょうか、シリンダに装飾が残っています。 昭和40年 平機関区
平機関区の58660が高萩に来ていました。ランボードのキャブ下がS字になっています。英国風で気品がありました。 昭和40年 高萩
東北ではあまり見られないC50が高萩機関支区にいました。ただ関東に近い日立駅には、毎日のように入れ替え作業で行っていたようです。日立では何回か撮っています。日立のC50は関東に入れてあります。 昭和40年 高萩 |
なめくじ会「としちゃん」のカラー
「としちゃん」は当時としては珍しいカラーで「ゆうづる」を撮っています。ネガカラーですが早朝に高速で疾走するC62をとらえるのは難しかったと思います。赤いヘッドマークが鮮やかです。 |
夏も終わりのある日の早朝です。「ゆうづる」 はまだ夜も明けきらぬ薄暗いころにやってきます。しかもかなりのスピードで通り過ぎるので、シャッターは1/500以上でないと止まってくれません。当時としてはこれが精一杯の撮り方ではなかったでしょうか。そしてわずかこの1ヶ月後にC62牽引の「ゆうづる」は姿を消したのです。 昭和42年 四ツ倉〜久ノ浜 |
同じところで上り「はつかり」も撮っています。常磐線黄金時代の最期でした。 昭和42年 四ツ倉〜久ノ浜
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