北海道の蒸機補遺
 

北海道の機関車の撮影はほとんど山線のC62重連に費やしたため、それ以外の路線の写真はあまり多くは撮っていません。行程の合間に立ち寄ってスナップした程度で手抜きの写真が多く、苦労して撮影場所を見つけて撮った会心の1枚などという写真ではありません。
C62の感動のあとで、地方ローカル線で走る9600やC58などは撮る気にはなれませんでした。それでも何カットかは撮っていますので他の路線に入れなかった写真を何枚か選んで補足としました。

 
 
 

深川から日本海に向かって走っていた留萌本線には途中恵比島と峠下の間に前後10パーミルのなだらかな峠があり、長大な石炭満載の貨物列車を運搬するため、 ここではD51の後部補機が連結されました。ここにはバークシャーのD61がいて一度は訪れなければならない路線でした。旅館で寝ていると早朝すごいブラスト音が聞こえてこれで目が覚めました。D61の牽く下り石炭専用列車ですが、恵比島よりには後部補機が入る良い撮影場所はみつかりませんでした。          昭和46年 恵比島〜峠下
 
 
 
 
 
 
 

 
夏の朝、峠下を出発する9600牽引の下り貨物列車です。     昭和46年 峠下
 
 
 
 
 
 
 

 
午後、峠下から恵比島に向かう貨物列車。D51の後部補機付でしたが写真には写りませんでした。   昭和46年
 
 
 
 
 
 
 

宗谷本線朝一番の名寄発上り客322レです。C55はここでは昭和49年ころまで見ることが出来ました。 昭和47年 風連


 
 
 
 
 
 

 
昼の貴重なC55牽引列車だった上り324レ。深名線の分岐点近くです。    昭和46年 名寄
 
 
 
 
 
 

 
上り普通324レが名寄を出発します。美しいスポーク動輪のパシフィックでした。すでにDD14が入っています。   昭和47年 名寄
 

 
 
 
 
 


名寄駅でC55同士の列車交換がありました。他に撮りようがないので、跨線橋からの撮影となりました。手前がC55と分かりません。

 
 
 
 
 
 

 
北海道の秋の夕暮れは早く、この日は名寄線の峠に向かい最終重連は低速で登って来たので1/125、開放で撮っています。

 
 
 
 
 
 

 
幌内線にも行きました。客車はすでに廃止されていましたが、石炭列車は頻繁に出ていました。広い構内です。   昭和47年 幌内
 
 
 
 
 
 

 
三笠から幌内に向かう下り貨物列車が歯切れの良いブラスト音を響かせて、やって来ました。  昭和47年 背後は国鉄三笠駅
 
 
 
 
 


幌内立坑櫓は幌内駅から更に山奥に急勾配で登って行った先にあります。空のセキを9600はバック運転で凄いブラストで押し上げて
行きました。雨の日は空転して、まさしく幌内でのハイライトでした。 録音を聞いても激しく空転しています。           

 
 
  
 

 
終焉間近のD51貨物列車が平坦な室蘭線を意外と煙を吐いてやってきました。   昭和48年 栗丘〜栗沢
 
 
 
 
 
 

 
室蘭機関区で見た9600です。デフもなくエプロンには手すりがついていて、まさしく入れ替え専用でした。
 
 
 
 
 
 


これもなめくじのD51です。まだデフが切り詰められる前の美しい姿です。黒松内駅はこんなに広い構内だったのです。
 
 
 
 
 
 

 
最初に渡道したのは急行「ていね」の時代です。小樽築港で見たときは、もう廃車の決まっていた30号機が先頭の姿だったので、煙よりも  
廃車前の30号機(27号機は既に廃車になっていました)を普通に撮りたくて、塩谷駅をゆっくり通過する上り前補機の30号機を狙いました。


 
 
 



黒松内と蕨岱の間には僅かながら上り列車が煙を吐く上り勾配がありますが、C62重連の「ニセコ」はこれをものともせず突進してきました。
少し場所を間違えたようで、勾配票を確認してもっと黒松内方面に行くべきでした。見晴らしがよく、ついこの場所で狙ってしまいました。 


 
 
 

 
ここは旧西の里信号場です。上り貨物列車が15%を登って来ました。もう信号場なので後補機のC58も煙を吐いていません。 西の里信号場
 
 
 
 
 
 

 
東札幌の操車場です。千歳線に入る列車が殆どなので、後補機付きが多かったのですが、うまく撮れませんでした。
 
 
 
 
 
 

 
雪の旭浜でD52の貨物を狙っていたら、珍しく単行で寒地用キハ21がやってきました。1両というのもいいですね。
 
 
 
 
 
 

 
北海道にはC11は少なく、これが本線を走っていた路線は日高本線、標津線、瀬棚線くらいで、私の撮ったC11はこの写真しかありません。このカマは長万部の所属で、瀬棚線で貨物を牽引していました。 瀬棚線には2往復の貨物が走っていましたが、とても撮りに行く時間はありませんでした。          昭和42年 長万部



 
 
  

 
ここは函館本線の余市駅です。昭和41年の撮影ですが、C57の200番が停まっていました。いわゆる4次型で
しかもおかしな三つ目ライトです。後ろはD51ですがこのC57は当時は小樽築港に配属されていて、朝夕の近
距離列車に使われていたような覚えがあります。 この200号はこののち、狩勝峠越えにも使われたようです。
 
 
 
 
 
 
 

夕方、急行「ていね」がC622号機に牽かれて函館駅に到着です。これから青函連絡船に乗って帰るところでした。さようなら北海道

 
 
 

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