伯 備 線

阿哲峡の風景

伯備線・備中神代と新見の間の山間に布原という信号場がありました。3重連で一躍有名となった撮影地です。
朝の9時すぎホッパー専用列車が備中神代から布原まで勾配を下り込んできます。布原で列車交換のあと、新見に向かって25パーミルの上り勾配が始まりすぐトンネルが待ち受けているため、トンネルまでの200mを猛然と3両のD51がダッシュするする姿がファンの血を沸かせました。
このシーンは限られた200mの間でしか展開されなく、撮る写真はみんな同じようになって一度は見てみたいとは思っていましたが、仲間は蒸気機関車が終焉を迎えようとしているときでもあったので他の線に走っていました。
ただひとり「なめくじ会」現役メンバーの「しゅうちゃん」が昭和43年と45年に布原を訪れています。
伯備線は備中神代と布原間の阿哲峡が風光明媚な渓谷として有名でした。「しゅうちゃん」は3重連はさておき、この阿哲峡での蒸気機関車たちの素晴らしい光景をカメラにおさめています。もちろん3重連も撮ってはいるのですが、ここでは阿哲峡の彼らの晴れ姿をご紹介しましょう。
走行写真はすべて備中神代と布原信号場間です。



 



4重連の写真を布原の駅長駅長さんに送ったところ駅長さんから丁重な手紙
    をいただきました。今となっては貴重な思い出となりました。  昭和45年    
 

 
 
 
 

昭和43年7月時点での布原の列車時刻表です。
こんなのもちゃんと作られていたのですね。
 
 
 
 
 
 
 

客823レ布原を出発。 C58単機牽引の短い客車列車です。    昭和45年
 
 
 
 
 
 
 

貨486レ ホッパー専用貨物 D51の三重連。布原信号場の手前です。煙を吐くのは布原からトンネルまでの僅かな区間だけです。  昭和45年
 
 
 
 
 
 
 
 

貨492レ D51重連。  晩年の布原信号場出発の三重連には300人も訪れたそうです。みんな同じ写真になるのに。    昭和45年
 
 
 
 
 
 
 

貨891レ C58逆向後部補機付です。こういう補機連結パターンが多かったですね。    昭和45年
 
 
 
 
 
 
 
 

客827レ C58単機牽引 線路を取り囲んでいる山の中腹を走る道路から撮ったようです。    昭和45年

 
 
 
 
 
 
 

客822レ C58単機牽引    昭和43年
 
 
 
 
 
 
 

客923レ D51重連(ダイヤ上はD51単機)布原を出発。備中神代に向かって勾配を登ります。     昭和43年
 
 
 
 
 
 
 
 

客827レ C58単機牽引 左上に信号場が見えます。私はこういう長閑な写真の方が好きです。     昭和43年
 
 
 

 
 
 
 

貨884レ C58単機牽引     昭和43年 
 
 
 
 
 
 
 

貨491レ D51後部重連補機付。 トンネルを出切っていないので分かりにくいですが、3台運転です。     昭和43年
 
 
 
 
 
 
 
 

思いがけずD51の4重連回送がやってきました。3重連が運休だったのでその影響でしょうか。  昭和43年
 
 
 
 
 
 
 
 

備中神代駅です。看板は次の駅は布原ではなく新見となっています。     昭和43年
 
 
 
 
 
 
 
 

布原の後は備後落合に泊まりました。備後落合には木次線のC56がいました。「ちどり」のヘッドマークステイが残っています。  昭和43年
 
 
 
 
 
 
■播但線 ほか
 
 

 
播但線で朝の通勤列車をC11が牽引していると言うので、ちょっとだけ立ち寄ってみました。   昭和44年 溝口〜福崎
 
 
 
 
 
 
 

 
次駅まで歩いたらC57の牽引する貨物列車が止まっていました。京都時代の形式入りプレートが替えられていました。  福崎駅
 
 
 
 
 
 
 

 
更にもう少し先の峠の下の駅、長谷まで行くと崩れそうな工場脇にC57の貨物がいたので、これもちょっと降りて撮りました。
 
 
 
 
 
 
 

 
下り列車があれば、煙を吐いて生野に登って行ったのでしょうが、絶気で降りてくる上り列車ばかりでした。  長谷付近
 
 
 
 
 
 
 

さっきの貨物が生野に登っていきますが、ド逆光でした
もうC57は十分なので、これで姫路に帰りました。 長谷
 
 
 
 
 
 
小郡にて
 
 

 
山陽で重量貨物や補機で活躍していたD52です。正統派は何となくイメージが違います。電化後もしばらくは残っていました。  小郡機関区
 
 
 
 
 
 
 

 
本来はこのD60が山口線のカマだったのです。C57とかC56とかD51などではなかったのです。大きな集煙装置が特徴でした。  小郡機関区
 
 
 
 
 
 

インデックスに戻るにはブラウザの
「戻る 」を使って下さい