花 輪 線


ハチロクが33.3パーミルの急勾配を
3台運転で挑んでいました



東北本線に行くときには必ず立ち寄った路線でした。そもそもこんなところにハチロクが走っているなんて誰も知らなかったのですが、これも本島三良氏の写真集を見て一堂がえっ!と驚いたのを思い出します。しかも33.3パーミルの急勾配を機関車3台で運転しているというではありませんか。しかしながら高校生の時はここまでの遠出はなかなか難しいものがありました。なめくじ会の何人かは40年にも行っているようです。
岩手松尾と竜ヶ森の間は延々と7キロ以上の上り勾配が続き、竜ヶ森をサミットとして反対側の赤坂田との間で専用補機が2台使われていました。双方の駅には転車台がないため補機は下り列車は正向、上りは必ず逆向きとなり、従って赤坂田から竜ヶ森に登る列車は撮影には不向きでした。
補機連結のパターンは何種類かあり、補機2両が下り列車の前に付くと見事な前部3重連となりました。私たちが初めて訪れた昭和41年には定期運用で3重連がありましたが、しばらくして後部2両連結となり3重連は一時期見られなくなりました。
竜ケ森近くの高台で待っていると岩手松尾出発の汽笛が聞こえ、そのあとブラストが延々と続き目の前に機関車が現れるまで10分以上もかかり、しかも張り裂けんばかりのブラストでゆっくりと通過していくという夢のようなシーンが展開されました。
この花輪線には四季を通じてかよい続けました。写真は昭和41年から44年までです。






サミットの駅、早春の竜ケ森駅です。赤坂田に向けて回送の2連単機が休んでいました。どういう運用だったんでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 

 
駅長さんにお願いして駅舎の2階から撮らせてもらいました。さわやかな春の陽ざしです。山の樹木が少ないですね。
 
 
 
 
 
 
 

冬にはスキーの臨時列車「銀嶺号」が竜ケ森まで走りました。バックは昔の竜ケ森スキー場です。44年はまだ走っていました。
 
 
 
 
 
 
 


赤坂田側のトンネルを出るハチロク。珍しく通常の前照灯に形式入りプレートでした。 
 
 
 
 
 
 
 


雪解けの時期です。赤坂田から朝の上り1326レ客車列車が、珍しくデフなしのハチロクで登ってきました。
43年です。
 
 
 
 
 
 
 
 

冬は樹木の間から線路が見えます。貨物は短いのに後補機2台がついています。
 
 
 
 
 
 
 


赤坂田から竜ケ森に登る上り列車の後補機は逆向きで、あまり絵になりませんでした。 







真上に煙が上がっているので、列車方向が分かりませんが、右方向の竜ケ森に向っています。3台運転を画角一杯に捉えた素晴らしい写真です。
 
 
 
 
 
 
 

 
当時は樹木も少なく、脇の道路から容易に順光で撮ることが出来ました。朝の上り1326レ客車列車です。
 
 
 
 
 
 
 


後部補機2両を従えて竜ケ森に挑みます。これは後補機が2両とも正向なので絵になります。どうしても松尾側で撮る方が多くなります。
 
 
 
 
 
 
 
 

 3台のハチロクのブラストが大場谷地峠に響きます。ときどき3台のブラストの足並みが乱れました。これは岩手松尾側の下り列車です。

 
 
 
 
 
 

 
 花輪線の唯一の急行だった「よねしろ」です。この美しい急行塗装が真っ黒な機関車ととても対象的でした。
 
 
 
 
 
 
 
 

いつも前面写真ばかりなので後部補機が押し上げる迫力を撮りました。大場谷地峠越えのシェルパでした。

 
 
 
 
 
 

松尾の出発から延々とブラスト音と汽笛が聞こえました。ハチロク3台の共演です。色々な補機パターンがありました。







デフのないゼブラ塗装のハチロクが来ました。花輪線にはいなかったカマです。調べてみると40年の時点では釜石機関区に所属していてその後、盛岡に配転となった異端児です。本務機が蒸気で見えません。昭和42年の撮影です。

 
 
 
 
 
 


これは岩手松尾付近で遊んでいたため、竜ケ森から下ってくる所しか撮れなかった朝の1326レです。









一旦途絶えた前部3重連が44年には復活しました。短い貨物ですがハチロク3両は煙を吐いています。







昭和41年8月、台風の被害で東北本線浅虫付近が不通となり、花輪線経由で走った迂回の「はつかり」です。以降、花輪線に特急が走ったという話は聞いていません。「はつかり」は最優先特急だったのですね。









爽やかな早春。残雪の山々をバックに長い貨物を後補機付で竜ケ森に挑む姿は圧巻でした。3重連が途絶えた昭和43年です。
 
 
 
 
 
 
 


岩手松尾を出発して33.3‰が始まるところです。遠くに駅が見えます。昔は何もない所だったのですね。









3重連の幕開けです。まず竜ケ森方面から後部補機2台の384レが岩手松尾駅に到着します。








左は竜ケ森方面から下ってきた384レの後部重連補機です。384レの到着後、今度は盛岡方面から389レが単機牽引で到着します。この重連補機がこのあと389レの前部に付きます。       









384レが盛岡方面に単機で出発して行った後、389レの前部に切り離された2両の補機が連結され、みごとな前部3重連となります。定刻389レの発車です。凄い運用をしていたものです。  以上3枚 昭和41年 岩手松尾








 
陽の暮れた岩手松尾に客車431レが到着。待ち構えていた2両の補機が客車6両の最後尾に連結されます。これは客車6両ですが、前3両のみ使用され、後部3両は回送で幌がなく、乗車は出来ませんでした。どういう客車の運用になっていたんでしょうか?未だに分かりませんが、いずれにしてもハチロク3台で牽引した定期列車でした。1日の最後を締めくくるドラマでした。17時37分、431レはホイッスル3笛のあと重連後補機付き3台運転で竜ケ森に挑みました。陽の長い夏場に走行写真を撮っておけばよかったと悔やまれてなりません。      昭和42年 岩手松尾
 
 
 
 
 
 
 
 最後に
 
 
 
これは昭和40年にしゅうちゃんが撮った北森の1326レです。本来ハチロクは長閑な田舎の田んぼを走るのが似合っていて、大場谷地のような急峻な峠を登る機関車ではなかった筈です。なんで旅客用で俊足の8620形を使っていたのでしょうか?今もって謎です。 それにしてもバックの巨大な藁ぶき屋根の農家が凄いですね。
 
 
 
 
 
 

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