鉄 道 風 景

北海道 その1

 
管理人が東京から札幌に転勤となり6年間撮り続けた
北海道の鉄道、また福岡に赴任して九州の汽車を追いかけた
30歳代から40歳代の鉄道遍歴です。撮った枚数は多いのですが、
その中でも思い出の写真をお届けしましょう。私の鉄道史でもあります。

 
 

 
北斗星の登場は私が札幌赴任5年目でした。夢の豪華列車が札幌と東京を走りました。札幌駅がまだ地上ホーム
 だった頃の上り 「北斗星2号」です。バックに高層ホテルが綺麗に見えました。この光景も過去のものとなりました。
 
 
 

 
札幌から近いこともあり万字線にもよく行きました。思い出多い線です。途中の上志文にあった萩の山スキー場
で滑ったこともあります。秋は紅葉が綺麗でした。私が赴任後3年目に廃線となってしまいました。最後に走った
「さよならまんじ号」です。キハ27の長い編成の列車でした。                       万字炭山駅
 
 
 

 
万字線に珍しく特雪が走りました。豪雪とはいきませんがDD14は雪を吹き飛ばしながらやって来ました。  美流渡〜万字
 
 
 

 
札幌から中山峠を越えて洞爺湖脇を抜けると内浦湾に出ます。北舟岡は海沿いにある小駅で釣り人が
沢山来ていました。強引に海を入れて撮りましたがバックの伊達紋別の町並がちょっとうるさいですね。
内浦湾沿いにはよく来ました。80形特急は他に「おおぞら」と「北斗」を撮ることが出来ました。  北舟岡
 
 
 


室蘭線有珠駅を通過する上り「北斗」です。国道37号線から撮りました。夏の暑い日でした。まだヘッドマークが
絵入りではない頃です。この内浦湾には十分日帰りで行くことが出来ました。                有珠駅
 
 
 

 
帰りは胆振線に沿って札幌に北上しました。喜茂別までは国道453号を走ると胆振線のキハ40を ところどころで
 写すことが出来ました。これは新緑の時期に蟠渓で撮りました。この胆振線も1986年に廃止されてしまいました。
 
 
 

 
胆振線には特雪がよく走りました。ただ全線を除雪するわけではないので羽を広げるところで撮らなくてはなりません。
喜茂別駅で停車中のDD14の乗務員(保線区員)に除雪の場所を聞いてからの出撃となります。       新大滝付近
 
 
 

 
函館本線山線にもよく行きました。ここのハイライトは80形「北海」とDD51重連の「ニセコ」でした。山線も日帰り
で行きました。まだ若くて元気だった頃、遠出も苦になりませんでした。。       然別駅通過の上り「北海」
 
 
 

 
札幌赴任の1983年の頃は14系客車も7両を連結していてDD51の重連とよくマッチしていました。季節には
増結も行われ 長い編成となりました。山線のよき時代でした。先頭のDD51がライトを点灯してくれました。
 
 
 

 
山線の小沢から岩内線が出ていました。 昔は二つ目のキューロクが走っていたところです。懐かしさはひとしおでした。
初夏の最高の季節に再訪しました。この線もひっそりと1985年に廃止されました。幌似駅停車の下り岩内行列車です。
 
 
 

 
富内線も地味な路線でした。狩勝峠に行くときには日勝峠のふもとにある終点日高町に必ず立ち寄りました。
この線も1986年秋に廃止されました。 これは最後に走った臨時「さよなら富内線号」
です。普段は5両編成の
長い列車など走らないので駅長さんが旗を振って停止位置を知らせています。               振内駅
 
 
 

 
廃線間近になり一躍有名になった広尾線幸福駅です。最終日は快晴の天気で真っ青な空と白い雪、そして
キハ40の赤がとても美しいコントラストをかもし出していました。この線も
1987年に廃止されてしまいました。
 
 
 

 
根室本線新得駅です。狩勝峠に行くときにはこの新得駅前でよくクルマ寝しました。夜の列車を撮れるからです。
夜行「まりも」がお目当てでしたが時折やって来る貨物列車も狙いました。この時は霧が出て幻想的な夜でした。
 
 
 

 
釧網線の川湯駅を線路沿いに少し緑方面に行くと バックにアトサヌプリ(硫黄山)が異様な姿を見せます。中腹から白い煙
を上げています。線路はここから緑に向かい急勾配が続くため 貨物列車はDE10の重連でやって来ました。   川湯付近
 
 
 

 
湧網線が能取湖畔を走っていました。湖を入れて撮れるところを探したのですが 結局卯原内近辺しかなかったように
思います。朝方の中湧別行キハ22が単行でやって来ました。右側に見えるのが能取湖です。    卯原内駅ホーム
 
 
 

 
相生線の最終日です。美幌から1985年3月31日にお別れ臨時列車が走りました。この相生線も地味な路線で
木材の搬送が主目的とはいえこんなところによく線路を通しました。この日は渚滑線も最後で掛け持ちで2線に
に行きました。こんなことなら普段撮っていればと悔やまれましたが、なかなか行きにくい路線でした。  津別
 
 
 

 
網走湖畔のホテルに泊まったときは夜カメラを持って呼人まで来たものです。札幌行急行「大雪」がここで運転
停車をしました。すでに無人駅になっていましたが構内は明るく
バルブで撮ることが出来ました。    呼人駅
 
 
 

 
札幌赴任後最初の秋に石北本線常紋信号場に行ってみました。昔信号所の建物があったところはポイント部分とともに
大きなシェルターで覆われており、 常紋トンネルからスイッチバックに入るシーンは撮れなくなっていました。 ただこの頃
はまだ引き込み線に入る貨物列車もあり 信号場はしっかり生きていました。DD51の重連は総括制御ではなく各種合図
のホイッスルが常紋の山々に響き渡りました。                        常紋信号場に入る下り貨物列車
 
 
 

 
山深い石北本線中越駅で下り183形「オホーツク」と上り80形「おおとり」の交換が見られました。石北本線には
魅せられたように何度も通いました。「オホーツク」はここから峻険な北見峠に挑みます。         中越駅
 
 
 

 
白滝でも下り「おおとり」と上り「オホーツク」の交換が見られました。ここは先に80形「おおとり」が到着しますのでバルブ撮影
が出来ました。この頃は白滝でDD51補機の連結開放を行っていて水銀灯が明るく構内を照らし出していました。    白滝駅
 
 
 

 
とにかく地方ローカル線は1日数本しか列車がありませんでした。ですからその1本が貴重であらかじめ時刻を調べて
スケジュールを作りそれに合うようにクルマを運転しました。これは渚滑線奥東駅です。板切れの簡易ホームだけの仮
乗降場でした。春まだ遠い紋別市上渚滑町です。走り去るコトンコトンという列車の音だけが静かに聞こえていました。
 
 
 

 
天北線・浜頓別の夜です。クッチャロ湖畔のホテルにもよく泊まりました。ホテルに行く前にしつこく下り北見枝幸行列車を
 ホーム跨線橋から撮りました。端っこのホームで キハ22が出発を待っていました。アイドリングの音が聞こえてきそうです。
 
 
 

 
夏の天北線曲淵駅です。 少年が二人稚内行列車を待っていました。キハ22が1両でやって来ました。駅長さんが
所定の位置に立ってタブレットの受け渡しを行います。下り14系客車急行「天北」通過の前ののどかな一時です。
 
 
 

 
真冬の天北線に特雪が走りました。このときはDD14除雪車が足りず 列車は丸2日間運休となりました。ようやく
どこから駆り出されたのかDD14の登場となりましたが沿線の雪があまりにも多く除雪ははかどりませんでした。
朝方稚内を出た特雪は夕方日が傾く頃、ようやく曲淵と小石の間にたどりつきました。そして とうとう小石からは
除雪は中止して雪が体中にこびりついたDD14はいずこともなく引き上げて行ってしまいました。    小石付近

 
 
 

 
留萌本線にDE15ラッセルが走っていたので撮りに行きました。両翼の羽は広げているのですがこの日は
雪が少なく豪快に跳ね飛ばすシーンは見られませんでした。
DD14が北海道から消えた現在は冬はこの
DE15が頼りとなりました。この当時はDD14に夢中でラッセルはほとんど撮っていません。      峠下
 
 
 

 
最後はやはり特雪です。後志の連山をバックにDD14が豪快に雪を飛ばしながらゆっくりやって来ました。
顔を出す前からDD14重連のエンジン音が聞こえました。 ロータリーを回すガラガラという動力音と一緒に
なると一種独特の音となります。さらにここは20パーミルの勾配でまさにDD14はエンジン全開です。然別
を発車してからこの跨線橋まで30分以上かけて来ました。                    然別〜銀山
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 北海道・その1はこれでおしまいです。その2では
 全道の懐かしい列車を回顧してみたいと思います。