東ドイツに原型01を追いかけて


第一次世界大戦後1925年に統一ドイツのボルジッヒ工場で名機01は誕生しました。このころ西欧諸国の鉄道は高速化の時代を迎えましたが、この01の登場はそのさきがけとなる極めて高速高性能な機関車でした。さらにその性能とあわせてドイツ特有の機械美が全身にあふれていたことも名機といわれた所以でした。
特大のボイラーに直径2メートルのスポーク動輪、長く突き出たデフレクター、直線美あふれるパイピングなどドイツの蒸気機関車の第一人者である篠原正瑛氏が絶賛する01は際立った蒸気機関車の美しさを備えていました。氏はまたこんなことを自書のなかで述べています。
機関車は生まれたお国柄を端的に表している。英国はまさしく気品のある貴族的な美しさだ。マラードなどはその代表であり、フランスは曲線を多く取り入れ芸術的であり230G形などはその典型である。アメリカは実用オンリーでそれを追及するあまりビッグボーイのような巨大機関車を作りあげた。
私は氏の言われることはもっともだと感心した記憶があります。とりわけ、01について「01の美しさは最高のメカニズムから生まれた機械美そのものにほかならない」と述べられていたのには「その通りだ!」と思わず叫びました。
75年にライネの01-2を見ましたが、やはり改造された姿はオリジナルにはほど遠く、お世辞にも手の行き届いた美しいカマとは言えませんでした。なかには手書きのナンバープレートが煤けて番号の判別出来ないような機関車も走っていたのです。
ところが75年ごろ、原型の01が東ドイツのドレスデンとベルリンの間を急行を牽引してなお現役だという情報が入ってきました。東欧諸国から首都ベルリンに向かう国際急行のアンカーとして活躍していたのです。
私のこころは決まりました。
冷戦の象徴だったベルリンの壁を越えて向こう側に行かなければならないのです。これは大変なことだ、というのが本音でした。本当に一人で行けるのだろうか。不安は日ごとに増すばかりでした。
1977年8月22日、私はついに西ドイツから国境を越えて東ドイツに入ったのです。
ただただ01をみたいばかりに・・・・・




記念すべきビザです。東ドイツに入国した証です。
 


 

DRはドイッチェライヒスバーンの略です。もちろん今はありません。
このマークを見た時は感激しました
ゲルリッツの車両でしょうか。
 

 


国境駅ホフです。いかにも共産国風の大型DLが連結されました。(今となっては懐かしい132形)いよいよ東に入ります。かなり緊張していました。
 
 
 
 

ドレスデンで宿泊した「リリエンスタイン・インターホテル」です。ホテルの前には公園が広がっています。左手にはレーニン像のような彫像が。どうみても西側の景観ではありません。2021現在、唯一の国際ホテルだった「リリエンスタイン」は、減客とコロナの影響もあり、取り壊されています。 

 
 
 


 
とにもかくにも夜ドレスデンに着きインターホテルで宿泊した翌日朝一番でドレスデン中央駅に行きました。01牽引列車は予想では8時41分着ベルリンからのD1071です。定刻に原型01に牽引されて列車はやってきました。無我夢中でシャッターを切りました。 初めてみる01原型。   1977年8月23日
 
 
 

 
 



D1071は到着してしばらくホームに停車していました。となりの2階建てでくすんだ緑色の客車がいかにも共産国風で不気味でした。
 
 

 
  


9時55分着のD671はソ連風に改造された01-5牽引でした。余り感激はありませんでしたが、側線を区に引き上げるところを撮りました。
 

 
  
 
 


今日の本命、ブタペスト発ベルリン行急行「イストロポリタン」がピカピカの01に牽引され中央駅を出発します。118形DLが邪魔ですね。
 
 
 
 
 
 


ドレスデンは線路はこの先で地下ホームからと合流するためやや下りになるのですが、この時は珍しく煙を吐いて出発していきました。
 
 

 
 
 
 

カラフルな客車群の11時46分発ベルリン行「メトロポール」が最端ホームの19番線から遅れて出発です。東独は列車の遅延は毎度の事です。
 
 
  
 
 
 


ドレスデン駅は地上ホームと半地下ホームがありD673は思いがけず下のホームに到着。これはバックで区に推進していくところです。
 
 
 
 
 
 


プラハからの「パノニアエクスプレス」が到着。20分遅れで01-5牽引で出発して行きました。すでに下りプラハ行はDLに替わっていました。
 

 
 
  
 
 
 
客車が重かったのか、珍しく白煙を上げて出発していきました。
 
 
 
 
 
 


次の列車まで時間があったので駅前で市電などをスナップしました。大きなパンタの市電です。ドレスデンはタトラばかりでした。
 
 
 
 
 
 

 
市内は画一的なビルが並んでいます。その間を縫うように市電が走ります。東側のクルマも珍しいので一緒に撮りました。
 
 
 

 
 

フィルムシアターと書かれています。崩れ落ちそうな古い建物ですが、たぶんこれは
映画館なのでしょう。子供たちが入口の前で待っていました。なにか貧しいですね。

 
 

 
  
 

 
再び駅に戻って高架になっているホームから市電の停車場をスナップです。駅の正面入口はガードをくぐった
左側にあります。さすがにドレスデンは大きな駅です。ガードの向こうにインターホテルが見えます。
 

 
 
 
 
 
 


本日最後の列車は17時03分発ベルリン行急行D1071。アルトシュタット機関区で磨きぬかれた01 066が先頭に立ちます。
 

  
 

そして2日目です
 
 


ドイツ語とロシア語しかないラジオをホテルで寂しく聴きながら一晩明かし、翌朝はベルリン方面の道路脇から原型01牽引D1071を狙いましたが、遅れてきたD1071は無情にも地下ホームに。仕方なくそのまま01-5のD671を撮りました。  8月24日


 
 



 
今日はせっかくなのでライプチヒまで遊びにいくことにしました。運がよければここでも蒸気機関車が撮れるはずです。この駅はヨーロッパでも屈指の荘厳な駅だと知人に教えられ、まずは写真を撮りました。駅の柱に六体の彫像があります。駅名がライプチヒではなくなぜかオストハレになっています。東口ホールの意味でしょうか?
 

  
 
 

 
ここも駅前は市電が走っています。東独第二の都市だけあって風格のある建物が並んでいます。
ここで2時間くらい近くを散歩しました。ライプチヒは時間があれば見るところはたくさんあるのに・・
 

 
 
 



ライプチヒ駅前のトラムの停車場で少し遊んでみました。トラム単独でも撮れたのですが、敢えて人々を入れています。

 
 

 
 

 
結局ライプチヒではどの蒸気機関車を見ることなく、夕方ドレスデンに戻りました。あの大ドーム駅で01-5を見られなかったのがちょっと心残りです。ただドレスデンでは、ため息をついて見入る以外にない原型01が私を待っていました。夕方のベルリン行急行D1071の01 118が待機していました。

 


 
 


D1071の先頭に付くべくホーム先端で待機する01のサイドです。「美しい」という以外の言葉は出ません。
 
 

 
 
 


出発前もナンバープレートをきれいに磨く機関士です。








珍しく中線にも手前のホームにも列車がいなかったので、長い編成が撮れました。憧れの機関車で、このために来たのです。









結局、今日のゼロイチは17時03分発D1071の出発が2本目となりました。このときはワイドレンズが欲しかったです。
  

 
 


  
当時の夕刻に出発する列車にはベルリンまで3時間もないのにミトローパ(食堂車)がついていました。本日最期のカットです。
 
 
 
 
そして3日目です
 
  


またしてもホテルで退屈な夜を明かした翌日はドレスデン最後の日です。昼の「メトロポール」でベルリンに行かなくてはなりません。今日のD1071はちゃんと地上ホームに到着してくれました。    8月25日

 
 
 

                                

                                  
次のD1071は、昨日と同じ道路脇から狙ったのですが30分以上も遅れてきたので、その間にイストロポリタンは、かなたの線路からベルリンに向かって出発してしまいました。この01-5は正式には01-15で1は「石炭炊き」を表します。オイル炊きを石炭に戻したとても貴重な01です。
 

 
 
 


D671から切り離された01-5はしばらくホーム先端に止まっていました。中央駅は大きなドーム屋根が二つの駅です。
 

 
 
 


やがて01-5はバック運転で区に引き上げていきました。原型01との違いがよく分かります。
 
 
 
 
 


予定の時間となったので「メトロポール」で一路ベルリンに向かいます。この列車は国際列車ということもあり大変な混雑で座れませんでしたが、ノイシュタットで結構客が降り、ようやく座れました。さようならドレスデン。


 

とりあえず楽しくもあり辛くもあったドレスデンの3日間はこうして終わりました。私のビザは8月25日中に東ドイツを出なければならないことになっています。
このあとベルリンに行き、西ドイツフランクフルト行夜行列車に乗る予定でしたが、乗車駅であり国境駅でもあるベルリンフリードリッヒシュトラッセ駅でいろんなことが起こり大変な一晩を送ることになりました。その様子は「テツカフェ第3回」を是非ご覧ください。
01がいなければ東ドイツになんか絶対に行かなかったことでしょう。今思うと自分でもよくやったな、と思いますがこれも若くて怖いもの知らずだったからですね。
 
 
 

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