昭和40年代の南武支線
南武線の尻手駅から出ているいわゆる南武支線は
京浜工業地帯を走る異色の路線でした。環境汚染
も酷かったけれど高度経済成長の一過程でした。
これらの写真は日本の戦後史を表していますね。
写真はいずれも昭和41年〜44年の撮影です
支線分岐駅の浅野駅。日本鋼管の大きな工場の間を海芝浦方面に向って走っていた路線です。日中なのに交番制なのか、多くの人が乗降していました。
これは同じ浅野駅ですが、下り海芝浦行クハ16の後追いです。クモハ11と組んで4両編成で運転されていました。
今や名物駅になった国道駅です。クモハ11の貫通式前パン姿(しかも行先看板付)は、格好良かったです。良く撮っていたなあ!
これもクモハ11ですが切妻形で前パン。サイドボディの運転席下だけ下に突き出ているのも愛嬌でした。この頃の鶴見川は非常に
汚染されていて、水面にメタンガスがブクブク浮いているのが分かる危険な川でした。今では見違えるほど綺麗に変貌しています。
国道駅の次は東海道線をオーバークロスした鶴見駅です。ここの鶴見側は晴れていると逆光になります。貫通式クハ16です。
ここは特に意味のある駅ではないのですが、隣駅国道との間で走行を撮るために降りた時に撮ったと思います。 鶴見小野駅
晩年は扇町行の本線(本来は南武支線)にも20m級が入り、なぜかここで並びました。この武蔵白石から大川支線が出ていました。
この時もここで両車が並びました。ワイドレンズがなく、後ろにはこれ以上柵で下がれず、大川支線のクモハ12が入らずに欠けてしまいました。
このクモハ12は改造に改造を重ねていますが、そのためか結構遅くまで走っていました。その昔はDD13ではなく、浜川崎のC11が入っていました。
夜の武蔵白石駅の雰囲気も良かったです。昼間の喧騒とは真逆でした。ホームに「吸い殻入れ」があるのも昭和の光景ですね。
望遠を使うところではないのですが、前パンのクモハ11を撮りたくて。八丁畷のホームから400ミリで。解像力悪いです。(これは46年撮影です)
クモハ11の車内です。クモハ43のように箱型運転室かと思っていたら、これはニス塗の板壁で運転席はしっかり覆われていました。
これはもっとも簡単に行けた南武線・尻手駅です。南武線川崎行のホームの反対側にいつも17m旧形国電が停まっていました。
他にもたくさん撮っているのですが、お見せ出来るのはこんなところです