昭和41年の身延線
身延線に茶色い旧型国電が走っていました。「なめくじ会」の「しゅうちゃん」は甲府側で、私は富士側でこの身延線の国電を撮っています。貨物はED17、団臨は湘南型80形が4連で活躍していました。笛吹川も良かったし、富士山麓を行く茶色い電車も絵になりました。あまり沢山写真は撮っていませんが当時を振り返ってみましょう。 このあと10年後に再び身延線に旧型国電を追いかけたのですがそのときは既にスカ線色になっており41年時の面影はありませんでした。 |
■富士側
朝の富士電車区です。かつて横須賀線の主だった元モハ32(写真当時はクモハ14)たちが顔を揃えていました。ただ低屋根化されていて往年の面影はありませんでした。 富士電車区
これは元阪神間の省電クロハ59(2・3等合造制御車)の改造車です。2扉を3扉化したため窓配置が均等ではありません。こんな歴史のあるすごい車両がたくさんいました。
これは制御車の代表でもあるクハ47です。改造されて正面雨樋が丸くなっています。もとは横須賀線のモハ32編成の増結用制御車として登場したもの。リベット丸出しの車体です。
富士電車区から本市場駅に行く途中でED17の牽く貨物列車が富士方面に向かってやってきました。斜め横断の珍しい踏切でした。 富士〜本市場
富士に向かう上り電車です。まだこの辺は周囲が家並でうるさかったので正面だけを
望遠で撮って周りをカットしました。 富士〜本市場
富士山を入れて撮ろうと竪堀に行くと突然富士宮に向かって湘南電車が来ました。あわてて後追いで撮ると最後尾はなんと正面がまだ原型オリジナルに近いクハ86でした。
ライトが改造されているだけで木製窓枠の湘南電車がまだ現存していることに驚きました。富士宮までの団臨ですがどこのクハ86だったのでしょうか。 竪堀〜入山瀬
ここは富士山をバックにして撮れる有名な撮影地です。歩いて行ってみました。雲は出ていますがまだ山にはかかっていません。 竪堀〜入山瀬
元横須賀線用20m車クモハユニ44です。これも低屋根化されています。昼には富士山に雲がかかったので、真横から撮りました 竪堀〜入山瀬
富士宮駅に行くと先ほどの臨時列車が停まっていました。こんなところで木製窓枠のクハ86が見られるとは思ってもいませんでした。まだ残っていたんですね。 富士宮駅
西富士宮にも行ってみました。本当はここから山に向かって好撮影地があるのでしょうが、今回はここまでにしました。153形が入線しています。 西富士宮駅
帰りがけに富士駅手前で身延線が東海道線と併走するところで撮りました。屋根のデコボコが目立つ6連が走っていました。 富士駅付近
■甲府側
急行「富士川」とともに大きな独特のヘッドマークをつけていて身延線の看板列車・準急「白糸」です。全金製の美しい80形が使われていたことも特徴です。 甲斐上野〜東花輪
甲府行3連の後追いです。この先が笛吹川の鉄橋になっていて、電車は甲府盆地に入っていきます。 甲斐上野〜東花輪
静岡行急行「富士川」です。準急「白糸」が甲府〜富士間だったのに対し「富士川」は静岡まで直通で乗り入れていました。この頃身延線は通票閉塞だったのですね。
正面ヘッドマーク上にタブレットの輪が見えます。
富士行の上り電車です。これもクモハ14が先頭のスタンダードな編成です。笛吹川というのも綺麗な川の名前ですね。 甲斐上野〜東花輪
ED17牽引の上り貨物列車がやってきました。これはトップナンバー1号機です。中央東線で活躍していましたが、ED60や61の登場で支線に押しやられ
この当時は甲府機関区所属で身延線で走っていました。 甲斐上野〜東花輪
よく見ると片側にしか運転室扉がありません。大きな動輪上に車体が載っているので、後ろの貨物に比べると相当床位置が高くなっています。 デッカーの特徴だったのでしょうか。
これも運転室窓にタブレットがかけられているのが分かります。笛吹川を渡る1号機です。上の写真の後、咄嗟に流し気味に撮っています。
身延線の電車は甲府と塩山間の区間運転の運用もありました。このクハ47は珍しく正面雨樋が原型の直線となっています。左側にはEF13の牽く客車列車が見えます。 甲府駅
それから10年後の身延線と富士山
それから10年、塗装は茶色からスカ色になりました。富士山が綺麗だったので昔の入山瀬からの富士山ではなく、沼久保から歩いてクモハユニと一緒に撮った1枚です。