京王帝都電鉄
| 京王線と井の頭線は世田谷に住んでいた私たちには一番近い路線でほとんど毎日のように見たり乗ったりしていましたが、特別に魅力ある車両もなく写真はあまり撮っていません。たまたま来た電車に向かってシャッターを切る程度でした。それでも『なめくじ会』の「つーさん」はまだ現役で走っていた京王線の戦前14m車を執念で撮っています。 ネガをみてみると一応当時の各形式がありますので、「つーさん」の写真を主に昭和38年から40年の京王帝都の電車を振り返ってみたいと思います。車両もさることながら、当時の世田谷の光景が偲ばれます。 |
■京王線














■井の頭線

これは被災した戦前の車両の改造車です。制御車ですが大きな窓、埋め込みライトが特徴でした。 永福町

埋め込みライト、アンチクライマー、大きな前面窓など均整のとれたスタイルの車両でした。 東松原〜明大前

戦前の京王帝都の主力電車でした。被災で3両だけが生き延びて活躍していました。 富士見が丘

アンチクライマーが連結器上にあるので1250形とはちょっと顔つきが違っていました。 明大前〜永福町

どっしりとした感じだった1700形。このときはすでに2灯で行先板入れが取り付けられています。 永福町

これは昭和36年撮影です。まだ1つライトで行先板も吊り下げ式でした。堂々の風格がありました。 東松原〜明大前

デハ1760形です。荷電以外で唯一の両運転台車でした。単行、増結に利便性を発揮していました。 代田2丁目

増結で活躍する1763形。この頃は行先板入れが取り付けられています。左は2枚窓の1900形。 明大前

1800形です。張り上げ屋根で真ん中が狭い正面3枚窓は京王線の2600形に準じています。
ただ張り上げ屋根で埋め込み式大型ライトの2灯化は似合いませんでした。 永福町

まだライトが原型の1灯の時代です。行先板も吊り下げの大判です。独特の京王顔でした。 東松原〜明大前

湘南形2枚窓の1900形です。京王線の2700形に準じていました。 明大前

京王線の2000形の「井の頭線」版です。カルダン駆動で井の頭線にもようやく高性能車が登場しました。 富士見が丘

この1054は同じ1000形ですがライトは1灯でアンチクライマーがありません。オール1000形の美しい編成です。 東松原〜明大前

前パンタ、2灯ライト、2枚窓、アンチクライマーそしてグリーンの車体。井の頭線の昭和30年代後半の1000形
が走る日常的なヒトコマです。東大前と統合される前の木造の駒場駅も懐かしい。 駒場

そして昭和37年に登場した画期的なステンレスカーの3000形です。正面のFRP部分が着色されていました。
これは 3000形1次車で車体のスソが絞られていない狭幅、片開きドアで2次車以降と違ったスタイルでした。
この3000形からは4両固定編成で正面には方向幕が取り付けられました。 永福町〜明大前

3000形は2次車から広幅で車体スソが絞られたスタイルとなりました。昭和40年の神泉駅です。

2次車から両開きドアとなり、それに伴い窓配置も変わっています。独特のパイオニア台車をはいています。
この基本スタイルがこのあと長く踏襲されることになりました。 永福町

井の頭線にはもう一両荷物専用の101形がいました。両運転台で単行運転していました。 浜田山〜高井戸
