あこがれの関西・阪急電鉄

関西の電車は小さなころの私たちの
あこがれの車両がたくさん走っていました。
ヘタな写真ですが当時は一生懸命撮りに出かけました。

 
 写真はいずれも昭和42年の撮影です
 
 
 
 
関西の地理は全く不案内。阪急はどこで撮ったらいいのかも分からず、とにかく近いところの西京極まで行きました。朝靄の中をデイ100が普通電車で来ました
 
 
 
 
 
 


京都に近いせいか結構沢山の人が乗り降りしていました。驚いたのは、デイ100がごく普通に走っていたことです。バックは西京極球場の照明塔です。  

 
 
 
 
 
 

 
駅外に出て走行を狙いました。デイ100の6連が来たと思ったら、上り急行の折り返し桂への回送でした。本命だったのに結構落胆しました。

 
 
 
 
 

 
ここはとても撮りやすい場所だったのでしばらくここで遊ぶ事にしました。京都線用近代通勤車1300形が来ました。

 
 
 
 
 

 
 
 
憧れの電車、阪急2800形特急が来ました。何と美しい電車なんだろう。
 
 
 
 
 
 

 
名物の特急2枚看板。特に意味は無く、「特急」を誇示しただけのものと聞きました。国鉄の「つばめ」と速度競争をした阪急らしいですね。

 
 
 
 
 

 
 
 
少しづつ京都よりの築堤に向かいました。デイ100が日常で走っていたなんて、今ではとても信じられません。大型幌はさすがに撤去されていましたが。

 
 
 
 
 

 
 
 
築堤にまで来ました。たぶん2度と来れないと思い、来る列車はみんな撮りました。ただ何故かポールの間隔が短いので、連結面が隠れてしまいました。
 
 
 
 
 
 

 
これも隠れています。左はすぐ次のポールなのでここがシャッターチャンスとなります。思ったほどよくない場所なので駅に戻る事にしました。
 
 
 
 
 
 

 
駅に戻ったとたんに、デイ100の6連の急行が来ました。咄嗟に撮ったので、こんな写真に。何と運が悪いんだろう。う〜む、ついてないな
 
 
 
 
 
 

 
デイ100に乗って梅田まで行きました。暗くて狭い運転台を撮りました。








 
途中、高槻駅で降りて、しばらくホームで遊びました。ここは普通列車が退避せず、優等列車が4号線外側ホームに来ます。2300形全盛期でした。
 
 
 
 
 
 

 
途中また茨木市駅で特急退避の為、今度は普通電車は外側に入りました。待ち時間に駅でタバコを吸えるおおらかな時代でした。
 
 
 
 
 
 

 
夕刻の通勤帰宅時に、阪急梅田駅に到着しました。大きなドーム駅で、優等列車が続々出発して行きました。神戸線特急は1枚看板です。
 
 
 
 
 
 

 
ドーム駅の脇にある、島式ホームからニュータウンに向かう千里山線・新千里山(現南千里駅)行にデイ100が使われていました。
とりあえず阪急京都線はここで終わりです。阪急電車の全てマルーン一色の「コーポレートカラー」は見事というしかありません。