京浜工業地帯に
旧型国電が走っていたころ

 

京浜東北線などの国電で101、103形が全盛を誇っていたころ、鶴見、尻手、浜川崎の京浜工業地帯の三角形を走る鶴見線、南武支線にひっそりと旧型国電が走っていました。当時はまだ17m車も頑張っていましたが、やがて73形の20m車が鶴見線に入りました。
私は休みによく尻手や武蔵白石駅に行ったものです。京浜工業地帯を走っていた地味で無骨な電車たちが懐かしく思い出されます。写真はいずれも70年代後半の撮影です。

 
 


浜川崎に行く南武支線は尻手から出ていました。南武線下りホームの反対側に2両編成の17m旧型国電が発車を待っていました。
リベットもいかつい茶色い無骨な電車が日常で走っていたのです。 ここの車両はHゴムなどの改造はなされておらず、古さを丸出し
にしていましたが、それがまたなんとも言えない魅力でした。左側の貨物線を時折、ED16が通過して行きました。       尻手

 
 
 
 

 
木製の車内がこれまたなんとも言えません。運転室仕切り壁も床も木です。これで吊り掛け音を唸らしていたのですから
たまりません。日中はほとんど乗客はいませんでした。ドア部の真ん中に真鍮の棒が立っていたのも特徴です。  尻手

 
 
 
 

 
電車は尻手を出発すると東海道本線からの貨物線と八丁畷で合流し、そのまま川崎新町に向かいます。ここは線路がたくさん
あって、どれが南武支線でどれが貨物線か区別がつきませんでした。これは尻手に向かう電車をホームから狙ったものです。

 
 
 
 

 
一番左側を浜川崎行電車が走っていました。このクモハ11が前パンでたまりません。グローブ式ベンチレーター、プレスドア
などほとんど手が加えられておらず、思わずこのスタイルには唸ってしまいます。台車もこれまたいいですね。  川崎新町

 
 
 
 

 
鶴見線の支線です。武蔵白石と大川の間の短い区間をこの単行が往復していました。ここは周りはまさしく京浜工業地帯で
工場が密集しており、貨物線も走っていて時折DD13が顔を出していました。この車両が大川支線の主でした。      大川

 
 
 
 

 
両運転台化したクモハ12の異色電車です。支線という特殊な条件のため、この車両はかなり遅くまで生き延びたようです。
たしか改造車は2両がいたはずです。この頃も都会の人気者として休日にはテツ君たちが出没していました。      大川

 
 
 

 
大川支線の分岐駅・武蔵白石です。ちっちゃな行き止まりのホームです。鶴見線直通線路は右側にありました。正面の貫通扉
はプレスドアを使っていて引き戸になっていました。このHゴムがほんの少し気になります。正面幌付きというのも異色でした。

 
 
 
 

 
こちらは鶴見線本線の武蔵白石駅です。 右奥に支線用の電車が見えます。ちょうど上りと下りが並びました。鶴見線に73形が
投入された時です。鶴見線は17m車が消えて73形になってからは興味は半減しました。それでもほぼ原型に近いクハ79です。

 
 
 
 

 
17m車4連に代わって20m車73形3連が走るようになりました。クハ79も前面窓10度傾斜の101形もどきの顔(京浜東北では
見慣れた顔)が入って鶴見線も近代化したな、と言う感じがちょっぴりしたものです。                   武蔵白石

 
 
 
 

 
鶴見線本線・浅野です。ここは海芝浦との分岐駅です。これも鶴見線に73形が入った時です。上り鶴見行が到着しました。
 
 
 
 

 
海芝浦行電車は駅の手前で右側に大きくカーブして分岐します。ここも複雑な線路配置の駅です。複線同士が地上平面で交叉して
分かれます。見ていて飽きない楽しい駅でもあります。これは70年代前半の鶴見線17m車の時代です。    海芝浦支線・浅野駅

 
 
 
 

 
夕方なのでけっこう通勤客がいます。上り鶴見行です。しかし無骨ないかつい電車が走っていたものです。切妻式前パンのクモハ11
です。この型はもうこの頃では全国でもここぐらいでしか見ることが出来なかった車両だと思います。       海芝浦支線・浅野駅

 
 
 
 

 
工場に囲まれた風景から多少民家が見える鶴見小野駅を発車する鶴見行です。首都高・横羽線が駅のすぐ先の
上をまたいでいます。自分で撮っているのにここで撮った記憶が全くありません。         鶴見小野〜国道

 
 
 
 

 
この17m車4連を撮りたくて国道駅まで行っています。かつては南武線を走っていた17m車。クモハ11の前パン貫通式
でこのスタイルはお気に入りでした。こういった車両がひっそりと走っていたのが鶴見線でした。          国道駅

 
 
 
 

 
弁天橋電車区に回送されるクモハ11。国道駅の鶴見小野側にはすぐ下を鶴見川が流れていました。当時の鶴見川は
私の記憶では工場の排水などが流れ込む汚い川だったのを覚えています。昭和の時代だったのですね。   国道駅

 
 
 
 

 
鶴見線の高架ホームです。もうこの頃は17m車は消えて73形の3連が主力となっていました。   鶴見線鶴見駅
 
 
 
 

 
南武線の武蔵中原には南武支線用の回送がいつもポツンと停まっていました。勝手に入って撮った記憶があります。
 
 
 
 

 
浜川崎の夜です。昼間の工場の喧騒から静かな夜に変わっていきました。木造の柱にゴミ入れと灰皿が取り付けられて
いるのも時代を感じさせます。吊り掛け音も高らかに夜の工業地帯を出発して行きました。             浜川崎

 
 
 
 

 
夜の尻手です。ホームの薄明かりに茶色いクモハ11がほのかに浮きあがります。この光景も懐かしい思い出となりました。   尻手