貝島炭鉱六坑にて
 


私が大学に入って自由に旅行が出来るようになった時は私鉄の炭鉱線はだいぶ廃鉱・廃線になっていて、ずいぶん涙をのんだものですが、ここ九州・勝野駅から盲腸線で出ていた宮田線の終点筑前宮田から、貝島炭鉱専用線が六坑まで出ていました。当時の鉄道誌に、昼に六坑から筑前宮田まで石炭を運び出す列車が1本あって、それが後部補機付きと言う情報があり、とりあえず言って見る事にしました。六坑にはコッペル製の31、32号機が停まっていました。    六坑
 
 
 
 
 
 

 
これが待ちに待った、昼の宮田に積み出す後部補機付きの石炭列車ですが、なぜか先頭のコッペルだけ猛然と煙を上げて力行しているのに、後部補機は
全く煙も吐かずとてもシラケた気持ちになったことを覚えています。これなら後部補機は必要ありませんね。宮田で入れ替えなどで必要だったのでしょうか。
 
 
 
 
 
 

 
後部補機はアルコ製で水タンクに覆われた異様な機関車でした。なぜかこの機関車はバッファ
式連結器で、そのままではセキに連結できず、前後に台車を連結して自連と繋げていました。