銘玉・8枚玉タクマーの徹底研究

 

Super-Takumar 1:1.4/50

 

                           徒花・アトムタクマーも彩に添えて…

 

2019/6/24 改訂 

まえがき

 

 現在では、写真を撮るスチール・カメラと言えば「デジタル」以外に選択肢は無いという状況になっています。しかし、肝心のフィルム供給の大手が軒並みその製造から手を引いたために既に絶滅状態と言えるフィルム・カメラですが、それのために用意された 古い「交換レンズ」であっても、現役のデジタル一眼カメラに取り付けることが出来れば、そしてそれは多くの場合可能なのですが、その特徴ある性能を享受することが出来るのです。

 それら旧機種用交換レンズを愉しむ中でも、豊富にあるために入手が比較的容易で、かつ安価であるのが「MF」時代の「標準レンズ」です。まずこれを扱い尽くすことが、「レンズ沼」とも俗称される深遠かつ高尚なる「おとなの趣味」への第一歩でしょう。些か言い過ぎかな…

 しかし、それらが半世紀以上前に作られたとなれば、清掃や注油などの整備や、場合によっては修理が必要であることが多いものです。今では、メーカーはそれら 旧機種の整備や修理を引き受けませんから、市中に営む小規模な業者に依頼するか、自分でそれを試みるしかないのです。

 値が数K円以下で手に入れた古交換レンズを、20K円以上の費用を費やしてまで技量の多寡も不詳な業者に整備を依頼するのは、よほどその交換レンズに対する思い入れがないとありえないでしょう。しかし、自分で整備をするなら費用はさほどかかりません。たとえ失敗したとしても、それは自分のしたことですから諦めがつきます。それに、整備の過程でスキルを獲得できる愉しみがあります。スキルが上がれば次の交換レンズを手にしても怖くありません。このことがあるので 古レンズの収集・整備は「レンズ沼」と俗称されるのですが、大人の趣味としては上質でしょう。

 とは言うものの、素人が自前で交換レンズを分解整備する場合に、まったく予備知識の無い状態で行えば、落とし穴に嵌ったり、地雷を踏んだりする危険があるというのが亭主の経験から来る実感です。いよいよ老境に入って忘却は奔馬の疾駆するが如くに襲い来るのです。それに抗うよすがとして、拙くとも経験の限りを書き留めるというのが動機ではありますが、同好の士が踏まいでもの轍を踏まぬためにという老婆心も大いにあって、可能な限りの知見を書き綴ることとしました。

 

 今日、「デジタル一眼カメラ」に付けて販売する「セット・レンズ」としては、「標準ズーム」と称される「24mm〜70mm」程度の可変焦点距離を持つ、明るさは「1:3.5〜1:5.6」程度の暗めな変動絞り値のものが多いのです。その「ズーム・レンズ」というものが一般化したのは、まだフィルム・カメラ時代であった1980年代以降のことなのですが、それよりさらに前には、「標準レンズ」と称される「40mm〜60mm」程度の範囲の焦点距離で、「1:1.4〜1:2」程度の範囲の明るい開放絞り値である「単焦点レンズ」が「セット・レンズ」とされていた時代がありました。その時代には、カメラ各社はこの「標準レンズ」の性能を競っていたもので、解像度が高く、より明るく、しかもより収差の少ないものを作り出す努力を続けていたのです。

 ちなみに、そのころレンズに明るさが求められたのは、当時の標準的なフィルム感度が「ISO100 (ASA100)」であったこともさることながら、何より「MF」のやり易い、より明るく見易いファインダーが得られることによります。これは一眼レフカメラの特長である撮影レンズとファインダーのためのレンズが同一というところから来ています。必然的に大口径となることの反射的利益として、より一層「ボケ」の効果が楽しめるものとなっています。

 これが今日押並べて開放絞り値が暗めなものになっているのは、明るくするのはズーム・レンズだと原理的に大きく重くなることや、コスト的に実現が困難なこと、デジタル・カメラでは高感度が得られること、「AF」ではファインダーの明るさはそれほど要求されないこと、「MF」精度を追求しない素通しのファインダーはあまり暗く感じない、などが挙げられます。

 そんな切磋琢磨を競う時代に誕生した明るい「標準レンズ」たちの中でもひときわ特別な存在である「8枚玉タクマー」のことを、また、その後継の「7枚玉タクマー (アトムタクマー)」のことを、亭主が行った「現物」の蒐集及び整備により確認し得た事実や、ネット上の画像などで確認できたことののほか、噂や伝聞、亭主の妄想的推察を取り交ぜて、まさに虚実こき混ぜた「読み物」としてみました。

 

 太平洋戦争敗戦の7年後、朝鮮戦争の最中である1952年に「一眼レフカメラ」を作り始めた旭光学工業が「1:2」より明るい「標準レンズ」を作ったのは1958年のことです。「Takumar 1:1.8 f=55mm」と「Auto-Takumar 1:1.8 f=55mm」がそれで、両者同じレンズ構成なのですが、前者は「プリ・セット絞り」、後者は最初の「半自動絞り」の鏡胴でした。前者はごく少数作られた「PENTAX S」のため、後者は上級機種「PENTAX K」のために作られたのです。

 その後「全自動絞り」となって誕生したのが「Auto-Takumar 1:1.8/55」で、これは1961年「PENTAX S3」のために作られました。その自動絞りのための巧妙精緻な仕組みは、その後1975年に「Kマウント」化されるまで使われました。

 ちなみに「自動絞り」というのは、ファインダーで見るためと撮影のためのレンズが同じである「一眼レフ・カメラ」では、ファインダーのためには一番明るい開放絞りの状態が望ましく、撮影時には作画意図などに沿った絞りの状態が求められますから、その両方の状態を自動で実現する機能という事です。つまり、シャッターを切る前は開放絞りであって、撮影時には設定した絞り値に瞬間的に移行する機構のことです。

 そこでこの時の「半自動絞り」というのは、巻き上げをするたびにレンズ鏡胴後部のレバーを操作して開放絞りにする機構です。この場合、シャッターを切ると絞りは瞬間的に設定絞りに移行します。この交換レンズに対する手動操作が撮影の都度必要なため「半」自動絞りと称すのです。

 「全自動絞り」というのは、交換レンズを操作することなく、フィルムの巻き上げとシャッター・チャージと同時に自動絞り駆動の動力がチャージ出来て、シャッター・ボタンを押すことで開放から絞り込み、再び開放へと作動する仕組みです。交換レンズ側には自動で動くための動力は設けておらず、すべてカメラ側からの働きかけで絞りが動く仕組みでした。

 

 なお、全自動絞りとなった「Auto-Takumar 1:1.8/55」からは、その後の「Takumar」レンズ群に統一的に用いられ、アイデンティティともいえる黒ずくめの鏡胴意匠となっています。しかし、このときの「絞り環」の回転方向は後の時代とは逆の 「左回り(後から見て)」になっており、鏡胴構造も大きく異なっていました。黎明期にありがちな未熟さを含んていたという事でしょう。

 次に、これが1962年「PENTAX SV」のセット・レンズとされたときに、新たに「Super-Takumar 1:1.8/55」という名称に変えられました。ただし内容は従前の「Auto-Takumar 1:1.8/55」とまったく同一のままです。

 

 全ての「Takumar」レンズ群を通じて最も明るいレンズとなった「Super-Takumar 1:1.4/50」が作られたのは、現在のPENTAXの公式見解では「PENTAX SP」のセット・レンズとされた1964年となっています。しかし、亭主はそうではないという傍証を幾つか発見しています。そのことを含めて、本編では「Super-Takumar 1:1.4/50」のことで知り得たことを洗い浚い書き残したいと思います。

 

 ところで、2019年1月7日「デジカメWatch」掲載の中村文夫氏による「D FA★50mm F1.4発売記念 ペンタックス歴代50mm F1.4レンズ撮り比べ」記事中に 、「Super-Takumar 1:1.4/50」は「ペンタックスの公式見解」として1964年発売」というくだりがあります。これが「真実」だとすると、亭主が収集比較した1962年から1964年にかけての時期に同社他機種と同様な変遷を重ねて採用されていた鏡胴意匠の個体群は誰が作って市場に出したのかという謎が生じてしまいます。畢竟、今のペンタックスには当時の記録が残っていないというのが真相ではないかと強く疑わざるをえません。そのあたりの事情により「公式見解」という表現になっているのかも…

 

 

…… 「Super-Takumar 1:1.4/50」の起源および発展、そしてその構造など  ……

 

 旭光学工業初のTTL絞込平均測光方式である一眼レフ・カメラ「PENTAX SP」が発売されたのは1964年、東京オリンビックが開催される直前の昭和39年7月のことです。この時に「Super-Takumar 1:1.4/50」を新たな「セット・レンズ」としています。このセットは黒シボ革製の速写ケース付きで「53,500円」という価格でした。その内訳は、速写ケースが2,500円、カメラ本体が30,000円で、レンズは21,000円ということになります。

 老婆心ながら、ここで「TTL」とは何のことかを少し解説しますが、露出決定のために撮影用のレンズを通って来た光を直接測光する機能のことです。実際にフイルムに届くのと同じ光の量や具合を測るので、別置式露出計より正確な露出値が得られます。特に露出倍数がかかる 「接写」の時には効果絶大です。

 

 この「Super-Takumar 1:1.4/50」という交換レンズは、旭光学工業初の「1:1.4/50」というスペックの高速標準レンズで、トプコン、ミノルタ、キヤノンなど当時競合他社の多くは「1:1.4」の明るさだと、独国ライカが広めた「50mm」という標準レンズ焦点距離の定番を実現出来ていなかったのです。そのころ国際的には主流だったライカ、コンタックスなどの「距離計連動レンズ交換式カメラ」に比べて、一眼レフカメラはミラーボックスがあることにより長くならざるをえないフランジバックの制約があって、皆もう少し焦点距離が長かったのです。旭光学工業にしても、それまでの標準レンズは「1:1.8/55」でした。蛇足ながら「フランジバック」というのは、交換レンズとカメラ本体を取り付けるマウント面とフィルムとの間隔のことです。

 ちなみに、当時の一眼レフカメラは「標準レンズ」を取り付けた状態で革製速写ケースに入れるかたちで販売されているのがほとんどでした。それが商習慣のようなものだったのです。価格的にも大卒初任給より随分と高額でしたから、その所有は庶民にとってステイタスでもあった時代です。同じく相対的に高価だった望遠や広角の交換レンズを何本も持つのは更に一段上のステイタスというわけで、それを望みうる一歩目の存在ということで人気になったのでしょう。

 

 この「Super-Takumar 1:1.4/50」発売時のレンズ構成は「6群8枚」であり、前から4群目が3枚貼り合せとなっていました。これが「PENTAX SP」発売から1年ほど経って4群目が2枚貼り合せの「6群7枚」に変更され、そのとき採用された基本設計は現行機種「smc PENTAX-FA 1:1.4 50mm」にまで連綿と受け継がれています。そのため、当初用いられた「6群8枚構成」のものは「8枚玉タクマー」と俗称されるようになりました。その後継として今にまで基本構成が続く「6群7枚構成」のものは「7枚玉タクマー」とか、その構成レンズ群の一部に放射線を出す同位元素トリウムを含む 光学ガラスを素材としたレンズを用いていることから、「アトム・タクマー」とか俗称されています。

 なお、実写比較してみると「7枚玉タクマー」の方が若干画角が狭く、つまり焦点距離が長くなっています。1964年10月号アサヒカメラ記事による「8枚玉」の実測値は50.2mmだそうですから、「7枚玉」の方は51mm以上かもしれません。

 この実質焦点距離が長いことによるものと思えるのが被写界深度目盛りの間隔の違いです。「8枚玉」のそれは両脇の「16」と「16」の間隔が19mmでしたが、「7枚玉」になると最初は16.5mm、次には17mmとなっています。16.5mmというのは少し辛すぎたということかもしれません。 なお、8枚玉も7枚玉もピント環の回転角に対する操出量は同じです。

 

●レンズ構成について

 

※レンズ構成図

8枚玉タクマー  7枚玉タクマー  Super-Takuamr 1:1.8/55

 

 「8枚玉タクマー」のレンズ構成は「変形ダブル・ガウス」と呼ばれる型です。絞り羽根を挟んでレンズ配置が対称形となる型ですが、「ダブル・ガウス」が変形しているので「変形」ダブル・ガウスと呼ばれるのです。

 その「ダブル・ガウス」という型は、凸凹で構成する色消しレンズ「ガウス」型を2組、絞り羽根を中にして対称形に配置したものです。それはドイツのツァイスが開発した型で「プラナー」という機種です。それの当初は「凸(凸凹)・(凹凸)凸」の「4群6枚構成」でした。これは2群目と3群目の「凹」が凸レンズと凹レンズの貼り合せとなっていました。 そしてこれの2群目の貼り合せを剥がしたものが5群6枚構成「変形ダブル・ガウス」の始まりです。この型には1958年発売「Auto-Takumar 1:1.8/55」をはじめとして、レンズ・メーカー各社から多くの種類の交換レンズが生まれています。

 「ダブル・ガウス」の2群目の貼り合せを剥がして変形させたのは、一眼レフカメラの「ミラーボックス」に必要な長い「バック ・フォーカス」を確保するためでしょう。こうすることで「主点」をレンズ群中央付近から後ろ側に移したのです。レンズの焦点距離というのは、この「主点」と撮像面までの距離のことですから、このことでレンズ後端を前方に動かせたのです。

 しかし、同時にそのことでレンズ面数は増えるのですから、1940年代以降のレンズ・コーティングの発達なくしては、この型は普及しないことでした。一眼レフカメラ用の「交換レンズ」として2群目を剥がした「変形ダブル・ガウス」を採用したのは、1958年「Auto-Takumar 1:1.8/55」が最初かもしれません。NikonやCanonなど他の一眼レフカメラ各社が2群目の貼り合せを剥がすのは、それより暫く後になってからです。このことは、それら各社が先達である「プラナー」の影響をより強く引きずっていたためなのでしょう。

 

 「対称形」のレンズ構成というのは「ザイテル5収差」のうちの「像面湾曲」や「歪曲収差」を補正し 易いことから、端正な、精密な「平面性能」の高い画像が得られます。「8枚玉タクマー」の設計意図としては、この「対称形」をより維持することがあったと考えられます。その前提の上で、「色収差」の補正に必要な凸凹の組み合わせを増やすために考え出されたのが4群目を凹凸凹3枚のレンズで構成することです。これで4群目は全体として凹レンズとなり、「凸凸凹・凹凸凸」というレンズ群全体として絞りを中にしたきれいな対称形に近づいたのです。

 このことで当時一般に行われていた5群6枚構成の「変形ダブル・ガウス」よりレンズ面が多くなります。しかし、レンズ・コーティングの技術がより発達していたので、それによる弊害は軽減することが可能でした。

 なお、「8枚玉タクマー」の4群目がそうであるように複数のレンズを貼り合せるのは、レンズの表面で発生する乱反射の影響を避けるためです。そもそも、交換レンズに8枚とか7枚とかのレンズを組み合わせて用いるのは、レンズに避けられない「収差」を補正するためです。そのために凸凹のレンズを数多く組み合わせているのです。

 レンズは光の屈折の原理を利用しています。屈折というのは直進する光が密度の異なるものの境界を通過するときに、境界面と直角以外の角度で入ったときに折れ曲がるという現象です。曲面の境界であるレンズ面への入射角の大小や、光に含まれる色の周波数によって屈折する角度が異なります。レンズが一点に光を集めるのや、三角プリズムで7色に分光するのはこのためです。

 撮影用レンズは撮像面(フイルムや撮像センサー)に光を集める必要があることから、それが出来るのは凸レンズです。そこでもし凸レンズ1枚だけだと、それを通った光は必ず7色に分散してしまいます。7色に分かれた光は同じ点には到達せず、光軸上を前後に並ぶために、厳密にはどれか1色でしかピントは合わないということになります。これによって生じるのが「軸上色収差」です。「色収差」には他に「倍率色収差」というものがあり、これは全部の色を同じ点にピントを結ばせても、その結んだ像の大きさが色によって異なるために像の輪郭が色滲みするというものです。

 この「色収差」を可能な限り減少させるための努力が「レンズ補正」で、凸レンズと凹レンズとでは屈折・光の分散が逆に働くことを利用して、いったん分散したものを集めることで補正するというのがレンズ補正の原理です。その時に凸凹二つのレンズの曲率が同じだと焦点は結びません。合わせたときにレンズ群全体として凸レンズとならねばならないのです。曲率をより大きくするなどして凸レンズの屈折率の方が凹レンズの屈折率より大きくすることでこれは実現するのですが、両方のレンズの素材が同じでは補正の効果はありません。1枚だけの凸レンズと同じことになってしまいます。そこで、レンズ素材そのものの持つ光の「分散特性」を変えることでその問題を解決するのです。

 一例としては、凹レンズの素材の方がより光の分散率が高い素材を用いることで、補正に必要な凹レンズの曲率を小さくできます。これであれば、凸レンズの方が曲率が大きいのですから全体としては凸レンズとすることが出来ます。このレンズ素材による光の分散率の違いをコントロールするのに用いられたのがガラスに混ぜる放射性同位元素トリウムということです。それは凸レンズの光の分散率を少なくするのに大きく役立ったようです。そのため、各社とも絞り羽根より後群の凸レンズに多く使われました。

 

 数多くのレンズを組み合わせた方が幅広い周波数の光を補正することがより可能になります。色々な無駄色を消せるということです。しかし、レンズが増えるとレンズ面での乱反射の影響が馬鹿になりません。レンズ・コーティングの未発達だった時代には、レンズ枚数の多いものというのは、補正は良好だとしてもコントラストの低い画像となるなどの問題があったのです。そこで、同じ曲率とした凹凸レンズ面同士を接着して乱反射の起きる表面の数を減らす技術が生まれ、その接着剤には「バルサム松」など天然の樹脂が用いられました。

 

 3枚のレンズを貼り合せるというのは、旭光学工業としては「8枚玉タクマー」が最初ではなく、そのときには既に確立していた技術で、「ゾナー」型の1957年「Takumar 1:2 f=58mm」とか1953年「Takumar 1:1.9/83」で採用していました。しかし、その製造には当然ロスやコストがかかります。作れば作るほど赤字となると巷間噂されたほどです。特に、3枚貼り合せの2枚目と3枚目の接着面はそれまでの例より曲率が大きく、これを問題なく接着するのは大変なことだと思います。接着不良などの製造ロスが数多く出たのではないかと推測します。

 

 

 ちなみに、上記先行機種の3枚貼り合せはどれも「凸凸凹」の貼り合で、「8枚玉タクマー」の場合は「凹凸凹」の貼り合せです。しかも 、その貼り合せ面の曲率が先行機種のそれより著しく大きく、その貼り合せ面の製造および接着にはより高い技術・技能が求められたのではないかと推察します。

 そこで、その問題の解決のための答えとしたのが「7枚玉タクマー」の開発なのでしょう。その設計意図としては、綺麗な対称形はそのままに、「色収差」の補正を損なうことなくレンズ枚数とコストのかかる接着面 とを減らす、という挑戦です。これを実現するためには凹レンズを1枚減らし、それによって失われた補正力と釣り合うだけの凸レンズの光の分散率の低減です。それを実現したのが後群の凸レンズに使った「トリウム・ガラス」ということです。それくらい、この時期に登場したトリウム・ガラスは性能が優れていたのです。

 

 ところで、接着面の多い、それも大曲率の接着面を持つ「8枚玉タクマー」ですが、その接着面に問題の起きる「バルサム切れ」ということを起こした例を亭主はまだ見ていません。後の時代にキヤノンの子会社などが供給した化学性のガラス接着剤を使うようになってからの製品は、曲率の大きい接着面ほど「バルサム切れ」を著しく起こしやすいのですが、それが全く見られません。この時代に用いられていた接着剤の物性とその接着技術が優れていたということでしょう。45個以上の個体を手中にし、300個をはるかに超える個体の画像を確認していますが、その中に一例も見ていませんし、有ると報告されてもいません。銘玉の資格十分ということです。

 

 

 そもそもの話として、「8枚玉タクマー」がそれまでの標準レンズ「Auto-Takuamr 1:1.8/55」の「5群6枚構成 変形ダブル・ガウス」のレンズ群の後方に凸レンズを1枚追加したのは、より明るさを実現するためにより大口径にしたことによって顕著になった「コマ収差」を抑え込む効果を得るためだったのではないかと思います。このことは同時代の「Nikon」の同クラスレンズについて語られている中で触れられています。しかし、そうすることで全体的な凸凹の補正バランスが崩れます。それを防ぐために凹レンズを追加し、それを「4群目の3枚貼り合せ」により実現としたと考えると納得が行きます。

 しかし、この「3枚貼り合せ」は製造により困難さをもたらし、大量にかつ迅速に生産するのには向かないということと、折しも光の分散を少なくすることのできる新レンズ素材「トリウム・ガラス」が供給されると、それを凸レンズに用いることで補正のための凹レンズを減らせるということになり、「7枚玉タクマー」の開発へと向かわせたのだと推測します。

 

 

●絞りについて

 「Super-Takumar 1:1.4/50」の絞りは「完全自動絞り」ですが、絞り装置の羽根枚数は最終の「期型」である開放測光鏡胴の「Z期型」だけが8枚羽根で、他はすべて6枚羽根です。今日の交換レンズはもっと羽根枚数が多いのが一般的になっていますが、当初6枚羽根だったのは「 完全自動絞り」の黎明期(1961年創始)であったためです。歴代の「Takumar」に関しては、「完全自動絞り」になる前には12枚羽根とか10枚羽根であった時代もあるのです。これが完全自動化で羽根枚数を大きく減らしたのは、羽根の作動抵抗を少しでも減らそうという設計思想があったのだと考えられます。巻き上げによってチャージしたバネの力だけで開放から絞り込み、また開放へと瞬時に行き来する仕組みですから、可能な限り負担となる作動抵抗を軽減させようとしたのでしょう。事実、完全自動となった「Auto-Takuamr 1:1.8/55」の最初の型は8枚羽根の絞りでした。それをすぐに6枚羽根に減らしたのは何か問題が生じたからでしょう。

 羽根枚数が多いもの、開口形状が円形に近いものの方が「ボケ」の癖を無くすことが可能です。特に点光源の「光輝ボケ」は羽根枚数が少ないと特徴的になります。それを楽しむということもあるので、一概にそれを貶めることは出来ませんが…

 8枚羽根となった「Z期型」からは、それまでが内部鏡胴の中に直接組み立てていた絞り装置を、新たに別置きのユニット式のものに変更しています。このことにより絞り装置の精度と生産性は高くなったと考えられますが、その皺寄せを受けて、それまでは内部鏡胴として一体だったレンズ・ホルダーの合理性が一部崩れています。このときに変更になった少し問題のある鏡胴基本構造は後の機種にも引き継がれて行って、それは「smc PENTAX-M 1:1.4 50mm」まで続き、その次の「smc PENTAX-A 1:1.4 50mm」から改められました。この時にはエコ・ガラス採用によりレンズ形状等を少し変えて、実質焦点距離もさらに若干長くなっています。

 

 絞り操作のための「絞り環」の一段あたりの移動角は各段とも等間隔なものになっています。この「等間隔移動角」が実現したのは1961年に「完全自動絞り」となった「Auto-Takumar 1:1.8/55」からのことです。それまでは絞り開面積に応じた直径を創り出すのに必要である移動角であったため、各段の間は不等間隔でした。それが当たり前の時代があったのです。しかし、人の操作感覚に沿わそうということで、 「絞り環」の「等間隔移動角」を実現するために、自動絞りの機構と合わせて巧妙精密な構造のカム装置が内蔵されているのです。

 ところが、不思議なことに「Y期型」になると「開放1.4」と「2」の間の1段だけが半段分の移動角に変えられたのです。このために絞りリンクの中の三日月状のカム形状を変更しています。そのようにした理由は不明かつ大いに不審なことなのですが、次の「Z期型」になると「開放測光鏡胴」となったために等間隔であることが必須となり、元に戻されました。

 なお、「絞り環」の設置位置が鏡胴後端になったのも1961年に「完全自動絞り」となった時からです。自動絞りの機構や絞り環の「等間隔移動角」のためのカム装置との親和性、合理性からそうされたのだと思います。「不等間隔移動角」の時代には、ヘリコイドによって前後する絞り装置を操作するためには、鏡胴前端に設置する方が余計な機構を付けなくて良いために合理的だったのです。

 

 

●自動絞りのための絞りリンクについて

 この「Super-Takumar 1:1.4/50」には1961年「Auto-Takumar 1:1.8/55」で実現した全自動絞り機構が搭載されていますが、その搭載に当たっては、それまでのものの左右を逆転した部品造形配置にしています。つまり、「絞り環」の回転方向を「Auto-Takumar 1:1.8/55」とは逆の、後から見て「右回転」にしているのです。そして、このとき作り直された「逆配置」は、当時の「Super-Takumar 1:1.8/55」についてもほどなく変更採用して、絞り環の回転方向はすべて「右回転」へと統一されることになりました。

 そもそも1961年「Auto-Takumar 1:1.8/55」が絞り環の回転方向を「左回転」とした理由は分かりませんが、全自動のための新たな機構を考え出した技術者の発想からなのだと推測します。それまでの絞り環回転方向はすべて「右回転」だったのですから、特別な意図を持って「左回転」としたのではなく、新規機構を考えて行った結果がたまたまそうなってしまったというような状況が思い浮かびます。それだけ全自動の実現を急いでいたということかもしれません。

 「全自動絞り」のためのカメラと交換レンズの間の「作動連結部」については、「半自動絞り」時代に案出された「連結押しピン」を利用しています。この「連結押しピン」を利用した自動絞りというのは、「プラクチカ・M42マウント」における「国際標準」となりました。

 「自動モード」と「手動モード」は鏡胴側面後部の三日月形レバーで切り替えが出来るのですが、自動モードの時に、カメラのマウント内下部にある「押し板」が交換レンズマウント後端の「連結押しピン」を押すことで絞り開放から絞り環で設定した絞り値へと瞬間的に移行します。そして、その移行はシャッターが作動するより前に完了する関係になっています。

 シャッター作動後はカメラマウント内下部の「押し板」が戻り、そのことで交換レンズ内のバネの力によって「連結押しピン」が押し出されます。自動モードの時は「連結押しピン」は常にバネの力で押し出され続けているのです。このため、自動モードにしてあると飛び出している「連結押しピン」をぶつけるなどして曲げてしまう故障が起こり易くなります。 レンズを外す前や保管時には「手動モード」にする習慣を付ければこの故障が起き難く出来ます。

 交換レンズ内での動きですが、カメラから「連結押しピン」が押されると、クランク装置によって動きの方向を曲げられて、三日月形の天秤式「カム板」を動かします。「カム板」は「絞り環」の設定位置とそのカム面が突き当り、それ以上 は動けなくなります。「カム板」の先端は絞り装置の「連結棒」と摺動結合していますから、そのときまでの動きが「絞り羽根」の開度となります。

 手動モードの時には「連結押しピン」はフリーな状態になります。押し込めば軽く動いて戻りません。このため、ぶつけた時に抵抗せずに逃げるので曲がり難いのです。この時のカム板は、カム面が「絞り環」の設定位置にバネの力で常に押し付けられています。カム板の先端は、「絞り環」の設定を変えれば動くカム面に従って動きます。この動きは「連結棒」で絞り装置に伝わって絞り羽根を動かすのです。

 この自動と手動とを担い分ける「天秤式三日月形カム板」の巧妙な役割を見ると、極めて狭い場所に自動・手動切替機構と共にそれを配置することを考案した設計者を称賛するしかありません。珠玉の機構…

 

 

●製造時期および変異に基づく分類について

 「8枚玉タクマー」は1年ほどの販売だったと言われています。亭主はそうではないと考えていますが…そのため、相対的に「7枚玉タクマー」より数が少なく、今日では希少扱いを受けることがあります。しかし、セットとされた「PENTAX SP」は発売後すぐに爆発的に売れたことから、その製造数はそれなりに多かったものと思われます。事実、今日中古市場に登場する頻度も少なくありません。 ここで大きな問題は、「8枚玉タクマー」も「7枚玉タクマー」も同じ「Super-Takumar 1:1.4/50」という同一機器名称で販売されていたということです。両者は鏡胴意匠もほとんど同等であることから、それを見分けるのには微小である違いを知らねばなりません。

 厄介なことに「8枚玉タクマー」や「7枚玉タクマー」であっても、それぞれが鏡胴意匠や構造に微小な変更を何回か加えられているということがあります。亭主は現在までに発掘したものをその変異ごとに独自に且つ勝手に分類しているのですが、8枚玉は「4期」に、7枚玉は「3期」に大別することが出来ます。つまり、「Super-Takumar 1:1.4/50」全体では「7期」に大別することが出来るということです。

 さらに、外見からは判別しにくい内部の変異を分類すると、「T期型」と「V期型」はさらに「2種」に分けられ、「W期型」は「3種」に分けられます。つまり、「8枚玉タクマー」だけでも「8種類」の変異種が存在しているということです。

 また、「7枚玉タクマー」になってからでも、「Y期型」は「2種」に分けられます。つまり、「Super-Takumar 1:1.4/50」全体では「12種類」の変異種が存在しているということです。

 

 なお、「Super-Takumar 1:1.4/50」という機種名称は、次の時代の機種として「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」が誕生することで終了しています。それは1971年に「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」をセット・レンズとした「PENTAX ES」が発売されるのより前か、遅くとも同時期だと思います。おそらく前でしょう。つまり、「Super-Takumar 1:1.4/50」は8〜9年の販売期間ということになります。

 ちなみに、「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」は「PENTAX SP」のセット・レンズだったのであり、絞込測光の「SP」には不要である「開放測光機能」が搭載されていましたが、これは来たるべきカメラの開放測光化に備えて、レンズの方から先行投資的に変更したものと思われます。ところが実際に開放測光自動露出機「ES」が世に出た時には鏡胴意匠の変更された「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」がセット・レンズとされましたし、その後「SP」を開放測光化した機種である「SPF」にも「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」がセット・レンズとされたため、「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」をセット・レンズとしたのは「SP」だけだと思われます。

 この関係であることから、「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」が「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」の後継機であるというのは少し違い、「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」は新規機構のカメラのための派生レンズとして別意匠で誕生し、後にこちらが本流を乗っ取ったという方がより正しいと思います。少なくとも1973年までは並行して製造されていました。

 余談ですが、その後新しく誕生する他のレンズについても「Super-Multi-Corted」でなく「SMC」とするようになったのは、登録商標法の変更のためだったということを聞いたことがあります。固有独自の言葉などではない一般的な状態を表す言葉を排他的な商標として使えないということで、「SMC」としたらしいのです。

 

 亭主の行っている分類方法において「T期型」及び「U期型」と「V期型」とを分ける違いの着眼点としては、「絞り環」の幅が1mm異なっているということにあります。それにより「V期型」からは「被写界深度環」の幅が1mm狭くなったために、赤外指標から「R」の英文字が省略されて「赤線」表示だけになりました。

 次に「V期型」と「W期型」とを分ける違いの着眼点としては、7桁の「レンズシリアル番号」の表記位置が前者は「Super-Takumar 1:1.4/50」の直前であったものが、後者は「Super-Takumar 1:1.4/50」の直後に移されたことと、文字形状(フォント)が変更されたことにあります。この時のこの鏡胴意匠変更というのは、他の焦点距離の交換レンズ群に対しても一斉に行われた大規模な変更でした。したがって、この時をもって「Super-Takumar」交換レンズ群の真の元年であると言えるのかもしれません。

 この「W期型」の鏡胴意匠は「7枚玉タクマー」である「X期型」へと継承されたために、両者の分別を少し困難にしています。外見上の大きな違いとしては、レンズ群を変更したことによって生じたレンズ・ホルダー後端の形状変更と、 実質焦点距離と光学特性の違いから生じた赤外指標赤線の位置変更だけといういうものですから、見分けるためにはそれなりの鑑識眼が必要となります。しかし、この違いは見分けるための着眼点として最も分かり易いものでもありますから、その「違い」を知って見慣れることが肝要です。

 なお、ヘリコイド装置など主要部分の寸法が若干変わっていますので、似てはいても「W期型」と「X期型」との互換性は、「絞り環」以外にはありません。

 また、「X期型」からは自動絞り・手動絞りの切替レバー背面に「製品番号」の刻印がされるようになりました。ちなみに「X期型」は「37800」です。

 

 亭主は「絞り環」の幅が1mm広くなった「V期型」からが昭和39年7月に「SP」のセット・レンズとして発売開始された型だと推定しています。「T期型」及び「U期型」というのはそれより前の時期に製造されて、プロ・カメラマンなど識者による製品評価に供されたり、見本として販売網に頒布された、いわゆる「β版」ではないかというのが当初の亭主の推測でした。しかし、「T期型」及び「U期型」の 中古市場への出現数が案外多いので、単なる「β版」であったのかはいささか疑問の残る点です。そのため、「SP」の先行機種「PENTAX SV」などのユーザーのためのオプション上級レンズとして1964年昭和39年7月より前にも販売していたというようなことも考えられ、亭主はそれは「1962年」なのではないかと推定しています。

 でも、アサヒカメラ1964年10月号ニューフェイス診断室の記事では「SPに付いた新しい標準レンズはスーパー・タクマー50ミリF1.4で、6群8枚構成のたいへんこった変形ガウス型」と書かれていますから、「PENTAX SP」発売時に同時に発売されたと考えるべきなのかもしれません。これがアサヒカメラの単なる事実誤認ということもありえますが…

 「8枚玉タクマー」そのものの開発完成は「PENTAX SP」のプロト・タイプが1960年の西独フォト ・キナに出品された時期より後なのかもしれません。旭光学工業の交換レンズが1961年にそれまでの「半自動絞り」から「全自動絞り」へと進化して、次いで「Super-Takumar」という名称が始まったのが1962年ですから、その時期なのかもしれません。その時期のセット・レンズである「Super-Takumar 1:1.8/55(T期型)」に用いられていた鏡胴意匠の一部と同様のものが初期の「8枚玉タクマー」には使われています。つまり、その新発売の時より2年以上前に出来上がっていたのでしょう。このことから、発売するまでの間に入念に製品評価を行い、その結果を変更に繋げていったという図式が想像できます。

 

 亭主は「T期型」の変異を「A」「B」として細分類しているのですが、その「A」と「B」との違いは、前者は「絞り環」のクリックがすべての半段にもあることです。それに対して後者は「開放1.4」と「2」および「11」と「 最少絞り16」の間でそれが省略されています。そしてこの省略は以後の型において継承されています。

 次に「T期型」と「U期型」との違いは、「被写界深度環零指標」の形状が前者は「赤丸に赤線」であり、後者は「赤菱形」となったことです。そしてこの変更も以後の型において継承されています。

 また、これらの変更は普及版標準レンズの「Super-Takumar 1:1.8/55(T期型)」 の方でも行われているものですから、それぞれの機種の変更は同時期に行われたものと推定すべきだと考えます。そしてそれは確実に1964年「PENTAX SP」の発売より前の時期です。

 さらに、「T期型」と「U期型」との違いが鏡胴内部にもあります。「T期型」は絞りリンクのカム板側面にカム面の微調整用と思われる「打痕」があります。「U期型」以降にはありません。また、「U期型」だけに見られるものとして、ヘリコイド装置後方2か所の摺動溝背面が削り仕上げになっていることです。これは他の型には見られません。 なお、この点に関しては、2019/6に発掘した「1115602」という「V期型 A」の初期にも使われていました。これはその前後のレンズシリアル番号の幾つもの個体には見られないことから、この個体は残存在庫のU期型部品を組付けたことが推定できます。

 

 ところで、「被写界深度環零指標」の形状が「赤丸に赤線」から「赤菱形」となったことに着目して「8枚玉タクマー」誕生時期を推定すると、それが変更になったのは1962年より後であることは確実です。「8枚玉タクマー」においてその変更が行われた時期はレンズシリアル番号帯「9*****」の途中からですから、それが先行して「単体」販売されていたのではと疑っている1962年あるいは 遅くとも1963年という可能性が高いと思われます。

 「Super-Takuamr 1:1.8/55(T期型)」に配されていた番号帯は「6*****」から始まっていますから、「8枚玉タクマー」において最初に現れる「765***」という番号帯は、それ以降に配されたということになりそうです。つまり、「8枚玉タクマー」の完成形としての製造は1962年以降に開始されたものということは特定できると思います。

 1963年という年は「Super-Takuamr 1:1.8/55」の絞り環回転方向が変更されたと思われる年でもあります。各種交換レンズの「自動絞り化」も行われました。まさに怒涛のような時期だったと想像できます。

 

 「Super-Takumar」という機器名称自体は、1962年発売「PENTAX SV」のセット・レンズとして使われ始めました。その最初の「Super-Takumar 1:1.8/55」というのは「全自動絞り」となった1961年発売「PENTAX S3」のセット・レンズ「Auto-Takumar 1:1.8/55」の「名称」だけを変更したものでした。

 そもそも「Auto-Takumar」という機器名称は「半自動絞り」のものに付けられたものです。1958年「PENTAX K」のセット・レンズとして使われ始めました。これが「全自動絞り」化されたのは1961年「PENTAX S3」からで、そのときのセット・レンズが「Auto-Takumar 1:1.8/55」という名称だったのです。しかし、同時に「全自動絞り」化された「PENTAX S2」後期型には何故か「半自動絞り」の「Auto-Takumar 1:2/55」がセット・レンズとされていました。これは販売政策上の機種ランク差別化のためだったのでしょう。

 半自動絞りと全自動絞りの交換レンズのどちらにも「Auto-Takumar」という名称を付けていることに問題を感じたのでしょう。1962年「PENTAX S3」にタイマー・シャッターを搭載したハイエンド機種「PENTAX SV」を発売するときに、これのセット・レンズ名称を「Super-Takumar」と変更したのです。

 ちなみに、「S3」は「SV」が発売された後も暫くは併売が続いて、そのセット・レンズは「Auto-Takumar 1:1.8/55」という名称のままでした。その間「Super-Takumar 1:1.8/55」と「Auto-Takumar 1:1.8/55」は併存していて、鏡胴へ行われた小変更も両者同じように受けています。つまり、中身は同じで「飾銘板」だけが別だったのです。

 なお余談として、別に「Auto-Takumar 1:1.8 f=55mm」と表記されるレンズが存在しますが、これは「半自動絞り」 しかなかった時代のものです。これは1958年「PENTAX K」のセット・レンズとして誕生していて、当時ドイツなどで流行していた鏡胴意匠で、ピント環が銀黒ゼブラ模様状になった派手な鏡胴が特徴です。曲がりなりにも絞りが自動化されたのはこの年ということです。

 鏡胴の意匠や構造が真の「Super-Takumar」となった魁は「8枚玉タクマー」です。これに初めて採用された「絞り環」の意匠と、鏡胴先端部やピント環の鏡胴への小ビス頭により押さえる固定方法は、その後のすべてのタクマー・レンズ群に敷衍されるものとなりました。旭光学工業の交換レンズの構造としての完成形となったと言えるでしょう。

 

 話は若干余談になりますが、「PENTAX S2 Super」というカメラが1962年に発売になります。これにセット・レンズとされたのが「黄文字タクマー」と俗称されるようになる完全自動絞りの「Super-Takumar 1:2/55」です。これは「Super-Takumar 1:1.8/55」と全く同じ内容のものにわざわざドーナツ・リングを仕込んで暗くしたという変なもので、その時の鏡胴の特徴が「8枚玉タクマー」の「T期型 A」と同様でした。このことも「8枚玉タクマー」の1962年誕生説を補強するものです。

 

 上記のように亭主は「8枚玉タクマー」が世に出たのは「1962年」であると確信しています。「Super-Takumar」という機器名称が使われ始めたのも1962年ですから、「8枚玉タクマー」こそが「Super-Takumar」という機器名称の真の始祖であると言った方がいいのかもしれません。当時のハイエンド標準レンズである「8枚玉タクマー」に対して「Super」の名称を与えようと、生みの親である旭光学工業が考えたと想像するのは難くありません。全てが新規だったのですから…

 

 なお、「Super-Takumar 1:1.4/50」が「8枚玉」から「7枚玉」に移行したのは1965年と推定されていますから、亭主の推定のようにその誕生が1962年だとすると、「8枚玉タクマー」の製造販売されていたのは足掛け4年間ということになります。後継「7枚玉タクマー」の開発に要する期間のことを考えると、それは妥当な期間なのではないかと推察できます。

 

 

●レンズシリアル番号について

 亭主がこれまでに発掘した「8枚玉タクマー」の最も若い「レンズシリアル番号帯」は「765***」です。これが頒布された最初の番号帯であることを亭主は確信しています。このうち「***」の部分のすべての番号を使ってはいないことも発掘結果から確信していることです。

 「8枚玉タクマー」の「レンズシリアル番号」には「6桁」のものと「7桁」のものがありますが、当然「6桁」のものの方が古いと考えられます。「V期型」以降には「7桁」のものが使われていますが、「6桁」であっても 「7661**」に「V期型」のものが存在します。これは大いに「謎」の存在でもあります。ほかに「766135」という「T期型 B?」の個体が発売直後の「アサヒカメラ10月号」に載った広告写真に使われていることから、ほとんど出現しないこの「766***」という番号帯自体が「謎」でもあります。旭光学工業の社内用とかに使った可能性も考えられます。

 2016/11に、「ebay」に「766141」という個体が台湾から出品されているという情報が寄せられました。その画像を見る限り「V期型」です。やはりこの「7661**」という番号帯は特別なものである可能性が増しています。

 「T期型 B」以前には「7桁」のものは発見されていません。すべて「6桁」であり、「U期型」になって初めて「7桁」が使われるようになります。でも その「U期型」の「7桁」は「103****」と「106****」からしか発見されていません。このように特定の番号帯しか出現しないことから、「レンズシリアル番号」は端から順に 悉皆使っていったのではなく、何らかの意図をもって飛び飛びの団塊的に使っていた可能性を亭主の発掘結果は表しています。このことが希少と言われる「8枚玉タクマー」の製造数を推定することを困難にしてもいます。

 

「8枚玉タクマー」レンズシリアル番号帯確認記録

 以下はネット上に現れたオークションなどの画像で判別が可能なものや、亭主が実際に入手したものの記録です。「**」や「***」の部分は複数のこともあります。

 これを見れば、「T期型」や「U期型」の製造数が、「V期型」以降と比べて随分と少ないことが推定できます。

 T期型

   7651** 7652** 7653** 7654** 7655** 7658** 7659**

   7660** 7661** 7662**

   9684** 9685**

   9779**

   9782**

   9981** 9986**

 U期型 

   9678** 9679**

   9681**

   9773** 9774** 9775** 9776**

   9780** 9781** 

   9982** 9984** 9985** 9988** 9989**

   9990** 9991** 9993** 9994**

   10319**

   10325** 10326** 10327** 10328** 10329**

   10330** 10331**

   10629**

   10630** 10631** 10632** 10633** 

 V期型

   7661**

   9676** 9678**

   9773** 9775** 9779**

   10312** 10314** 10315** 10316** 10317**

   10325**

   10626** 10628**

   10634** 10637** 10639**

   10641**

   1079***

   1080*** 1081***

   1115*** 1116*** 1118***

   1123*** 1124***

   1134*** 1135***

   1141***

   1155*** 1156***

   1160*** 1161*** 1164*** 1165***

   1178*** 1179***

   1194***

   1211*** 1212*** 1213***

   1220*** 1221*** 1222***

   1239***

   1252***

   1275***  

   1280*** 1283*** 1284*** 1287*** 1288***

   1296***

   1310*** 1311*** 1314*** 1315***

   1327*** 1329***

   1330*** 1331*** 1334*** 1335*** 1338*** 1339***

   1342***

 W期型

   1343*** 1344*** 1345*** 1349***

   1353*** 1354*** 1357***

   1374*** 1375*** 1379***

   1380*** 1381*** 1382*** 1384*** 1385*** 1386*** 1387*** 1388*** 1389***

   1390*** 1392*** 1393*** 1397*** 1398***

   1400***

   1478***

   1486*** 1488*** 1489***

   1490*** 1491***  1492*** 1493*** 1494*** 1495***

   1548*** 1549***

   1550*** 1551*** 1552*** 1553*** 1554*** 1555*** 1556*** 1557*** 1558***

   1561***

   1572*** 1573*** 1574*** 1575*** 1576*** 1577*** 1578*** 1579***

   1580*** 1581*** 1582*** 1583*** 1585*** 1587*** 1588*** 1589***

   1590***

   1645*** 1647*** 1648***

 

 以上が、これまでに (2019/6現在) 亭主が存在を確認した「8枚玉タクマー」のすべての「レンズシリアル番号帯」です。新たな個体を結構な頻度で確認できているのですが、これ以外の番号帯に属する個体を見ることは稀です。出現するものはこの中に含まれているのが常です。このように飛び飛びの番号帯が出現するのは、団塊的に割り当てたものと考えられます。

 この「**」や「***」にあてはまる数字の数だけ全部作られたかというと、それは無いのではないかと思っています。それでは「V期型」以降でも10万個を優に超えますから、1年程度の製造数としてはあまりにも多すぎる気がしています。

 なお、「T期型」と「U期型」、そして「U期型」と「V期型」の間にはレンズシリアル番号の混在が見られますが、「V期型」と「W期型」の間にだけは混在がありません。他の交換レンズ機種にも行われた一斉の変更であることがその理由でしょう。逆に、他の期型間に見られる混在の理由の方が謎というか、大いに気にかかることです。

 

 

 ところで、「8*****」という「6桁」の番号帯が抜けているのが目につきますが、これは他の機種に割り当てられた番号帯のようで、絞り環がまだ旧式の1964年発売開始「Super-Takumar 1:1.9/85」に「886800」を確認していますが、これが新式絞り環になったのは1965年だと亭主は推定しています。

 「6575**」「680432」「6956**」「7182**」は赤線赤丸「Super-Takumar 1:1.8/55」T期型が使っています。

 「78****」「790017」は「Macro-Takumar 1:4/50」試作版?が使っています

 「8423**」は赤菱形「Super-Takumar 1:1.8/55」T期型が使っています。

 「8945**」は「Super-Takumar 1:1.8/55」U期型が使っています。

 「9405**」「9549**」「9585**」「9657**」「9690**」「9867**」は「Super-Takumar 1:1.8/55」U期型が使っています。

 「1023427」は「Super-Takumar 1:1.8/55」U期型が使っています。

 「1044***」はプリセット絞り「Takumar 1:3.5/200」が使っています。

 「10852**」は「Super-Takumar 1:1.8/55」U期型が使っています。

 

 「8枚玉タクマー」の最終形である「W期型」の「レンズシリアル番号帯」は「164****」までだと思われますが、これ以前の番号帯でも次の時期の「X期型」が数多く混在していますから、番号からだけでは「期型」の境の判別が出来ません。特に、「W期型」の現れる番号帯の中に大きく番号が飛んでいる「142****」には「X期型」 が最初に現れ、しかも「X期型」しか発見されていないことから、これが7枚玉タクマー「X期型」のβ版なのではないかと考えられます。

 しかし、これも単なる「β版」にしてはその発掘数が多いので「X期型」、つまり「7枚玉タクマー」への切替時に、それに先立って作り溜めしたものかもしれません。あるいは「8枚玉タクマー」と「7枚玉タクマー」とは並行して製造販売されていた時期があるのかもしれません。そして、その場合、名称は同じでもレンズ構成の異なる二種類があることを公告していたのかどうかを知りたいものです。

 ちなみに、「8枚玉タクマー」や「7枚玉タクマー」が発掘されない「143****」は、1962年から発売されたプリ・セット絞り「Tele-Takumar 1:5.6/200」に割り当てられた番号帯のようです。「1434756」を確認しています。

 

 「8枚玉タクマー」や「7枚玉タクマー」について、それに使われているレンズシリアル番号帯が飛び飛びの団塊状であることの答えとして思いついたのが、「標準レンズ」は通算の番号を使っていたということで、つまり「Super-Takuamr 1:1.8/55」や「Macro-Takumar 1:4/50」などとも通算するかたちで使われていたということです。「8枚玉タクマー」が「765***」番号帯から以降しか発見されないことにしても、それが作られたのと同時期と推定される「Super-Takumar 1:1.8/55」の方はその少し前の番号帯を使っているのです。

 さらに調べを進めると、それは「標準レンズ」だけでなく、当時旭光学工業が作ったすべての交換レンズについても共通の一つの一連番号を用いている疑いが濃くなりました。同時期に製造しているものは当然団塊的にそれぞれの機種に割り当てていたのだろうということは発掘・出土の例から推測できることです。それでなければ特定のチェック ・デジット桁を含まない7桁の、それも8桁に近づく番号までの使われ方というのは納得することが出来ません。

 この考えに基づいて他の機種について見比べてみると、「9*****」の途中で被写界深度零指標が「赤線に赤丸」から「赤菱形」に変更されているのですが、これは「Super-Takuamr 1:1.8/55」の絞り環回転方向が逆だった時期、1962年から1963年までにそれに行われたことと一致します。

 先にも述べましたが、番号帯の飛ぶ「9*****」番台以降は「8枚玉タクマー」の出土数が結構多く、そのすべてを「β版」とするのはいささか無理があるように思えます。このことから、少なくとも「9*****」からは1964年7月より前に、「SV」などのユーザーに対してオプション上級標準レンズとして「単体」販売を行っていたのではないかと思えてきました。1964年10月号「アサヒカメラ」で「SP」の新しいセット・レンズと紹介されているのは、その執筆者は「8枚玉タクマー」が既に販売されていたことを知らなかっただけなのではないかということです。販売を開始したばかりの新レンズであることは間違いではなく、「SP」より前にはセット・レンズとしては使っていなかったので、それを訂正するほどの問題意識を記事にされた当時の旭光学工業が持ってはいなかったとも考えられます。

 あるいは、それまでのカメラにはセット・レンズとされていなかった「Super-Takumar 1:1.4/50」を新たにセット・レンズとしたという意味でそう書いたのかもしれません。単に執筆者の文章力が今一だったのかもしれません。

 なお、「8枚玉タクマー」の「T期型」発売開始時期として、「Super-Takuamr 1:1.8/55」の絞り環回転方向を改めたり、望遠など多くの種類の「Super-Takumar」銘交換レンズを一斉に上梓した時期と同じだったのではないかと思えてきました。それは1963年のことです。

 結局、真に「β版」だと考えられるのは「765***」だけだと思います。これが作られたのは1962年以前のことなのでしょう。

 

 

●鏡胴構造および整備・取扱について

 「Super-Takumar 1:1.4/50」が出る前の全自動絞り標準レンズ鏡胴の構造としては、フィルターやフードをねじ込んで取り付ける「鏡胴先端部」は、ヘリコイド内筒に刻まれたネジ溝に直接ねじ込んで取り付けていました。このことにより、フィルターやフードを脱着するときにそれを回すと、「鏡胴先端部」が共回りして緩んだり、外れてしまったりする事象が発生したのです。

 また、「ピント環」はヘリコイド中筒に直接ビス止めされていましたから、無限遠調整をするためには、ヘリコイド内筒と、それにリング ・ナットで締め付けて固定している内部鏡胴との間に薄い大径のシム・リングを複数出し入れすることで行わなくてはならず、もしオーバー・インフとしたいときなどはそのシムを入手しなければならないなど、整備性が良くなかったのです。

 

 これらの問題を解決したのが「Super-Takumar 1:1.4/50」で採用された鏡胴構造で、ヘリコイド内筒前面に3か所設けたネジ穴(1.4mm径)に「鏡胴先端部」内側に設けたリブに開けた3か所の穴を合わせて3本の小ビスにより固定する方法としたのです。

 また、ピント環も、ヘリコイド中筒前面に3本の小ビス(1.4mm径)を取り付け、その頭部でピント環内側に設けたリブを押さえつけて固定する方法としました。このことにより ヘリコイド中筒に対するピント環の固定位置を微調整することが可能となり、ヘリコイド中筒を回すことにより前後するヘリコイド内筒の繰り出し具合で無限遠を調整できますから、オーバー ・インフも容易に設定できることになりました。

 さらに、レンズ群と絞り装置で構成する「内部鏡胴」についても、ヘリコイド内筒に3本の小ビス(1.4mm径)のナベ頭で押さえつける固定方法としていますから、固定位置を微調整することで最少絞り開度を微調整することが可能になりました。

 この二つの微調整可能な固定方法により、製造時の作業性はもとより、ユーザーの手元に渡った後の整備をも容易にして、今日亭主のような素人整備に道を開くものとなったのです。

 もっとも、小ビス3本のナベ頭で押さえているだけの固定ですから、この小ビスが振動などで緩むと固定が出来ないということになります。事実、そんな状態となった中古品をよく見かけますが、それらは小ビスの増し締めで簡単に修復可能です。過去に分解整備を受けている個体の中には、この小ビスが緩まないように「緩み止め」を塗布しているものも見られます。この場合、綺麗な仕事のためには小ビスを外す前に、「緩み止め」に無水エタノールを塗布するなど事前準備が肝要です。

 

 「8枚玉タクマー」にも継承されている「全自動絞り」の機構は、1961年「Auto-Takumar 1:1.8/55」で初めて採用された巧妙な仕掛けです。この「全自動」と「手動」とを切り替え可能な「絞りリンク」を組み込んだマウント台座は、ユニットとなったヘリコイド装置外筒の後方に被せて 側面から3本の小皿ビス(1.7mm径)で固定しています。その「絞りリンク」には、各段ごとの移動角を「均等」とした「絞り環」の作動に対して「不等間隔の絞り開度」を作り出すための「カム装置」を含んでいます。その巧妙緻密な働きは、分解して鑑賞するのに足る逸品です。

 なお、マウントアダプター経由で今日のデジタル一眼カメラで使う場合、折角の自動絞り機構は使えないのですが、レバー操作で「自動」と「手動」との切り替えが可能という構造が、ピント合わせに便利な「絞り開放」と撮影時に必要な「実絞り」とをあたかもプリセット絞りのごとく容易に切り替えられるという利点をもたらしています。特に、大きく絞り込んで撮影したいときに便利です。「8枚玉タクマー」は開放時と絞ったときとでピント面の移動がほとんど無いので、この機能の利便性が生きます。

 

 

 「レンズ群」を前後させてピント合わせを行うための機構であるヘリコイド装置は「外筒、中筒、内筒 」の三重構造で、しかもユニット構造であり、これが鏡胴の「要」です。

 「内筒」にはレンズ群や絞り装置を組み込んだ「内部鏡胴」を取り付けてあります。

 「外筒」にはマウント台座を取り付けています。

 「中筒」にはピント環を取り付けています。

 ピント環を回すと「内部鏡胴」が直線的に前進後退するのは、ピント環を取り付けた「中筒」の回転に対して、「外筒」とは2か所の対向する「摺動板」 と「摺動溝」とで回り止め結合されている「内筒」がその回転を妨げられることで、「内筒」と「中筒」を結合している「荒いピッチの順ネジ溝」によって前後に動かされる、という原理です。「中筒」と「外筒」も「極細逆ネジ溝」で結合していますから、ピント環を回すと「中筒」に取り付けてあるそれ自体もごく少量前後します。

 この「中筒」と「外筒」との結合について、それを自由回転する関係にしているヘリコイド装置も世の中には存在していますが、その場合、結合が緊密だと回転に支障があり、緩いとガタが出やすいという問題があって、それに対して「8枚玉タクマー」などに採用されているような「極細逆ネジ溝」での結合なら、緊密な結合と円滑な回転とを両立可能という巧妙な仕組みなのです。

 「内筒」と「中筒」を結合する順ネジ溝は少ない回転角で大きく前後させるために荒いピッチ(亭主の計測値14mm)であり、初期は「12条 」、後期は「6条」で構成されています。分解して整備後はそのどのネジ溝で結合してもよいわけではないので、分解にあたっては組立時に困らないように何らかのマーキングを行うことを勧めます。そうでないと、適切な結合を見つけるのに苦労することとなります。お勧めの方法としては、ネジ溝が外れる瞬間の位置に対して、外筒の周囲と内筒先端の周囲にケガキ線を付けることです。この時には中筒に対して外筒も一杯に捻じ込んでおきます。これ重要…

 

 「中筒」と「外筒」との結合を行っているピッチ0.5mmの「極細逆ネジ溝」の適正な相互ねじ込み位置も、両者の回転を規制する「摺動板」の取り付けによって変化しますから、正しい位置に設定しないと「無限遠」を出すときに困ります。この辺は根気とスキルを要する点でしょう。まあ、やって失敗してみると問題の存在に気づくことでしょうが、そのへんの習得の達成感というのも自前整備の醍醐味かもしれません。

 ヘリコイド装置を分解清掃したなら、組立時のネジ溝へのグリース塗布は必須のことです。適当な粘度のものを選択しなければなりません。専用のものが何種類かの粘度で市販されていますから、好みのものを選びましょう。内筒・中筒結合ネジ溝用と中筒・外筒結合極細逆ネジ溝用のグリースは同じ粘度ではよろしくありません。後者の粘度を大幅に低くする必要があります。

 

 「8枚玉」のヘリコイド装置分解の手順と注意点について、もう少し詳しく説明します。「7枚玉」となった後の「Y期型」以降は少し異なっていますのであしからず…

 最初に2か所の「摺動板」を外します。そのことで「内筒」を回すことが出来るようになります。この時に注意しなければならないのは、「摺動板」を取り付けている各2本ずつの小ビスは「摺動板」ごとに形状が異なっているということです。その使われている位置関係を分解の前に記録しておかないと組立に苦労します。画像で残すのが確実です。

 なお、「摺動板」は内筒に小ビス2本で取り付けてあります。その「摺動板」は外筒にある溝の中を摺動します。中筒の回転によって押し出されて行く内筒がある時点で止まるのは、外筒の溝の端に「摺動板」が突き当たるからです。 これは不用意にバラバラにならないようにする巧妙な設計及び工作です。

 ヘリコイド装置を後方から見て、内筒の縁内側に「半円状の窪み」があるところのすぐ右横の「摺動板」を止めている2本の小ビスは頭が皿状です。その反対側の「摺動板」をとめている2本の小ビスは頭が円筒状です。これはその頭の形状に意味がありますから、組立時に 取り違えてはいけません。 入手した中古品を分解していると、小ビスの回り止め塗布があるなどにより業者が整備したと思われるものの中にも取り違えて取り付けているものがあります。そこに わざわざ違う形状のものを用いていることの重要性を理解していない低スキルの業者が存在していたということでしょう。

 なお、上記「半円状の窪み」はマウント台座内の絞りリンク軸ビスを逃げるためですから、ここが組立時の目標となります。

 

 また、「摺動板」を外したあとで「外筒」を「中筒」に対して左回しで軽く一杯に捻じ込み、そのときにどれくらいの角度を回したのかを記録しておきましょう。これも組立時に必要となる情報です。実際に分解 ・組立を行えば、このことが極めて重要であることを思い知ることでしょう。

 次に、いよいよ「内筒」を「中筒」から抜き出しますが、抜き取る瞬間の両者の位置関係を記録しておきましょう。上記したような方法がお勧めです。「内筒」と「中筒」の捻じ込みの位置関係が重要なのは、2か所の「摺動板」の位置が重要だからです。

 実際に分解・組立を行ってみると、この装置の設計・工作が極めて精緻であることを知ります。ただの単純なネジ装置ではありません。これに取り付けるマウント台座との関係、その中に組み込まれている「絞りリンク」との関係など、感心することが数多です。まさに鏡胴の「要」であり「規範」であるということを実感します。

 

 絞り装置は、「Z期型」になるまではまだユニット式ではなく、前後にレンズ・ホルダーをねじ込んでいる内部鏡胴に直接6枚の絞り羽根を組み込んでいるものです。この絞り羽根を分解すると再組み立てに苦労するかもしれません。完成形を見本として作業すると案外楽なのですが、そうでないのなら初めての人にはお勧めしません。万一 絞り羽根が油脂などで汚れていたら、内部鏡胴ごとシンナーの中で振り洗いする方がいいかもしれません。

 しかし、分解してみれば、「8枚玉タクマー」の場合、絞り羽根自体が油で汚れたりする可能性は皆無に等しいことが分かります。もしそのような状態の個体があったとしたなら、それは過去の無知な分解整備者によって故意に注油されたものです。絞り装置内に油脂を施す場所はありません。 使用中に他からその場所に入り込む可能性も極めて少ないと思います。

 事例の非常に多い絞り羽根の動きが悪い現象は、マウント台座内部の「絞りリンク」内の汚れと潤滑不良であることがほとんどです。鏡胴を分解・清掃して必要か所へ少量の良質油を施せば必ず治癒します。

 しかし、水没事故とか、置かれていた環境の劣悪さから錆が発生して羽根が固着している可能性はあります。この場合、錆が除去出来れば黒鉛などの固体潤滑剤の塗布で性能の復活も可能です。絞りを分解せずに全体をシンナー洗いした場合も、この固体潤滑剤の塗布は必要でしょう。

 なお、絞り環を動かしても絞り羽根がまったく動かないという故障があります。これは絞りリンクと絞り装置の「連結棒」が結合されていないか、脆弱である「連結棒」が折れていることが考えられます。前者なら正しく結合させることで完治しますが、後者だと 、その絞り装置はゴミ箱行きです。代替の絞り装置を入手して置き換える以外に治す手立てはありません。「連結棒」は内部鏡胴を分解するときに折ってしまう可能性がありますから、これはそんなに少ない故障ではありません。 他の部分の部品取り目的以外には、絞り環を回しても絞り羽根の動かない個体には手を出してはいけないという事です。

 

 マウント台座の内部には「自動絞り」と「絞り環」の「等間隔移動」を実現するための巧妙精緻な「リンク」が組付けてあります。整備時にこれを分解する必要性は極めてまれだと思いますが、その構造や仕組みを会得するためならそれをするのも良いでしょう。この部分の油脂切れや埃などの汚れによる固着が絞り羽根作動不良の原因のほとんどです。

 また、マウント後方に飛び出している「連結押しピン」が歪んでいることも故障原因として例が多いものです。マウント・キャップをせずに交換レンズ後端を下にして置くという行為がそれを引き起こします。特に自動絞りにしている時に起き易くなります。その理由は、その時には「連結押しピン」を押す抵抗が大きいからと、手動絞りの時には「連結押しピン」は押し込むと戻る力が弱いからです。

 

 レンズ群は絞り装置の前後に捻じ込んであるレンズ・ホルダーに組み込んであります。1群目は前側レンズ・ホルダーのソケットを左に回し外せば抜き取れます。2群目は切り欠きリング・ナットで押さえてありますから、それを左回りに外せば抜き取れます。3群目は後方からソケットで押さえていますが、内面反射防止のための小端塗りがされているので、あまり外さない方がよいでしょう。 清掃のためならそのままでも出来ます。

 4群目は3枚の貼り合せで、後ろ側のレンズ・ホルダーに前方から切り欠きリング・ナットで押さえています。5群目は後ろ側レンズ・ホルダー後部に切り欠きリング・ナットで押さえてありますから、それを左回しに外せば抜き取れます。6群目はレンズ・ホルダー後部にカシメ接合されていますから、清掃はそのままで行いましょう。

 なお、レンズ玉の清掃はぬるま湯と中性洗剤で行うのがベストです。無水エタノールやベンジンではカビが取れないことが多いものです。その点、水洗ならほとんどのカビや汚れが落とせます。ただし、コーテイングを腐食するタイプの黴はコーティングにカビ痕が残ってしまいます。木の根状に広がる白カビはコーテイングを腐食しませんから跡形なく除去可能です。

 水洗後は直ちに良質なティッシュで押さえて水気を取り、レンズクリーナー液を少量付けてレンズペーパーで拭き上げます。水気が残るとその跡が残ってしまいます。ティッシュは押さえるように使い、拭くのは止めておきましょう。傷が付く怖れがあります。

 

 分解整備にあたっては、清掃注油後にオリジナルの部品を元のように組み付けるのが王道なのですが、その際、後々の分解整備に役立つ改造や部品置き換えを行っておく、という邪道的ながら合理的考え方もあるでしょう。将来中古市場に絶対に出さないと決めているのならそれも可かと…

 「8枚玉タクマー」の時代に使われていた小ビスは頭溝が「−」です。やってみると分かりますが、これを狭い奥の方のネジ穴に取り付けるのは極めて厄介です。マイナス・ドライバーには小ビスの保持力がほとんど無いので、別に「治具」などの工夫が求められます。適切な「治具」が無いと、奥まった位置に数多くある小ビスを取り付ける時間が総整備時間のほとんどを占めてしまうこともあります。

 なお、その奥まった位置のマイナス小ビスを取り付けるのに極めて効果的な「治具」としては、「電気配線絶縁用熱収縮チューブ 」が肉薄で具合が良いものです。何種類か太さがありますから、小ビスの頭の直径より内径が少し小さいもので、黄色など色の薄いものを選びます。これで小ビス とマイナス精密ドライバーとを保持・接合してネジ穴に運ぶと、ほとんど一発で取り付けられます。これならストレス・フリーで至極快適です。

 しかし、この小ビスを「+」のものに置き換えることで作業時間を圧倒的に短縮することができます。プラス・ドライバーは小ビスの保持力が大きいからです。磁化させたドライバーならなおのことです。オリジナルの状態とは離れてしまいますが、以後も整備は必要不可欠ですから、思い切ってそうするのもいいと思います。

 

 分解にあたって最初の障害となることがあるのは「飾銘板」の取り外しです。これには回すための手がかりが設けられておらず、ゴムなどの柔らかくて表面抵抗の大きい「工具」を押し当てながら回すしかないのですが、ネジ溝に汚れが入り込んでいたりすると固着して回らないことがよくあります。そんな場合でも、一部のレンズ ・メーカーが採用しているような「カニ目」を設けてあれば、「カニ目回し」を用いることで簡単に外せるのにと恨めしくなります。

 そもそも、分解の手始めであるこの場所に回すための手がかりを設けていないのは、素人整備を拒絶するメーカーの意思の表れなのかもしれませんが、今日メーカーは自社の古い製品の整備を引き受けることを拒絶するのですから、今や素人が整備するしかないのが実態です。工夫が必要なのです。

 なお、かなり強力な回し方として、ゴム製などの工具と「飾銘板」の間に両面接着テープを貼るという方法がかなり有効です。その場合、超強力タイプが好成績です。

 

 鏡胴分解の最後に「絞り環」を前方に抜き取りますが、このときにクリック用鋼球を紛失しないように注意が必要です。この鋼球は径1mmですから、ステンレス製のものが比較的容易に入手可能です。亭主は「東急ハンズ」で以前入手しました。他社の交換レンズなどには、ミノルタや富士フイルムの引き伸ばしレンズなど、これとは異なる径の鋼球が用いられていることがあります。その場合、入手は厄介かもしれません。

 なお、鋼球のある位置は、絞り環を開放にしたときに「1.4」の真下です。組立時にも色々と分かり易いので、いつも絞り環位置は開放で作業すると良いでしょう。

 組立時には、絞り羽根や絞りリンクは開放位置にすると「ピント環」との結合が分かり易いでしょう。クリック用鋼球の位置も「絞り環」の「1.4」の下ですから、これが最適だと思います。

 

 なお、絞り値を設定するための「絞り環」の意匠ですが、この8枚玉「Super-Takumar 1:1.4/50」からは、その後の各機種においても統一意匠となるものになっています。

 

 ところで、最終の「Z期型」は開放測光鏡胴ですから、上記分解整備方法とは少し異なっています。「Super-Multi-Corted Takumar 1:1.4/50」のことを述べている部屋にその構造のことを取り上げてありますから、必要なら参照してください。

 

 自前整備のために使用する工具を上げると、飾銘板を脱着するための「ゴム工具」、これは椅子の足ゴムとか広口瓶の口にゴムを巻いたものなどが使えます。数多くある小ビスの脱着のためには「1.2mm」と「1.8mm」の精密マイナス・ドライバー、先端が尖って少し折れ曲がった「高級ピンセット」、これは安物では絶対にいけません。これだけあれば外部鏡胴の分解・組立は可能です。

 レンズ・ホルダーを含む内部鏡胴も分解・組立を行うのであれば、上記に加えてリング・ナットを回すための「カニ目回し」、ソケットなどを掴んで回すための先端にプラスチックを取り付けた「パイプ・プライヤー」が2丁といったところです。「カニ目回し」は各種ありますが、どれも一長一短がありますから、色々と手に入れるというのが正解かも…

 

 この「Super-Takumae 1:1.4/50」という標準交換レンズをカメラに着脱するときに心がけねばならないことは、事前に「ピント環」をいっぱいに繰り出し、外すときには「絞り環」を最少絞りにしておく、ということです。この状態であるなら、外すときにはきつく閉まっていてもより力を加えやすいマウントに近い「絞り環」と「被写界深度指標環」を掴んで回し、装着するときには落とさないように「ピント環」を確実に握ってマウントに導き入れて回すことが出来るからです。このようにすれば、外した時にレンズ群後端が鏡胴から大きく飛び出していることがなくなり、それを傷つける恐れが減ります。

 特に、この「着脱時に繰り出しておく」というのは絶対に必要なことです。それとは反対に無限遠にしておくとレンズ群後端が鏡胴から飛び出した状態となり、そのまま机の上に立てて置いたりすればレンズ後面を確実に傷つけます。ネット・オークションに掲示している写真に、マウント ・キャップをせずに無限遠で立てた状態の画像を見ることがありますが、亭主はそれだけで入札の対象とはしません。いくら安価でもです。

 

 なお、長期保管時には、窓に面した明るい場所にレンズ・キャップをしない状態で、絞りは手動にして「F1:2」など開放に近い状態にして、距離指標窓を下にした状態にして寝かせておきましょう。このようにすれば埃が入るのをより防げますし、レンズ内に紫外線が行き渡ることで大敵の黴の繁茂を防ぐこともできます。絞りを少しだけ絞っておくことで、万一絞りリンクが固着しても最小限使用することが可能です。 また、このことで「連結押しピン」を曲げてしまう事故を少なく出来ます。

 レンズ前面の汚れが気になるのなら保護フィルターを併用しましょう。UVフィルターは紫外線を妨げるので不可です。 これは暗い防湿庫などに置くよりお勧めです。周囲の空気が動いている状態が黴を防ぐのに有効なのだと思います。

 亭主が行っている一例としては、厚板に交換レンズの数だけマウント・キャップをビス止めし、それに交換レンズをねじ込んで、その厚板を「扁額」のように壁に掛けるというものです。マウント・キャップをビス止めする時には、埃の入り込みを少しでも避けるため、レンズの距離指標窓が下を向く位置にします。これでディスプレイを兼ねた優秀な保管場所が生まれます。これなら黴などまず無縁です。この方法は、鏡胴の長い重い超望遠レンズには向かないでしょうが…

 

●分解整備に必要、またはあると便利な道具、材料など

 「Super-Takumae 1:1.4/50」は分解整備が必要な交換レンズです。それを自前で行うためには道具を使います。それらについて少し述べたいと思います。

飾銘板外し用道具

  円筒形のゴム製専用道具が市販されていますが、直径48mm程度の円筒に柔らかい滑り難い素材を貼り付けたものを自作する方法が手軽です。厚手の超強力両面接着テープを用いると相当に頑固な固着も回せます。

マイナス精密ドライバーセット

 用いられているビス類はすべてマイナス頭ですからこれが必要なります。

ピンセット

 先端に少し角度がついたもので、鋭利なものが使い易いと思います。このピンセットは、なるべく上質高級なものを選ぶと仕事が楽です。

カニ目回し

 レンズ玉を取り出して洗浄等行う場合には必需品です。鳥居型よりコンパス形でビットが交換できる形式を選ぶべきです。そのビットにはマイナス精密ドライバーを使えるように工夫すると、「Z期型」のような奥まった狭いところの切り欠きリングを回すのに使えます。

パイププライヤー

 これもレンズ玉を取り出すときに重宝します。ソケットで押さえている場合にそれを掴んで回しますので、口の部分に軟質素材を取り付けてあるものが適当です。

ブロワー(ゴム玉)

 レンズなどの埃を吹き飛ばすのに使います。なるべく大型のものが良いでしょう。

レンズサッカー

 吸盤式のレンズ玉保持器です。洗浄後のレンズ玉をレンズホルダーに戻すときに重宝します。

レンズペーパーとレンズクリーナー液

 洗浄後のレンズ玉を拭くときに使用します。

無水エタノール

 各部の清掃や、ビスに塗布された回り止めなどの溶解に用います。薬局で買えます。

ベンジン

 油分の清掃に用います。これも薬局で買えます。

カメラ用オイル

 リンク類の軸や関節部に注油するものです。

ヘリコイド・グリース

 ヘリコイドを分解したときに塗布します。好みの粘度を選びます。

綿棒

 片側の先端が尖ったかたちのものが便利です。

 

 

●よく見られる問題点とその対処法

 製造後50年以上経過していて、その間に手垢などが付いて汚れていると、距離指標や絞り値などの文字が変色している場合があります。これは分解して取り外し、ぬるま湯と中性洗剤で洗えば、ほとんどの場合元の色近くに戻ります。その洗浄の際には使い古しの歯ブラシなどを使用すると、へこんでいる文字部分がよく洗えます。

 また、滑り止めのローレット部の溝も、ぬるま湯と中性洗剤を用いて歯ブラシで洗えばすっかりきれいになります。 組み立てたままでその状態に清掃するのは極めて厄介です。

 

 ヘリコイドにガタの出ている個体が多く見られます。その原因はヘリコイドのネジ溝自体の摩耗であることは極めて稀で、その場合は外観が手擦れなどで極めてみすぼらしくなっているはずで、普通の人ならそんな品には手を出さないでしょう。そんなものはジャンクというよりゴミです。

 ガタの原因のほとんどがヘリコイド装置とマウント台座を結合している3か所の小ビスの緩みか、内筒の回転を妨げるための2枚の「摺動板」の取り付け小ビスの緩みです。これらは鏡胴を分解して増し締めを行うことで治癒することがほとんどです。適正な整備によって更に長い年月を健全に使えるのです。

 

 更に、自動絞りの動きが鈍いものがあります。これは絞り羽根部分に問題があることは極めて稀で、ほとんどがマウント台座内に組み込まれている絞りリンク部の潤滑不良か、あるいはマウント後方に突き出ている「連結押しピン」の曲り・歪みです。適切な注油または「 連結押しピン」の整形によって治癒します。

 なお、絞り環を回しても絞り羽根が正常に動かないという故障もあります。これは絞りリンクと連結している「連結棒」が絞りリンクから外れているのであれば簡単に治せますが、「連結棒」自体が折れているか曲がっていることが考えられます。前者であれば即ゴミです。後者でも補正はかなり困難でしょう。いずれにしても他の健全な部分を部品取りする対象とするしかないかもしれません。

 

 「W期型 C」以降の機種の場合、距離指標がピント環に直接印刷されているのではなく、薄いアルミ板帯に印刷されたものを貼り付けています。この薄板帯の接着が剥がれているものがあります。全部剥がれている場合は距離表示が出鱈目になりますが、それ以外でも端の部分だけが剥がれている場合は、ピント環を回すと「ガサガサ」という音がします。何かの拍子にこの剥がれた部分が折れ曲がって破損してしまうことがありますから、この症状が出たら速やかに分解して貼り直さねばなりません。貼り直しはそんなに難しくはないでしょう。

 

 鏡胴先端部の打痕や歪みもよく見られます。落としたり、ぶつけたりしてそうなるのですが、歪んでいる場合は「飾銘板」が外せないので、そのままでは分解が不可能です。分解整備が必要だとなれば、まずは「歪み」を取らねばなりません。素材が比較的柔らかいアルミなので修正が可能なことが多いのですが、修正に使う道具によっては表面に傷が残る場合があります。その場合、塗料によるタッチ・アップなどで満足する以外に、 鏡胴先端部表面の黒アルマイト層を布ヤスリなどで除去し、傷が見えなくなるまで磨き込むという方法があります。硬いアルマイト層の除去はかなり大変な作業ですが、アルミの地肌を出して磨き仕上げやヘアライン仕上げにするという方法もなかなか見た目は良いものです。

 先端部がごく小さくへこんでいるなどの場合、先端部円周の全体を傷の深さだけ削り落として、その部分を磨き仕上げにしても、それがアクセントとなってなかなか良い外観になります。元々のデザインかとも見えます。削り取るのが1mm以内ならフィルターなどの取り付けに支障とならないでしょう。

 どうしても歪みの修正が困難で「飾銘板」が外せない場合、歪み部分そのものをヤスリで削り取ってしまうという方法があります。この場合、鏡胴先端部は使えなくなりますから、他の 部品を「二個一」に供する以外は、他個体から流用する しかないでしょう。この場合、同一の「期型」からならまったく問題がないのですが、同じ「Super-Takumar 1:1.4/50」であっても「期型」が異なると流用できない場合があります。

 

 ところで、修理のためなどで「二個一」をした場合、その個体を中古市場に出すのは感心しません。まったく同一の「期型」によって「二個一」したのならともかく、「期型」の異なるもので「二個一」したものは市場に出してはいけません。 たとえその事実を公告して売ったとしても、その先に転売があると「二個一」の情報が脱落するおそれがあるからです。「二個一」は自己満足に止めるべきです。時々明らかに「二個一」である個体が、それを告示せずに中古市場に現れます。それを見ると悲しさと怒りが湧きます。百年を越える銘品となるためにも、そんなものを許してはなりません。特に「飾銘板」だけを移植している例がありますが、これは罪が深い…

 

 「期型」が異なった場合の互換性について全部の組み合わせを検証してはいないのですが、「W期型 A」と「X期型」との互換性は検証済みです。この両型は鏡胴意匠が類似してはいるのですが、鏡胴各部の構造や寸法が微妙に異なっているため、「飾銘板」と「絞り環」以外は互換性がありません。希少かつ高価な「W期型」のみすぼらしい外装を安価にて入手可能な「X期型」で「二個一」しようとしても、そのままでは成立していませんから悪しからず…

 

 

●レンズ性能について

 写真の素人である亭主にはレンズ性能や描写特性についてあまりあれこれあげつらう能力は無いのですが、その素人でも分かる範囲の事として、「8枚玉タクマー」の場合、絞り開放のときには、特に近接の撮影においては色収差がかなり顕著に現れます。白地に黒い文字などの被写体の周囲に現れるパープル・フリンジというよりも、文字の黒そのものが緑色または紫色に染まる現象で、これは軸上色収差だと思います。この現象は少し絞れば軽減または消滅しますし、ピント位置によっても程度が異なります。被写界深度が極めて浅いことがその出現原因の一つかもしれません。この染まりの現象はF2.8以上に絞れば ほとんど現れません。

 また、絞り開放時の四隅の画質は相当によろしくありません。高感度に強い現代のデジタル一眼カメラ、特にフルサイズカメラで使うのなら、絞り開放は高速シャッターを求めるものではなく、滑らかで美しいという評価もある「ボケ」の効果をより得るためのものと限定すべきでしょう。もし高速シャッターが欲しいのなら感度を上げれば得られます。 もっとも、画質の劣る周辺部は「ボケ」の中に入るのがほとんどでしょうから、この不満足な解像感でも何の問題も無い事でしょう。この状態についても、少し絞れば驚くほど改善します。F1:4まで絞れば不満は生じないでしょう。

 

 

●レンズ・ケースについて

 「Super-Takumar 1:1.4/50」については、レンズ・ケースに入れられて単体販売されたものは少ないと思われます。標準レンズなのですからカメラのセット・レンズとして販売されたものが圧倒的に多いと考えられるからです。他の焦点距離のレンズと違って、黒い円筒形の革製レンズ・ケースに入れられて単体販売される例は本当に少なかったのでしょう。

 1964年の「SP」新発売時には「Super-Takumar 1:1.4/50」だけがセット・レンズだったのですから、単体販売されるものについては、前の時代の型の「PENTAX SV」などのユーザー向けに、それらの機種のセット・レンズだった「Super-Takumar 1:1.8/55」より一層高価で高性能なものを求める人たちに向けたものだったのでしょう。ステイタス志向を刺激するために…

 ところで、特徴あるデザインの円筒形をした黒い専用革製レンズ・ケースは内装にビロードが使われていますが、その色は、当初は「深緑色」でした。これが時代が下がると「赤色」に変更になっています。

 また、その外側黒革部分の素材も、当初の牛革の厚い単層のものから、薄い 革を内側に積層したものへと変化しています。最終的には表側を含めてすべて人造革製になりました。

 今日生じている大きな問題として、内装の保護裏材として使われていた弾力性ウレタン・スポンジが、 その素材の致命的な欠陥性質である経年の加水分解によってボロボロになっているということがあります。これはボロボロの部分を丹念に取り除いて、適切な代替部材を用いて作り直すしかないでしょう。表面のビロードは多くの場合再利用可能です。

 カビや埃などで汚れたり、変形や破損で捨てられた個体が多いと思われます。今日、健全な状態で残っているのは 、交換レンズ本体よりはるかに少ないのではないかと思われます。特に初期の上質な造りの品は貴重かもしれません。表層が牛革製の初期のものなら革用クリーナーで拭けばカビや汚れは取れますし、その後 でミンク・オイルなどの保革油を塗布することで良好な状態を保たせることが可能です。しかし、製品後期の模造革製の時代のものは、残念ながらみすぼらしくなるのを食い止められないようです。とにかく、文化財と位置付けられるべきものですから、程度良好な品を入手したのならば心して大切にせねば…

 

 上画像の3個の内、右端がより古い形式です。蓋の円筒部とヒンジ部が単革で、二か所の吊環が角ばっています。内装のビロードの色も中のものと微妙に異なります。強度的には薄い表革を蓋円筒内側 及びヒンジ部に積層した中と左端の方が変形し難いのですが、積層した内側の革が薄いので、スナップ部の舌状の根元の部分に亀裂が入り易くなっています。

 また、右端と中及び左端とは製造した業者が異なっているらしく、上面に型押しされているレンズ銘刻印の文字太さが異なっています。その他にも違いが見られますので、下請製造業者の変更は確かだと思います。

 しかしながら、他機種のレンズケースの例に鑑みると、全体的には右端と同じ仕様なのに、二か所の吊環だけが左端及び中のものと同じものを使っている場合があるのです。それにより、製造者が途中で代わっていると言える根拠が薄くなっています。 そして、右端と中の中間のものが存在する可能性があります。それも捜さねば…

 

 

●レンズ・フードについて

 「Takumar」時代のレンズ・フードの初期はアルミ製のものです。それは格納時に逆付けすることが出来るようになっていて、広角レンズ用の角型を除いて、逆付けしたままレンズケースに収まるようになっていました。「Super-Takumar 1:1.4/50」の初期、つまり「8枚玉タクマー」においては「Takumar 1:1.8 55mm」表示されているものを使用していたのですが、後に「7枚玉タクマー」になってから「Y期型」でピント環の外径を大きくしたことにより、レンズ・フードも外径を大きくして「Takumar 1:1.4 50mm」と表記したものが作られました。そしてこれは次に「Standard Lens 1:1.4 50mm 1:1.8-2 55mm」という兼用表示をしたものに変更されました。それも後に材質をアルミ製からプラ製としています。

 ところで、同じ「Takumar 1:1.8 55mm」表示のものでも、「8枚玉タクマー」ではピント環と干渉して逆付けが出来ないものがあります。それは表面仕上げが艶消し黒色アルマイトとなっていることを確認しています。干渉しないものは半艶塗装仕上げで、それの方がより古い時期のものです。新しい方が干渉するようになったのは、それが本当に「Takumar 1:1.8 55mm」のためだけのものになったからだと思われます。

 なお、外径が大きくなったレンズ・フードは、初期のものと思われる深緑色内装の本革製円筒形レンズ・ハード・ケースには入りません。 それが次に赤色となった時代にも続きました。「Y期型」用としてレンズ・フードの外径を大きくした時点で円筒形レンズ・ハード・ケースも変更しているものと思われますが、それはまだ手にしていません。

 

 亭主は「8枚玉タクマー」の誕生時期を「Super-Takumar 1:1.8/55」の誕生時期とほぼ同じだと推定しています。定説(PENTAXの公式見解)では1964年「PENTAX SP」の誕生と「8枚玉タクマー」の誕生が同時だとされていますが、それ以前の1962年にオプションの上級標準レンズとして誕生していたことを強く確信しています。この時にそれまでの「Auto-Takumar」という名称を「Super-Takumar」へと変更した原動力となったのが「8枚玉タクマー」なのだとすれば、すべての疑問がすんなりと解けます。

 

 

●レンズ・キャップ及びマウント・キャップについて

 まず、「レンズ・キャップ」についてですが、アルミ製黒アルマイト被せ式のものです。縁の内側に貼っているフェルトの弾力によって鏡胴に止まる仕組みです。このため、落下による紛失が多発しました。また、フェルトが経年により弾力を失い、緩くなってしまうという問題もあります。これへの対処方法としては、他の適当な弾性素材への張り替え以外にも、一旦剥がして薄い両面接着テープの下駄を 履かせる方法で保持力を回復させることも可能です。

 ところで、表面に浮き彫りの磨き出しになっている「ASAHI PENTAX」というロゴですが、「Super-Takumar 1:1.4/50」の歴史の途中で使用するフォントが変更になっています。この変更の時期が特定出来ていないのですが、各種Takumar交換レンズ鏡胴の表記が一斉に変更になった時期(1965年)と同じ頃だったのではないかと推定していて、それは「W期型」からということになります。

 なお、ほかに「PENTAX」としか記されていないレンズ・キャップが存在しますが、これの素性が分かりません。「PENTAX」というロゴのフォントは後期型と似ていますが、文字線が若干太くなっています。

 

 次に、「マウント・キャップ」も変更になっています。変更の理由は、「開放測光鏡胴」となってマウント面に「阿呆対策ピン」を増設し、それから逃げるために「鍔と溝」を付けたものです。前期型を使うと「阿呆対策ピン」を押した状態になってしまいます。もっとも、その方が「AUTO-MAN.」レバーを常に作動させることが出来ますから、ほとんどの場合に具合がいいとは思うのですが…

 ちなみに、マウント・キャップをはずしている時と「新型」のそれを装着した場合、「AUTO」から「MAN.」への切替が出来ません。その逆は出来ます。

 余談ですが、この「阿呆対策ピン」の機能を理解していない仁が、切替が出来ない事で壊れていると誤解して、力任せに動かそうとして切替レバーを破壊してしまったという悲喜劇を耳にしたことがあります。まさに本末転倒「阿呆」な話…

 この変更時期は「Z期型」からだと推定しています。

 

 

●デジタル一眼カメラで使用する

 フィルムカメラ時代に誕生している「Super-Takumar 1:1.4/50」ですが、今日のデジタル一眼カメラにおいて使用することが可能であることが今なおその製品生命を保っている最大の理由だと思います。まだカラー ・フィルムがあまり一般的ではない白黒フィルムの時代に誕生していますが、色収差を可能な限り補正していることから、カラーで撮影するのに問題はありません。 発色も「8枚玉タクマー」であればニュートラルだと感じています。

 なお、黄変によりカラー・バランスが崩れている「7枚玉タクマー」であっても、今日のデジタル一眼カメラは自動または手動でホワイト・バランスが調整出来ますから 大きな問題とはなりません。

 「Super-Takumar 1:1.4/50」のマウント規格は「Sマウント」です。この規格は一時期国際標準だった「プラクチカ」とか「M42マウント」とかと類似の「M42 P=1近似」ネジ規格ですから互換が可能です。そのため、今日市場に存在するほとんどのデジタル一眼カメラに取り付けることが出来る多種類のマウントアダプターが存在しています。「PENTAX」においても「マウントアダプターK」という純正アダプターが供給されていますから、それを使えば「K-1」など現役 「Kマウント」デジタル一眼レフカメラに装着して使うことが出来ます。

 しかし、「自動絞り」に関しては、これに対応しているデジタル一眼カメラは存在していないと思います。従って「手動絞り」にて使用するしかありません。でも、鏡胴に「自動絞り」と「手動絞り」 との切替装置が内蔵されていますから問題なく使えます。あまり忙しくなく撮影するのであれば、ピント合わせは「自動絞り」による絞り開放で行い、撮影時には「手動絞り」に切り替えるという使い方が便利でしょう。レバー操作だけで切替が可能ですから手探りで素早く出来ます。ありがたいことに、絞りを変更することによるピント面の移動はほとんどありません。

 気をつけなければいけないのは、便利であるカメラのフォーカス・エイドを利用してピント合わせをする場合、「手動絞り」にしてあまり絞り込むと作動しないことがあることです。「1:5.6」程度までが安全確実なところでしょう。

 また、絞り開放付近で使うときは、カメラのAF精度との関係でフォーカス・エイドどおりではピントが完全には合わないことがあります。その作動の癖を会得する必要があるでしょう。一般的には無限遠側からフォーカスする方がAF精度が高いようです。

 

 以上のことから、現在のデジタル一眼レフ「PENTAX K-1」に取り付けて使うときには、露出は「Av」を選び、いつもピント環は無限遠にしておき、「A-M切り替えレバー」は「A」にしておくことです。絞り環位置は得たい画像の性質により選びます。

 撮影の時はピントを持って来たいところをファインダー中央に合わせ、シャッター・ボタン半押しで、握ったピント環を中指で押し回してフォーカス・エイドで合焦を得ます。次に必要なフレーミングを行って、「A-M切り替えレバー」を親指で押してからシャッターを切る、という一連の連続動作を習慣づければよいと思います。これが一番良好な画像を円滑に得る方法でしょう。一枚撮り終わったらピント環を中指で引き回し、「A-M切り替えレバー」を親指で引きます。ここまでを体で覚えさせれば思うままの画像を得られること請け合い?

 

 

●中古価格について

 「Super-Takumar 1:1.4/50」のうち、「8枚玉タクマー」の中古価格が最近(2018年現在)かなり高騰しています。ネット・オークションなどでその動向が確認可能なのですが、新品時の元値が「\21,000」であるのに対して、それより高価にて取引きされていることがあります。一例では、「T期型 B」と思われる個体が「\35,000」で落札されています。最も数の多い最晩期のものでも「10K」を下回ることは少なく、そうなるのは レンズ玉に瑕があったり鏡胴外見などかなり程度の悪いものに限られています。

 「8枚玉タクマー」は今でも市場にかなり頻繁に登場していますが、需要もあるという事なのでしょう。「Sマウント」なのですから、マウントアダプター併用によって現代のほとんどのデジタル一眼カメラで使うことが可能という事も需要の衰えない要因なのかもしれません。大口径レンズの顕著なボケ特性を手軽に体験できるということと、珍しい3枚貼り合せレンズということが人気の要素なのかもしれません。希少性に惹かれるという人もあるのかな…

 なお、近頃、以前ネットオークションに登場していたものが、業者と思しき者によって高値の初期値で再登場する例が数多く見られます。また、業者の落札と思われる例も多く見られますので、そんな動向が価格高騰の要因かもしれません。

 

「期型」の分類について

 

 これまでも述べてきましたが、以下の「期型」などの「分類」は亭主が勝手に独断で行っているもので、当然、製造者である旭光学工業やPENTAX、ましてや今のブランド所有者「RICHO」は微塵も関与しているものではありません。あくまで、これまで市中に出た現物のうち、亭主が実際に手にして分解整備したものを基本として、亭主の偏頗な主観を基に行っているものです。まだ亭主が確認していないものの中にこれまでの分類と矛盾するものや異なるものが見つかれば、可及的速やかに分類変更を行う気概でいます。常にそのようなものが発見できないかと いう目線で過ごしていますので、日々これ奮励努力です。

 なお、「期型」をさらに「A」「B」というように「細分類」している場合がありますが、「期型」を分ける要素としては、画像などでも容易に確認出来る変更を基としていて、「細分類」については 、実際に操作したり分解しなければ分からない変更を基としています。

 

<8枚玉>

 T期型 A

 T期型 B

 U期型

 V期型 A

 V期型 B

 W期型 A

 W期型 B

 W期型 C

<7枚玉>

 X期型

 Y期型 A

 Y期型 B

<開放測光鏡胴>

 Z期型

 

 下に掲げる各画像は、その「期型」の特徴をすべて表していると言えるものです。その画像を見るだけで「期型」の判別は出来るものとなっています。しかし、「A」とか「B」とかの「細分類」については、これらの画像からは判別不可能です。

 

T期型 A

765144

 

 収集と研究に基づいて亭主が独断で定めた「T期型」及び「U期型」の定義は「絞り環」の幅が「5.5mm」であることです。これがその次の「V期型」からは「6.5mm」になり、更に「Y期型」からは「7.5mm」になっています。このように次第に幅を増やしたのは、全世界に向けた輸出が進むにつれて、外国人、特に西欧人の大きな手では扱い難いとかいう苦情が寄せられたのではないかと邪推…

 

 絞り環の幅が「5.5mm」と同一である「T期型」と「U期型」ですが、その両者の違いは、「被写界深度環零指標」が「T期型」は「赤丸に赤線」であり、「U期型」以降は「赤菱形」であることです。

 また、「T期型」にだけ存在している特徴として、これは分解しないと見えませんが、絞りリンクのカム板側面の開放絞り位置付近に絞り開度微調整のためと思われる「打痕」があることです。

 

 とにかく、中古市場への登場例が極めて少ない「T期型」ですが、これは更に「A」「B」の2種に細分類できます。「A」には「絞り環」のすべての半段位置にクリックがありますが、「B」以降には「1.4」と「2」および「11」と「16」の間に半段のクリックがありません。この違い については、普通、画像の外見からは区別できません。現物を操作して確認するしかないので、「B」というのがどのレンズシリアル番号帯から始まるのか、まだ確認出来ていません。「7652**」が「A」であるのは読者から寄せられた情報により確認出来ていますので、これまでに連続して 画像が見出されている「7651**」から「7655**」までが「A」で、そこから少し跳んで出現する「7658**」からが「B」というのが亭主の現時点での推測です。従って、この「T期型 A」 というのは、最大でも500個の製造ということになりそうです。その内で健全な状態で現存するのがどれくらいなのか…

 

 ちなみに、亭主がネット上等で確認したこの型の個体の内、最も若いレンズシリアル番号は亭主の所有する「765144」です。これより若い番号を探していますが、まだ発見できていません。この「765***」が最初に使われた番号帯であることは確信しているのですが、その始めが「765000」であるのかは謎です。もしそうだとしても、始めの頃のものはメーカーが評価などで内部的に使用している可能性があり、そのようなものが中古市場に出て来る可能性は低いのかもしれません。「7650**」というのが存在している可能性は 、他の番号帯でも「***0**」が存在しているのを確認しているので、その可能性が高いのではないかと思っています。ということで、亭主の所有する「765144」は145番目に製造されたものということになりそうです。

 

 今のところ、この型が作られたのは1962年だと推定しています。「Takumar」が「全自動絞り」となったのが1961年で、「Super-Takumar」という名称が使われ始めたのが1962年ですから、それ以降であることは確かなことです。1964年7月の「SP」発売に向けての変更過程を考慮すると、やはり1962年というのが最も妥当だと思います。

 

 それまでの「Auto-Takumar 1:1.8/55」の名称だけを変えて、「PENTAX SV」のセット・レンズとして始まった「Super-Takuamr 1:1.8/55」の発売と同時に、この「T期型 A」が上級のオプション標準レンズとして「単体」販売を開始していた可能性はありますが、もしそうならば、絞り環回転方向の異なる標準レンズが並立していたことになり、何とも困った状況だったと思われます。

 先行していた普及版標準レンズ「Super-Takuamr 1:1.8/55」の「被写界深度環零指標」が「赤丸に赤線」から「赤菱形」に変わったのはまだ絞り環が逆回転だった時期ですから、この「T期型 A」が作られたのは1962年であることはそのことでも確実でしょう。そのときに「単体」販売したのか、「β版」として関係者に無償配付したものなのか、その謎は解けていません。

 

 ところで、「Super-Takuamr 1:1.8/55」の絞り環が逆回転のものを、亭主はそちらの「T期型」と分類しているのですが、その中でも「被写界深度環零指標」が「赤丸に赤線」のものは「A」及び「B」と区分しており、そのうちの「T期型 B」を亭主は所有しているのですが、そのレンズシリアル番号は「680432」で、これには「絞り環」のすべての半段にクリックがあります。

 しかし、「Super-Takumar 1:1.4/50」では「W期型 C」から登場するところの、距離指標がピント環に直接印字されているのではなく、一旦薄いアルミ板に印刷したものをピント環に貼り付ける方法が早くも「Auto-Takumar 1:1.8/55」の晩期から既に使われているのです。改変の進み方が機種によって異なっていたことが明らかです。

 それにしても、既に行われていた製造方法ではなく、その前の時代の製造方法を用いている「Super-Takumar 1:1.4/50」というのは、その企画設計段階が相当に早い時期だったことを示しているのではないかと思うのです。

 

 なお、「8枚玉」に共通な事として、6群目レンズのレンズ・ホルダーへの固定方法があります。レンズ周角がレンズ・ホルダーから飛び出している特徴のある形は、レンズを真鍮製のレンズ・ホルダーにカシメ あるいは接着て固定していることによります。この固定方法により、6群目レンズはレンズ・ホルダーから外すことが出来ません。交換が必要な場合はレンズ・ホルダーごと交換しなくてはなりません。この方法を選択したのは、レンズ径を可能な限り有効に使うためと、ミラーとの干渉を避けて極限までバック・フォーカスを短くするためだったと推定します。

 この6群目レンズ形状により、縁の部分を欠けさせる事故がかなり頻繁に見られます。レンズ自体は素材のガラスへの配合物のせいで柔らかいので、ぶつけても亀裂が入ることは少ないのですが、うろこ状に縁が小さく欠けることは起きやすいので、レンズ交換時などの取り扱いには注意が必要です。その程度の欠けでは実用に支障は出ないのでしょうが、精神衛生上は大いに問題となります。

T期型 B

765957

 

 この「B」までにある特徴は「被写界深度環零指標」が「赤丸に赤線」であることで、それが「T期型」であることの分類要素です。この意匠は、より古い時期の他の交換レンズ機種においても用いられていました。

 しかし、このB型を分類する原因となっている「開放1.4」と「2」および「11」と「最少絞り16」の間の半段クリックを省略した理由がわかりません。この省略は他機種の「Takumar」にも行われて、それが以後ずっと継承されて行きます。工作能率の向上やコスト削減のためとも思えません。セット・レンズとして開発していた「PENTAX SP」の「絞込測光」による露出特性が影響していたのかもしれないなどと、想像をたくましくする基となっています。

 外見の画像からはこの半段クリック省略は判別できませんから、実際に作動させなければ「A」と「B」とを区別することができません。

 

 ところで、この時期のレンズ・キャップは、同じ被せ式でも文字間の空いた文字形状(フォント)です。これが横長になって文字間が詰まったもの変わるのは「W期型」からかもしれません。拘るなら、これも時代を合わせて組み合わせたいものです。

 

U期型

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 この期型の特徴は、「被写界深度環零指標」が「赤菱形」になったことです。この指標は「合焦距離」と「絞り値」の両方を指し示す指標ですから、この「赤菱形」の方が合理的な意匠だと言えます。しかし、亭主の好みとしては 「赤丸に赤線」の方に軍配を上げます。これはあくまで個人の意見…

 

 また、この期型からは絞りリンクの三日月状カム板側面の開放絞り位置付近にあった「打痕」が無くなりました。「打痕」はカム曲線の微調整のために付けたものだと思われますが、それを止めてしまったのでしょう。必要性を忖度した結果の見切りだと推察します。この違いも分解しなければ判りません。

 

 更に、ヘリコイド装置の後方に2か所突き出ている突起(摺動板の動く部分・摺動溝)の背面が切削仕上げになっています。不思議なことに、この仕上げはこの型だけの特徴で、次の「V期型」からは元の黒アルマイト仕上げに戻っています。

 なお、2019/6に「V期型 A」の中にこの仕上げのものを発掘しました。それは残っていた在庫部品を使って組付けたのではないかと考えられます。

V期型から取り出したヘリコイド装置

 

 「T期型」及び「U期型」の特徴は、いずれも「絞り環」の幅が「5.5mm」であることです。「V期型」から「X期型」までより1mm狭いのですが、その分「被写界深度指標環」の幅が広いために余裕があるので、赤外指標に「R」の赤文字が表示されています。これがあることで風格を感じます。

 「被写界深度環」の幅は時代が下るにつれて更に狭くなりますが、亭主の個人的好みとしては、この幅広のものが表記もゆったりとしていて、機能はともかくとして、意匠的には一番好もしい…

 

 なお、1964年10月号アサヒカメラ・ニューフェイス診断室で取り上げられている個体は、掲載写真が不鮮明で「期型」の判別が出来ないのですが「1063326」です。これは1964年7月発売後の「セット・レンズ」であったことはほぼ間違いのないことですから、それがもし「U期型」だとすると、「SP」セット・レンズとしての最初は「V期型」だという亭主の仮説が崩れそうです。さて、悩ましい…

 

 結局、その後の諸考察により、「9*****」以降の「T期型」及び「U期型」というのは、オプション扱いの上級標準レンズとして 遅くとも1963年から単体販売されていた可能性が高まりました。それは「SV」のセット・レンズ「Super-Takumar 1:1.8/55」が絞り環回転方向を逆向きに変えた時期と一致しているのではないかと推察しています。その時期には広角、中望遠、望遠など多くのSuper-Takumarレンズ群が新発売されています。その中の1本として登場していたのではないかと思われます。

 

V期型 A

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 この期型からの特徴としては、「絞り環」の幅が1mm増えて「6.5mm」となったことです。そのため、その前方の「被写界深度指標環」の幅が1mm狭くなり、その影響で「赤外指標」から「R」の文字が省略されました。このことが見分けやすい注目点です。

 また、このことで「被写界深度指標環」を固定する3本の「芋ビス」の位置が縁に1mm近づき、ここに亀裂が入るリスクが増大しています。「芋ビス」を強く締め付け過ぎないことが肝要です。

 しかし、「T期型」と「U期型」の「被写界深度指標環」の場合にはその固定の位置決めになっていたマウント台座の段付き部の位置が変更されないままなので、「被写界深度指標環」の位置決めを3本の「芋ビス」の締め付けだけで行っています。そのことが「芋ビス」付近の亀裂を助長するものになっていると感じます。

 このように急拵え感の拭えない変更を行った理由を考えると、「T期型」とか「U期型」とかを渡して試用を依頼したプロや有力販売店などから「絞り環」の幅が狭くて操作し難いという苦情が出たのではないかと推察します。それ以外には変更の理由を思い付けません。

 しかし、「T期型」と「U期型」においては「被写界深度指標環」の取付位置決めに役立っていたマウント台座の段付き部の変更をその後も怠っていた理由も分かりません。トリビア的な謎の一つ…

 

 この「期型」からが「ASAHI PENTAX SP」のセット・レンズとして1964年7月に登場したのではないかというのが現時点での亭主の推測です。しかし、その時期に「U期型」もセット・レンズとして使われていたかもしれないという可能性が出ていて、この推測は揺れています。

 

 7桁レンズシリアル番号「1031731」というこの型の個体がカメラシリアル番号「1009302」という初期ロットの「PENTAX SP」とセットとして販売されたという事実があります。その「1031***」という7桁番号帯は「V期型」として最初に数多く発見される番号帯なのですが、それでも「10319**」からは前の型の「U期型」だけに戻ってしまいます。つまり、この番号帯の「V期型」製造数は最大900個ということになります。9302番目に製造されたその「SP」のセットレンズになるということは、それまでにもっと前の番号帯の個体が存在していたのではという疑惑を生じさせます。6桁番号時代にも発見される「V期型はありますが、それの属する番号帯を全部合わせても、とても9000個にはなりません。

 このことから考えられるのは「U期型」もセットレンズとして使われていたのか、あるいは、「10634**」以降には「V期型」だけが発見されるのですが、それは「SP」の発売前に作り溜め的に製造されていて、販売に際してのカメラとレンズの組み合わせにおいては、それぞれの番号順にはなされなかったということです。謎は深まるばかり…

 

 この期型は「Super-Takuamr 1:1.8/55」でいうと、その「U期型」の時代に相当します。

V期型 B

 

 

 この期型からはヘリコイド装置の「内筒」と「中筒」とを結合する順ネジ溝が「6条」となりました。それまでは「12条」だったのです。

 ネジのピッチは14mm (亭主の測定による) で変わりません。このネジ溝の数を半分にしたのは製造の合理化かもしれません。結果として「12条」の時より導入部が分かり易く、組立が容易になった気がします。操作感も変わっていないと感じますから、「改良」と言えるのかも…

 なお、A型との見分けは、分解してヘリコイド装置を取り出さなければ不可能です。その変更時期の特定も出来ていません。

 

W期型 A

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 この「W期型」から変わったことは、レンズシリアル番号の表記位置がそれまでの「Super-Takumar 1:1.4/50」の直前から直後に移ったことと、その文字形状(フォント)が変更になったことです。上画像の絞り環などの「6」の文字形状がその違いの分かり易い部分です。この表記方法は他の「Takumar」交換レンズ群全体にも行われたことで、この一斉変更を行わせた動機が何であったのか、興味の湧く事象です。それは1965年、昭和40年のことですから、亭主は創業45周年を期してのことだったのではないかと勝手に推定しています。後年、60周年を期して1980年に「PENTAX LX」を上梓していることですし…ちなみに、「LX」というのはギリシャ数字で「60」のことです。

 

 鏡胴の変更としては、「絞り環」の裏側のクリック溝が環の幅全体になったことです。「V期型」までは幅の半分程度にだけクリック溝が入っていて、中央部に円周溝が入っていました。

 また、マウント台座の「絞り環」が被さる部分に細い浅い溝が円周状に入りました。これは「絞り環」の裏の造形が変わったことに対応する変更だと思われます。

 しかし、これらの変更が行われていないものも存在しているようです。寸法的に互換性がありますから、過渡期における在庫旧部品の混在使用の可能性を感じます。

 

 被せ式レンズ・キャップの文字形状(フォント)が新型になったのも、この型からではないかと考えています。 ここでも初期には混在があった可能性もあります。

 

W期型 B

 

 この「W期型 B」から変更・採用されたことは、ヘリコイド装置の二か所の「回転止め摺動板」のうちの片側、三日月形カム板軸受の反対側の方にデルリン樹脂 (あるいはジュラコン樹脂) が使われていることです。このエンジニアリング・プラスチックが1960年に製品化されたことを受けて採用したのでしよう。 それが真鍮製だった「W期型 A」との分別は分解しないと分かりません。

 

 交換レンズの鏡胴に構造部材としてプラスチックが用いられるのは、現在では当たり前のことですが、それを使い始めた記念碑的機種であると言えます。使われた部分としては使用したプラスチックの滑り抵抗が少なく、必要な強度もあるという物性を生かした所です。

 

 なお、このプラスチック製摺動板が使われるようになってからのレンズシリアル番号帯の中でも、従前の真鍮製を使用している個体が存在しています。残存部品を用いて組立を行っていたのだと考えられます。寸法的には互換可能ですから…

 

 ノギスでの計測では、ヘリコイド内筒の内径は44.4mm、同内筒のリブ外径は49.9mmです。マウント台座外径は段付きになっていて、上部は54.4mm、絞り環の嵌る下部は54.9mmです。ヘリコイド内筒のリブに被さる「鏡胴先端部」の後部内径は50.0mmです。

 

W期型 C

 

 この「C」が「B」までと違うのは、距離指標がピント環に直接印字されているのではなく、一旦薄いアルミ帯板に印刷したものをピント環に貼り付ける方法になったことです。この方法は以後の製品にずっと用いられるようになった大きな合理化で、このことにより生産性が向上したものと思われます。この方法は、「接着」という鏡胴製造技術を最初に用いた例だと思います。レンズの接着はもっと前から行われていましたが…

 しかし、今日では、この「アルミ薄板貼付」方式には経年劣化で接着が剥がれる故障が多発しています。これが生じると、ピント環を回すと「ガサガサ」と音がするなどの現象が現れます。それが嵩じて完全に剥がれてしまうと、距離指標が動いてしまって役に立たなくなります。もっとも、鏡胴を分解すれば貼り直すことは容易ですから、引っ掛かって折れ曲がったりしない軽症のうちに手当てすることが肝要です。

 この「C」と「B」以前との見分け方は、ヘリコイドを一杯に繰り出した状態で、零指標から右に約90度の位置に「アルミ薄板」の端接合部が見えるか、見えないかです。見えればそれは「W期型 C」です。なお、このことより分かり易い判別方法としては、この状態の時にピント環と被写界深度指標環との間の隙間に精密マイナス・ドライバーを差し込んで滑らせて行けば、継ぎ目の存在が容易に分かるでしょう。

 なお、「Auto-Takumar 1:1.8/55」において、この「アルミ薄板貼り付け」方式への変更は既に行われていました。それはおそらく1961年のことでしょう。

 

 さらに、「B」で採用されていたデルリン樹脂(あるいはジュラコン樹脂)の摺動板ですが、その止めビス2本の真鍮円形ワッシャーが真鍮角板に穴2個のものに変更されていますが、そのように変更した時期は不明です。

 

 これら「W期型」の時代には、短期間だと思われるのに上記のように小変更を数多く行っています。技術革新や合理化の加速した時期だったのだと感じます。

 

 なお、この「W期型」鏡胴意匠は7枚玉である次の「X期型」に継承されたので、両者の外見上の分別を少し難しくしています。ただし、内部寸法は微妙に異なっているので、ほとんどの部材について両者に互換性がありません。

 

 まだ確信は持てていないものの、この型の始めは「157****」からだと考えられます。

 

 この期型は「Super-Takuamr 1:1.8/55」でいうと、その「V期型 A」の時代に相当します。

X期型

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 この「X期型」からが「7枚玉タクマー」あるいは「アトム・タクマー」と俗称されるものです。中でも、レンズシリアル番号「142****」というのは、先行的に「8枚玉タクマー」のレンズシリアル番号帯の中に大きく離れて飛び地的に存在するものですから、「7枚玉タクマー」の「β版」という存在なのかもしれません。製品版としては「158****」の中ごろから以降のものになると思われます。

 しかし、「142****」の発掘される数があまりに多いので、発売に先立って作り溜めしていたものなのかもしれません。「PENTAX SP」の販売数が急伸したために「8枚玉」を増産したことで使用する番号が追い越されたということなのかもしれません。

 あるいは、その時期には同時に製造が続いていて、「PENTAX SP」の購入者はどちらを「セット・レンズ」にするか選択出来た期間があったのかもしれません。この辺は資料不足で分からないことです。

 

 この期型からは「8枚玉タクマー」とはレンズ群をまったく別のものに変更していることで、レンズ・ホルダー後端の形状を変更しています。それまでレンズ周囲の角が露出していたものをレンズ ・ホルダーで包み込んでいます。この変更は特徴的なので、見分けやすい着眼点です。

 

 また、この期型からは6群目レンズがレンズ・ホルダーから取り外せるようになって、その整備性は増したのですが、困ったことにこのレンズは両凸型で、その前後の曲率があまり違わないので見分けが難しく、組立時に困ることになります。他の個体を見本にして、その光源反射像の形にて判断するのが良いでしょう。

 6群目レンズをカシメで取り付けなくなったのですが、その代わり、5群目レンズをレンズ・ホルダーにカシメで取り付けるように変更しています。

 ちなみに、カシメによる取り付けがされなくなるのは、開放測光鏡胴の「Z期型」からとなります。

 

 さらに、光学特性が変化していることで「被写界深度環」に記されている「赤外指標」の位置が変わっています。「8枚玉タクマー」は「4」と「零」の間、「7枚玉タクマー」は「4」のすぐ外側ですから、これも見分けやすい着眼点です。

 なお、被写界深度目盛りの間隔も、「W期型」までの両側「16」と「16」との間隔が19mmであったものが、16.5mmに狭められています。これは次の「Y期型」からは17mmに改められています。少し辛すぎたのかもしれません。

 被写界深度が「8枚玉タクマー」より浅くなったのは、実際の焦点距離が「8枚玉タクマー」より長くなったことが大きいのでしょう。撮影して両者の画角を比べればその違いは歴然です。

 

 この期型から「自動絞り・手動絞り切替レバー」の背面に「製品番号(プロダクツ・ナンバー)」の刻印が行われるようになりました。この期型の製品番号刻印は「37800」です。

 全体の意匠は前の「W期型」と似ていますが、微妙に内部寸法や構造が異なっているため、ほとんど部品について互換性がありません。全く別の新製品ということです。

 

 絞り装置と絞りリンクを結合する絞り連結棒の長さが1mm長くなりました。そうした理由は、ヘリコイド装置を組み立てる時にオーバー・インフの余地を大きく取ると、「W期型」までの絞り連結棒の長さだと不足する場合があるのです。

 絞り連結棒を1mm長くしたことで無限遠時にはマウント台座と干渉するおそれが出てきたので、マウント台座の該当部分をくり抜いて干渉を避けています。また、絞り連結棒の方も、先端部分を半分削って干渉の可能性を避けています。

 

 ノギスでの計測では、ヘリコイド内筒の内径は44.8mm、同内筒のリブ外径は50.2mmです。マウント台座外周は段付ではなくなり、全体が54.9mmです。ヘリコイド内筒のリブに被さる「鏡胴先端部」の後部内径は50.3mmです。このことから、「絞り環」 だけは「W期型」と「X期型」が共通です。

 

 

 この期型からは「アトム・タクマー」と俗称される原因となっている酷い「黄変」が見られます。これは放射性同位元素トリウムを含むガラスで一部のレンズを作っているからです。トリウムが放射線を出して崩壊することで黄変するらしいのですが、このときに付近のレンズをも黄色く変化させるとのことです。

 しかし、この「黄変」は紫外線に被曝させることで大きく軽減するという不思議な現象があり、亭主も取り出した黄変レンズ玉を晴れた日中、屋外に置く方法を何度も実施して、その事実と効果を確認しています。でも、これで放射線が出なくなるわけではないので、「アトム・レンズ」であることには変わりないでしょう。

 

 「トリウム・ガラス」のレンズを使い始めたのは普及品の標準レンズ「Super-Takumar 1:1.8/55」の方が早く、レンズシリアル番号の表記位置と使用フォントの替わった「W期型」と同時期です。

 このことから想像するに、この「X期型」は「トリウム・ガラス」のレンズを使い始めた「Super-Takumar 1:1.8/55」と同時期に完成していたものの、「8枚玉」の在庫を消化するまで市場投入を遅らせたとも考えられます。そのことが「8枚玉」の中に大きく離れて先行する「142****」が存在することへの答えなのかもしれません。もしかすると、「W期型」と「X期型」が選択可能的に平行販売されていた時期があるのかもしれません。

 

 放射性同位元素トリウムを含む光学ガラスが開発されたのは1948年のことだそうです。これは1953年にライカがズミクロンに採用したとのことです。わが国でこのトリウム入り光学ガラスを製造供給したのは「オハラ」という光学ガラス・メーカーです。当時の多くのカメラ・メーカー、レンズ・メーカーが採用しました。これを使用すると厄介な色収差を良好に補正出来たために、その影響が大きい明るい大口径交換レンズにそのレンズ群の一部として使われました。旭光学工業においては1965年に採用が始まり、1977年に使用を止めていることが公告によって知られています。「Super-Takumar 1:1.4/50」は1971年頃まで製造されたと思われますので、「7枚玉タクマー」はすべて「アトム・タクマー」ということになります。

 なお、使用を止めたのはKマウント化後の「SMC PENTAX 1:1.4/50」の途中であることを現物収集により確認しています。従って、その次の機種「smc PENTAX-M 1:1.4 50mm」にはトリウム・レンズを使っていません。

 ちなみに、最初のKマウント機種の中の「SMC PENTAX 1:1.8/55」の場合、その前の機種「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」の最終時期にトリウム・レンズの使用を止めていますから、それに使用したものは無いはずです。

 1977年の使用廃止後は、「トリウム・ガラス」の残材は放射線が外部に漏れないようにコンクリート壁で厳重に遮蔽して保管していることがPENTAXから公告されています。これは製造者「オハラ」や「Konica」も同様なのですが、「Canon」や「オリンパス」などその他数社がそれを行っているのかは資料が見つかりません。早々にごみとして捨てちゃったのかな…

 ちなみに、「Nikon」に黄変レンズがあることを聞かないのは、他のカメラ会社やレンズ会社と違って、光学ガラスを自社製造していたことが原因でしょう。たとえそれが自社製造のものより高性能であっても、意地でも他社製品を採用するわけにはいかなかったのだと思われます。自社で酸化トリウムを扱うのが困難だったのかも…

 

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」が作られていた時代は、他の有力カメラ・メーカーも同等性能の上級標準レンズの開発・上梓に鎬を削っていました。そんな中で、「1:1.4 50mm」という上級スペックを有する標準レンズの「国際標準」となるレンズ構成が生まれました。それが「6群7枚構成変形ダブル・ガウス型」です。そして、どれよりも早くその草分けとなったのがこの「7枚玉タクマー」なのです。結局、このレンズ構成の基本設計は現役の「smc PENTAX-FA 50mmF1.4」に至るまで使い続けられている長命なものとなりました。

 最初の「7枚玉タクマー」であるこの「X期型」のうち、さらにレンズシリアル番号帯「142****」の品々が先駆けとしての栄誉を担うということです。それは「1420***」から「1424***」までが発見されていますから、その製造数は最大5000個と推定できます。「7枚玉タクマー」の、いや、「6群7枚構成変形ダブル・ガウス型」の「初版本」的な存在ですから、蒐集の対象として十分価値があると思います。酸化トリウムによる放射線の影響で見事にアンバーに染まった姿を愉しむべき存在でもあり、半世紀を経てもなお見事な性能を愉しめるということでもあります。

 

 なお、その後に有力カメラメーカー各社により作られた同等スペックの標準レンズは、どれもそのレンズ形状が「7枚玉タクマー」とよく似ています。 そのスペックにおいて必要な性能を得るためには最も適した形状ということで、これに「収斂」したということかもしれません。

 

 

 この期型は「Super-Takuamr 1:1.8/55」でいうと、その「V期型 B」の時代に相当します。

Y期型 A

3784197

 

 前の型からは大幅な変更が加えられたこの型が「Super-Takumar 1:1.4/50」としては最も長期間に渡り、数多く作られました。

 

 この期型は、外形の分かり易い特徴としては、「絞り環」の各段ごとの回転角について、本来「1段分」であるはずの「開放1.4」と「2」の間隔を「半段分」にしたため、表記の場所が無くなって「2」の表記を「・」へと省略しています。なぜこのようにこの部分を等間隔ではなくしたのか不明ですが、この変更は同時期の普及版標準レンズ「Super-Takumar 1:1.8/55」でも行われています。もしかすると、当時のカメラ「PENTAX SP」の「絞込平均測光」の露出特性がそれをさせたのかもしれません。しかし、開放測光ならありえないこの選択は戸惑うばかりです。その動機が知りたいものです。

 

 それまでは「A」と「M」だった自動絞り・手動絞り切替指標の表記を「AUTO」と「MAN.」へと変更しています。これはとても見易くなった変更です。

 「絞り環」の幅を更に1mm増やして「7.5mm」としています。 しかし、凹ローレット部と突起部との交互の連続でなる部分の幅は前側の「6mm」だけとしています。結果として操作部はマウントから「1.5mm」離れました。このことでその前方の「被写界深度指標環」の幅がさらに狭くなり、指標表示がせせこましくなっています。 なお、同時に「絞り環」外径と「ピント環」外径も大きくしています。

 

 これらの大変更を行わせた理由は不明ですが、鏡胴外径を大きくすることで押し出しを立派にし、他社のそれに対抗する意図があったのかもしれません。高度成長期という時代がそうさせたのかもしれません。輸出が増えて手の大きな西洋人に対応する意図もあったかもしれません。

 

 

 更に、これは外見からは確認できませんが、何より特筆すべき点として、ヘリコイド装置を設計変更して全く新しい形式にしています。「摺動板」を真鍮製に戻して、なおかつ数倍長いものに変更したことで内筒のガタが大幅に減少しているので、光軸精度が大きく向上しています。その 摺動板の形状も、二か所の内の片側を幅の微調整が可能なものにしています。

 また、その設置位置としても、前の「X期型」までが「内筒」に取り付けた「摺動板」が外筒の摺動溝の中で動いていたものを、この「Y期型」からは「外筒」に取り付けた「摺動板」 が内筒の摺動溝の中で動くように変更しています。これについては同時期の「Super-Takumar 1:1.8/55」の鏡胴構造と同じものを採用しているのです。つまり、この二つの標準レンズが、互いの良いところを取り入れ合っていたということです。

 

 レンズ群と絞り装置を組み込んだ内部鏡胴は、後部レンズ・ホルダーの形状を「X期型」とは僅かですが変えています。見比べると分かりますが、少し角ばった印象になりました。

 

 この型の製品番号刻印は「37801」です。

 

 ノギスでの計測では、ヘリコイド内筒の内径は44.8mm、同内筒のリブ外径は50.4mmです。マウント台座外径は段付きではなく、全体が56.1mmです。ヘリコイド内筒のリブに被さる「鏡胴先端部」の後部内径は50.5mmです。

 

 この期型は「Super-Takuamr 1:1.8/55」でいうと、その「W期型 A」の時代に相当します。

 

Y期型 B

 

 

 この型が「Y期型 A」と違うのは、内部鏡胴の1群目レンズを押さえるソケットの形状です。それまでの「飾銘板」にあったその内側の段付きリブ部分をソケット外側に移して、その分だけソケットの断面形状を大きくして強度を高めています。それに伴って、下画像のように「飾銘板」の形状も内側の段付きリブ部分を無くした簡素なものへと変更していますから、この部品についても従前の期型との互換性は断たれました。

 

 この変更は次の型以降へも継承されました。

 

Z期型

4617494

 

 この型の鏡胴は新規開発された「開放測光鏡胴」です。ネジ・マウントである「Sマウント」ではカメラ本体に対する固定位置が不安定であるという問題を解決するための工夫が凝らされているものです。中身的には、次の時代の「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」のものとほとんど同一です。製品番号刻印も「37902」で同じです。

 レンズ・コーティングもそれまでの「単層」ではなく、旭光学工業が誇る「7層マルチ・コーティング」に変更しています。

 

 開放測光には必要であるため、前の型の「Y期型」が採用した「絞り環」の不等間隔クリックも廃止して、等間隔クリックに戻しています。

 絞り羽根が「8枚」となっている絞り装置を単体ユニット化したために、レンズ群の取り付け方を変更したことで整備性が犠牲になり、少し素人整備がやり難くなっています。これは狭い鏡胴内に収める苦肉の工夫だったのでしょうが、かなりな不満点です。この変更により、ヘリコイド内筒に直接レンズ4群目を 取り付けるようになり、 その狭く奥まった位置の切り欠きリング・ナットを外すための工具は、一般的な「市販カニ目回し」ではアクセス出来ないものがほとんどです。亭主は精密マイナス・ドライバー2本を「コンパス横型式カニ目回し」のビットに使う改造を行って対処可能にしましたが…

 ユニット式絞り装置を格納するためにヘリコイド装置内筒をレンズ・ホルダーを兼ねた複雑な形状に成型したせいでか、回り止めの「摺動板」の形式が長い物となっていた「Y期型」と違って、「X期型」以前と同じような短い形式に戻っています。

 この時に絞り装置をユニット式にしたのは、工作精度を上げて作動抵抗を少なくする目的もあったのではないかと推定しています。羽根枚数を増やしても支障なく作動させるための工夫なのかもしれません。

 

 この「開放測光鏡胴」になってからは、レンズ最後端がレンズ・ホルダー内に収まっているようになり、鏡胴を裸で立てて置いてもレンズ面が接地しなくなりました。厳密には絞り開放明るさに影響があるのかもしれませんが、傷付きのトラブルは軽減できる改良です。このときマウント面に施された「 阿呆対策ピン」と合わせて考えるに、無知・無神経な使用者にも真摯に対応しようという、今に続く企業姿勢が醸成された時期なのかもしれません。この企業思想が後の時代に絞り環に「A位置」を設けさせた基になっているのでしょう。お客様は神様ですってか…

 なお、このレンズ最後端のレンズホルダー形状は「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」に変わってから間もなく少し変更になっています。

 

 この型のレンズシリアル番号帯は「461****」しか発見していません。来るべき「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」の「β版」として作られたのかもしれません。既見のものとしては「4610***」、「4611***」、「4616***」そして「4617***」が存在(2016/5/25現在)しています。「***」全部が使われたとしても4,000個の製造ということになります。

 なお、「4613630」という「Y期型」を見たことがあります。本当にレンズシリアル番号帯の使い方は「謎」が多い…

 

 この型からのレンズ玉は、その外径が「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」および「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」を経て、「smc PENTAX-M 1:1.4 50mm」まで同一です。外形が少し異なるレンズ・ホルダーの内部構造は同一なので、物理的には互換性があります。しかし、1977年「SMC PENTAX 1:1.4/50」の途中で5群目と6群目のトリウム・レンズを止めて、他の組成の物に変更していますし、そのときに曲率を変更している可能性があります。もしレンズ群を入れ替えるのなら、全群を一緒に入れ替えた方が良いと思われます。

 

 いささか余談ですが、普及型標準レンズである「Super-Takumar 1:1.8/55」の同時期においても「開放測光鏡胴」のものが存在しているのですが、それの場合はマルチ・コーティングではないのです。その代わり、旧来の「絞込測光鏡胴」なのにマルチ・コーテイングのものが存在しています。それに比べてこの「Z期型」は「開放測光鏡胴」でなおかつマルチ・コーテイングなのです。その扱いの違いが分かりません。

 

 最後に「開放測光鏡胴」についてもう少し詳しく述べます。上記したように、ネジ・マウントである「Sマウント」は交換レンズごとのカメラに対する位置決めが不安定です。それではレンズ側からカメラ側への信号の伝達に支障があります。そこで工夫したのがこの鏡胴なのです。

 開放測光のためには、レンズ側から絞り環位置がどうなっているのかの情報を得なければ、カメラは適正な露出を決められません。自動絞りですからカメラは常に絞り開放における光の量を測っているのであり、これを基に撮影時に実際に絞り込まれたときの光の量を塩梅して必要なシャッター速度を決めるのです。この情報の伝達の仕組みをレンズ鏡胴に組み込まねばならないのです。

 「Takumar」の開放測光鏡胴の仕組みは、絞り環と連動する「信号レバー」と、その信号レバーの設置されている位置を伝達する「ピン」とで構成されています。

 交換レンズをカメラ・マウントに捻じ込んで行くと、レンズ側マウントネジ後端に飛び出ている「信号レバー設置位置伝達ピン」がカメラ側にある「可変抵抗器」の「可動台座」を回します。交換レンズがマウントにきっちり収まった状態の時に カメラ側の「可動台座」が止まった位置が信号伝達の基本位置という事になります。そしてこのときに絞り環と連動する「信号レバー」が「可変抵抗器」を動かしている位置が絞り環の 設定位置ということになります。開放測光鏡胴ではない交換レンズを取り付けた場合は「可変抵抗器」を動かしませんから、カメラはレンズの絞りが開放と受け取り、実絞りでなら正しく測光出来るという仕組みです。

 この、情報を受ける側であるカメラ側の「可変抵抗器」の「台座」を、取り付けた交換レンズに合わせて動かす、という巧妙なアイデアが、固定位置の不安定なネジマウントでも開放測光を可能にする基になっているのです。今日、Sマウント開放測光カメラを手にする機会は無くても、当時のSマウント交換レンズを入手して現代のデジタル一眼カメラで愉しむという人がたくさんいます。その人達には、この巧妙な仕組みはなかなか理解が難しいのかもしれません。

 

 この時に考案された情報伝達の仕組みは、交換レンズが固定された時にマウントの内側にすべて収まっているので、埃や湿気などをカメラ内に入れる恐れはありません。その点も特筆されるべきでしょう。他社の仕組みにはその部分が外気に開放されているものもあり、それだと防塵・防滴性能が劣ります。この「Takumar」の開放測光鏡胴のコンセプトが後のKマウント鏡胴にも引き継がれたことにより、名機「LX」を始めとして、今日でも「K-1」などが非常に高性能な防塵・防滴性を誇れるのです。

 

 なお、「開放測光鏡胴」のもう一つの特筆点として、上記した「阿呆(馬鹿者)対策ピン」のことを述べねばなりません。マウント面のネジ近くに設けられたその「ピン」は、「PENTAX SP」などの絞込測光カメラに取り付けた時には押された状態になります。その時には「A-M切り替えレバー」は動きます。しかし、開放測光カメラのマウント面にはその位置に円形の溝が切られているのでピンは押されません。すると「A-M切り替えレバー」は「A」側にしか動かなくなります。撮影中に誤って「M」にすることがないのです。開放測光は常時絞り開放であることが求められますから、自動絞り以外にしては誤作動となるからです。

 この機能は裸でも「新型」のマウント・キャップを装着中でも作動しますから、「A-M切り替えレバー」が動かないことで故障と誤解する人がいます。無理やり動かそうとして切り替えレバーを壊してしまったという話を聞きますので、馬鹿に付ける薬は無いというお粗末…

 この「馬鹿者対策」というのは、後の時代にも旭光学工業の企業風土として受け継がれて、たびたび念の入った対策が施されて行くことになります。香しくも愛おしく、なれどいささかお節介な気風…

 

●期型別主要諸元一覧表 (赤字は左欄からの新規変更部分 空欄は左欄と同じ)

 

☆6群8枚構成 (8枚玉)

諸元

T期型 A

T期型 B

U期型

V期型 A

V期型 B

W期型A

W期型 B

W期型 C

最短時全長(マウント面→フィルター取付枠先端)

38.5

             

最長時全長(マウント面→フィルター取付枠先端)

46

             
飾銘板 内周段あり              

絞り環外径・幅 「F2の表記」

60mm・5.5mm 「2」

   

60mm・6.5mm 「2」

       

絞り環の半段クリック

すべてあり

「1.4」と「2」及び「11」と「16」の間無し

           

絞り羽根枚数

6枚

             

ピント環外径・幅・距離指標

58mm・14mm・直接印字

           

58mm・14mm ・アルミ板貼付

赤外指標位置・零指標形状

「4」の右側 R表示あり ・赤丸に赤線

 

「4」の右側 R表示あり ・赤菱形

「4」の右側 R表示なし ・赤菱形

       

カム板「打痕」

あり

 

なし

         

ヘリコイド背面突起

黒アルマイト

 

切削 仕上げ

黒アルマイト

       

摺動板

A型・両側真鍮

         

A型・片側デルリン

 
内筒と中筒の結合溝 12条       6条      

重量

245g

             

レンズシリアル番号表記位置

Super-Takumar 1:1.4/50の直前

       

Super-Takumar 1:1.4/50の直後

   

製品番号刻印

なし

             

A-M切替レバー指標

A と M

             

表記使用字体

旧フォント

       

新フォント

   

その他

               

 

☆6群7枚構成 (7枚玉)

諸元

X期型

Y期型 A

Y期型 B

Z期型

     

最短時全長(マウント面→フィルター取付枠先端)

38.5

   

41.5

     

最長時全長(マウント面→フィルター取付枠先端)

46

   

49

     
飾銘板 内周段あり   内周段なし        

絞り環外径・幅 「F2の表記」

60mm・6.5mm 「2」

61.5mm7.5mm 「・」

 

61.5m・7.5mm 「2」

     

絞り環の半段クリック

「1.4」と「2」及び「11」と「16」の間無し

           

絞り羽根枚数

6枚

   

8枚

     

ピント環外径・幅・距離指標

58mm・14mm ・アルミ板貼付

60mm・14mm ・アルミ板貼付

 

60mm・16mm ・アルミ板貼付

     

赤外指標位置・零指標形状

「4」の左側 R表示なし ・赤菱形

           

カム板「打痕」

なし

           

ヘリコイド背面突起

黒アルマイト

           

摺動板

A型・片側デルリン

B型・両側長真鍮

 

C型・両側真鍮

     
内筒と中筒の結合溝 6条            

重量

238g

   

257g

     

レンズシリアル番号表記位置

Super-Takumar 1:1.4/50の直後)

           

製品番号刻印

37800

37801

 

37902

     

A-M切替レバー指標

A と M

AUTO と MAN.

         

表記使用字体

新フォント

           

その他

     

開放測光鏡胴 7層マルチコーティング

     

 

「Super-Takumar 1:1.4/50」の変更履歴

 

 その誕生から終焉までの間、今分かっているだけで11回の変更を加えられているその変更の履歴概要について、箇条書き的に列挙してみます。

 

「T期型 B」

 絞り環のクリックについて、「1.4」と「2」および「11」と「16」の間の半段クリックを省略した。この省略は同時期の「Super-Takumar 1:1.8/55」においても行われ、以後の「期型」においても継承された。

 

「U期型」

 被写界深度環零指標が「赤丸に赤線」から「赤菱形」へと変更された。

 絞りリンクの三日月状カム板側面の開放絞り位置付近にあった「打痕」が無くなった。これはカム曲線の微調整のためのものだったと考えられる。

 ヘリコイド装置の後方に2か所突き出ている突起(摺動板の動く部分・摺動溝)の背面が黒アルマイトを変更して切削仕上げになった。

 

「V期型 A」

  「5.5mm」だった「絞り環」の幅が1mm増えて「6.5mm」となった。このことにより「被写界深度指標環」の幅が1mm狭くなり、その影響で「赤外指標」から「R」の文字が省略された。幅が狭くなった「被写界深度指標環」だが、それを取り付ける位置決めを担っていたマウント台座の段付き部分が変更されないままなので、周囲3か所の芋ビスだけで位置決めするようになった。このことと、芋ビスの位置が環の縁に1mm寄ったことで破断の虞が増大した。

 ヘリコイド装置の後方に2か所突き出ている突起(摺動板の動く部分・摺動溝)の背面が黒アルマイトに戻された。

 

「V期型 B」

 ヘリコイド装置の「内筒」と「中筒」とを結合する順ネジ溝が「12条」から「6条」へ変更された。ネジピッチは14mmで同じ。

 

「W期型 A」

  レンズシリアル番号の表記位置がそれまでの「Super-Takumar 1:1.4/50」の「直前」から「直後」に移ったことと、鏡胴に使用する文字形状(フォント)が変更になった。

 「絞り環」の裏側のクリック溝が環の幅全体になった。これまでは幅の半分程度にだけクリック溝が入っていて、中央部に円周溝が入っていた。また、マウント台座の「絞り環」が被さる部分に細い浅い溝が円周状に入った。

 

「W期型 B」

 ヘリコイド装置の二か所の「回転止め摺動板」のうちの片側に、デルリン樹脂 (あるいはジュラコン樹脂) が使われている。このエンジニアリング・プラスチックが1960年に製品化されたことを受けて採用したと思われる。

 

「W期型 C」

 距離指標がピント環に直接印字されているのではなく、一旦薄いアルミ帯板に印刷したものをピント環に貼り付ける方法になった。

 「B」で採用されていたデルリン樹脂(あるいはジュラコン樹脂)の摺動板ですについて、その止めビス2本の真鍮円形ワッシャーが真鍮角板に穴2個のものに変更されている。この変更時期は不明。

 

「X期型」

 レンズ構成が「6群8枚」から「6群7枚」に変更され、それに伴ってレンズホルダー等の内部鏡胴について、寸法、構造共に変更している。

 レンズ構成を大きく変更したことにより実質焦点距離も少し長くなって、「被写界深度環」に記されている「赤外指標」の位置が左側「4」の右から左へと変わっている。

 被写界深度目盛りの間隔も、それまで両側「16」と「16」との間隔が19mmであったものが16.5mmに狭められている。

 「自動絞り・手動絞り切替レバー」の背面に「製品番号(プロダクツ・ナンバー)」の刻印が行われるようになった。

 絞り装置と絞りリンクを結合する絞り連結棒の長さが1mm長くなった。そうした理由は、ヘリコイド装置を組み立てる時にオーバー・インフの余地を大きく取ると、それまでの絞り連結棒の長さだと不足する場合がある。絞り連結棒を1mm長くしたことで無限遠時にはマウント台座と干渉するおそれが出てきたので、マウント台座の該当部分をくり抜いて干渉を避けている。また、絞り連結棒の方も、先端部分を半分削って干渉の可能性を避けている。

 

「Y期型 A」

 「絞り環」の各段ごとの回転角について、本来「1段分」であるはずの「開放1.4」と「2」の間隔を「半段分」にしたた。そのため、表記の場所が無くなって「2」の表記を「・」へと省略している。この変更は同時期の普及版標準レンズ「Super-Takumar 1:1.8/55」でも行われている。当時のカメラ「PENTAX SP」の「絞込平均測光」の露出特性がそれをさせたのかもしれない。

 それまで「A」と「M」だった自動絞り・手動絞り切替指標の表記を「AUTO」と「MAN.」へと変更している。

 「絞り環」の幅を更に1mm増やして「7.5mm」としている。同時に「絞り環」外径を「1.5mm」、「ピント環」外径を「2mm」大きくしている。このことで「被写界深度指標環」の幅がさらに狭くなり、指標表示がせせこましくなっている。被写界深度目盛りの間隔も、それまで両側「16」と「16」との間隔が16.5mmであったものが17mmに変えられた。

 ヘリコイド装置を設計変更して全く新しいものにしている。「摺動板」を真鍮製に戻して、なおかつ数倍長いものに変更したことで内筒のガタが大幅に減少しているので、光軸精度が大きく向上している。その形状も、二か所の内の片側を幅の微調整が可能なものにしてガタの解消に役立てている。また、その設置位置としても、それまでが「内筒」に取り付けた「摺動板」を外筒の摺動溝の中で動かしていたものを、この「Y期型」からは「外筒」に取り付けた「摺動板」を内筒の摺動溝の中で動かすように変更している。これは同時期の「Super-Takumar 1:1.8/55」の鏡胴構造を用いているものである。

 レンズ群と絞り装置を組み込んだ内部鏡胴の後部レンズ・ホルダーの形状をそれまでとは僅かに変えている。見比べると分かるが、少し角ばった印象になった。

 

「Y期型 B」

 内部鏡胴の1群目レンズを押さえるソケットの形状について、それまで「飾銘板」にあったその内側の段付きリブ部分をソケット側に移して、その分だけソケットの断面形状を大きくして強度を高めている。それに伴って「飾銘板」の形状も簡素なものへと変更しているので、従前の期型との互換性は断たれた。

 

「Z期型」

 「開放測光鏡胴」を採用したことにより、ほとんどの部分を変更している。全く違った機種になったと言える。そのため、機器名称をすぐに「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」へと変更している。レンズシリアル番号帯は「461****」のごく一部しか発見されていない。

 

 

 以上のように目まぐるしく大小の変更が加えられているにもかかわらず、同じ「Super-Takumar 1:1.4/50」という機器名称なので、単にその名称で一括りにすることのできない恐ろしい存在であることが分かります。各期型を悉皆収集することで、その違いを実感する愉しみを与えてくれる存在となっているのは何かなア…

 

「Super-Takumar 1:1.4/50」その歴史についての考古学的考察ノート

 

 「Super-Takuamr 1:1.4/50」はその誕生後、「鏡胴意匠」や「構造」が他の「Takumar」レンズ群の魁および標準となったエポック・メーキングな存在です。それがいつ世に出たのかという明示された記録が見つからないので真実が分からないのですが、亭主がこれまで現物や画像などで行った発掘の成果に照らすと、その「飾銘板」に「レンズシリアル番号」が刻まれた個体は1962年に登場したと推定できます。

 しかし、1963年に発売された「Super-Takuamr 1:2.8/105」の「708428」が発掘されているので、それとの関係をどう見るのかという問題が生じています。これについては番号帯を配分されてから発売までに時間がかかったと見ることも可能なので、矛盾ではないとすることも出来ます。しかし…

 

 「8枚玉タクマー」の最初に登場したレンズシリアル番号帯は6桁の「7651**」です。これを亭主は「T期型 A」と命名しました。この時には「絞り環」のクリックがすべての半段に入っていました。それがこの型の特徴です。

 次に「絞り環」の半段クリックが両端で省略されたものが現れ、これを亭主は「T期型 B」と命名しました。この型の始まりが何番台からは特定できていないのですが、亭主の所有する「7659**」では既にそれになっています。「7651**」から始まった「8枚玉タクマー」のレンズシリアル番号は「7655**」までで途切れ、次は「7658**」に飛んでいることから、その「7658**」が「T期型 B」の始まりなのではないかと推定しています。

 次の変化は「被写界深度零指標」の形状が「赤線に赤丸」から「赤菱形」へと変わったことです。「赤菱形」になったものを亭主は「U期型」と分類しました。この型の始まりが何番なのかは特定できていません。「T期型 B」と「U期型」が混在している番号帯がありますから、その境は不鮮明です。

 なお、この「赤線に赤丸」から「赤菱形」への変更は、「Super-Takuamr 1:1.8/55」では「8*****」で起きています。「8枚玉タクマー」は「9*****」で起きていますから、この番号帯は同時期に両機種に配分されていたことを示していると思います。

 

 ところで、レンズシリアル番号の使い方として、旭光学工業では「Takumar」の始まりからひとつの一連番号を使っていて、各機種に対してあらかじめ「塊り」の番号帯を配分していたと推定しています。これはレンズシリアル番号の刻まれた「飾銘板」を協力工場(下請け)に発注するためには必要な仕組みだったと考えています。

 この番号管理が厳密に行われていたのかは不明なのですが、重複の例が極めて僅少なので、それなりな厳密さは保たれていたと推定しています。

 機種に対して塊状に配分するため、機種ごとの製造数の多寡の関係で、使い切れないなどの理由で使われなかった番号帯も存在しているように見えます。また、配分された「塊り」の詳細が分かっていませんから、製造数の推定には役に立たないのが実情です。

 しかし、順次時系列的に配分されて行ったことは確かなようで、それによって製造時期をある程度推定することが可能だと考えています。その精度は発掘を重ねることで高まるものと も考えています。

 一連のレンズシリアル番号は、「Kマウント化」とともに「TAKUMAR」銘が使われなくなり、「PENTAX」になったときにあらたな附番規則となったようです。連続性は断たれました。その後の実態は不明です。

 

 「絞り環」の幅が1mm増えた「V期型」からが「PENTAX SP」のセット・レンズとして1964年7月に登場したものではないかというのが亭主の推定です。それでは、「T期型」及び「U期型」というのはどのようなものだったのでしょう。当初「β版」ではないかというのが亭主の推定だったのですが、それにしては発掘数が多すぎるのです。「T期型」が「A」「B」、また「U期型」へと変化している部分は「Super-Takumar 1:1.8/55」も同じように変化しています。それは同時期に行われたと考えるのが自然ですから、「T期型」というのは1964年7月の「PENTAX SP」発売より前、1963年あるいは1962年に登場していて、「セット・レンズ」ではなく「単体」で販売されていたと考えた方が自然です。

 1963年というのは広角や望遠の自動絞り化された交換レンズが幾つも登場しました。それと同時にこの上級「標準レンズ」が登場していたと推定することが出来ます。この「単体」で販売されたものに付いていたレンズシリアル番号帯は6桁の「966***」から始まるものだったのかもしれません。それなら「単体」で販売されたオプション扱いの「上級標準レンズ」ですから妥当な製造数だと考えられます。

 

 「765***」も「単体」販売されたものなのかという点で、その発掘数が僅少なことから1962年製造の「β版」説を捨てきれないところです。しかし、「708428」の「Super-Takuamr 1:2.8/105」が発掘されたことでそれは微妙になったと言えます。これの発売時期が1963年だからです。

 また、もし既発見の番号帯がそのすべてを製造されたと仮定すると製造数は600個以上となり、それが「β版」の数として妥当なのかという疑問もあります。「飾銘板」の発注ロットごとに番号帯を変えていたということも考えられることから、これなら全数を作っていない可能性もあります。

 

 「PENTAX SP」のセットレンズとして登場したと亭主が考えている「V期型」ですが、その発掘されるレンズシリアル番号の始まりは「1031***」です。この番号帯の個体を「1009***番SP」と一緒に購入したという情報がありますから、それはあたっていると考えられます。

 ところが、同じ「1031***」帯に「U期型」も複数発掘されるのです。しかも次の「1032***」と「1033***」には「U期型」しか発掘されていません。このことをどう考えるかという問題に突き当たりました。このことについて、亭主は「PENTAX SP」の「セット・レンズ」として「V期型」が登場したあとも、「単体」販売用としては「U期型」が製造され続けていたのだと推定しました。「V期型」はすぐに「1062***」へと移行したためにその後の「混在」が解消され、やがて「U期型」の部品が払底することで「単体」販売用も「V期型」へ移行したというのが納得のできる流れです。つまり「1031***」の「V期型」はその製造開始時の混乱の生み出した存在で、1964年7月の発売に向けて作り溜めしていた希少な初期の個体ということが出来そうです。

 さらに、2016/11に「10630**」という「U期型」を発掘しました。両型の平行製造期間がここまで延びたということです。更に延びるかもしれません。

 この「V期型」の大きな謎として、「7661**」と「9779**」という6桁シリアル番号の個体の存在があります。「T期型」 及び「U期型」の番号帯であるはずの中に存在するこのことが何を意味しているのか、現時点での亭主の仮説は、これらの番号帯が旭光学工業の内部的用途での特殊なものだったというものです。見本的に扱われたものに使われた可能性を感じています。

 なお、「Super-Takumar 1:1.4/50」に発掘されない「100****」は「Super-Takuamr 1:3.5/135」に、「101****」はプリセット絞りの「Takuamr 1:2.8/105」に、「104****」はプリセット絞りの「Takumar 1:3.5/200」に配分されていることを発掘しています。

 

 「W期型」は飾銘板などの表記方法やフォントが「全Takumar交換レンズ群」一斉に変更になったときに登場しています。それは「Super-Takumar 1:1.8/55」がトリウム入りレンズを採用して大変更され、「PENTAX SP」のセット・レンズの一つとして登場した時期、1965年のことでしょう。

 この表記を一斉変更した理由を考えているのですが、ありそうなのが「会社創立45周年記念」です。後に同様な例(1980年の「LX」)を見ていますから、可能性はあると思っています。

 なお、この「W期型」のヘリコイド装置は、途中で2枚の「摺動板」のうちの片側を販売開始されて間もないデルリン樹脂(あるいはジュラコン樹脂)に変えています。これは「X期型」にも継承されました。鏡胴内にプラスチックが用いられた最初の出来事です。

 

 「X期型」からがレンズ構成を変更した「7枚玉タクマー」あるいは「アトム・タクマー」です。この始まりは「142****」ですが不思議なことに、その後の番号はずっと8枚玉の「W期型」ばかりで、「158****」ぐらいから再び「X期型」が登場します。このことから、「X期型」しか発見されない先行の「142****」は 「7枚玉タクマー」への「切替」にあたって事前に作り溜めしたもので、大人気となっていた「PENTAX SP」の販売数が多いためにそのセットレンズ「W期型」の製造が伸びて、「切替」後に製造するときの番号帯が飛んでしまったというような流れが想像できます。

 あるいは両方の型は購入者の選択制で、しばらく併売されていた可能性もあります。しかし、亭主はそれをしていなかったという方に一票…

 「X期型」のヘリコイド装置はレンズ構成の変更により内部鏡胴の外径が少し大きくなったために「W期型」とは少し異なっています。相互の互換性はありません。

 

 次の「Y期型」に代わった最大の理由と考えられるのは、ヘリコイド装置のガタを軽減するための設計変更にあります。「X期型」までのヘリコイド装置は「摺動板」の長さが非常に短く、摺動溝との隙間誤差によって内筒のガタが生じるのです。「Y期型」は「摺動板」の設置位置を変更して、なおかつ数倍長いものにしたことによって隙間誤差の問題が相対的に少なくなり、そのことで内筒のガタが著しく少なくなっています。また、その隙間の微調整も可能な 「摺動板」形状にもしています。

 鏡胴の外形が少し大きくなっているのは、手の大きな人間の多い欧米への輸出が増えたなど時代の趨勢とか、競争他社の製品の動向とかに影響されてのことと推察できるのですが、絞り環の1段ごとの移動角を一部不等なものとしているのが分かりません。1段ごとの移動角を均等にするのは世界的流れだったのであり、Takumarもそれに乗って折角均等なものにしていたのを、このときにわざわざ一部だけ不均等にしているのは何故なのか、最大のミステリーです。

 この一部不均等化は同時期に普及版標準レンズ「Super-Takumar 1:1.8/55」でも行われていますから、何らかの必要性とか製品哲学とかで行われたはずです。それが何であったのか、謎として残っています。

 また、この型の特徴として絞りの自動・手動の切替レバー表示がそれまでの「A・M」から「AUTO-MAN.」に変更されたことがあり、この変更は他の全機種にも行われたものです。しかし、これが全機種一斉だったのかは未検証です。

 

 最後の「Z期型」は「461****」という番号帯にしか発掘されていません。「β版」だと言えるほど少数ではなさそうなので、その性格が不明な存在です。次の時代の「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」と製品番号を含めてほとんど同一で、「飾銘板」に記された名称の違いとマルチ・コーテイングの反射色がわずかに異なっていることだけです。「461****」 帯には前時期の「Y期型」も発掘されているので、その番号帯の使われ方が分かりません。

 

 

 結局、「8枚玉タクマー」としては、鏡胴表面の表示以外にその形状が異なるのは、「T期型」及び「U期型」と「V期型」以降との違いであるということになります。「絞り環」の幅が異なる操作性の違いはあるものの、その 「意匠」としての優劣を比べるなら、亭主の主観としては「T期型」 及び「U期型」が優ると感じています。その中でも、「被写界深度零指標」の形状が「赤線に赤丸」の「T期型」の方が優雅であると感じています。より発掘数の少ないそれらの価値がより高いものと思っています。

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」は、大きく分けて7種類の「期型」に分けられます。その構成部品を分類してみました。外形意匠が酷似していても、内部の構造と寸法が異なっているものもあり、互換性は限られます。

 

●鏡胴構造 分類表

部品名

T期型

U期型

V期型

W期型

X期型

Y期型

Z期型

レンズ構成 8枚玉 7枚玉

鏡胴先端部

(フィルター取付枠)

T期型

X期型

Y期型

Z期型

ヘリコイド装置

T期型

U期型

T期型

V期型B

V期型B

W期型B・C

X期型

Y期型

Z期型

マウント台座

(絞りリンク・アッセンブリー)

T期型

U期型 W期型 X期型

Y期型

Z期型

飾銘板

T期型

W期型

W期型

Y期型 B

Y期型 B

ピント環

T期型

W期型 X期型

Y期型

Z期型

被写界深度環

T期型

U期型

V期型

W期型

X期型

Y期型

Z期型

絞り環

T期型 A

T期型 B

T期型 B

V期型

W期型

Y期型

Z期型

クリック・ボール

共通

内部鏡胴

(絞り装置とレンズホルダー)

T期型

V期型 X期型

X期型

Y期型 B

Z期型

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※ 型が違っても機械的互換性があるものは同じ背景色にしています。

 

 

●少しばかりではなく脱線した、しかもかなり危ない話…

 

 この画像を見て、一目で何かおかしいと思う人は、本当に大「変」な人です。 亭主的には「上級者」と認定します。

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」の各期型の中で最も製造数が多いのは「7枚玉」の「Y期型」だと思われます。鏡胴の外形が最も大きくなって、ハンドリングは一番優れていると感じます。内部機構としても、ヘリコイド装置の要の部品である2枚の回転止めの「摺動板」が長い形式に変更されて、ガタが出難くなってもいます。そこで、外装のみすぼらしくなった「T期型」から「W期型」までの8枚玉内部鏡胴を、相対的に安価にて入手が可能である「Y期型」の程度良好な鏡胴に組み込むことが出来ないかという、いささか邪な欲求が生まれることになります。

 それが「X期型」の内部鏡胴なら同じ規格の「7枚玉」内部鏡胴ですからその移植は容易です。しかし、「T期型」から「W期型」までの「8枚玉」の場合、「内部鏡胴」は少し寸法が小さくなっています。つまり、この寸法の差を埋めることが出来れば組み込みが可能になるということです。一見「7枚玉タクマー」だと見せて、実は放射線を出さない「8枚玉タクマー」だという、他には無い希少性を人知れず愉しめます。暗い…

 

 その実現方法としては、「8枚玉」の絞り装置外径と「Y期型」ヘリコイド装置内筒の内径との差「0.4mm」を埋めるために、「8枚玉」の絞り装置の外周に9mm幅のメンディング・テープ(3M製)を2周巻き付けるのです。このテープの厚さは 「0.1mm」であり、しかも、この素材がセロテープなど植物性のものと違って変性し難いという優れた特徴があります。また、その粘着剤の安定性も優れています。こうすることで相互の寸法の差は無くなります。えらく簡単ですね…

 次に、「内部鏡胴」をヘリコイド装置内筒に固定する3本の小ビスの位置も両者は若干異なっていますから、その「差」を吸収しなくてはなりません。 小ビスはその頭で内部鏡胴を押さえて固定するという仕組みですから、これは「0.2mm」程度外径の大きな座金に交換することでその「差」の問題は解決します。しかし、これはそのような座金を手に入れなければなりませんから、少しだけ難問です。亭主は様々なジャンク・カメラやレンズを分解して使えそうなビス類をストックしているので、その中から見つけましたが、入手出来ない場合は薄い真鍮板から切り出すなどの小手先の努力が必要かも…

 この二つの「小改造」によって、「8枚玉」内部鏡胴は見事に「Y期型」の鏡胴に組み込むことが出来るのです。

 ただし、これを行ったことによる問題点としては、被写界深度の表示やピント環の距離表示は、厳密には使えなくなります。しかし、目安程度とするなら支障がありません。フィルム・カメラ時代とは違ってデジタル一眼で使う場合、これを見ながら使うという状況はまず無いでしょうから、特に問題にはならないでしょう。

 ちなみに、「8枚玉」である「W期型」までの被写界深度目盛りですが、両端「16」と「16」の間は19mmです。これが「7枚玉」となった「X期型」は16.5mm、次の「Y期型」以後は17mmとなっています。距離目盛ごとの操出量とピント環の回転角はほぼ等しいように見えますから、「8枚玉」と「7枚玉」とでは被写界深度が異なるということを示しています。「8枚玉」の方が絞り込んだ時の被写界深度が深いか、あるいは甘く表示しているという事になります。このことについては、この合成改造によって初めて気付かされたことでもあります。

 なお、同じ「7枚玉」でも「X期型」と「Y期型」以降との被写界深度目盛りが異なるのは、「X期型」では辛くし過ぎたということでしょうか…

 ところで、この被写界深度の違いが何から生じているのかという点に関しては、レンズ組成や曲率などの光学特性の違い以外にも、公称の「50mm」というのは同じでも、実際の焦点距離が「7枚玉」の方が長いということが考えられます。 事実、亭主が両者の画角を撮り比べをした結果もそれであることを示していました。 明らかに「7枚玉」の方が狭いのです。つまり、焦点距離が長い…

 また、赤外指標の位置の違いに関しても、デジタル・カメラの今日では赤外線フィルムを使うことが無くなっているのでまったく問題ではありません。

 

 さらに注意点を上げますと、この改造を成功させるための大前提として、鏡胴のヘリコイド装置組立において、ヘリコイド内筒を可能な限り後退させた位置で無限遠が来るように調整しなければなりません。つまり、オーバー・インフの余地を最小にするのです。そうする理由は、絞り装置の連結棒の長さが、「W期型」以前の8枚玉は「X期型」以降の7枚玉より1mm短いからです。短い絞り連結棒でも支障なく絞りリンクと結合して作動するためには、上記調整が必要となるのです。 もしオーバー・インフ余地が大きいと、接写の操出時に連結棒が絞りリンクから外れてしまい、絞りが動かなくなります。

 

 ところで、この「改造」を行う場合、レンズシリアル番号が表記されている「飾銘板」は元の「8枚玉」用を使いましょう。その特徴ある光学系の素性をそれによって示すことが出来るということです。

 ちなみに、この改造に使用した「8枚玉タクマー」の「内部鏡胴」及びレンズ群は「1329153」という「V期型」で、その「飾銘板」を装着しています。

 もし毀損などの理由で元の飾銘板が使えない残念な事情がある場合は、この改造のための素材として「Y期型 A」の鏡胴を使わねばなりません。「Y期型 B」では飾銘板の形状が変更になっていて、「8枚玉」の内部鏡胴との親和性が無いからです。

 なお、この改造は「X期型」鏡胴に対しても同様に行うことが可能です。

 

 

 脱線ついでにもう一つ、「Super-Takumar 1:1.4/50」の最終期型である「Z期型」は、次の時代の機種である「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」と類似の鏡胴構造になっています。そのレンズ玉の外径寸法は中古市場に豊富にある「smc PENTAX-M 1:1.4 50mm」と同一というものですから、酸化トリウムを使用しなくなったそのレンズ玉を移植することで「アトム・タクマー」ではなくすることが出来ます。流石にレンズ ・ホルダーの寸法は細部が異なっているので、そのままでは組み換えが出来ません。レンズ玉だけの組み換えが必要です。

 ここで少し問題となるのが、「smc PENTAX-M 1:1.4 50mm」の貼り合せ玉は必ずと言ってもよいほど「バルサム切れ」を起こしていることです。そのため、その修理をしてから組み込むという手間がかかります。しかし、ガイガー ・カウンターに反応しない、しかもマルチ・コーテイングの「7枚玉タクマー」を所有するという暗い愉しみを得られるのですぞ…おのおの方、きっと励むべし…

 なお、「1:1.4/50」の光学系に酸化トリウム入りレンズを使用しなくなったのはKマウント化 直後の「SMC PENTAX 1:1.4/50」の途中からです。従って、Sマウントの「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」の時代にはすべて酸化トリウムが使われているはずです。

 ちなみに、普及版標準レンズである「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.8/55」の方は、その最終期には酸化トリウム入りレンズの使用を止めています。この変更時期の違いは何なんでしょうかね…

 

 

 老婆心を一つ…

 ネット・オークションなど中古市場に流通している「8枚玉タクマー」の中には、「期型」が異なる部材が混合している個体が数多く存在しています。飾銘板だけが「8枚玉」で、他は「7枚玉」という悪質極まりないものもありますが、すべて「8枚玉タクマー」なのに「期型」の混合があるものの場合、それが生じた理由について答えが二つ考えられます。

 一つは期型が異なる複数の「8枚玉タクマー」を所有するユーザーが複数を同時に行っていた自己整備の中で混合を起こしてしまったというのがそれです。 そこには企む心の無い場合もあるでしょうが、二つのうちの程度の良い部分を集めてそうなった、逆に言うと程度の悪い部分を集めて組み立て、そちらを市中に流すという場合もあるのかもしれません。これはいけませんね…

 もう一つは、亭主もそれらしいと思われる個体を入手したことがあるのですが、整備に出されたものを受託した業者が、複数の個体を同時に整備していて組立時に混合を起こしてしまったという事例です。これは「期型」が異なるものが存在しているという事実を知らない市中の整備業者なら起こしても不思議ではありません。特に機械的には差が無い「V期型」と「W期型」との混合は起こし易いのではないかと思っています。亭主が入手したものの中にもありましたし、ネット上で見た例もその混合です。このケースは他の「期型」との間でも起こっても不思議ではありません。結構例が多いのではないかと疑っています。

 無知な業者の生じさせた混合は、整備後の返却時には「レンズシリアル番号」に基づいて行われるのでしょうから、ユーザーも気が付かないことが考えられます。 「V期型」と「W期型」との字体の違いなんて、それを知っている者でないと気が付かなくても当然かもしれません。なので、中古品を入手する場合はくれぐれも慎重に…

 

 

「8枚玉」ヘリコイド装置分解整備後に行う「組立」についての考察

 

 交換レンズの鏡胴を分解整備する上で最も敷居が高いのがヘリコイド装置の「組立」です。これを正しく行うことが自前整備の成就ともいえるものです。組立に当たっての問題点を把握しているのといないのとでは、結果が大きく違います。あらかじめ知っておくべき情報ということです。

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」のヘリコイド装置は「内筒・中筒・外筒」の三重構造です。各筒相互の結合はネジ溝によって行っています。内筒と中筒とは荒いピッチ (亭主の計測では14mm) の「12条 」または「6条」の順ネジ溝で、中筒と外筒とは極細0.5mmピッチの1条の逆ネジ溝です。さらに、内筒と外筒とは正対する二か所の摺動板・摺動溝によって結合されています。この「摺動板・摺動溝」が内筒の回転を阻止することで中筒の回転に対して内筒は前後動するという肝心な仕組みです。

 中筒にはピント環が取り付けられて、それを回すことで内筒が前後しますが、同時に中筒自体も回りながらわずかですが前後しています。このことから、組立に際しては、この中筒の前後の動きを意識しなければならないという事です。

 内筒と中筒を結合するネジ溝は「12条」または「6条」ありますが、そのうちのどの溝と組み合わせても良いという訳ではなく、二か所ある「摺動板・摺動溝」の組み合わせとも適合する位置のものでなくては いけません。ネジ溝のピッチは14mmもありますから、ネジ溝の導入部分が30度または60度違った組み合わせだと、内筒の適正前後位置から大きくずれてしまいます。

 

 それでは、以上のことを適正に組み合わせなかった場合に起きる問題について考えます。

 まずは中筒と外筒の「間隔」の問題です。マウント台座に固定されている外筒に対して、中筒は極細逆ネジ溝によって回転しながら前後動しますが、同時に中筒に取り付けてあるピント環も回転で前後動することになります。中筒の外筒に対する組み合わせ位置が適正でない、特に近すぎる場合は、無限遠側で後退するピント環が「被写界深度指標環」と競ってしまい、無限遠が出せないことがあります。逆に遠すぎると、既定の最短撮影距離が出せないという事もあります。適正な「間隔」が必要なのだということになります。

 一方、内筒と外筒とは正対する二か所の「摺動板・摺動溝」で結合しなければいけませんから、その適正な位置合わせを両筒に介在する中筒の回転で実現しなければなりません。そのために必要な中筒回転角は最大90度です。このことから、中筒を外筒に軽く一杯に捻じ込んだ状態から右回しに90度以上回した状態が必要という事になります。しかし、ピント環と「被写界深度指標環」との「間隔」の問題がありますから、これより多い回転角が求められると思われます。180度前後というのがその答えとなりそうですが、この辺をしっかりと追い込んで組み立てると、オーバー・インフの余裕幅をより大きく出来ることになります。

 

 ピント環の無限遠から最短撮影距離までの最大回転角は約210度です。組立にあたって中筒に捻じ込む内筒は、余裕を考えると、ネジ溝の導入部から適正位置にまで行くには、これより多く回転しなければなりません。ということは、内筒後端にある「摺動板取付部」を210度+余裕分(60度以上)だけ、それと組み合わせたい外筒の「摺動溝」部分の位置より逆回転させた位置がネジ溝の望ましい組み合わせ導入部だということです。

 ネジ溝の導入部は「12条」なら30度間隔で、「6条」なら60度間隔で存在しています。その内の最も近いものを選ぶとうまくいきます。これは何か所かトライ&エラーを繰り返すことになるかもしれません。

 内筒を中筒に捻じ込んで行って、その後端が外筒の後端と面一になり、その時に外筒の「摺動溝」と内筒の「摺動板取付部」が一致するのが正しい位置です。そうなるまで中筒と内筒を同時に反対回転で動かして最適位置を求めます。このためにも、あらかじめ中筒と外筒との「間隔」には適正な余裕が必要なのです。

 

 亭主が整備した「W期型 C」のヘリコイド装置の一つについて成立した組立例として以下に示します。

 中筒と外筒との間隔は、相互を軽く一杯に捻じ込んだ状態から右回転に180度緩めます。両者のこの関係を保ったまま、外筒の「摺動溝」の片方に対してそれに組み合わせる内筒の背面の「摺動板取付部」を約340度左回転させた位置にある導入部から捻じ込みました。これで内筒と外筒の背面が面一となり、その時に外筒の「摺動溝」と内筒の「摺動板取付部」を一致させることが出来ました。

 各ネジ溝の切り始めの位置と摺動板・摺動溝の位置の関係とは、個々の構成部品がすべて同じ状態に作られているとは限らないのでしょうから、この例のようにはならない場合が多いのは経験から分かっていますが、上記数値が大幅に異なることはないので、分かり易い、有効な組立方の目安だと感じています。

 最終的には、組み立てた時に無限遠側でピント環が被写界深度指標環と接触せず、同時に最短撮影距離まで繰り出せることが重要なのです。

 

 なお、無限遠よりレンズ群を後退させることをオーバー・インフと称しますが、その値が1mmより大きく出来るのなら市販品の「フランジ付きKマウントアダプター」を無限遠から使うことが出来るのですが、残念ながら内筒後端が絞りリンク軸部に突きあたるためにそこまで後退させられません。内筒後端のあたる当該部分を少し削るという改造も考えましたが、今度は摺動板が絞りリンクにあたるため、必要な1mmを確保にまではなりそうにありません。残念なことです。

 なお、大きくオーバー・インフさせると、その分レンズ群後端がミラーと近づくことになります。接触の恐れもありますから、仮に成立したとしても、フランジ付きKマウントアダプター以外には使うと危険かもしれません。 故に軽々には行えない改造ということです。

 

 

アサヒカメラ1964年10月号ニューフェイス診断室 :原文のまま抜粋

 SPに付いた新しい標準レンズはスーパー・タクマー50ミリF1.4で、6群8枚構成のたいへんこった変形ガウス型。画角は公称47度。焦点距離の実測値は50.2ミリで公称値に対して忠実である。明るさの実測値はF1.44で、問題はない。球面収差はレンズの周辺部で相当大きく補正過剰になっている。そのため開放ではハロがいくらか出るが、F2以下に絞れば画面中心部の鮮鋭度はぐっとよくなる。また同じ理由で、絞りによる焦点移動はほとんど認められなかった。

 放射、同心の両像面の交点は半画角14度のあたりで、かなり中心部に近く、その外方では両者が大きく離れているため、半画角20度以上では像はよくない。そのかわり画面中心から中心部にかけては非点隔差が非常に小さく、たいへんシャープである。つまりよいレンズだが、35ミリ判全画面をカバーするには包括力が不足といったところだ。

 わい曲は画面周辺でマイナス2.2%のタル型で、ふつうに許される限界値。また開口効率は画面対角線90%のところで31%、F1.4レンズとしてはまあまあといえよう。

 解像力は表のとおりで、収差曲線から予想されるように、画面の主要部分では高いが、周辺部では低い。実写の結果でもたいへんよい画質を示したが、周辺部近くでは不満足な描写を示した。

  スーパータクマー50ミリF1.4(1063326)の解像力

 Rrは画面の中心から放射方向に並んだ平行線について観測した解像力。

 RtはRrと垂直な方向、つまり同心円の方向に並んだ平行線について観測した解像力で、いずれも1ミリについての本数を示す。

絞りF1.4

(開放)

画面中心からの距離(ミリ)

平均

0

3.9

7.8

11.7

15.6

19.5

画面中心が最良となるようなピント面で

Rr

160

160

148

103

106

105

108

Rt

160

139

75

50

36

画面全体が平均的に最良となるようなピント面で

Rr

160

160

148

122

118

93

115

Rt

158

139

98

56

43

  開放の場合の「画面全体が平均的に最良となるようなピント面」は「画面中心が最良となるようなピント面」より0.03ミリだけレンズに近い位置にある。

絞りF5.6

画面中心からの距離(ミリ)

平均

0

3.9

7.8

11.7

15.6

19.5

画面中心が最良となるようなピント面で

Rr

224

207

144

87

84

155

112

Rt

202

139

67

31

21

画面全体が平均的に最良となるようなピント面で

Rr

140

173

200

196

184

128

154

Rt

170

198

160

60

25

  絞りF5.6の場合の「画面全体が平均的に最良となるようなピント面」は「画面中心が最良となるようなピント面」より0.08ミリだけレンズに近い位置にある。

 また絞りF5.6の場合の「画面中心が最良となるようなピント面」は開放の場合のそれと一致している。

不思議な存在の話

 

 亭主が収集研究している「レンズシリアル番号」と「期型」との関係に関して、不思議な事実が散見されるのです。それについて少し述べて見ます。

 

 「8枚玉タクマー」の最初のレンズシリアル番号帯が「765***」であることは、亭主の捜索の中では現在(2019/1)まで覆っていない事実です。これらはすべて「T期型」(「A」と「B」が存在する。)です。しかるに、その次の番号帯である「766***」には「T期型」と「V期型」が存在するのです。「T期型」と「V期型」とでは製造時期がかなり離れているはずです。その二つの期型が同じレンズシリアル番号帯の中にあるというのは不可解なことです。

 なお、「T期型」には「A」と「B」が存在しますが、画像からだけでは確かな判別が出来ません。そのためには実際に手にして絞り環を動かさないと…

 

 これまで亭主が現物や画像で見ている個体としては、

 「766022」が「T期型」のネット画像で、その絞り環の停止位置から「A」であることが推定されるもの、

 「766126」が「T期型 B」で亭主が入手したもの、

 「766135」が「T期型」で旭光学工業が1964年「SP」の発売広告に使った「1000295」というカメラシリアル番号の「SP」に付いている雑誌画像、 「A」か「B」かは不明、恐らく「B」

 「766141」が「V期型」のネット画像で台湾から「ebay」出品のもの、

 「766156」が「V期型」で、熊本の閉店したカメラ店から出土して亭主が入手したもの、

 「766220」が「T期型」で、「1000123」という極めて初期のカメラシリアル番号の「SP」に付いているネット画像であり、「A」か「B」かは不明、

というものです。

 以上の事例から見えて来るものとしては、この「766***」というレンズシリアル番号帯が、何か特別の存在、旭光学工業の社内用とか、評価のためにプロなどに提供したもの、あるいは販売網に渡した試供品とかであったことを暗示しているように感じます。

 

 その次に不可解なレンズシリアル番号帯が「9779**」です。

 「977920」が亭主が入手した「T期型 B」で、これだけが、ヘリコイド装置の仕上げが他のどの型とも異なっているのが気になります。二か所の「摺動板」の動く溝部分が削り仕上げなのです。他の期型は黒アルマイト仕上げです。何か試作品的な匂いを感じます。

 「977979」が「V期型」で、ネット画像で確認したもの

外に「U期型」を複数ネット画像で見た記憶があります。

 これらのことから見えるのは、このレンズシリアル番号帯も特別な用途に使われたものという疑いです。

 

 「978***」も「T期型」と「U期型」とが前後順番が逆転混在している例が見られる怪しい番号帯です。

 亭主の所有する「978127」とネット画像で見た「978064」が「U期型」で、ネット画像で確認した「978155」と「978257」が「T期型」です。まだ事例が少ないので、 その傾向は明らかではありませんが、その不可解さは怪しさ十分です。

 

 

その後の後継標準交換レンズたちについて… 「1:1.4 50mm」6群7枚構成交換レンズの歩み概略

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」の後継機は「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」です。これは「Z期型」とはレンズコーテイングの色と6群目レンズホルダー形状以外は同じもので、「マルチレンズコーティング 」であることを強調するために名称変更したのだと考えられます。「Z期型」同様、開放測光鏡胴ですが、それと組み合わせていたカメラ本体は絞込測光の「PENTAX SP」です。来たるべき開放測光機時代に備えて先行的に変更したものでしょう。しかし、カメラ本体が絞込測光のままであるために、あえて開放測光用であることをレンズ名称に使わなかったものと思われます。このあたりは、何かマーケテイングがチグハグだと感じます。

 

 1971年に実際に開放測光絞り優先AEカメラとして「PENTAX ES」が発売されたとき、そのセットレンズとされたのは「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」です。これは「ピント環」と「絞り環」の意匠をまったく別のものに変更していて、これまでとは違うもので、開放測光レンズであることを明確に意味させようということで、「SMC」という「Super-Multi-Corted」の略称でもある名称を用いたのではないかと考えられます。併売されていた「PENTAX SP」には「Super-Multi-Corted TAKUMAR 1:1.4/50」がセット・レンズとされていました。

 

 1975年にようやくネジ・マウントである「Sマウント」に見切りを付け、バヨネット・マウントである「Kマウント」に移行しています。この時に「TAKUMAR」というレンズ・ブランド名称を廃止して、交換レンズにもカメラと同じ「PENTAX」というブランド名を使うようになりました。最初の機種は「SMC PENTAX 1:1.4/50」です。このレンズ・シリーズのことを「Kレンズ」とか「Pレンズ」と俗称します。 旭光学工業が使った正式名称ではありません。

 この機種は鏡胴にフィルター・サイズ52mmを採用して大型化しています。これは他社が大型化するのに引きずられて選択したのだと考えられます。あるいは、より大口径の「SMC PENTAX 1:1.2/50」を上梓するためには必要だったのかもしれません。

 

 しかし、折しもオリンパスがOMシリーズで仕掛けた小型化戦争に参戦するために1976年「Mシリーズ」のカメラを発売すると、翌1977年初頭から多くの交換レンズ群を小型化して「Mレンズ」としました。このときに「smc PENTAX-M 1:1.4 50mm」が誕生しています。

 また、このときにレンズ名称の表記方法を一斉に変えていて、同時に「Mレンズ」化されなかった「Kレンズ」でも「smc PENTAX 1:1.2 50mm」というように表記方法を変更しています。しかし、この時なぜ大文字「SMC」を小文字「smc」に変更したのか、その理由は伝わっていません。

 なお、「smc PENTAX-M 1:1.4 50mm」が実際に発売された時期がいつなのか分かっていません。旭光学工業が「トリウムレンズ」の使用を止めたのは1977年であると公告していますが、「SMC PENTAX 1:1.4/50」の後期には使用しなくなっていました。最後まで使っていたのは他の交換レンズなのかもしれません。

 ところで、余談となりますが、オリンパスはOMシリーズの一眼レフカメラを上梓するときに、ライカからクレームを受けたらしいのです。元々は「M」という機器名称で上梓するつもりであったものを「OM」としたのはそのためとのことです。

 しかし、旭光学工業がその経緯を知ってか知らずか、その小型化「OM」の対抗馬として上梓したのが「PENTAX-M」シリーズというのですから、ライカの理不尽な横車に対しても喧嘩を売ったと見えます。へん、「M」は誰のものでもないぞ、という嫌がらせでもあったのかと邪推…

 

 技術革新の昂進していたこの時代、「プログラム・オート」の欲求が高まりました。それまでの絞り優先AEより広い範囲の明るさに自動で対応できるそれが、写真撮影の知識に疎い層に喜ばれたのでしょう。しかし、そのためには交換レンズ内の「絞り」をカメラ側からコントロール出来なくてはなりません。そのための機構を新設したマウントが「KAマウント」です。

 これはカメラ側からの絞りの操作を、それまでは自動絞りのための装置であった「絞込レバー」で行うことにしています。そのため、「絞込レバー」の移動量と絞り羽根の開度を比例させる仕組みに変更しています。それまでの「Kマウント」は、「絞込レバー」の作動は「絞り環」での設定値にまで一気に動かすだけの機能、いわば「ON・OFF」 スイッチ機能でしかなかったのですが、それを変更してレバーの移動量と絞り羽根開度とを関連付けたのです。

 カメラ側の「絞込レバー」の総移動量はどの交換レンズでも、つまり開放F値や最少F値が異なっても同じなため、それらが何であるのかをカメラ側が知る必要があります。そのため、マウント面に電気的接点を設け、それによって解放F値と最少F値をカメラ側が知る仕組みを設けています。 そのことでカメラはどのくらい「絞込レバー」を動かせばよいのかを算出するのです。このため、レンズ側にはROMなどの電子装置は内蔵していません。新設された電気接点は単にカメラ側にある電子回路のON・OFFスイッチ的に使われているだけでした。

 しかしながら、この時に唯一レンズ内に電線が配線されているのは、「A位置」というものを「絞り環」に設けて、その位置に「絞り環」を回すとスイッチがONになって導通する仕組みを設けるためです。これは絞りをカメラ側からコントロールするためには絞り環位置が最少絞りになっていないといけないからで、必ずそうなっていることをカメラ側が知るための機構です。これは誤作動を避けるための「馬鹿者対策」とでも言うべき装置で、そのために、この新設にかなりなコストを費やしています。この時に誕生したのが1983年「smc PENTAX-A 1:1.4 50mm」です。これはレンズ群にも変更を加えていて、エコガラスの採用などでレンズ面を変更していることから、実質焦点距離も さらに若干長くなっています。

 

 人間の欲望というものは限りがないもので、「自動露出」の次は「自動ピント合わせ」です。この「AF」というのは1981年に「PENTAX ME F」で既に実現してはいるのですが、駆動用の電池とモーターを専用ズーム・レンズ内に設けたその仕組みが世の中に受け入れられることは無く、1987年の「PENTAX SFX」まで待たねばなりません。 そしてこの時に「KAFマウント」が誕生しています。

 これはカメラ内に設けたモーターの駆動を交換レンズに接続する連結部「カプラー」をマウント面に設け、なおかつ交換レンズ内にレンズ情報を格納したROMを内蔵して、マウント面の電子接点でカメラと電子回路を連結しています。その時に、この電子接点は単なるON・OFFスイッチ機能しかない「KAマウント」と互換性を持たせています。この仕様により「smc PENTAX-F 1:1.4 50mm」が作られました。

 なお、この「smc PENTAX-F 1:1.4 50mm」は中古市場に出て来ることが非常に少なくなっています。あまり売れなかったのだと思います。販売期間が短く、しかも時代はズーム全盛になっていたのでしょう。「標準レンズ」というものの需要が細っていたと思われます。

 

 1991年にROMに内蔵する情報量を増やして、鏡胴の意匠変更もして「smc PENTAX-FA 1:1.4 50mm」となり、これは25年以上経った現在も販売が続いている長命なレンズとなっています。

 

 1997年に「smc PENTAX-FA 43mmF1.9 Limited」が登場しています。「7枚玉タクマー」が切り開いた伝統の「6群7枚構成 変形ダブル・ガウス型」で、35mmフィルムの対角線寸法と同じ焦点距離を持つ真の意味での標準レンズと銘打っています。味のある光学特性もさることながら、 この時期にはプラ鏡胴全盛の中でアルミ削り出しの鏡胴など趣味性の高い逸品です。

 

 2018年7月末に新たなF値「1:1.4」の50mm標準レンズが上梓されようとしています。「K-1」などフルサイズ35mm判デジタル一眼レフのための新しい標準レンズです。

 その光学系は9群15枚構成「レトロ・フォーカス」です。つまり、貼り合せレンズを6枚も使っています。レトロ・フォーカスというのは、第二主点をレンズ群の後方に移動させるために考え出されたフランジバックの長い一眼レフ用広角レンズのための光学系です。これまでのF値「1:1.4」の標準レンズは6群7枚構成、あるいは6群8枚構成の「変形ダブル ・ガウス型」でしたが、それでは長いバックフォーカス(フランジバック)を確保した上で諸収差をより高度に補正するのには窮屈だと判断した結果だろうと推察します。

 新しい標準レンズは前グルーブを「凹」にし、後グループを「凸」とした「レトロ・フォーカス」です。そのため鏡胴長がとても長くなっています。そして、その後グループ凸は「エル・ニッコール型」とも呼ばれている「前ダブル ・ガウス前群・後オルソ・メター後群(凸凹凸)」のハイ・ブリット対称形と見る方が適切なのかなとも思っています。そのレンズ構成は「引き伸ばしレンズ」や「マクロ ・レンズ」に使われたことから分かるように、解像感の優れていることや、イメージ・サークルが大きいことを利した選択だと考えられます。

 フォーカスは全群操出式ではなく、鏡胴長が変化しないインナー・フォーカスです。後グループ凸を前後に動かし、前グループ凹との間隔を変化させることで実質焦点距離を変化させて撮像面に焦点を結ばせる方式です。 これは「2グループ式ズーム・レンズ」の仕組みでもあります。ちなみに、前グループ凹と後グループ凸の間隔を短くすると、より焦点距離が長くなります。そのことで近接時の合焦を得るのです。

 前グループ凹は4群7枚構成にしています。これは前グループ凹内で可能な限り諸収差を補正してしまおうという考えだと思います。後グループの5群も8枚と構成枚数を多くしているのは、後グループ内で諸収差を究極的に補正するためでしょう。

 絞りが電磁式となって、機械式絞りにしか対応しな旧型カメラでは開放でしか使えないのが残念な点です。これから出る新開発レンズたちは皆電磁絞りとなるのかもしれません。

 

 

亭主の個人的な嗜好について

 

 「8枚玉タクマー」には製造時期が進むにつれて小さな変更が幾度も加えられていったことをこれまで述べてきましたが、その異なる多くの「期型」の中で亭主が好むものを選ぶとすると、最も初期型の「T期型 A」ということになります。その理由は、「T期型」と「U期型」だけの特徴である「絞り環」の幅と鏡胴形状が一致していることと、赤外指標に「R」が記されていること、「T期型」だけの特徴である被写界深度零指標の形状が「赤線と赤丸」であること、それに、「T期型 A」だけの特徴である「絞り環」の半段クリックが全部にあることによります。

 また、製造数が全「期型」の中で最も少ないことが推定され、亭主が画像等で確認した個体も極めて僅少であり、希少性が最も高いと思われるからでもあります。希少性は高価と繋がりますから…

 

 逆に、最も価値が低いと考えているのは8枚玉最終形である「W期型 C」です。その最大の理由は、「ピント環」の距離表示が印刷したアルミ薄板の貼り付けに変更されたことによります。このことで故障 (貼り付けたアルミ薄板が剥がれる。) の可能性が一つ増えます。機能的にはその前の型と少しも違わないのですが…

 

 初期の「8枚玉タクマー」を所蔵する場合、本革製円筒形ハード・ケースを用意したいものです。同時に、このハード・ケースに適合する「Takumar 1:1.8 55mm」表記の塗装仕上げレンズ・フードと、初期型の前後レンズ・キャップは必須アイテムでしょう。「PENTAX」ブランドのUVフィルターも揃えると完璧です。

 

好敵手たちについて

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」の時代には国内に幾つもの一眼レフカメラメーカーが存在していて、それらは標準レンズの性能を競っていました。そんな競争機種について少し調べてみました。

 

 「PENTAX」が示した一眼レフカメラの距離計連動レンズ交換式カメラに対する総合的な優位性に触発されて登場したのが1959年の「Nikon F」ですが、そのための上級標準レンズ「Nikkor-S Auto 5.8cm F1.4」は1960年3月に登場しています。そのレンズ構成は「6群7枚構成」なのですが、「凸凸凸凹・(凹凸)凸」という特殊なもので、「ダブル・ガウス」の2群目の貼り合せを剥がしはしたものの、剥がしたその間の空気層はほとんど無くて、その形状も、まるでそこを貼り忘れたと言った方が良さそうなものです。剥がすことに及び腰だったのかもしれません。そして、その「変形ダブル・ガウス」の前方に凸メニスカス・レンズを追加したというものでした。

 このときに曲がりなりにせよ「ダブル・ガウス」の2群目の貼り合せを剥がしたのは、1958年に登場していた「Auto-Takumar 1:1.8/55」の影響かもしれません。その高性能を見てあわてて追従してみたという急作り感満載です。

 このレンズの性能に満足できないことと、ライカが確立した50mmという標準レンズの王道焦点距離を実現することに拘ったようで、1962年に「Nikkor-S Auto 50mm F1.4」にしています。これは「5群7枚構成」で、「ダブル・ガウス」の後方に凸レンズを1枚追加配置したものです。 先行機種「Nikkor-S Auto 5.8cm F1.4」のレンズ構成を前後逆置きにしたというような状態です。

  

 この絞りより後方の凸レンズを2枚構成にするというのは、同じ年に登場していた「8枚玉タクマー」と同じ設計思想でしょう。大口径化に伴うコマ収差の抑え込みを狙ったものとのことです。この時に前群の貼り合せを剥がさなかったのは、多くの競合他社の場合と同様、「ダブル・ガウス」の先達「プラナー」の影響からまったく脱していないということでもあるのだと思います。

 このレンズ構成は、ようやく1976年に前群を剥がして6群7枚構成にするまで続きました。

 

 なお、1965年に「Super-Takumar 1:1.4/50」がトリウム・レンズを採用して「6群7枚構成」に変更したのは、この「Nikkor-S Auto 50mm F1.4」を意識してのことだったと思われます。

 ちなみに、マルチ・コーテイング化は「TAKUMAR」が1971年で、Nikonより1年早く実現しています。いずれにしても、焦点距離50mm(公称)という標準レンズの競い合いは火花を散らしていたということです。このことが世界標準「6群7枚構成 変形ダブル・ガウス型」を生み出したということでしょう。

 

 CanonはNikonより2年早く、1957年から一眼レフカメラの販売を始めましたが、「1:1.4」の登場は遅くて、1965年になって「FL50mm F1.4」が「ダブル・ガウス」の2群目を剥がした5群6枚構成として登場し、1968年に「FL50mm F1.4 II」が6群7枚構成として7群目に凸レンズを追加して、この時点で「7枚玉タクマー」が切り開いた世界標準「1:1.4 50mm」 というレンズ構成に到達しています。それは「7枚玉タクマー」に遅れること3年です 。

 

 Minoltaは1958年から一眼レフカメラを始めましたが、1966年にMCシリーズの交換レンズを使うカメラに変更して、その時最初の「1:1.4」として登場した「MCロッコールPF58mmF1.4」がダブル ・ガウスの5群6枚で、1977年「MDロッコール50mmF1.4」が5群7枚で初めて50mmを実現し、1979年「MDロッコール50mmF1.4 V」でようやく世界標準の6群7枚にしています。

 ところで、Minoltaはレンズ群をカシメて組み立てるのが好きで、そのおかげで黴が出てもメンテナンスが困難です。鏡胴の構造も首を傾げさせるところがあり、素人整備向きではないようです。

 

 

 以上、当時の有力各社の標準レンズが「1:1.4 50mm」へと行き着く変遷を述べましたが、最終的にはどれも「7枚玉タクマー」のレンズ構成にとてもよく似ています。その基本設計の優秀さを物語っているのでしょう。

 

比較考古学的手法による「8枚玉タクマー」誕生時期の考察

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」は上級標準レンズとして誕生していますが、それ以前から標準レンズは存在していました。それが「Super-Takumar 1:1.8/55」です。この両者は並行して製造・販売が行われましたから、その両者の時代ごとの変異もまた、ほぼ同時に行われたことが推定出来ます。

 つまり、「Super-Takumar 1:1.8/55」の変異と比べることで、「Super-Takumar 1:1.4/50」の誕生時期を推定することができることになります。

 「Super-Takumar 1:1.8/55」は1962年「PENTAX SV」のセット・レンズとして、それまでの「Auto-Takumar 1:1.8/55」の機器名称だけを変更することで誕生しています。その時の鏡胴特徴を持った「Super-Takumar 1:1.4/50」は発見されていませんから、それがこの時より後で誕生したことは確実です。

 「Super-Takumar 1:1.8/55」は誕生後すぐに小変更を受けて、「赤外指標」が設けられます。並行して存在していた「Auto-Takumar 1:1.8/55」の方も同じ変更を受けています。「Super-Takumar 1:1.4/50」にも同様な「赤外指標」がありますから、それがこの時以前に誕生したことが有力です。

 「Super-Takumar 1:1.4/50」は「U期型」から零指標が「赤丸に赤線」から「赤菱形」に変わりますが、「Super-Takumar 1:1.8/55」も同様に変わります。この時には絞り環回転方向はまだ「左」のままです。

 その後「Super-Takumar 1:1.8/55」は絞り環回転方向を「Super-Takumar 1:1.4/50」と同じ「右」に変えます。その時期は1964年「PENTAX SP」の発売時期と同じか、その直前なのではないかと推定しています。二つの標準レンズの絞り環回転方向が逆なのは問題にされたのだと思います。

 

 以上の事実から推定できるのは、「Super-Takumar 1:1.4/50」の誕生時期は1962年以降であるものの、そのすぐ後、遅くとも1963年までの間である可能性が高いということです。定説(PENTAXの公式見解)のように1964年の「PENTAX SP」と同時というのは否定されるべきです。まったく新規になった鏡胴構造のことを考えると、そもそも「Super-Takumar」という機器名称は「Super-Takumar 1:1.4/50」のために考案されたのではないかとも推定しています。故に、それはおそらく1962年には誕生していたというのが亭主の推定です。

 

 今の「PENTAX」が1964年が「Super-Takumar 1:1.4/50」の誕生時期だと「公式見解」しているという証言があることは、当時の記録が残っていないという疑いを強くさせるものです。半世紀を経て、既に当時の人材は去ったのでしょうし、不幸にも幾度もの所属企業の変遷を経たことも、その記録喪失の要因なのだろうと推察するほかはありません。嗚呼南無三…

 

初めてあるある物語

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」という標準レンズは、数々の「初めて」を実現した存在なのです。この「初めて」というのは「何かの中の最初」ということで、その「何か」 には色々とあるのですが、そんな各種「初めて」について列挙したいと思います。

 

 

 「旭光学工業の交換レンズ」の中で最初に「1:1.4」の明るさを実現しました。また、「その明るさの全一眼レフ標準レンズ」の中で最初に「6群7枚構成変形ダブルガウス型」を実現しました。これはその後世界標準的なレンズ構成となりました。

 

 「Takumar鏡胴 」の中で、鏡胴先端部を初めて「3本ビス止め式」にしました。それまではヘリコイド内筒に直接捻じ込みによって取り付けていたので、フィルターなどのアクセサリーを取り外しすると共回りして緩んだりする問題がありました。

 

 「Takumar鏡胴 」の中で、ピント環と絞り環のローレット部形状を初めてU字形状にしました。この「意匠」は以後のTakumar全機種に採用されて行きます。

 

 「Takumar鏡胴 」の中で、ピント環のヘリコイド中筒への取り付けについて、3本の「小ビスナベ頭」で押さえる方式を採用しました。このことにより無限遠の調整が容易に行えるようになりました。

 

 「Takumar鏡胴 」の中で、レンズホルダーと絞り装置を内蔵している「内部鏡胴」の取り付けについて、3本の「小ビスナベ頭」で押さえる方式を採用しました。このことにより最少絞りなどの絞り開度調整が容易に行えるようになりました。

 

 「Takumar鏡胴 」の中で、デルリンまたはジュラコンなどのエンジニアリング・プラスチックを可動部分に最初に用いました。ヘリコイドの回り止めを担当する摺動板の片側に用いたのです。これはオートベローズの蟻型部品や駆動ギヤにも用いられるようになりました。

 

 

あとがき

 

 今日8枚玉タクマーとか7枚玉タクマー、アトムタクマーと俗称される「Super-Takumar 1:1.4/50」ですが、その製造から半世紀を過ぎるものが出ていて、後の時代に多発するようになった貼り合せ面のトラブルである「バルサム切れ」に冒される例が極めて稀であること以外にも、経年による劣化でその機能、性能が失われる恐れがないので、多くの個体がこれから 更に多くの年月を生き続けられるものと思われます。

 しかし、真に健全に生き続けさせるためには、定期的な分解整備による必要ヶ所への慎重な注油や、黴などの元となる劣悪な環境に置かないなどの配慮は必要なことで、心ある所有者の愛玩によってその命は保たれて行くものと信じます。デジタルカメラの時代になっても交換レンズの必要性は続いています。それが続く限り、この稀代の銘玉は生き続けて行くでしょう。

 マウント規格が「M42」とか「プラクチカ」とかと同等の「Sマウント」ですから、この規格で世界中に夥しい種類の交換レンズが存在します。このこともあって、現役のデジタル一眼カメラの多くで使えるようにする「マウント ・アダプター」が数多く世に出ています。これを用いることで、写真撮影用レンズとして十分にその性能を発揮できます。

 そしてもし100年を越えるものが出るのなら、そのときには晴れて「骨董品」の勲章を得ることでしょう。楽しみはなおも続く…

 

 亭主が「Super-Takumar 1:1.4/50」に拘って収集や研究を続けて来た過程で強く思うようになったのは、これら歴史的交換レンズの歩みについての情報が極めて限られていることです。幾つかのカメラ会社の場合は、その過去の製品についてある程度の情報をネット上に公開しています。しかし、それらにはより深く知りたいという欲求を満たしてくれるようなものは見当たりません。ひるがえって、我が愛する「Takumar」においては、以前カメラ博物館を設けてその製品の歴史を展示していたことがありましたが、社勢傾いて「HOYA」に買収されていた時代に閉鎖されてしまいました。そこは東京から離れて立地していたことで訪問の機会が無かったことが悔やまれます。今日では、歴史の遥か彼方に消え去った珠玉の情報を見聞きすることは極めて困難になっています。開発・製造・販売に携わった人々の存命中に、思い出語り的にでも蒐集発表されることを願うものです。

 

 「Super-Takumar 1:1.4/50」の「X期型」から始まった変形ダブル・ガウス「6群7枚」のレンズ構成ですが、その後、この形式で作られたのが「SMC PENTAX 1:1.2/50」です。これが旭光学工業が世に出した最も明るい交換レンズなのですが、「Sマウント」の「Takumar」時代には鏡胴外径やマウント内径が小さくて作れなかった明るさです。これを世に出すためにKマウント化された「SMC PENTAX」シリーズは鏡胴に「フィルターサイズ52mm」を採用したのではないかと思われます。

 しかし「Kマウント」は内径を小さく設定し過ぎたと思います。結局、この最も明るい標準レンズはAF化されることがありませんでした。それをするためには 「Kマウント」の小ささがネックになったのだと思います。当時のAF性能では開放時のピント精度を出せないと見限ったのかもしれません。

 その後、様々な付加改変を加えながらも、今もなお現役である「Kマウント」というのは優秀な基本規格だと思います。しかし、その制定の時に視野を広くして、もう少し先を見据えたものにしてあったらと惜しむことが幾つもあります。その第一は内径の小さい事、そして第二として、後に「KAマウント」 として変更実現させた絞込みレバーの移動量と絞り開面積を比例させるという点です。それを当初からしてあれば、もっと早い時期に露出の完全自動化が実現していたことでしょう。

 最後に第三としては、「Sマウント」とフランジバックを同じにせず、せめてあと1mm短い規格にしていたのなら、マウントアダプターにフランジを付けることが出来て、その多様性を享受出来たはずです。実に惜しい…

 

 ここに取り上げている「Super-Takumar 1:1.4/50」の時代というのは、まだ露出もフォーカスも自動ではなく、ようやくTTL露出計が内蔵され始めただけの時代です。交換レンズに要求されたのは、 諸収差の少ない写りと、迅速円滑なピント合わせと、適正露出の得られる絞り装置でした。それらを実現するための至上の存在として生まれたのが「Super-Takumar 1:1.4/50」です。この必要とされる基本性能がしっかりとしているおかげで、今日のデジタル化された多機能カメラに装着してもその存在感を発揮できるのだと思います。特に初期に存在していた「8枚玉タクマー」は、あまり他に類を見ない6群8枚というレンズ構成であり、製造数が少なかったことと合わせたその希少性を愉しむことができます。

 

 交換レンズには何枚ものレンズ玉が使われていますが、それをレンズホルダーへ取り付ける方法としては、捻じ込み式の切り欠きリング ・ナットで押さえるというのが一般的で、これならカニ目回し工具を使って取り出して、カビ取りには絶対有効な水洗などの整備が容易なのですが、カシメによって取り付けることが行われていた時代があります。この場合、取り出せないことからレンズホルダーごと水洗などをしなくてはなりません。この場合、隅の部分が洗い難かったりして、整備性が良いとは言えません。また、貼り合せ玉をカシメてあれば、バルサム切れした場合はまったくお手上げです。

 「Super-Takumar 1:1.4/50」の場合、T期型からW期型まで、つまり8枚玉タクマーの場合は、最後部の6群目がカシメで取り付けられています。7枚玉タクマーになってからのX期型とY期型はレンズホルダーがより細分割されて、5群目がカシメ取り付けに変更されています。開放測光鏡胴化された最後のZ期型だけはカシメが使われなくなりましたが、4群目の貼合せ玉は前方から絞りユニットを取り外してから外すようになりました。 つまり、必ずピント環を外さなくては整備ができなくなったのです。また、4群目貼合せ玉を押さえている切り欠きリング・ナットが奥まった狭い位置にあるので、通常の市販カニ目回し工具ではアクセス出来ないものがほとんどです。工具に取り付け られる長くて細い形状の「ビット」を用意する必要があります。このことにより、素人整備にとってはかなりハードルが高くなったと言えます。

 

亭主:雌山