FLS会講演要旨(2000//9)

 昭和32年英米科卒の遠藤晴男です。本日は「アラブ人と日本人」という題でお話をさせていただきます。私はイギリスのエクセター大学アラビア湾岸研究所にいたこともありますが、もともとは30年近くアラブと付き合ってきたビジネスマンです。私の話はアカデミックなものではなく体験的なアラブ談義なので、多少の独断と偏見はお許し下さい。

 また、アラブ人ですが、「アラビア語を話し、自分はアラビア人だとの意識を持っている人は誰でもがアラブ人」というのが通念なので、これにはエジプト、アルジェリア、モロッコ人までも含まれます。ただ、本日話すのは、私が身体で見聞きしたアラビア半島に住む人々、元来のアラブ人と言っても良い人々の話とご承知置き下さい。    

 さて、私がまず申し上げたいのは、この地域が日本にとって大切なところだということです。日本の一次エネルギーに占める石油の割合は約55%、その石油の85%強はアラビア湾岸からの輸入ですから、日本はエネルギー供給のほぼ半分をこの地域に頼っていることになります。石油供給が途絶えると、自動車は走らない、飛行機も船も止まる。電気も一割強は止まり、プラスチック・合成洗剤・ゴムなどの石油化学製品はすべて作れなくなります。また、この地域は同じアジアの国であり、政治的にも文化的にも繋がりの深いところでもあるのです。

 この大切な地域についての日本人のイメージは、「暑い、砂漠の国、ラクダやベドウイン、イスラム、四人妻、男性優位と男女隔離、異様な服装、女の人は顔を隠している、豚肉・ばくち・アルコールはご法度。日本とは違う、関係がないか」というものでしょうか。

 ところが、この異様と見えるアラブと日本の間には多くの類似点があります。私は、このことを是非日本の方々に知って貰いたいと思っています。時代を現代に限定せずに、戦前、さらに江戸時代と遡って見ると、アラブは日本によく似ています。

 例を挙げれば、「家に入る時にアラブの人は靴を脱ぎます」、「床に座ります」、「主食は米です」。戦前の日本と同じように、「大家族主義です」、「年上の人を敬います」、「挨拶・席順・サービングの順番も年上から」、「男性優位の社会です」。「処女の純血は家の名誉に関る大事。花嫁が処女でない場合には、父親や親戚の者に殺されるという厳しさです」。「三行半もアラブにはあります。ベドウインの夫が奥さんに『お前は必要ない、必要ない、必要ない』と3回言えば、離婚は成立です」。アラブには、「いまでも公開処刑がありますし、かって仇討ちもありました」。また、日本人と同じく、「YES・NOがあいまいです」。そこは、対決ではなく合意、根回しの社会です。「俺の酒が飲めないか」、「武士は食わねど高楊子」という気風もあります。

 政治的にも、「アラブは王様による絶対君主制、イスラムによる神権政治」でいまの日本人には異様に映りますが、日本も戦前までは天皇による君主制であり、神道を国教とし、天皇は現人神ですらあったのです。ジハード(聖戦)だって、米英に対する戦いは聖戦とされていました。イスラム過激派テロでは「カミカゼ」という言葉さえ使われています。

 文化的にも、アラブにも「書道」があり、「鷹狩」もあります。「闘牛」もある。しかも、闘牛は日本と同じく力競べだけ、スペインのように血は流しません。日本の茶道は有名だが、アラブにもコーヒーの入れ方・飲み方にちゃんと作法があります。日本で香道に流行の兆しがあるようですが、アラブはお香の本場です。日常生活で香りは欠かせません。また、日本の平安時代のようにアラブでは男性も香水を使います。アラブの歌のメロデイも日本人のセンチメントにぴったり合います。

 ここで、アラブ人の価値観を見てみましょう。時間的な制約から詳しく説明することは出来ませんが、アラブ人が大切にしているのは、「ホスピタリテイ(歓待)」、「気前のよさ」、「勇気」、「名誉」、「自尊心」、「力」、「独立と平等」、「正義」、「忠誠心」、「忍耐」、「ユーモア」などです。このうち、「名誉」では処女の純潔が最大のものとされ、認められた仕事につくこと、決められたルールに従って略奪を行うことや仇討ちなども入ります。

 新渡戸稲造の「武士道」では、武士道の徳目として「義」、「勇・敢為堅忍の精神」、「仁・惻隠の心」、「礼」、「誠」、「名誉」、「忠義」、「武士の精神および訓練」、「克己」、「自殺および復仇の制度」、「刀・武士の魂」を挙げています。

 この二つを比較して見ますと、「ホスピタリテイ」、「気前の良さ」、「腹きり」、「独立平等」、「ユーモア」などを除けばほぼ似ているといってよいでしょう。

 翻って、アラブの現状を取り急ぎ三つの例を通して見てみましょう。

まず、アラビア半島はいまは砂漠どころか、大都会が点在しています。リヤドの人口は320万、ジェッダも200万を越し、アブダビやドバイは70−80万都市、オマーンの首都マスカットも人口は60万を超えているのです。この都会では、アラブの人々が一戸建やマンションに暮し、主人は毎朝役所や会社に、子供たちは学校に出かけています。その生活ぶりは日本のサラリーマンと変わりません。家族数も昔に較べれば、少なくなりました。

 次ぎにアラブの犯罪を見てみると、殺人、強盗、窃盗、自動車泥棒、詐欺、公金横領、文書偽造、性犯罪、麻薬犯罪、交通犯罪などなど日本と変わりません。アラブの人たちも我々と同じ人間なのですから、当然といえば当然かもしれません。異なる点といえば、イスラムの教えから、性や酒に厳しいのといまだに公開処刑が行われている点ぐらいのものです。

 さらに、現代のアラブ男女関係を見てみましょう。まずは男性優位。一見そう見えるアラブでは、男は家族を食べさせ、家を用意し、それに着させなければなりません。これが出来なければ一人前の男とは認められず、結婚する資格もありません。その上、買い物、子供の送り迎えなども男の仕事です。寅さんではありませんが、アラブの男はつらいのです。アラブで家を守るのは女性。実権を握っている母親は子供たちからは一番尊敬される存在でもあります。社会でも、女性は最強と言ってよいでしょう。女性は街では我が物で車を走らせ、銀行や店などでも割り込み自由です。

 私はかって「世界で一番幸せな奥さんは日本の奥さん」と考えていました。理由は、財布を握り、仕事中毒の旦那が朝早くから夜中まで家に居ないからです。最近はその間違いに気づきました。アラブでは衣食住はすべて旦那持ちですから、アラブの奥さんは自分の財産は手付かずです。買い物も子供の送り迎えも旦那の仕事。その上使用人がいるので家事をする必要もありません。暇を持て余してカルチャースクールに通ったり、自分の財産でインド人などを使ってビジネスをやったりしています。こんなことから、いまは「アラブの奥さんが世界で一番幸せ」と考えています。

 四人妻だって、いまや少数派で奥さんが一人というのがほとんど。女性の職場進出もめざましく、オマーンでは、中央省庁には3人の次官が生まれています。アラブの現況からも、アラブ社会が日本とそう変わらないということがお分かりいただけたかと思います。              

 アラブの現況の一端をご紹介したのはもう一点、よく言われている「イスラムが分からないとアラブが分からない」というのが正しいのかを問いたかったからです。まったく間違いだとは言いませんが、アラブを解くカギはイスラムだけではありません。私は、この「イスラム、イスラム」という言い様がアラブと日本の間を遠くしていると思っています。アラブを解くキーワードは3つ、ベドウイン、イスラム、石油だというのが私の考えです。

 ベドウインという言葉が初めてアッシリアの碑文に現われたのが紀元前853年、そのずっと以前からのアラビア砂漠での厳しい遊牧生活から生まれた社会慣習・伝統・価値観などがベドウイン文化です。これはアラブ文化の基層をなしていると私は思っています。

 預言者ムハンマドが神の啓示を受けてイスラムの教えを説き始めたのが西暦610年、日本に仏教が渡来したと同じ頃です。この教えが単なる宗教のみならず、政治・軍事・法的及び生活規範など一切を包含するものであるため、アラブ文化にとりわけ大きな影響をもたらしました。 

 そして、20世紀に入っての石油の発見もこの地域の大事件でした。これによってアラビア半島諸国は初めて近代文明と遭遇し、その富によって近代国家へと変貌を遂げました。これに伴って社会も大きく変貌し、これまでの社会慣習・伝統・価値観をも揺るがしています。

 このように、ベドウイン文化の上にイスラム文化が重なり、いままた石油がもたらした西欧的なものが覆い被さっているというのが、いまのアラブ社会ではないかと私は思っています。決して、イスラムだけがすべてではないのです。女性が顔を隠す、四人妻など異様と感じられる慣習は大概イスラムに由来しているのですが、アラブもイスラムだけではなく、同じ人間で決して特殊ではないことを知っていただきたいのです。

 次ぎに、異様と見られているアラブとの付き合い方について触れたいと思います。とくに1980年代後半に日本NO1論が言われるようになってから目立ちますが、日本人は発展途上国では相手国を見下す風潮が強く、これはアラブでも例外ではありません。アラビア衣装、1日5回のお祈り、四人妻、豚肉・アルコールなどのご法度などを遅れたものと蔑み、アラブの人々を「時間を守らない」、「約束を守らない」、「働かない」、「挨拶が長い」、「能率が悪い」などと見下す傾向があります。

 私はこういう人たちには、いまから約130年前の幕末から明治にかけて日本にきた欧米人、例えばアーネスト・サトウやグリフィスなどが日本人について書き残したものを是非とも読んで欲しいと思っています。曰く、「日本人は信用できない」、「日本人は時間を守らない」、「延々と挨拶が続き、いつ本題に入れるのか分からない」、「あの衣装(官軍)はおどろおどろしい」などなど。いま日本人がアラブの人たちに言っていることとまったく同じことを当時の欧米人たちは書き残しているのです。「約束や時間を守る」、「働く」ことなどは、その必要が来ればやがて実行されるようになるのです。砂漠の生活では時間など守る必要がなかっただけのことです。日本人も約束を守るようになるには長い月日が必要でした。私は、アラブとの付き合いは長い目で進めて行ってもらいたいと願っています。

 それに、アラブは日本にとって大切な地域なので、決して異様だと避けるのではなく、日本の人々にこの地域を身近に感じて貰い、関係がもっともっと密になるように切望しております。

 最後に、二月末に日本が石油採掘権を失ったアラ石問題に簡単に触れたいと思います。

石油は金を出せば買える、アラ石の供給量が4%にも満たないとして、日本ではこの結果を矮小化されているように見えます。私はアラブとの一つの繋がりが絶たれたのは残念であり、それにサウジアラビア側に日本に不信感が残ったことが気にかかっています。

 そして、アラブと長く関って来た者としては、お互い歩み寄れる道があったのではないかとアラブ人との交渉という面でも不満があります。また、アラ石問題が失敗に終わったのは官主導のせいであり、民主導であったなら違った結果になたのではと私は考えております。それに、今回の交渉の過程で二人の首相、三人の担当大臣がサウジアラビアにまで出かけ貿易促進や国際協力で多額の国の金も使われました。そして、この結果となったことの責任がなんら問われない日本の能天気ぶりをも嘆いております。

ご静聴ありがとうございました。