骨折騒動記
これは、自分が左肘複雑骨折で入院並びに治療を受けている経過並びに体験です。
こんな事は誰も経験したくはないと思いますが、もし経験してしまった場合には、自分の体験が参考になれば、と思います。
1ことのはじまり
2入院生活
3社会復帰?
4リハビリ生活
1996/8/31
その日は雨が降っていた。昼過ぎ、自分は、ようやく取れた遅い夏休みに備えて(北海道に行く予定だった)、買い物ついでに銀行に預金を下ろしに出掛けた。
銀行の前はタイル張りになっており、雨のせいで非常に滑りやすい。注意してはいたものの、拍子で水たまりに足を取られてしまい、転倒してしまった。その際、咄嗟に左手を地面につけたのだが、完全に滑ってしまっているので、勢いで捻ってしまう。
「ボキッ」と厭な音がしたのが自分でも分かる。
同時に、左肘に激痛が走る。思わず右手でそこを押さえる。立ち上がれない程である。
しばらくその場でうずくまってしまう。休日の商店街であるので、人通りは少なくない。しかし、誰も自分のことを気にとめる様子はない。心配そうに見てくれたのは女性一人だけであった。
暫くすると、少し痛みが和らいできたので、何とか立ち上がる。すると、見ていた女性もいなくなってしまう。
骨が折れてる名、と思いつつも土曜の午後ではやっている病院はないであろう、ということでとりあえず湿布を貼って寝る。捻挫ぐらいですんでいれば、という甘い期待とともに。しかし、どんどん腫れは酷くなっていく。
1996/9/1
その日のうちに病院に行かなかったばかりに、夜中に激痛に苦しむ事になる。何度か救急車を呼ぼうか、とも考えたが、それ程でも無いだろう、と思い、自粛する(今になってみれば、これは大きな間違いだった)。少し動かすだけでも痛い。横になると、起きあがるのが一苦労。椅子に座って腕をだらんと下げている状態が一番楽である。
教訓1:医者には速く行った方がよい
朝になってから、近所の日曜でもやっている接骨院に行く。暫く見て貰って一言、
「レントゲンを撮ってみないと分からないけど、かなり酷い。うちにはレントゲンの設備がないので、午前中の診療が終わったら、設備のあるところに連れていくので、再度来てくれないか」
ということになる。反論出来る状態ではないので、取りあえずその言葉に従う。
そこの先生曰く
「普通ならその場で救急車を呼んで貰っているところだよ」
教訓2:救急車を呼ぶのに躊躇をするな
午後になり、先生の車で別の病院に行く。知っている大病院があるか、ということだったので「ない」と答えると、むかし自分が勤めていた所に行く、という事になった。
多摩川を渡り東京をでて、連れて行かれたのは川崎の個人病院。そこでレントゲンを撮った結果は、そこの院長曰く
「肘で骨が4〜5ヶに割れている。特に知っている病院も無いようなので、このまま即刻入院」と成ってしまう。小さな病院、不愛想な院長。生まれて初めての入院生活は、かなり不安になる。
教訓3:少しでもコネのある病院があればはじめから医者に言っておいた方がいい
1996/9/1
即刻入院措置を食らった。すぐにベッドの上に固定されると、左手に麻酔を打たれ、ハンドドリルのようなものを用いて肘の中にワイヤーを通される。ワイヤーを馬蹄型の金具で止めると、その金具を滑車でつり上げ、反対側に4.5kgの重りを付けられる。腕を強引に引き上げる形になるのでかなりの痛みが伴ったが、「じきにこの方が楽になる」と言われたとおり、少し楽になる。
子供であればこのまま直すのだが、大人は様々な余計なものが中にあるので、一週間程度牽引した後、手術をする、と院長は言っている。
病室にいるのは他はお年寄りばかり。更に言うならばナースもベテランばかり。病院であるから、4時半には晩飯を食べさせられ、9時には消灯となってしまう。本来なら絶対に寝付けない時間であろうが、昨晩ほとんど眠れなかったせいもあってか、あっさりと眠れた。
1996/9/2
朝6時起床。7時半に朝食の後、点滴。400ccも点滴を受けるとさすがにうんざりする。その後、ワイヤーを通している箇所の消毒。することはこれだけである。
外科専門のせいか、携帯電話の使用が可能であったので、会社に事情を説明する。どちらにしても夏休みの予定になっていたので余り迷惑はかけずに済んだようだが、実際の所は分からない。
完全に左腕が固定されているので、全く身動きが取れない。特に医者もする事がないらしく、「牽引による腕のしびれは無いですか」と訊く程度である。何もできないので、一日ぼーとしているしかない。飛行機のキャンセル代が癪だ(早割だったので、キャンセル料50%)といったことを考えたりする。
1996/9/5
今まで牽引の重りは4.5kgだったが、今度は6.5kgに増やされることになった。いきなりではきついだろう、ということで、今日は1kg、明日更に1kgという事になる。吊り上げられる力が強くなるのだから、当然負担も大きくなる。腕が少しずつ辛くなる。
この病院は、何と院長が患者を診るのは週に2日、月曜と木曜だけだという。一応若い医者が別にいるものの、病院に対する不信感はどんどん強くなっていく。
1996/9/6
レントゲンを撮ってみたところ、牽引がかなり上手く行っており、手術なしで行けるかも知れない、ということになる。手術するか、それともこのまま牽引でするか、決めてくれ、と院長が言ってくる。どうするか決めてくれ、と患者に言われても困ってしまう。
本来なら手術をすべき所ではあるが、かなり折れ方が悪かったらしく、難しい手術になるらしいので、実際の所は自信がないのではないか、と思えるが、そんなことを口に出して言えるはずがない。
若い医者に訊いてみたところ、手術をしてもしなくても入院しているのは3週間程度、という事なので、であれば手術などしたくない、という結論になる。
1996/9/8
入院生活一週間。全くすることがない。退屈である。
この日、看護婦から
「院長から転院の話をききましたか」
と言われる。聞いていない、というとそれっきりになったが、どうやら手術をするのであれば手に負えないので転院する、ということになっているようだ。
1996/9/12
この日、ようやく点滴をしなくて良くなった。しかし、腕の吊り方を変える、ということで、馬蹄型の金具をあっちにずらしこっちにずらし、という作業が行われる。最終的に形が落ち着くのに1時間程度かかる。形を変えたせいで腕は更にきつくなる。重りも更に1kg増やされて、7.5kgになる。
会社の上司が見舞いに来る。流石に、「北海道で過ごす筈の夏休みを病院のベッドの上でおくっている」となると、話題になるらしい。聞いた話では、皆の第一声は「かわいそうに」だったという。
1996/9/13
昨日いじったにも関わらず、今日も又腕を吊る位置を変えさせられる。なぜそんなに何度も変えるのかは不明であるが、今日も又昨日に増して大がかりな作業になる。重りも更に増えて計8kgとなる。
院長は全く診ようとはせず、ただひたすら「三週間このまま」というだけである。今から三週間なのか、入院してから三週間なのかすら言わない。病院に対する不信がだんだん高まってくる。転院した方が良いのでは、という声が当の看護婦からも聞こえてくる有様である。
1996/9/15
親類関係でコネを使えそうな病院があったので、思い切って当日夜勤の婦長にそちらに転院できないか、と相談してみる。婦長は、おそらくあと一週間程度でギブスで固定できるようになる筈であり、そうなれば直ぐ退院出来るので焦らなくても良いのでは、とは言ってくれたが、病院にコネがあるのなら転院した方が良いかも知れない、という事になり一応申し送りをしておく、という事になる。
1996/9/16
振替休日なので巡回予定もないのに、院長がいきなり現れる。あと一週間もしないでギブスで固定できるから、とだけ言うと去っていった。転院する、の一言が効いたのであろうか。
教訓4:少なからずゴネ得は存在する
1996/9/19
レントゲンを撮った結果、状態がいいので9/24にギブスを巻く、と言われる。何か予定よりどんどん延びていくような気がするが、所詮こちらはまな板の上の鯉であるので、何も言えない。少しふてってしまう。
幸運にも、重りは少し減らされて元の6.5kgに戻る。
1996/9/24
金具が抜き取られ、ギブスが巻かれる。始まったのは何故か夕方の4時過ぎという中途半端な時間。今度は麻酔は無しで力技にて引き抜く。流石に痛みが走る。その後ギブスで固定されるが、石膏で固めるのではなく、水で濡らすと暫くすると堅くなるテープが腕に巻かれる(多分炭酸カルシウム含有のテープだと思う)。
流石にこれだけの間寝たきりであると、自力で起きあがれなかったり全く歩けなかったりするが、時間とともに回復してくる。何とか会談をのぞく病院内くらいは歩けるようになる。婦長曰く、今週中には退院できるのでは、との事。ほっとする。生命保険の入院費申請書類も用意した方がよい、とも言われる。若い医者からは、指や肩といった動かせる箇所は積極的に動かすように、と言われる。
ギブスは大体4週間巻いている、との事。
1996/9/25
少し無理をして起きていようとすると気分が悪くなる。看護婦に訊いたところ、乗り物酔いと同じだ、という。長い間寝ていたことの後遺症である。まだ起きているのは3時間が限度、といったところである。
足の方は、手摺りに捕まれば階段を上下できるくらいにまでは回復する。
1996/9/26
院長の診察の結果、あと2週間、最低でも1週間は入院していろ、という。動けるようになっているにも関わらず、である。はっきり言って納得が行かない。退院すれば何があるか分からないから、というのが理由らしいが、自分からしてみれば、入院患者が少ないのであまり減ると経営に差し障るから返したくないのでは、と邪推してしまう。安全側で考えようという医者の立場が分からないではないが、こちらも勤め人で生活があるのだから、納得は出来ない。結局この日一日ふてくされていた。
しかし、事態は思わぬ方向に進む。夜になり婦長が現れ、「明日退院しますか?」と訊いてきた。自分の退院見込みとは違う結果になってしまったので、院長と掛け合ってくれたらしい。不幸にして9/27は友引だったので、退院は9/28となる。
教訓5:病院では、院長より婦長の方が偉いことがある
1996/9/27
珍しく回診以外で院長が現れ、一通り状態を診たあと、看護婦に向かって最初に自分を連れてきた接骨院の先生に「退院させることになった」と電話しておくように、と言い放った。まあ、気持ちは分からないではないが、当の患者の前でそういう事を言う神経はすごいと感じる。
2社頼んでいた生命保険会社の申請書が、1社分だけ来ていた、ということで家人が持ってきてくれる。速達の上、今回は事故に遭われてお悔やみ申し上げます等といったワープロ打ちの書類が一枚入っている。つくずく思うのだが、たかだか申請用診断書を書いて貰うのに何故¥5,000もかかるのであろうか。しかし、同じ日に頼んで同時に来ない、というのも対応の差を感じる。
1996/9/28
ようやく退院する。暫くのんびりとしていたところ、看護婦から「普通の人は退院の日は朝から支度をする」と言われる。慌てて支度を始めたりする。幸い、遅れていたもう一社の生命保険の申請書も今日到着する。
結局この日は院長は現れず。若い医者から、動かすことを忘れずに、絶対に転ばないように、と念押しされる。
退院した、とは言っても未だ出勤できるわけではないので、家でおとなしくしている。
1996/9/30
「ご迷惑をおかけしました」と会社に挨拶に行く。医者は特に何も言ってはないが、取りあえず来週くらいから当人は職場復帰するつもりでいるので、上司には「医者から一週間は自宅療養と言われている」と伝えておく。
一応手土産持参で行ったが、逆に「そんなものはいらなかったのに」と言われる始末である。どちらにしても、別に快気祝いは用意するのだから、物いりではある。
1996/10/3
病院で診察を受ける。レントゲンを見て院長は「いいねえ」と自画自賛。来週ギブスをはずすから、と言われる。ということは、、、院長の腹づもりはギブスが外れるまで病院に置いておこう、という事だったのであろうか。そんなのは真っ平御免、というところである。
診断書が出来上がっていたので、早速生命保険の交付の申請をする。しかし、ここでも会社による違いがある。1社は簡潔に何と何を送れ、と書いてあるのに対し、もう1社はいちいち一覧から選んで書き込んで行かなくては行けない。しかも、保険証書まで送れ、となると少し面倒くさい。会社の違い、というのも面白い。
1996/10/7
医者は何も言っていないが、勝手にこの日から仕事に復帰する。とは行っても、従来のようなペースで仕事をこなせる訳ではないので、少し焦る気もある。まあ、出世は既に諦めているからどうでも良い、という気分にもなってくる。
1996/10/12
病院に行き、ギブスを外して良いか診るためにレントゲンを撮るものの、「今日は院長がいないので外して良いか分からないから明日再度来てくれ」、と言われる。仕切り直しではあるが、少し腹立たしい気もする。交通費は決して安くはない。
生命保険会社1社から、給付金を振り込みました、との連絡が入る。何故か書類を送ってくるのが遅かった方の会社である。出るとは思っていなかった手術給付金も出ているらしい。少し嬉しいが、腑に落ちない。
1996/10/13
院長がレントゲンを見た結果、ギブスを外しても良い、ということになる。外すのは、小型の回転刃カッターで切る、という少し怖い方法ではあったが、何の事故もなく終了した。外した後も、肘の保護用として外側半分だけは残しておき、包帯でそれに固定する、という措置が執られた。入浴時等は外して構わない、という。実際、外すと肘が少し痛む。
明日又来てくれ、と言われる。二度手間三度手間で少しうっとうしい。
1996/10/14
午前中再度病院に行く。何をするのかと思っていると、温湿布で腕を暖めた後、若い医者が包帯を外して様子を見ただけ。何をする訳ではない。一日おきぐらいに来てくれ、と言われてこの日は終わる。
1996/10/17
病院に行くと、今日は珍しく院長が診断した。スーツ姿で行ったので、会社に行っていることが分かり、少し驚いたようではあったが特に何も言わなかった。腕がどれくらい動くか見た後、今日からリハビリのマッサージを始めよう、という事になる。
マッサージ、と言っても気持ちのいいものではなく、感覚としては「痛い」に近い。週に2回くらいは来るようにしてくれ、と言われてこの日は終わる。
もう1社の生命保険会社から、給付金の支給(振り込み)の連絡が入る。こちらは、牽引手術は当社で規定する手術の範疇に入らないため、入院給付金のみとなります、との文書が同封されていた。まあ、納得はいくが、こういった事柄でも会社によって対応が違う、というのは興味深い。
1996/10/20
病院に行き、レントゲンを撮る。院長は一言「信じられないね。こんなに上手く行くとは思わなかった」つまりは、医者が匙を投げるくらいに状態が悪かったと言うことか?自分はそれだけ悪運が強いと言うことになるのだろうか。病院ですることは、相変わらずマッサージのみ。家にいるときは保護用の腕当ては外して少しでも動かすように、と言われる。もはや外しても痛みはあまり感じない。
病院帰りに、会社のメンバーからのお見舞いのお返しにテレホンカードを買う。貰ったのが一万円。全部で18人。¥500*18=9,000。決して黒字とは言えない(まあ、そういう次元で考えるものではないが)。
1996/10/24
病院に行くものの、院長は診察しようともせず。マッサージだけで終わり。
1996/10/27
病院ではまたしてもマッサージのみ。
1996/10/31
またしてもマッサージのみ。院長は、人がマッサージを受けているよを横目でちらりと見ただけで終わり。少し腹立たしくなる。本来ならリハビリになれば最初に行った近所の接骨院で受ける話になっているのに、これではいつまで経っても交通費と時間とを使わないと行けない。
1996/11/2
病院に行くものの、またしてもマッサージのみ。若い医者も「本当なら毎日の方が良いから近所の方に行くべきだが」と言っている。院長と話をすべき所だが、当人と会えない以上どうしようもない。そのうちもう一度レントゲンを撮って判断する、と言っているが、既に2週間間が開いている。今まではほぼ1週間ピッチだったのに。
1996/11/3
本当なら毎日行った方が良い、というのなら、ということで近くの接骨院に行く。
先生自ら病院に電話を掛け、今の自分の状態を確認した後、電気治療と温湿布治療を行う。帰り際に一言「これから地獄が待ってるよ」
確かにそうだろう、、、
1996/11/5
いつも通っている病院に行く。レントゲンを撮った結果は、相も変わらず順調だ、としか言わない。取り敢えず、今後は普段は接骨院でリハビリを受け、薬及びレントゲンのみに通う形となった。実際、普段も病院ではマッサージと温湿布しかやらないのだから、問題は無い。
レントゲンの写真を借り、会社帰りに近所の接骨院に立ち寄る。
そこの医者は、一通りの説明をした後、
「肘関節の中に余分な骨が出来てきたりしているから、今後リハビリを進めて行くに従って、これが取れるときにはかなりの痛みが出る。時と場合では腫れるかも知れない」
と言われる。リハビリは長くかかりそうだ。
1996/11/6
会社帰りに毎日リハビリに通う日々が始まる。自力で動かすのみでなく、医者の方で意図的に大きく動かしていく、という形なので、強烈な痛みが伴う。完全に関節が動くようになるまで痛みは継続する、という。少し憂鬱になる。
骨折のリハビリは昔から進歩していないが、現状ではこれが最も効率的だ、麻酔をかけて行っても上手く行かない、と言われてしまえば諦めるしかない。
1996/11/17
毎日の病院がよいが続く。今朝は、結構腕が痛い。未だに痛みは引かないものの、昨日より明らかに酷くなっている。
接骨院で話すと、「関節の中の骨が折れたので、これからもよくあること」の一言で片づけられてしまう。リハビリには必ず伴うことだ、という。
この日は曲げるリハビリはせずに、伸ばすだけで終わる。
1996/11/19
痛みは2,3日で取れる、との事だったが、事実その通りになった。とはいえ、これからもこの様なことが続く、というのは少し鬱である
1996/11/24
入院していた病院に行くが、院長がいないので再度いるときに来てくれ、と言われる。慣れてはいるものの、少しも患者のことを考えてはいないという事で少し頭に来る。
もう薬は出なかった。
1996/11/26
再度腕に再び痛みが走る。この日は結局、リハビリはせずに患部に超音波を当てる、ということのみで終わる。
曲げる方は医者で出来るが、伸ばす方は自力でやるしかないので、適当な重さのものを持って振りながら歩くようにした方がよい、とも言われる。
1996/11/28
入院していた病院で院長の診察を受ける。リハビリの回復具合を見て「なんでここまで堅いんだ。ちゃんと通っていないんではないか」という心外なことを言われる。はっきり言って切れる寸前であった。内心、こんな病院二度と来るものか、と思う。自分の治療が良くなかった、とは思わないのだろうか。レントゲンをちらっと見るだけで、まともな診察などしていないではないか。病院に行っても自分の都合が最優先で、患者を1時間
以上待たせるのは当たり前、というのはいくら個人病院とはいえ酷いと思う。第一、患者に病状を説明しない、というのでは論外ではないか(生死に関わるならともかくとして)
帰り際に若い医者の方が「頑張ってね」と言ってくれたのがせめてもの救いである。
教訓6:医者というのは傲慢である
1996/11/30
接骨院でリハビリの後、病状説明。やっと腕が捻らずに真っ直ぐ曲がるようになってきた。少なくても60度は曲がらないと困るので(現状は80度程度)まだまだかかる、との事である。
その後の雑談では、結構興味深いことを聞く。
たとえ現在転院しても、引き受ける医者はいない筈。どこまで曲げて大丈夫かが全く分からないから。自分は継続の絡みでやっているが、一つ失敗すれば再度折れてしまうので、慎重にならざるを得ない。ただ曲げるだけでも、かなりの神経を使う、との事である。
1996/12/3
曲げる方はほぼ順調に進んではいるが、のばす方が遅れている、という。伸ばす方は自分が努力しなければどうしようもないという部分があるのだそうだ。とりあえず、1〜1.5kg程度の物を持って適宜伸ばしていくように、と言われる。
1996/12/8
現状では、可動範囲はあまり広くはない。リハビリをして伸ばした直後であれば可動域が50度くらい(80-130)はあるのだが、いきなり動かせるかとなると全く動かない。関節が堅いからだ、という一言で括られてはしまうのだが、つまり人並み以上の努力が必要だ、と言うことになる。順調に進んで入るんだが、と言われても余り慰めにはならない。
1996/12/12
レントゲンを撮ったわけではないので断言は出来ないが、既に骨は殆どくっついており、もう同じ箇所が折れることはない状態になっているはずだ、と言われる。そうは言われても、実感という物はあまり無いのだが。
結局こっちは毎日強制的に筋を伸ばされて痛い思いをしているのだから。
1996/12/20
痛いのを我慢すれば、辛うじて指先が肩に付く程度までは曲がるようになった(無論、リハビリをした後の場合であり、通常は未だ殆ど曲がらない)。
最近では病院に行ってもマッサージをされる訳ではなく、赤外線を当てて曲げ伸ばしするだけになっている。温湿布すらしなくなった。
1996/12/24
伸ばす方が遅れている、というので今度は力一杯腕を伸ばされられる。腕自体は170度位まで伸びたのだが、痛みの方も半端な物ではなかった。肘の内側の筋にマッサージをした後、珍しく湿布のお世話になって終了となる。
1996/12/29
2〜3日集中的に伸ばされていたため、かなり肘の内側がいたい。一応その旨を伝えると、自力で左手を使ってYシャツの第一ボタンを外す練習をしろ、と言われる。書いてしまえば簡単だが、実際にやるのはかなり難しく、一回できるのに3時間かかる始末であった。
自宅でもこれをやって年末年始は過ごすように、と言われる。
1996/12/31
ボタンを外すのは20分程度で出来るようになったところで、今度は填めるてみるようにと言われる。結構苦労したものの、何とか30分程で付けられた。しばらくはこれらの練習で過ごすことになりそうだ。
1997/1/31
一ヶ月近く同じ事を進めてきて多少は進展があるものの、劇的な変化というものは見られない。医者としても「(筋が)硬いなあ」としか言い様はないらしく、ひたすら筋を伸す事を継続するしかないらしい。強制的に伸したり曲げたりすればそれなりには動くのだが、激痛を伴うし、日常生活には役立たない。
1997/2/28
更に一ヶ月が経ったわけだが、進展はほとんど無い。自宅でも筋力を付けるトレーニングをしてくれ、と言われたので2kgの鉄アレイを東急ハンズで買ってきてトレーニングをするが、結果になって現れてこない。方針を転換して、強制的に伸すことは避け、マッサージと筋力トレーニングを中心に進めていくことにする。
1997/3/31
余りに進展が見られないので、医者の方でも少し不安になったらしく、他の病院で診察を受けてみることを勧められる。
「多分行っても特に今以上のことを出来るわけではない、と言われると思うよ」とは言われていたが、実際に某大学病院で診察を受けた結果、その通りの事を言われた。「どうしても動かないと言うことであれば外科的手法も考えるが、それでどこまで行くか分らない。とりあえず夏までは今のままで進めてみてくれ」と言われる。
これはまあ、仕方がないことかもしれないが、紹介状が無い患者には初診料¥1,500(保険は利かない)は納得が行かない。
1997/4/30
握力等に関しては順調に回復をしているのだが、肝心の肘の可動範囲は余り増えていない。多少は増えてはいるようだが、とりあえずの日常生活には(多少の不便はあるが)支障がなくなっているので余り実感というものがない。医者に言わせれば、不自由を感じた方がよりリハビリに真剣になるから感じてくれ、となるのだが、本人にすれば感じたくはない。しかし、まだ腕には多少の違和感が残っていたり、時々寒さを感じたりする。折った際に毛細血管が切れてしまいそれが回復しきっていないせいらしい。左腕だけ年齢が+20歳になっているらしい。
1997/6/30
会社の総務部から電話で問い合わせがある。医療機関に殆ど毎日行っているのは本当か、という内容である。あまりに回数が多いので保健組合の方から文句を言われたらしい。結構長い時間電話の相手をさせられた、ということは、向こうも組合からかなり言われた、という事であろう。病院通いは事実ではある以上何を言う訳ではないのだが、若干釈然としない物が残る。
接骨院でこの話をしたところ、「払っている保険料分も貰っていないはずだから気にする事はない」とは言われたが、本当はどうなのかは分からない。
1997/7/12
某大病院に「三ヶ月経ったら又来てくれ」と言われたので、一応再度行ってみる。結果的に言えば、前回から全く進展はなし。「元に戻したい、という希望はあるんだよね・・」と口では言いつつも、どのように答えれば良いのか戸惑っている様子。要するに、最早これ以上の回復は期待できない、という事らしい。
回復の希望があるなら、様々な経緯があるから、最初に行った病院で再度説明を聞いた方が良いよ、と言われてしまう(診て貰った方が良いよ、ということでは無いことに注意)。この状態ではうちでもどうしようもない、という事なのだろう。
1997/7/13
いつもの接骨院で今後のことを話する。昨日の経緯も含めて話をし、結果的にはリハビリは自分で努力してやるしかない、という事になる。実際、最近は通っても全く進展がない以上、そうする方が良いだろう、という結論を出す。
午後からアメ横に出掛け、5kgの鉄アレイを買ってくる。東急ハンズに比べると、値段は圧倒的に安い。今後はこれでリハビリに励むことになる。
終わった、訳ではないが、とりあえずこれにて打ち止めとさせて貰います。
(又何かあれば書きますが)
ホームページに戻る