Le  Musee de l'histoire   Noir

黒 歴 史 博 物 館

ここは、闇から闇へと葬られ、無かった事にされた文献や作品、出来事
などを
蒐集・収蔵し、
キュレーターの解説とともに展示する博物館です。

あなたは 人目の来館者です。

来館者ノート

FRANCOAGUILA.JPG - 53,045BYTES
 
 
 
 
                  File 03:  The melancholy of  Ex-Miss International
 
                            元 ミス・インターナショナル 吉松育美の憂鬱
 
                                      鑑定対象: 蒐集中
 
 
                                           2013年12月16日、日本外国特派員協会にて、日本の芸能界に巣喰う一つの闇が語られました。
                                           奇妙な事に、テレビや新聞・雑誌など、マスメディアのほとんどがこれを報道する事はなく、現在に至るまで完全に黙殺されている状態です。
                 
                       〜あたかも、そのような事件はなかったかのように。〜
                        〜この件を扱うと、そのメディアはこの世界では生きていけなくなるかのように。〜
 
                   語られる端から消されていく、まさしく現在進行中の「黒歴史」そのもの、といった様相を呈しています。
 
                   上記のように、マスコミは一切、この件に触れようとはしませんが、過去の事件との類似性を指摘する声は多く、あらためて過去と現在の
                                          二つの事件に共通するある人物に疑惑の目が向けられています。
                   
                   当博物館では、収蔵品 File 01 として鑑定済みの事件との類似性に着目し、恋愛感情を巧みに利用して5年前にTBSから引き抜く形で強引に
                   事務所へ移籍させ、その後は公私共に奴隷状態であったと言われるまで一人の女性の心と身体を弄び、「妊娠・出産」という夢と希望を無残に
                   打ち砕いた挙句にその生命を奪い、今また、もう一人の女性にまで同様の被害が及ぼうとしているこの件について、資料が極端に限られた
                   状況ですが鋭意、蒐集と鑑定を進めていきたいと思います。
 
                                                                                    Curator: 妃英理
 
 
 
BOTANIC6S.GIF - 8,733BYTES
 
 
           1. 疑惑の人物の類似性    〜芸能事務所関係者の人物相関図〜
 
           2. 脅迫メールの類似性    〜『この世界では生きていけないように・・・』〜
 
           3. 事務所の類似性       〜「xxxダッシュ」という特定グループの事務所〜
 
           4 関係者の類似性       〜反核映画「GATE」のテイラー、再び〜
 
 
 
 
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File 02: The  Forbidden  67 Photos  of  Saaya Suzuki
 
禁じられた67枚の写真 
 
鑑定対象: 写真
 
 
 2013年10月8日 東京都三鷹市の路上で、18歳の女子高校3年生 鈴木沙彩さんが殺害されました。
 沙彩さんは、元交際相手からのストーカー被害について警視庁三鷹署に相談に行った後、自宅に戻ったところを自宅内に潜んでいた
 元交際相手にナイフで首などを刺され亡くなりました。
 
 ストーカー犯罪については、今までにも交際相手やあるいは離婚した元配偶者からのストーカー行為により、被害者やその家族までもが
 殺傷される事件が後を絶ちませんが、この事件も、当初、チャーミングで明るい良家のお嬢さんがストーカーの逆恨みによりまきこまれた
 事件、というような報道でした。
 
 しかし、被害者と犯人が交際していた時に当時16歳だった沙彩さんが自分で撮った、いわゆる自画撮りの写真が海外のアダルトサイトに
 投稿されていた事が明らかになると、世間は騒然となりました。
 
 それは清純で聡明な女子高生が既に男性経験があり、また女性器までもが露になるような大変、ショッキングな写真を沙彩さんが
 自分で撮り、元交際相手にメールで送っていたからです。
 
 女優を目指し、小学生の頃から芸能事務所に所属して有名ドラマにも既に出演経験がある沙彩さんの 「もう一つの姿」 が数十枚もの
 写真となってばらまかれてしまったのです。
 また、元交際相手との性行為の最中と思われる動画も同時に投稿され、亡くなった被害者のプライバシーや尊厳が大きく損なわれました。
 
 それらの写真や動画はほどなく削除されましたが、一度ネットに流出したものをすべて削除する事は不可能であり、今でも投稿と削除の
 繰り返しが続いています
 当博物館では、残された写真に基づき、沙彩さんがどのような想いでこのような写真を撮影したのか、なぜこれほどまでに大量に撮影
 するまでに至ったのかを検証するとともに、交際当時の沙彩さんに何が起きていたのかを解説いたします。 
                               
                                                                                                                                                      Curator: 妃英理
 
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           1. 撮影された写真リスト
 

写真#

概要

露出部位

撮影場所     

撮影方法 

姿見パターン 

#01 動画キャプチャー画像 全裸 口淫    自室以外 他者  
#02 パープルラインブラ    M1 @-1
#03 上半身 裸

バスト

M1 @-1
#04 顔アップ   ベッド 1 @-1
#05 パープルTシャツ バスト M1 @-1
#06 制服 (長袖)   M1 @-1
#07 制服 (長袖)   M1 @-1
#08 制服 (長袖)   M1 @-1
#09 制服 (長袖)   M1 @-1
#10 制服 (長袖)   M1 @-1
#11 制服 (長袖)   M1 @-1
#12 制服 (長袖)   M1 @-1
#13 制服 (長袖)   M1 @-1
#14 チャイナドレス   M1 @-1
#15 パープルブラウス バスト M1 @-1
#16 上半身 裸 バスト M1 @-1
#17 上半身 バスト M1

@-1

#18 制服 (半袖)    M1 @-2a
#19 制服 (半袖) バスト M1 @-2a
#20 制服 (半袖) バスト M1 @-2a
#21 制服 (半袖) バスト M1 @-2a
#22 制服 (半袖)   M1 @-2a
#23 制服 (半袖)   M1 @-2a
#24 制服 (半袖)   M1 @-2a
#25 白カットソー    M1 @-2a
#26 上半身 裸 バスト M1 @-2b
#27 エプロン アンダーヘア M1 @-2b
#28 立ち姿 全裸 M1 @-2b
#29 立ち姿 全裸 M1 @-2b
#30 座り 開脚 女性器 M1 @-2b
#31 座り 全裸 M1 @-2b
#32 エプロン バスト M1 @-2b
#33 顔アップ バスト ベッド 1 @-2b
#35 Tシャツ 開脚 女性器 M1 @-2b
#36 Tシャツ 開脚 女性器 M1 @-2b
#37 スリップ   M2 A
#38 スリップ   M2 A
#39 スリップ   M2 A
#40 スリップ   ベッド 2 A
#41 スリップ   ベッド 2 A
#42 スリップ   M2 A
#43 スリップ   ベッド 2 A
#44 スリップ   ベッド 2 A
#45 スリップ   M2 A
#46 スリップ   M2 A
#47 スリップ   M2 A
#48 スリップ   ベッド 2 A
#49 スリップ   M2 A
#50 スリップ   M2 A
#51 スリップ バスト M2 A
#52 スリップ   M2 A
#53 白ブラ・ピンクショーツ   M2 B
#54 白ブラ・ピンクショーツ   M2 B
#55 白ブラ 開脚 女性器 M2 B
#56 白ブラ・ピンクショーツ 女性器 M2 B
#57 Tシャツ 開脚 女性器 M2 B
#58 全裸 開脚 女性器 ベッド 1 リモコン/タイマー B
#59 黒ラインブラ   M2 B
#60 黒ラインブラ 開脚 女性器 M2 B
#61 立ち姿 全裸 M2 B
#63 座り 開脚 女性器 M2 リモコン/タイマー B
#64 全裸 バスト M2 リモコン/タイマー B
#65 白ブラ・パープルショーツ   M2 B
#66 全裸 開脚 女性器 ベッド 1 リモコン/タイマー B
#67 白ブラ 開脚 女性器 M2 B
#68 四つん這い 女性器 ベッド 1 リモコン/タイマー B
#69 白ブラ 開脚 女性器 ベッド 1 リモコン/タイマー B
 
 
 
 
 
           2. 撮影場所の特定  〜部屋の間取りと撮影場所〜
 
写真から読み取れる部屋の間取りと調度は下図の通りです。
姿見は、その特徴から1枚の鏡を M1 または M2 の位置に移動していたようです。  
                                           M3.JPG - 26,190BYTES
    
                                各撮影場所 (姿見 M1、姿見 M2、ベッド 1、ベッド 2) からの構図は以下のようになっています。

          M1.JPG - 9,585BYTES          M2.JPG - 9,019BYTES

BD1.JPG - 11,541BYTES    BD2.JPG - 14,157BYTES

   
 
   
           3. 撮影順の推定  〜姿見の特徴に基づく考察〜
 
             鏡撮りをする際に使用した姿見の置かれた場所と姿見の枠に貼られていたカードなどの特徴から
             少なくともこのバリエーションの数だけ、撮影時期が異なるものと思われます。
                                           @アンジェリーナ・バレリーナ (Little Star with Big Dream)のカード
              
                                           A @の左側に洋雑誌 (Katy Perry の特集ページ?)
 
                                           BRingtone(音楽配信サイト) の Katy Perry の広告
 
                                 なお@にはリボンまたはストラップ状のものがついているものとついていないものの2種類があるため、
                     リボンのあるものを @-1、 ないものを @-2 としました。
                                また、沙彩さんのマニキュアの様子から、@−2 でも 撮影時期が異なるものがあるようですので、
                     マニキュア(濃いピンク)の有無によって、さらに @−2a と @-2b に 分類できます。
                                   M4.JPG - 30,550BYTES
 
 
            4 撮影時期による写真のグルーピング
 
              姿見の状態と着衣やアクセサリーなどから、写真の撮影時期は以下のように分類できます。                  

写真#

主な着衣

姿見の特徴

撮影時期 (推定)

#02-#17 

制服 白(長袖)

@-1

2012年5〜6月

#18-#25

制服 クリーム (半袖)

@-2a

2012年6月

#26-#36

エプロン姿

@-2b

2012年6月

#37-#52

スリップ姿

A

2012年6月以降
(誕生日前後)

#53-#69

白ブラ姿

B

2013年3月以降

                   制服の写真を見ると、長袖と半袖の両方が写っており、衣替えの前後だったのではないかと思われます
                   また、姿見Aに貼り付けられた小物類 (ポシェット様のもの・ラッピング材など) は沙彩さんの誕生日(6/22)
                   プレゼントに関連するものではないか思われます。
                   
                   一方、#53-#69ですが、姿見の飾りが大きく異なる事、クローゼットに貼り付けられていたカレンダーなどが
                   取り除かれている事などから、沙彩さんの帰国後の2013年3月以降なのではないかと思われます。
                   
                   これらの写真と制服の写真などを比較すると、沙彩さん自身の風貌や体型などの変化が目立ちます。
                   例えば、頭髪が明らかに伸びている事、顔立ちや体つき(特に腹筋のあたり)がほっそりとしている事などが
                   これ以前の写真の幼い体型の雰囲気と大きく異なります。
                                            #37-#52 のグループの中に 「17歳の目標」 を記したと思われる英文のメッセージがクローゼットに
                   貼られており、そこには 「Sammy.S (沙彩さんの事)・・・Shape Up」 という文言が見て取れますので、
                   この宣言通り、シェイプアップに勤しんでいたのでしょう。
                   
                   なお、動画からのキャプチャー画像 (#01) は部屋の広さや調度などが異なるため、自室で撮影されたもの
                   でない事は明らかです。
                   この動画から読み取れる情報は少ないですが、過去のブログに掲載されていたアクセサリー店内で撮影
                   された写真 (白いセーター・白いコート着用) のマニキュアの特徴 (グレーか濃いパープル系))が一致します
                   ので季節は冬だという事が分かります。
                   また、頭髪の長さなどから、やはり帰国後の2013年3月以降だと思われます。 
 
                   沙彩さんは、留学を機に一度は別れたようですが、帰国後も少なくとも4月に呼び出しに応じており、
                   沙彩さんが望んでいたかどうかは不明ですが関係は続いていたようで、問題の動画と#53-#69 の
                   特に過激な写真はこの頃に撮影されたものと推定されます。              
 
 
            5 撮影時期とポーズや露出部位の関係   〜大量の写真が撮影された理由〜 
             写真#02-25(制服着用)を見ると、このグループに含まれる写真では、バストは露にしているものの、
             ショーツだけは脱いでおらず、ましてや女性器を露出したような写真は1枚もありません。             
             おそらく、この時期は、沙彩さんもそこまでするつもりはなかったのでしょう。
 
             故人の名誉のためにもはっきりさせておく必要があると思いますが、当初から沙彩さんが自分の意思で
             過激な写真を撮影し、大量に送りつけていた、というような事はなかった事が分かります。
 
             犯人は、「清純だった沙彩さんに悪い遊びを覚えさせてしまった。貞操観念を崩してしまった」と周囲に
             語っていたとの報道があり、メールをしながら他人には見せない、あられもない姿の写真を撮って送る事が
             「悪い遊び」だったのだと思われます。
                  制服の写真の仕草や表情を見ると、いたずら半分、という印象が強く、沙彩さんにとっては、あくまでも
                  ボーイフレンドとの二人だけの秘密の遊び、という感覚だったのだと思われます。
              
                  また沙彩さんが自分でポーズを考えた、というよりも、相手とメールをしながら、「次はこれを脱いで、
                  こんなポーズで・・・」などといったやり取りを続けたり、雑誌などに掲載されたグラビア写真や、ネットで
                 見つけた無修正写真などを沙彩さんに送り、それら写真のポーズを再現するような事をしながら
                 撮影していた
ようで、いずれにせよ、寂しさを紛らわす
ため、遠距離恋愛を逆手にとった男の側からの
                  強い誘いや要求があった事は疑いようもありません。
 
                  犯人の逮捕後、同様の手口で写真を送ってしまったという女性が複数、確認されており、写真や動画を
                  ネットに流され、トラブルになった女性もいたそうですが、沙彩さんのように、「裕福な家庭の生まれで、
                  名の通った私立の女子高校に通い、常識ではためらうような写真を言われるままに撮影し、犯人が
                  知り合いになる事すら不可能な芸能界の住人」 という 「条件」 に当てはまる女性が他にいるはずも
                  なく、それゆえに沙彩さんに異常に執着したのだと思います。
 
                  とくに、今までの写真をネットに流すと脅せば簡単に言いなりになると考えていたようで、事実、
                  学校や芸能関係に知られればどちらも大きなダメージになる事は簡単に想像できます。
 
                  学校としては、他の生徒への示しや保護者への手前、沙彩さんに同情はするものの、不純異性交遊の
                  事実は間違いないため、おそらく自主退学するように求めたと思います。
                  当然、推薦が決まっていた大学への進学も白紙となってしまいます。
 
                  また芸能界については、事務所との契約が解除にまではならないとしても、相当の期間は活動休止
                  に追い込まれた可能性が大です。
 
                                          あくまでも未確認情報ですが、4月に呼び出された時の性交渉で沙彩さんが妊娠してしまい、(沙彩さん
                  を妊娠させてデキ婚を狙ったもの) これが6月に両親に発覚したため、父親から絶縁を言い渡された事
                                          が事件の発端になったという説があります。
             
                  今回の事件が起こらず、沙彩さんが何事もなく齢を重ね、何十年か経った後にこれら写真を見た時、
                  赤面しつつも「若気の至り」で済めば本当によかったのですが。
 
               
            6 撮影方法の変化と過激さの関係  〜女性器を撮影するためのセルフ撮影〜
 
                   #58 #63 #66 #67 #68 #69 は、鏡を使っておらず、また手を伸ばしても撮れない写真なのでリモコン
                   シャッターやタイマーアプリなどを使ったものと思われます。
                   口元に手をあてている写真については、握られた手の中にリモコンを持っているようにも見えます。
 
                   これは、両手の指を使って女性器を広げた過激な写真などを撮るために用意したものと考えられます。
                                            撮影時期については、前述の通り、クローゼットに貼られていたカレンダーなどが無くなっている事から、
                   帰国後の2013年3月以降だと思われますが、既にこの頃は、以前に送った写真をネットに流すと
                   脅されて呼び出され、さらに新しい写真を送るよう強要されてこのような写真を撮るようになって
                   いったのだと思われます。
 
                   事実、これらの女性器を露わにした写真の沙彩さんは、口を引き結んだまま無表情で写っており、
                   最初の制服の写真で見せていた恥じらいやいたずらっぽい表情は微塵もなく、ただ機械的に
                   「作業」を進めているだけのようにも見えます。    
  
 
            7. 68枚目の写真   〜ロープを所持してクローゼットに潜んでいた理由〜
 
                   犯人が逮捕された時には凶器や血のついた衣服・手袋は遺棄した後でしたが、バッグの中に
                   ロープを持っていた事が報道されています。
                   また、犯行計画を練ったとされる資料には、ナイフや手袋と同列にロープが書かれていた事も
                   分かっています。
 
                   警察での取り調べ中は沙彩さんや御遺族に謝罪の言葉もなく、反省する態度も示さない、
                   という事でしたが、弁護士との接見後は所持していたロープは自殺するために用意したもので
                   また、沙彩さんと御遺族に謝罪の言葉を述べている、という発表がありました。
 
                   これがわずかでも情状酌量を狙った稚拙な裁判対策である事は明らかですが、それでは
                   自殺用でないとしたらロープは何のために用意したのでしょうか。
                   これは潜んでいた場所が沙彩さんの自室のクローゼットだった、という事から用途は明白です。
 
                   自室の間取り図を見ればわかるように、クローゼットを開ければ、目の前にベッドがあります。
                   犯人は、沙彩さんが帰宅後、ベッドで寝入るまで待ち、就寝中を襲ってロープで縛り、沙彩さん
                   に性的暴行を加え、その模様を撮影して「68枚目の写真」や「2本目の動画」として投稿する
                   つもりだったと思われます。
 
                   しかし犯人の目論見通りにはいかず、警察からの電話を終えた後、沙彩さんがクローゼットを
                   開けたか、あるいは犯人が夜まで待たずにその場で襲って乱暴するつもりだったのか、結局、
                   事件は最悪の形で起きてしまったものと思われます。
 
    
            8. 運命の10月4日 〜事件を防ぐ事のできた最初で最後のチャンス〜
 
                   事件発生直後は警察の大失態ではないかという批判もありましたが、三鷹署に相談に行った日の
                   未明には犯人は既に隣家に潜んでおり、その日の午後には無人の自宅内にまで侵入していたため
                   警察がどんなに手を尽くしても事件を防ぐ事はできなかった、という警察側のリークに基づく報道以降、
                   警察への批判は全くなくなりました。
                   また、杉並署に相談に行った際、沙彩さんに同行した学校関係者が語った「殺す」という脅迫のメールは
                   学校関係者の思い込みであり、殺害を示唆するようなメールはなかったと、後日、警察の意向を受けて
                   訂正しています。
                   これらは、警察には落度はなかった、という主張を補強するものですが、はたしてそうでしょうか。
 
                   実は、沙彩さんの命を救えたかもしれないチャンスが一度だけありました。
                   それは、10月4日の杉並署への相談です。
 
                   この時、杉並署は、沙彩さんの自宅の管轄の三鷹署で相談するように伝えただけで、そのような事案が
                   あったことすら、三鷹署へ申し送りもしていません。
                   もし、杉並署が三鷹署にストーカー事案として申し送りを行い、沙彩さんがすぐに三鷹署を訪れて被害を
                   訴え、それに基づき自宅周辺のパトロールや三鷹周辺のマンガ喫茶やネットカフェなどで犯人を見つけて
                   職務質問をする事ができれば、上京してからすぐに買ったという刃渡り11センチのナイフが発見され、
                   銃刀法違反で現行犯逮捕され、事件そのものが未然に防げたかもしれません。
 
                   もちろん、これは沙彩さんが出演した探偵物のテレビドラマならばそうなったでしょうが、現実の警察は
                   まったく動こうとせず、結果的に犯人を利する事になってしまったわけです。
 
 
            9. 被害者が生命の危険を感じていなかった理由   〜命取りになった写真〜
 
                   沙彩さんとご両親、さらには警察自体も沙彩さんに生命の危険が迫っているとは考えていませんでした。
                   事件後、ご両親は「娘を守る決心をしておりました」というコメントを出していますが、この「守る」とは
                   「命を守ろうとしていた」ということではありません。
 
                   では犯人からではなく、「何」から沙彩さんを守ろうとしていたのでしょうか。
                   それは、10月8日に警察で相談した内容を考えれば明らかです。
                   もちろん、沙彩さんの身辺の保護を求めに行ったわけではありません。
 
                   事件発生直後からストーカーの専門家達はある共通の疑問を呈していました。
                   それは、なぜ警察に相談に行った後に沙彩さんは登校し、3時限から6時限まで普通に授業を受けた後、
                   一人で帰宅したのか、また御両親は娘の一大事なのに仕事を優先し、なぜ沙彩さんを一人にしたのか、
                   という事でした。
                   専門家達は、ストーカー事件では有効な自衛策として自宅へ帰る事を当分は避けるなど、沙彩さんと
                   ご両親に適切な指示を与えなかったために事件が起きた、と警察の不手際を非難していました。
    
                   普通のストーカー事件ならばその指摘はその通りですが、この事件の場合は、沙彩さんとご両親が
                   生命の危険をまったく考えていなかったため、警察に保護を求めなかったので、警察としても警告に
                   向けての準備などをするだけでした。
 
                   では沙彩さんとご両親は、なぜ生命の危険を考えていなかったのでしょうか。                   
                   それは、この時点で写真と動画までもがネットに流されてしまった事を沙彩さんとご両親は知っていました
                   ので、犯人が復縁を求めたり嫌がらせのネタとして使っていた「切り札」とも言うべき写真を犯人が
                  手放した=沙彩さんの事はあきらめたと考え、これ以上の事はもうしてこないだろうという思い込みが
                  あったからです
                   ただし、引き続いて沙彩さんにつきまとったり、あるいは写真をプリントして沙彩さんの名を入れて
                   自宅の近所に投函したり、学校周辺でバラまいたりする可能性があったため、今後、そのような行為を
                   しないように警告をする事を警察に依頼しに行ったという事です。 
 
                   つまり、ご両親は、ネットに流された写真が、いずれは沙彩さん本人と特定され、大騒動になる事を想定し、
                   沙彩さんを傷つけるのは写真を手放した犯人ではなく、写真を手に入れた不特定多数のネット住民や
                   マスコミという、「世間の好奇の目」が犯人にかわって沙彩さんを傷つける側になると考え、どのような事が
                   あっても沙彩さんを守る、という決心をしたのです。
           
                   もし、犯人が凶行前に写真を投稿しなかったら、警察への相談内容も変わっていたと思われます。
                   そうなれば、犯人は何をするか分からない、という事で沙彩さんの身辺の保護や犯人の居場所の特定など
                   警察が適切に動くチャンスが生まれた可能性がありました。
 
                   結局、写真をネットに流された事を「起こりうる最悪の事態」として考えてしまった点が、酷な言い方ですが、
                   文字通り、沙彩さんの命取りになってしまいました。
 
 
 
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File 01: The  Last  Nineteen  Days  of  Ako Kawada
 
川田亜子 最期の19日間 
 
収蔵文献: 川田亜子 オフィシャルブログ 『Ako's Style』
 
 
 2008年5月26日 東京都港区の路上に駐車した車の中で、元TBSアナウンサーの川田亜子さんが死亡しているのが発見されました。
 GW明けの5月7日以降、川田さんはブログ上で体調不良や不安などを訴える書き込みをしており、特に『悪魔』と題した日の記述は
 週刊誌に取り上げられるなど、大騒ぎになりました。
 一躍話題になった川田さんのブログですが、問題となった『悪魔』だけでなく、その前後のブログまでが削除された結果、皮肉な事に
 削除された部分に何が書かれていたのかが逆に注目を集め、そこからフリーアナウンサーへ華麗に転身を遂げた美貌の女子アナの
 『妊娠・中絶』が噂されている、そんな矢先の出来事でした。
 車内の遺留品などから、三田署は『練炭による自殺』として処理しましたが、司法解剖もせずに早々に自殺と断定した事、車に施された
 目張りの状態や未施錠であった事などから、自殺に偽装した他殺説など、未だに自殺・他殺の両説が入り乱れる状況が続いています。
 当博物館では失われたブログを蒐集し、川田さんは何を伝えようとしていたのか、亡くなるまでの日々に綴られていた想いを解読する
 とともに、何が川田さんに起きたのかを解説いたします。                                
                                                                                                                                                      Curator: 妃英理
 
 

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 1. 『悪魔になった』の意味、その他、事務所によって削除されたブログから分かる事
 
 
  
『先週から口がうまく回らなく、どうしたものかと悩んでおりました』
 
原文  2008年05月07日 「・・・」

    今日は私のお休み。
    先週から口がうまく回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。
    普段から喋りがなめらかとは言えない私にとってとても心配であり、不安が押し寄せてきます。
    特に心あたりもなく…
    言葉がおもうようにでてこないのであります。
    積み重ねてきたものがあっというまに失う時があります。
    人生は無常ですね
    気分転換に少し遠出をしてみることにします。
 
川田さんが体調不良や不安を記述した最初のブログです。
実は年明けから今年の目標などが見えないなどと悩みを書き込む日はありましたが、この日の記述は世間の注目を集めるのに充分でした。
ブログの読者からは励ましや体調を心配するコメントが書き込まれていました。
この日の記述だけを見ると、うつ病の兆候のようにも見えますが、後述の9日・10日のブログ『1日』を読むと、川田さんの体に何が起きていたのか
が分かります。
 

『私の友達に赤ちゃんができました』

原文  2008年05月09日 「1日」

    やっと1日が終わりました。長かったったです。でも私はたくさんのスタッフに支えられています。
    幸せ?生きている実感?身にしみて感じました。
             縁があって出会うことができたみなさんに感謝の気持ちでいっぱいなんです。
    みなさんはどんな1日でしたか? 
    
私の友達に赤ちゃんができました。
    生まれてくる生命… 大切に大切に生まれて来てほしいです。
    みなさん、ありがとうございます

幸せや生きている実感を身にしみて感じた、というような文面ですが、仕事上、スタッフに助けてもらった程度で、はたして『幸せ』や
『生きている実感』を感じるものでしょうか? 
この後に 『私の友達に赤ちゃんができました。生まれてくる生命… 大切に大切に生まれて来てほしいです。』という文が続き、
前の文と合わせて考えると川田さんが何を伝えたかったのかが分かります。
『私の友達に赤ちゃんができました』と書かれて
いますが、これはやはり川田さん本人が妊娠した、という事でしょう。
幸せや生きている実感を身にしみて感じたというのは、スタッフや周囲の方々の好意が、結果としてお腹に宿した子を気遣ってもらって
いるように思え、本当にうれしかったのでしょう。
妊娠、という事になると、7日で書かれた『口がうまく回らない』『不安が押し寄せる』等の症状は妊娠初期の『マタニティーブルー』であった事が
分かります。
 
川田さんが亡くなった時、12日の『悪魔』と7日のブログの内容だけが紹介され、あたかも『うつ病』であったかのように報道されていますが、
これは自殺の原因が 『うつ病』によるもの、としたい事務所の強い意向が働いていたと解釈できます。

 

『ここ数日沢山の方々にたくさん助けていただきました』
 原文  2008年05月10日 「1日」 

      ようやく夜ですね。夜だから楽であるかと言えば違いますが… ここ数日沢山の方々にたくさん助けていただきました。
    このブログであったり、一緒に仕事をさせていただいている方であったり、初めてお会いした看護婦さんであったり、
            私の小さな小さな悩み事に耳を傾けて下さり、なぜそんなにも優しくしてくださるのでしょうか?
            感謝の言葉では表現できないくらいです。
            人のためになにができるのでしょうか。
            明日はまた新しい日が訪れ、皆さんにとって素敵な日がきますことを願います。

続く10日のブログは同名の「1日」ですので、要するに9日・10日のブログは 2日分の記述で1セット という事になります。
この日のブログは 前日同様、『助けていただいた方々』 への感謝を述べていますが、ブログの読者やファン、仕事関係者などはともかく、
あまりにも唐突に 「看護婦さん」 が登場します。 
ここから読み取れるのは、9日に産婦人科で診察を受けて妊娠が判明した際に、川田さんが感じていた心配事やこれからの生活上の注意などを
看護婦さんから事細かに説明してもらった
のでしょう。

『不安が押し寄せる』などと書かれていた数日前のブログから一転、まだ不安を感じつつも、喜びと希望の方向に向いていた川田さんの運命は、
この日を境に再び、苦しみと絶望の方向へ大きく傾いていく事になります。

母の日 5月11日にブログは書かれていませんが、9〜10日の『1日』と題された一連のブログが事務所関係者の目にとまってしまい、そこから
今回の川田さんの悲劇の幕が開いたと考えられます。

酷な言い方ですが、 『妊娠のカミングアウト』 と解釈されるような事を書かなければ、この悲惨な事件は起こらなかったのでは
ないかと思われるほど、
『悪魔になった』 発言以上に
重要なブログだったと思われます。

事件後、ご遺族が解剖を拒否されたと報道されましたが、それはご遺族の中でも特に強く解剖を拒んだとされる川田さんのお母様(実母)が、
川田さんは中絶をしなかった事を知っていたため、もし解剖されてしまえば川田さんの妊娠が解剖所見に記録されてしまう事をおそれた
のでしょう。

 
 
 
『母の日に私は悪魔になってしまいました』
 
原文  2008年05月12日 「悪魔」
 
    母の日に私は悪魔になってしまいました。もともとそうだったのかもしれません。
    産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。
    母の涙が 私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです
 
 
「悪魔になった」という意味は、川田さんがよりにもよって母の日に中絶した罪悪感から自分の事をそのように表現したもの、と言われていますが、
以下の状況から、所属事務所から 『中絶』か『解雇』か の選択を迫られた結果、
やむなく中絶を受け入れた事をあたかも、 お腹の子の命と魂を
仕事のために売った、取引した と考え、そんな自分を悪魔に例えたのだと考えられます


中絶手術そのものは日帰りで終わりますが、術後、数日間は安静が必要だとされています。 
それは仮にも肉体の一部を身体から剥ぎ取って摘出する以上、安静にしていないと予期せぬ出血が起こる場合があり、命にも関わるからです。 
事務所としては番組の録画収録ならともかく、客やマスコミが大勢集まるようなイベントの司会の最中にもし万が一、大量に出血して倒れるような事が
あれば取り返しがつきませんから、中絶後は仕事をさせずに必ず休ませようとしたはずです。

川田さんは『悪魔になった』発言で大騒ぎになった12日以降もCM発表の司会などをこなしており、ブログでもその週内に仕事をこなしている記述が
見受けられますので、
世間で噂されたように、『母の日に中絶』、という事はなかったと思われます。
 
では事務所は、川田さんにいつ中絶させようとしていたのでしょうか。 
事件直後、事務所は報道の問いに対して、川田さんは25日から5日間オフの予定だった、と回答しています。
おそらく25日に中絶させ、この「オフ」の間に休養させる段取りだったのでしょう。

 

『おはようの挨拶したくて… おはよう』

原文  2008年05月19日 「おはよう」

    おはようの挨拶したくて…
    おはよう 

12日以降、ブログでは2度と『赤ちゃん』や『看護婦さん』が登場する事はありませんが、実はブログで川田さんは中絶していない事を
思わせる記述があります。 
それは19日の 「おはよう」 です。

 『おはようの挨拶したくて… おはよう』

一見、取るに足らない内容のように思われますが、川田さんはこのような挨拶の仕方を過去のどの日のブログでもしていません。
もしするとすれば 「みなさん、おはようございます」 などとするはずです。
このような挨拶は、相手が近しい間柄だった場合でしょう。
では誰に対する挨拶だったのでしょうか? 
この 「おはよう」 という挨拶は、その時はまだ宿していたお腹の子に向かって愛しさを込めて言った のだと解釈できます。

 

『今宵はかけていく満月を堪能しますか。。。。 』

原文  2008年05月21日 「眠れぬ夜に」

    今宵の満月が見えていますか?
    
徒然草に、『花は盛りに、つきはくまなきをのみ見るものかはとかいへるは、いかにぞや。』
    兼
好法師が徒然草で、「花は盛りの時のみ、月は曇りなく輝ている時のみを見るものであろうか。そうではない。」と。。。
    今
宵はかけていく満月を堪能しますか。。。。

12日以降、書かれたブログは少ないですが、亡くなった25日が近づくにつれて、「閉塞感」「喪失感」が文面から強く感じられるようになり、
日によっては 「死にゆく自分」 を書いたと思われるものがあります。
徒然草の和歌を書いた21日のブログですが、これは川田さんがフリーになって以降、これまで過ごしてきた日々を振り返った時、
今の自分を 『欠けていく月』 や 『散っていく花』 に重ねて考えたのでしょう。
つまり、自分の最盛期はもう過ぎた。 あとは散り行く (死んでいく) のみだ、と。
川田さんは自嘲気味に 「今宵はかけていく満月を堪能しますか」 と書いていますが、欠け始めた月、散り始めた花のような自分だとしても
残された時間をせめて楽しもう、というような悲しい想いがこの文面から感じられます。

25日にテイラーから夏服をブレゼントされ、川田さんは「人生で一番しあわせ」と言ったとの事ですが、テイラーという男は問題のある人物の
ようですので、
映画の興行・宣伝を兼ねて川田さんの死を利用しているようにしか見えません。 
 
テイラーは週刊誌の取材に対し、川田さんが 「子供を産みたい」、「12月には仕事を辞める」 と言っていたと答えていますが、これは 両方を
一つの文として
合わせて考えれば、『川田さんは12月に出産して仕事を辞めるつもりだった』、つまり、逆算すると、5月頃はそろそろ中絶が
できなくなる妊娠4ヶ月程度
だった事をあてこすっているようにも思われます。
川田さんに夏服をプレゼントしたのが事実であり、また川田さんが 「人生で一番しあわせ」 と言ったのも事実だとすれば、その「夏服」というのは 
『夏用のマタニティドレス』 だったのかもしれません。
プレゼントがマタニティドレスだったからこそ、お腹の子を気遣ってくれるという思いから、一番しあわせ、と言ったと解釈できます。
 
 
 

『少し調子が悪い私ですが、ちゃんと頑張って生きています 』

原文  2008年05月21日 「おしらせです」

             (前略)
     やはり女性ですから、女性にも、男性にも好かれる香りに出会えれば嬉しいです。
          
    少し調子が悪い私ですが、ちゃんと頑張って生きていますので、
    ぜひいらしてくださるとうれしいです。
 
このブログは24日に行われる香水スペシャリストの方とのトークショーの告知として書かれたものですが、最後の 『頑張って生きている』 
という記述を別の面から解釈すれば、『頑張る気力がなくなったら死んでしまう』 というようなニュアンスが感じられます。
イベントの告知に過ぎないこのブログですが、実はイベント当日にタイトルが 「今日」 に変更され、最後にあった 『少し調子が悪い私ですが、
ちゃんと頑張って生きていますので ぜひいらしてくださるとうれしいです。』 という部分が削除され、代わりに 『ぜひお立ち寄り下さい』 
という文に変更されています。
これは川田さん本人が変更したのか、事務所が変更したのかは定かではありませんが、『調子が悪い』とか『頑張って生きている』などは
事務所にとってよほど気に入らない表現だった事が伺えます。

 


『一番苦痛であります 』

原文  2008年05月22日 「仕事の合間」

    一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。
    豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。
 
川田さんが書いた最後のブログです。
おそらく川田さんも同じホテルのロビーにいるのだと思われますが、優雅に幸せそうにしている方々とは違う、まるで別の世界の住人に
なってしまったかのような
表現です。
『移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。』というのは、今の自分は何もできず、何もしていないのに時間だけがどんどん過ぎていき、
自分だけが取り残されていくような感覚だったのでしょうか。
 
 
 
『応援してくださったファンの皆様、関係者の皆様へ 』

原文  2008年05月28日 「応援してくださったファンの皆様、関係者の皆様へ」

    この度の川田亜子の一件では、大変なご心配とご迷惑をお掛け致しまして誠に申し訳ございません。
 
    アナウンサーから始まり、多くのお仕事や経験をさせて頂いた中で、たくさんの方々と出会い支えて頂きましたことに心から感謝しております。
    もちろん、このブログを読んでくださる皆様をはじめ、ファンの方々の応援も大きな支えになっていたことは言うまでもありません。
    いつも温かい励ましをありがとうございました。 
    笑顔の源になっておりました。 
 
    これで最後のメッセージとさせて頂きます。
    皆様との心の繋がりでした大切なブログを終わらせることを残念に、また大変申し訳なく感じております。
 
    ブログという形での繋がりは無くなってしまいますが、どうか素敵な思い出として川田亜子を皆様の胸の中にいさせて下さい。
    川田亜子もその思い出を胸に、今度は皆様を応援する側になります。
    皆様との出会いに心より感謝しております。 
    本当に、今までありがとうございました。
 
    この度は、弊社所属の川田亜子の一件で、大変なご心労ご心配、またご迷惑をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。
    また多くのファンの方々には、これまでたくさんのご声援を頂き本当に感謝しております。
    どうぞ、川田の笑顔をいつまでも覚えておいてやって下さい。  ご冥福を心より祈っております。
 
 
これは、所属事務所が川田さんのブログを閉鎖する際に掲載したものですが、よく読むと激しい違和感を感じます。
それは、類似する表現や、何度も登場する『ありがとうございました』、『感謝しております』などの文章、そして何よりもこの挨拶文の中では
川田さんがまだ生きているかのような表現があるからです。
 
『川田亜子もその思い出を胸に、今度は皆様を応援する側になります。』 というのは、どういう意味なのでしょう。
既に亡くなっている川田さんが、いったいどのようにして 『思い出を胸に 皆様を応援してくれる』、という事でしょうか?
 
『アナウンサーから始まり』 から 『本当にありがとうございました。』 までの文章は、『悪魔』発言の直後にブログを閉鎖させようとしていた
事務所が用意していた挨拶文の草稿の一部であり、何種類か作ったパターンを無理に組み合わせたもののようです。
内容からすると単なるブログの閉鎖にとどまらず、当時、既に川田さんが事務所を辞める、というところまでも想定して用意していた挨拶文
だと思われます。
 
 
 

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2. 『母の日に悪魔になった』の意味についての父親の説明の不自然さ
 
 
『酔っ払った挙句の母親との口喧嘩説』
「悪魔になった」の意味について、父親は 「酔っ払って母親と電話で話している時に口喧嘩になった事」 だと語っていますが、これは
「故人の私生活をこれ以上詮索されないように、故人の名誉を守るために」、という事で遺族と事務所が相談の上で用意したストーリー を
そのまま語っただけでしょう。
あるいは父親本人が実際に語ったのではなく、週刊誌側は事務所から父親の談話の原稿を渡されただけ、という事なのかもしれません。 

事務所としては、事件直後に 「事務所関係者の男を告発する」 などとの噂があった川田さんの父親の口から、『そのような意思はまったくなく、
逆によくしてくれたなどと感謝さえしている事、今回の事件はあくまで本人の意思での自殺だという事で納得している事、悪魔になったの意味は
酔った挙句の母親との口喧嘩であった事』などを語らせる事によって、この事件の沈静化・幕引きを図ったのでしょう。

注目されたのは「悪魔になった」の意味ですが、父親が語った「酔っ払って口喧嘩説」については、「あまりにもとってつけたような話」ではあるが、
それを否定する材料がないため、それ以上の報道はされませんでした。

たしかに父親が語ったこの話だけでは情報不足で否定も肯定もできませんが、事務所が当初から、「うつ病を原因とする自殺」に誘導しようとして
強調していた 「GW明けから川田さんを心療内科に通院させていた」 という 「公式発表」 と組み合わせて考えると、川田さんの父親が
「酔っ払った挙句の口喧嘩だった」などと平然と語る、その事自体が異常だという事がわかります。

 

『うつ治療と飲酒の危険な関係』

「うつ」の治療中、「飲酒」は厳禁 だという事は、医療関係者のみならず、「うつ」で悩む人を見守る周囲の者にとっては常識です。

事務所が言うように、川田さんがGW明けから心療内科で治療を受けていたのならば、問題の「母の日」も坑うつ剤を服用していたはずです。
坑うつ剤という薬は「頭痛薬」などのように飲めばすぐに効く、気分の悪い時だけ飲めばいい、という類の薬ではなく、ある程度の長期間、
症状の改善状況に応じて量を調整しながら継続的に服用する事で徐々に効果が出てくるものです。

川田さんの父親が医学の知識のない、ごく普通の会社員などであればともかく、この分野の専門家である「精神科医」ならば、
坑うつ剤を服用していたはずの人間が「酔っ払って口喧嘩した」などという話を母親から聞き出し、「悪魔になった云々というのは、所詮、
その程度の事だったようです」、で簡単に済ますはずがありません。

坑うつ剤による治療中の飲酒は、薬の効果を無効化したり、逆に強めたりしてかえって症状を悪化させ、その結果、自殺衝動が強まるなど、
厳禁とされています。
事務所はスタッフを付添いとして通院させていたと、発表していますが、治療中の注意事項は本人はもちろん、保護する立場の付添いの人も
必ずその説明を受けます。
もし周囲の人間や治療にあたった医師が川田さんの飲酒を見逃していたり、あるいは黙認していたとしたら、その事が自殺の直接の引き金になった
可能性があるため、精神科医である父親がこれを糾弾しないはずはないのです。

事務所が通わせていたという心療内科の医師は本当に適切な治療やアドバイスをしていたのか、また周囲の人間は川田さんの飲酒を防げなかったのか、
等々に言及し、もし「酔っ払っていた」というのが事実ならば、それを看過した医師はもちろん、周囲のスタッフ、事務所に対して猛烈に反発したはずです。

にも関わらず、それが原因で娘が自殺したのかもしれないのに、この事では誰もとがめず、まるで他愛のない事のように
「酔った勢いの、ただの口喧嘩だったようです」などと言っています。
この状況はありえない。

常日頃、患者に対して「うつ」と「飲酒」の危険性を厳しく説く立場の医師が、「うつ」で通院していたとされる自分の娘が自殺し、娘が治療中だった頃に
「酔っ払っていた事」を知ってもそれを重大事と考えず、それを平然と口にできるわけがないのです。

 

『父親のコメントが意味するもの〜酔っ払っての口喧嘩などは作り話』

「母の日に悪魔になった = 酔っ払って母親と口喧嘩した」 というありきたりなストーリーを考えた人間は、医学的に「うつ」と「飲酒」が、許されない、
ありえない組み合わせ、だという事を知らなかったのでしょう。

以上のように、酔っ払っての口喧嘩、などというのは作り話であり、本来ならば精神科の医師として不審に思うべき話を川田さんの父親が自らの口で
語った(あるいは、語ったという触れ込みで記事になる事を容認した)のはなぜでしょうか?

それは、遺族として、そして何よりも父親として、絶対に隠し通さなければならない、誰にも知られてはならない、「川田さんの悲しい秘密」を父親は
知っていたからでしょう。

 

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3. 『不完全な目張り、未施錠のドア、後部座席の練炭 が意味するもの』

 
『練炭自殺にしては状況が不自然・・というのは、練炭自殺に対する固定観念』

週刊誌などでは、助手席側の目張りがない、ドアが施錠されていない、キーが外に落ちていた(らしい)事などから、 『誰かに止めてほしかった、
死亡する前に見つけてほしかったのでは』 という論調ですがそれは違うでしょう。

練炭の燃えかすが2個あったという事は、要するに 短時間で一酸化炭素の濃度を上げようとした事を意味します。
当日は雨模様だったとは言え、初夏の車内で練炭を燃やせば車内は相当の温度になるはずで、その中で致死濃度になるまでおとなしく待つ事など
とても考えられません。 
睡眠薬を飲んでから着火、という事も考えられますが、薬を飲んだからといってすぐに眠れるわけもありません。

おそらく、
練炭に着火後、火が消えるまで車外で待ち (=車内に充分にCOが充満する、または酸欠状態になる)、その後で車に乗り込めば、
高濃度の一酸化炭素を吸い込む事になり、即座に昏睡状態になってそのまま死に至る と思われます。

つまり、車内で練炭を炊いてCOを充満させた後、助手席から乗り込むために目張りや施錠をしなかったのであって、おそらく乗り込んですぐに
昏睡・絶命したため、目張りや施錠などは 『しようと思ってもできなかったし、元々するつもりもなかった』、というのが実情だったのでしょう。
練炭を助手席に置かなかったのは、もちろん、助手席側から乗り込むのに邪魔だったからに過ぎません。

川田さんの『自殺』は、手遅れになる前に未遂で発見されるためのポーズなどではなく、確実に死亡するように周到に考えた強固な決意の下での死
だったと解釈できます。

不完全な目張り、未施錠のドア、後部席(または荷台)に置いた練炭、etc から、『練炭自殺にしては不自然』 などと言われ、『心中を装った相手が
助手席から逃げた』、『別の場所、別の方法で殺しておいて練炭自殺に見せかけた』 など、色々といわれていますが、 『目張りをきっちりして施錠し、
練炭を燃やしてCOが致死濃度になるまでどんなに暑かろうが、苦しかろうが我慢して車内でおとなしく寝ている』・・・というのは、練炭自殺というもの
に対する 『固定観念』 に過ぎません。
 
元々、練炭自殺に限らず自殺には作法や決め事などはないわけですから、目張りが不完全だったり、施錠されていない、という事だけで『川田さんの
自殺は怪しい』という事にはなりません。
 
『白いベンツは自殺に見せかけるための殺人装置だったのか?』
ただし、この方法を利用すれば、『練炭による自殺に見せかけた殺人』も確かに可能ではあると思います。
 
川田さんは亡くなる直前に電話をしていたとの噂がありますが、亡くなった当日の夜に電話で川田さんを現場付近にある事務所関係者のマンションに
呼び出し、川田さんがそこに滞在している間に、発見現場となった路上に白いベンツを停め、車内にCOを充満させておき、未明になって川田さんが
帰る時に「少し離れた所に車を停めておいたからそれで送って行く」、とでも言って車まで行き、川田さんに先に助手席に乗るよう、促したとしたら・・・・。


午前3〜4時頃にベンツのルームランプが点いていた事、車の周辺に懐中電灯を持った人物がいた等の証言に合致するような気もしますが。
 
 
 
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『まだ今年の自分を見つめる事ができていないのです。』
原文  2008年01月10日 「今年の私」

    新しい年を迎え、去年皆さんに支えてもらったことに
    感謝していることをお伝えすると共に
    今年の抱負をお伝えしたいと思っていたのですが、
    今の自分はプラス思考でもあり、マイナス思考でもあり、
    まだ今年の自分を見つめる事ができていないのです。
    もう少しお時間をいただけると嬉しいです。
 

年頭に書かれたブログで『今年の抱負』や『目標』といったものについて悩みがある・・といったような記述です。
ただし、5月の頃の『悩み』と根本的に異なるのは、『生きるか死ぬか』といったような事ではなく、純粋に仕事に関しての
悩みだったようです。
この後、ほどなくして『目標』が定まった、というような内容のブログが書かれます。

 

『大切な友達に感謝の気持ちを込めて。』
原文  2008年01月17日 「サプライズ」

    ランチをしていたらサプライズデザートが! 
    嬉しくて胸がいっぱいでウルウルしてしまいました。
    今年はより一層頑張っていい一年にしなければ・・・と
    決意させてくれました大切な友達に感謝の気持ちを込めて
    

2008年1月17日 ・・・日付からも分かるように、川田さんの最後となった誕生日のブログです。
この日はサタデースクランブルの関係者とのスナップ写真とその時にもらった花の写真がアップされていますが、
同じ日にもう一つ、ブログが書かれており、上記の文とともにその時のデザートの写真がブログに掲載されています。

写真にはケーキとシャーベットが乗ったデザート皿が写っており、皿の上の方には Joyeux   anniversaire・・・フランス語で
"Happy Birthday" の意、 下の方には "AKO" と描かれています。  

サタデースクランブル収録後の『プライベートのランチ』の模様ですが、このランチの相手こそ、問題のテイラーだったと思われます。
デザート皿にチョコレートで描いたメッセージなどはフランス料理店で 『誕生日のサプライズを』 と頼めばやってくれるような、
さして珍しくもないサービスですが、一人で何かに悩み、迷っていた、そのような心の隙間を突いてテイラーのような輩が
こんな『演出』とともに言葉巧みに接近してきたのだとしたら、それは川田さんの運命という名の天秤を死の方向へ大きく傾ける、
その始まりだったのかもしれません。 

『大切な友達に感謝の気持ちを込めて』・・・と書かれていますが、はたして『大切な友達』と呼ばれるにふさわしい人物だったのでしょうか。

文中に語られている『より一層頑張っていい一年にしなければ』という『決意』ですが、川田さんが目指していたのは単に『GATE』の件に
留まらず、テイラーとの『コネ』を利用した、さらにその先にあったのではないでしょうか。

 
『川田さんが英会話の学校を探していた理由』
川田さんは仕事の合間に英会話の学校を探していた、と言われています。
プロフィールによれば、川田さんは英検2級を持ち、また海外でのホームステイの経験もあるなど、少なくとも日本で仕事をするには
充分な英語力があったと思われます。
ではなぜ、今さら英会話を学ぼうとしていたのでしょうか?

川田さんは、事務所関係者に指示された『中絶』を頑なに拒否し、事務所を辞めようとしていたと思われます。
芸能界でも強い影響力を持つ事務所の意向に逆らって出て行くわけですら、当然、別の事務所などに移籍できるはずもなく、
報道のみならず、事務所関係者がメールに書いたという『この世界(芸能界)では生きていけない』状況になる事は充分に想像できたはずです。

川田さんが事務所を辞めて新たに目指したもの、それは、今以上に英会話の能力を上げる必要があり、日本の芸能事務所の影響などを
受けないと思われるもの、つまり、CNNなどの海外のメディアだったのではないでしょうか。
CNNの日本支局などに所属し、あるいはフリーのアナウンサーやキャスターとして契約して、日本やアジアの話題などを英語で世界に
配信する、そのような姿を目指していたのではないでしょうか。

川田さんは、テイラーが持っている(と川田さんが信じた)海外メディアなどへの『コネ』を利用して、川田さんが悩んでいた事務所との
関係から逃れようとしていたのではないでしょうか。
テイラーならば川田さんの歓心を買うために都合のいい事を言うのは充分に考えられ、川田さんはそれを鵜呑みにした可能性があります。
残念な事に、川田さんが考えていたほどテイラーという人物には海外メディアに対するコネも影響力もなく、海外メディアへの転進などは
とても無理だという事が分かったため、この事が川田さんの絶望に拍車をかけたのかもしれません。
 
 
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5. 『Google ストリートビューに映った "丸運"内に停まる "白い車"』


『"見慣れぬ"白いベンツを目撃したという丸運社員にとって、それは本当に"見慣れぬ"車だったのか?』

    Google  マップの新機能 ストリートビューで川田さんが亡くなった株式会社 丸運 付近(「川田亜子さん 絶命之地」)を見たところ、大変、興味深いものが
    写っていました。
        以下にGoogle マツプ ストリートビューの画像を何点か紹介いたします。 
    ちなみに、この地域の撮影がいつ行われたのかは定かではありませんが、この付近の植栽や街路樹がまだ立ち枯れ状態であり、葉が繁っていないため、
    晩冬から初春(3月初〜中旬頃)だと思われます。
    当館学芸部員の存知寄りの場所(東京都内)のストリートビューを見たところ、3月中旬にオープンした書店の入会受付の様子が映っていた事からもそのように
    推定できます。
    少なくとも、川田さんがなくなった5月末以降だという事はありえないと考えます。

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株式会社 丸運の画像です。
茶色っぽい建物前の歩道を左方向(南西方向)へ行くと
すぐ隣に白い建物が見えますが、
これがその最上階に事務所
関係者が住んでいると言われている "MEW" の裏口
(駐車場
)
の塀
ですね。

この株式会社 丸運前の歩道に乗り上げる形で白いベンツを
駐車し、その中で川田さんが亡くなっていたわけです。

画像に表示されている北西方向の矢印に沿って少し進み、
丸運側を見たのが次の画像です。








 


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丸運の建物の内部に白い車が停まっているのがはっきりと
分かります。
この白い自動車を拡大したのが次の画像(左)です。

画像(右)は 『川田亜子さん自殺?まとめ』に掲載されていた
『八王子ナンバーの白いベンツ』の画像を比較のため使わせて
いただきました。

このベンツは、ヘッドランプの形状などから 
S-Class W220 (2003〜2005年式) でしょうか。  

 

 

 

 


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MAP02.JPG - 15,434BYTES左は、建物内部の白い車を別アングルで捉えた画像です。

いずれも 『八王子ナンバーの白ベンツ』 とグリルや
ヘッドランプの形状、ボンネット上のエンブレム、
ナンバープレートの高さ・位置、フロントバンパー(スポイラー)
の開口部の数と形状、バンパー正面からボディ側面へと
続くモールの位置・形状など、細かい特徴までが非常に
よく似ていると思います。
ホイールの形状は細部までは分かりませんが、光りの
反射具合から、『八王子ナンバー』のホイールと同様、
大きな窪みがいくつかあるようです。












     いかがでしょうか?

     皆さんは、この『白い車』をどのようにご覧になったでしょうか?

     丸運の建物の中に停まっているこの白い車は、川田さんがその中で亡くなったという、あの白いベンツなのでしょうか? 
     それとも、偶然、同型・同仕様の白いベンツか、あるいは非常によく似た他の車だったのでしょうか?

     丸運という会社は、川田さんの所属事務所と何らかのつながりがある、との噂がありましたが、それはイベント用資材の運送を担当云々といった程度
     であり、川
田さんの事件とは、社員が白い車を目撃した(らしい)事以外、直接の関係はなかったと思います。

     したがって、もし、事件に関係したと思われる白いベンツが、事件の2ヶ月(推定)も前に、既に丸運の建物内に駐車していた、などという事が実際に
     あった場合、事件と丸運は白いベンツを介して何かのつながりがあったという事になります。

     事件当日(5/25)の午後8時頃、「会社前の路上に "見慣れない" 白いベンツが停まっていて、中で女性が寝ているようだったがそのままにしておいた」
     ・・・という「丸運の社員
(61)
」の目撃証言があるようですが、その丸運の社員にとって、本当に『見慣れない車だった』のでしょうか。

     もしこの車が事件の白いベンツであった場合は、川田さんの事件は、『縁も所縁もない、まったく無関係な会社の前の路上でたまたま起きた・・・』
     という事ではなくなってしまいます。

     以下は、ストリートビューに映ったこの白い車が、もし仮に(あくまで学芸部が設定した仮説ですが)川田さんが亡くなった白いベンツだった場合、
     25日午後8時頃、という『目撃』証言の意味がどのように変わるのかを考察いたします。 
     

『5月25日午後8時頃には白いベンツが既に駐車していた・・・という証言が意図するもの』

    前述の仮定の通り、問題の白いベンツが事件の前から何らかの関係があった場合、
事件当日(5/25)の午後8時頃、白いベンツが停まっていて、
    その車内に
女性が寝ているようだった・・・という
の目撃証言は改めて検証されなければならないでしょう。

    なぜなら、勤め先の建物内で見かけていた白いベンツが夜間、路上に置かれ、その中で見知らぬ女性が寝ていたら、「誰で、何をしているのか」を
    尋ねたり、あるいは建物の中に駐車するように(作業のために建物を開けたわけですから)促したりするのが普通ではないでしょうか。

    にも関わらず、車には見覚えがないため、そ
のままにしておいた・・・・というのならば、その裏には何らかの意図があったとのではないか、と疑念を
    抱かれても仕方がないと思います。

    当館学芸部では、この目撃者が何かを意図的に印象付け、ミスリードをしようとしたのであれば、それは白いベンツが駐車していた本当の 「時刻
    だったのではないかと考えます。

    この場合、25日の午後8時頃には白いベンツは既に停まっていた、という事にしないとまずい理由が関係者の「誰か」にあったと考えられます。

    つまり、午後8時頃には確固たるアリバイがあるが、翌26日午前3〜4時頃だとアリバイがない・・・というような人物の。

    所属事務所が事件直後に、警察の発表という事でもなく、また、どのような根拠に基いたものかが不明のまま、「川田さんは25日に逝去」と早々に
    発表したのも、午後8時頃にベンツと車内の女性を見たという、この目撃証言に合わせたものだと考えるならば、充分に納得がいきます

 

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    学芸員編集後記

   第1〜3章までは、「
川田さんさようなら」さんのサイト 「追悼川田亜子アナ・・そして誰が彼女を「殺した」のか」 に、当館学芸員のCurator: 妃英理が
   コメントとして投稿させていただいた内容を当博物館での公開用に加筆・再構成したものです。