県史跡・品濃一里塚(シナノイチリヅカ)[横浜市戸塚区品濃町587番地・平戸4-16] 
JR横須賀線「東戸塚駅」下車徒歩10分
慶長9年(1604)徳川幕府は、五街道を整備し、併せて宿場を設け、交通の円滑化を図りました。それと同時に、当時あいまいであった駄賃銭を決めるために、江戸日本橋を起点とした距離が分かるように、明確な里程標が必要となりました。そのため街道の両側には、一里(約4km)ごとに5間(約9m)四方の塚が造られ、塚の上にはエノキやマツが植えられました。これが一里塚です。一里塚は旅人にとって旅の進みぐあいがわかる目印であると同時に、塚の上に植えられた木は、夏には木陰をつくり、冬には寒風を防いでくれるため、旅人の格好の休憩所にもなりました。その為一里塚やその付近には茶店ができ、立場が設けられるようになりました。ここ品濃一里塚は、日本橋から9番目の一里塚で、保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に位置しています。旧東海道をはさんでほぼ東西に2つの塚があり、地元では一里山と呼ばれていました。東の塚は平戸村内に、西の塚は品濃村内に位置し、西の塚にはエノキが植えられていたようです。このように、今でも道の両側の塚がともにほぼ当時の形で残っている所は、神奈川県内でもこの一里塚だけであり、昭和41年には県の史跡に指定されました。平成7年6月 横浜市教育委員会