北条顕時・金沢貞顕の墓(ホウジョウアキトキ、カネサワサダアキ)横浜市金沢区
京浜急行「金沢文庫駅」下車徒歩20(バスあり)
称名寺及び市民の森内

『称名寺』金澤北条氏の菩提樹。金澤山弥勒院称名寺:鎌倉時代に北条實時が建立
宗派:真言律宗(奈良西大寺が総本山)

北条顕時(1248〜1301)は北条実時の子で、鎌倉幕府の重職であった引付衆、評定衆などを歴任しました。1285年の霜月騒動によりまして一時政界を退きましたが、その間、禅に傾倒し、五山版のさきがけとなります。『伝心法要』の開版を行いました。金沢貞顕(1278〜1333)は北条顕時の子で、六波羅探題をつとめたのち、第15代執権となりました。和漢の書物を多数収集し、金沢文庫を国内屈指の武家の文庫に創りあげるとともに、称名寺の伽藍や庭園の整備につくし、その最盛期を築きました。1333年、新田義貞の鎌倉攻めにあい、北条高時及び北条氏一族と共に鎌倉の東勝寺で滅びました。墓地は従来、向かって右の五輪塔が北条顕時の墓とされていましたが、1935年に右の五輪塔から青磁壺が(重要文化財)発見され、さらに、その五輪塔の様式等から、右の五輪塔北条顕時、左の五輪塔が金沢貞顕で南北朝期の供養塔と確認されました
平成6年3月31日 横浜市教育委員会