国史跡・朝夷奈切通(アサイナキリドオシ)[横浜市金沢区朝比奈町52番地] 
京浜急行「金沢八景駅」からバス「朝比奈」下車徒歩15分
鎌倉と六浦を結ぶために、鎌倉時代中頃に作られた切通しです。特別な整備は行われていませんが、鎌倉時代の切通の面影を良くとどめています。
鎌倉幕府は、仁治元年(1240)六浦津との重要交通路として、路改修を議定、翌年4月から工事にかかりました。執権北条泰時らが監督し、自分の乗馬に土石を運ばせて工事を急がせたといいます。当時の六浦は、塩の産地であり、安房・上総・下総等の関東地方をはじめ、海外(唐)からの物資集散の港でした。舟で運ばれた各地の物資は、この切通を越えて鎌倉に入り、六浦港の政治的、経済的価値は倍増しました。また、鎌倉防衛上必要な防禦施設として、路の左右に平場や切岸の跡とみられるものが残されています。鎌倉市境の南側には、熊野神社がありますが、これは、鎌倉の(鬼門)の守りとして祀られたと伝えられています。鎌倉七口の中、最も高く
嶮岨な路です。