~ おひげも愛して ~





「お前、この合宿中、ひげ剃るの禁止な」
「・・・は?」

日本代表の合宿で久々に会えて、今回はしかも同じ部屋で『超ラッキー!』と喜んでいたのも束の間、何故か部屋に戻ってきた日向さんは機嫌が悪かった。今も唇をへの字に結んで、眼光鋭く俺を睨み上げてくる。その辺の奴らならきっと、この顔を見ただけで竦み上がってしまうだろう。さすがに付き合いの長い俺はそうもならないが。

「どうしたんですか。人の顔を見るなり」
「うるせえ。いいから、ぜってーに髭を剃るな。いいな、分かったな!」

理由も告げずに一方的に言いつけ、ぷりぷりと怒ったまま部屋を出ていってしまった。ええー、と残された俺は一人がっくりと項垂れる。
俺の予定していた甘い時間は、一体どうしてくれる。『久しぶりだね、日向さん。会いたかったよ』『俺も。若島津・・・』という、二人の熱い抱擁とキスで始まる筈だった甘い甘ーい時間はどうするというのだ!

久々の逢瀬だというのに、予想外の放置というこの現実。俺はため息をついた。

(・・・しかし、本当に一体どうしたんだろう)

一足先に集まっていた国内組に遅れること二日、日向さんは今日からの参加だ。それでも宿舎に着いた時には機嫌が良かった。相変わらずのスタイルの良さと可愛らしい笑顔でもって、出迎えた俺に『久しぶりだな!若島津!』とハグしてくれたのだ。・・・ちなみ余談だが、日向さんは元からスキンシップの激しい人ではあるが、イタリアに渡ってからは更に拍車がかかっている。それが俺一人に発揮される分にはいいのだが、そうとも限らないところが悩ましい。

(髭・・・ねえ。あの人、そんなフェチあったかな)

東邦時代を振り返ってみても、毛フェチでも無ければ髭フェチでも無かった。あの人自身はそもそも体毛が薄くて髭も放っておいてもそれほど生えなかったし、俺は・・・まあ濃くもなく人並みだったから、それほど気にしたことが無かった。だから話題にもならなかった。

(・・・まさかイタリアに行ってから、目覚めたとか)

そりゃあ、奴らは我々日本人に比べればモジャモジャだろう。だが日向さんがそれを見て性的に興奮したというのなら、俺も負けてはいられない。いくらだって髭も伸ばすし、望まれるなら体毛だって増やそうじゃないか。

いや、でもそんなことで、あそこまで機嫌が悪くなるものなのか      冷静に考えれば、ちょっと様子がおかしかった。大体ついさっきまで、ラウンジで俺と楽しく談笑していた筈なのだ。反町や岬、松山も一緒だった。もしかして、あいつらに何かされたり、言われたのだろうか。

(わっかんねーな・・・・)

どいつもこいつも日向さん贔屓で、あの人を大事にしていることにかけては間違いのない奴らだ。わざと怒らせたり、傷つけたりすることなど絶対に無いだろう。迂闊に機嫌を損ねるなんてことは・・・まあ松山なら有るかもしれないが。

考えても分からないのだから、後で本人に聞くしかないかと、俺は首を傾げながらも日向さんの後を追って部屋を出た。夜のミーティングの時間だった。









ミーティングルームに着いた俺は、一瞬足を止めた。
当然のように日向さんの隣に座るつもりだったが、その席には既に左隣に岬、右隣に反町が陣取っていた。しかもその前の列には松山とタケシが座っている。お前ら、どんだけ日向さんのことが好きなんだよ。

「若島津さぁん!こっち、空いてますよ!」

さて、じゃあ何処に座ろうかと部屋の中を見渡していた俺に、新田が少し高めの通る声で呼びかけてきた。こいつは去年、突然に『若島津さん、俺に空手を教えてくださいッ!』とやってきたかと思えば、そのまま若堂流に入門してしまった。驚きはしたが、敏捷性や瞬時の判断力を鍛えるのに空手がいいトレーニングになるのは間違いない。俺自身は滅多に明和に帰ることは無いが、親父や兄貴に繋ぎを取ってやったし、たまに実家近くの山に籠る際には声をかけたりもしている。
だからなのか、この一つ年下の後輩は妙に俺に懐いていた。

「師匠。日向さんと久しぶりに会えて、嬉しいですか?」
「・・・まーな」

ニコニコと邪気の無い笑顔をして俺に話しかけてくる。それよりここでは『師匠』と呼ぶのは止めて欲しい。
俺から見ても新田は空手の素質も十分に備えている。元々身のこなしが素早く、運動神経がいいのだ。鍛え甲斐があるものだから、俺が稽古をつける時はつい熱が入ってしまうのだが、そんなことを繰り返している内にいつの間にか『師匠』と呼ばれるようになってしまった。
だがその呼び名が聞えたのか、この場にいる何人かが俺たちを振り返っている。その中には日向さんも含まれていた。

(・・・なんか睨んでる・・?)

まださっきの不機嫌が続いているのだろうか。
日向さんらしくないことに違和感を感じる。俺のこれまでに知っている日向さんなら、怒っている理由も分かり易かったし、長く引きずることも無かったから。

俺、ほんとに何かやらかしたのかも      そう思って過去のアレコレを並べ立ててみるが、やはり心当たりが無い。どうしたものかと腕組みをして考えていると、隣の新田が潜めた声で「あのー、師匠。日向さん、怒ってませんでしたかね」と尋ねてきた。

「・・・お前、何かしたのか」
「いえっ!そーゆー訳ではないんですけど。・・・ちょっと怒らせちゃったかも・って思って」
「それ、後で詳しく聞かせろ」

三杉が監督と一緒にミーティングルームに入ってきた。・・・逆だ。監督が三杉を連れて入ってきた、か。どちらにせよ、ミーティングの始まりだ。
俺は前面のモニターに映し出された映像に注視した。







新田の話はこうだった。

「ミーティングの始まる30分くらい前だったかな。日向さんと二人になれたので、話をしたんですよ。最近どうだって聞かれたので、俺は若堂流の道場にまだ通ってますよ、って答えて。段を取りました、黒帯ですよー、っ話をしてたんですけど・・・」
「けど?」
「最初は日向さんも『良かったな』って言ってくれてたんですけど、そのうち黙り込んじゃって。俺、もしかして怒らせちゃったのかなあ、って」
「だから何を言ったんだ、お前は」

それが大事なんだよ、それが!      とばかりに俺が追求すると、新田は「あ、あの!別に悪口を言ったわけじゃないんです!」と訴えた。

「あの、若島津さんの山籠り修行も一緒にやらせて貰ってます、って会話になって。で、師匠の無精髭とかそれまで見たことなかったんでビックリしました、日向さんは見たことありますか、って」
「・・・お前だったか」
「そしたら日向さんが『あいつ、身だしなみには気を付ける方だったのにな』って言うから、『ムサイとかじゃなくて、すっごい男の色気があって、カッコイイんですよ!フェロモンダダ漏れですよ!似合ってましたよ!』ってフォローしておいたんですけど・・・」
「・・・新田。それフォローじゃねえから」

あー、そういうことかと、納得した。

(何だよ、全く・・・。相変わらず、可愛いなあ・・・)

何のことは無い。焼きもちだった。
俺は日向さんに髭を生やしたところなど見せたことが無い。別に自分では髭が似合うとも思っていないし。
そこにきて、おそらく新田の『似合ってましたよ、見たことありますか』があの人の悋気を誘発したのだろう。

あーホントにかわいい。今すぐに部屋に戻って抱き潰したいくらいだった。

「あのー・・・。フォローにならなかったですかね。師匠、身だしなみがどうとか、叱られちゃいますかね」

単純に俺のことを空手の師として慕ってくれている新田に、他意はない。勝手に日向さんが嫉妬して怒っているだけだ。だがそれ自体が俺にとっては奇跡的な出来事だった。
何と言っても、あの『日向小次郎』が俺に対して焼きもちを焼いて見せてくれているのだから。

「お前は何も悪くないから」

フォローにはなっていなかったが、寧ろよくやったと褒めたいくらいだ。
俺がぽん、と軽く頭を叩くと、新田は「うす!」と元気よく返事をした。








*******



「どう?」
「・・・トゲトゲしてる。痛い」

髭を伸ばし始めて3日め。合宿も折り返し地点を過ぎた。
まだ無精髭というにも寂しいくらいにまばらな生え方だが、ぱっと見て剃っていないことが分かるくらいにはなっている。周りの奴らからも『どうして剃らないのか』と不思議がられ、それに適当に答えるのすらも面倒になってきた頃だった。

「痛いって・・・。そりゃあそうでしょ。ほっぺでザリザリしてみる?」
「俺の顔が削れそうじゃん」

父親がいれば、伸びた髭で頬ずりされることくらいは経験ありそうなものだが・・・この人の場合は無かったのだろうか。

「まだ伸ばした方がいい?」
「うん。もうちょい」

ここは俺と日向さんに割り当てられている部屋だ。もうすぐ消灯の時間で・・・つまりは、部屋に二人きりということ。
俺はベッドの上に座って、向かい合わせで俺の頬に手を伸ばしている日向さんを抱きよせた。

「あ、こら。合宿中はヤらねえって・・・」
「分かってるよ。でも、これくらいはさせてよ。こんなに近くにいて、我慢してるんだから」

まだ文句を言いたそうにしている唇を塞ぐ。それでも日向さんもキスは嫌じゃなかったらしく、自分から口を開いて積極的に応えてくれた。

「・・・ん、ぁふ・・っ」
「・・・早くあんたを抱きたい。挿れなくてもいい。触りたい・・・」
「ん、んっ・・・ぁ、は・・っ」
「触らせてくれないなら、髭で擦っちゃうよ?」
「んんっ!や、ちょっと待て・・・って・・!」

ベッドに押し倒してジャージとその下のTシャツを裾から捲り上げ、露わになった胸元に無精髭の生えた頬を擦り付ける。

「痛!ばか、痛いだろ・・っ」
「痛い?そう?・・・でも、次はここにしたらどうかな。気持ちいいかもよ?」

淡いピンクに色づいた乳首を指で弾くと、日向さんの身体がビクンと震えた。口では何と言おうとも、俺に愛されることに慣れた日向さんの身体は続きを期待しているようだった。

「ね・・・一緒に抜くだけ。挿れないから。それなら体も辛くないし、気持ちいいだけだし・・・いいでしょう?」
「・・・・・」

顔を朱くして明後日の方向を向いて、それでも小さく頷く日向さんは凶暴なほどに可愛らしかった。









腹の上の残滓を拭いて、日向さんはパンツとジャージを穿く。俺はその半裸の身体を半分エロい目で、半分はアスリートとしてガン見していた。暫く会わないうちに、また一層体つきが逞しくなったようだった。

「日向さんって・・・こうして見てても、惚れ惚れするほどに格好いいね」
「あ?」

何のことだ、と振り返る。

「均整の取れた身体つきに、形のいい小さな頭。美人だし、声もいいし」
「美人って」

日向さんは呆れたような顔をして、ベッドに寝ころぶ俺の近くに腰を掛けた。
よほど気になるのか、気に入ってくれてるのか、またしても顎や頬を撫で回される。俺はその細い指を柔らかく掴んだ。
日向さんの手は意外なほど指が細くて長くて、綺麗な形をしている。ゴツゴツして節の太い俺の手とは大違いだ。この手を俺は気に入っているから、昔この人が『俺も空手、習おうかな』なんて戯れに言いだした時には、本気で反対したくらいだった。

日向さんは俺の髭をツンツンと指先でつついて、小さく含み笑いをする。

「なに?」
「いや。別に」

別に、と言いながらもまた「ふふっ」と笑う。

「だから、何?」
「いや、ほんと別に。・・・ただ、この髭面がフェロモン駄々漏れなのかあ・・・って思ってさ」

あー、それね・・・と俺は天井を仰いだ。「それ、俺が言った訳じゃないからね」と断ると、日向さんは楽しそうに唇の端を引き上げて「いいんじゃね?悪くねえよ」と言った。

「どうだか」
「本当だって」
「この『髭面』だって、あんたが見たいって言うからやってるんだからね」
「分かってる。・・・ほんとは少し悔しいくらい、似合ってる」

本心かどうかは分からないけれど、そんなことを言ってくれて、ちゅ、と軽いバードキスまでくれた。男とは現金なもので、こんなに可愛らしいキスを貰えるなら、この先ずっと髭を生やしててもいいかと思ってしまう。笑われたばかりだというのに。

「でも俺は、もっと色気駄々漏れなお前を知っているけどな」
「へえ?どんな俺?」
「俺の上で腰振ってる時の、お前」
「・・・・・そりゃあそんなの、あんた以外は誰も知らねーわ」

・・・やられた。

もー駄目だ。何だ、この可愛くてエロい生き物は。
さっきは抜き合う程度のことで照れていたくせに、いきなり『上で腰振ってるお前』とか言っちゃって・・・いやらしいにも程がある。これも俺の教育の賜物だろうか。
・・・っていうか、アノ時の俺の顏って、ちゃんとこの人に色気あるように見えているのか。


日向さんはチェシャ猫のように悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見る。
ピッチの上の焼き切れそうなほどに熱くて激しい日向さんも素敵だが、たまにこうした駆け引きを仕掛けてくる日向さんも最高に魅力的だった。

(ほんと、勝てないよなあ・・・)


俺は「あんたも言うようになったね」と、わざとらしく感嘆して見せるのが精いっぱい。
もちろん日向さんは、益々楽しそうに笑うだけだった。







END

2018.02.08

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