~ さわさわすんなっ! ~
「さわさわすんなっ!さわさわぁッ!」
U15のサッカー日本代表が集まったナショナルトレーニングセンター内の宿泊施設 アスリートヴィレッジ にて、切羽詰ったような声が上がった。
自分に割り当てられた部屋から共用リビングに向かっていた俺は、その場で駆けだす。あれは日向さんの声だ。俺が間違える筈がなかった。
「・・・日向さんッ!?」
ドアをバーン!と大きな音を立てて開け放ち、俺はリビングに駆け込んだ。果たして日向さんはそこにいた。探すまでも無かった。だが俺は目を疑った。
どうしてそんな事態になっているのかは全くもって分からないが、松山と三杉が日向さんを挟む形で並んでソファに腰かけ、二人がかりで日向さんの剥き出しの手足をサワサワと撫でていたのだ。
いや、正しくはその二人だけではなかった。日向さんの向かい合わせに新田がいて、日向さんの膝小僧を指でくるくると擽ったりしていた。
( お、俺の日向さんに、一体何を!?)
「わ、若島津!」
「やあ、若島津」
「よお」
「お疲れ様っす!」
4人からそれぞれに 一人からは縋るような視線と共に、その他の三人からは普段と変わらない調子で名前を呼ばれた俺は、どういう状況なのか理解できず、おそらくはこの場を支配しているだろう男に問い質した。
「・・・うちの日向さんに一体何をしてくれてるんだ。三杉」
「『うちの日向さん』?」
「俺の日向さんに、何をしている」
うちの日向さん、と称すると片眉を上げて聞き返されたから、俺の日向さんと言い直した。すると貴公子と呼ばれる男は、品のいい顔に氷のような冷笑を浮かべた。
「嫌だな、若島津。君が想像しているようなことは何もないよ。ただね、皆で話してたんだけど、海外の選手はこう・・・」
「アソコの毛を剃っているんだってさー、・・って、俺が言ったんだよ」
「そうなんですよ。だったら、もしかして若林さんも剃ってるんですかねーって話になって。俺たちは別に剃らなくても支障はないけど、若林さんはまた違いますよね~って」
「で、そういえばよく見たら、日向はそもそも体毛が薄いね・・・ってことになってね」
「ほれ見ろ。こいつ、腕も足もツルツルだろ?」
松山が未だ掴んだままの日向さんの腕を、俺に見えるようにと掲げた。
( それくらい、知っとるわ!)
俺は心の中で罵声を浴びせた。
こいつらは一体、俺と日向さんの付き合いが何年になると思っているんだ。それに俺たちは東邦でも寮暮らしで、風呂も着替えも一緒だ。日向さんの裸なんて、見飽きるほどに見ている。実際に飽きたことは一度も無いけれど。
こいつらに教えて貰うまでもなく、日向さんの肌の美しさは、この人の魅力の一つだ。
体毛が薄いだけじゃない。肌理が細かくて手触りが半端なくいい。まるで天鵞絨のような滑らかな肌だ。
屋外で走り回って日焼けもしているのに、生傷も絶えないのに、それでもこの人の褐色の肌は子供のそれのようにすべすべしていて気持ちがいい。
だから、こいつらがつい触れたくなるのも、分からないではない。
だが 。
「離せって!大体なあ、てめえらは俺の扱いが酷過ぎるんだよ・・・!」
怒った日向さんが松山の手を振り払おうとするが、簡単には外れない。むしろ松山の手はまださわさわと、しつこく日向さんの逞しい二の腕を撫で上げていた。
日向さんはもはや真っ赤な顔をして、瞳を潤ませている。無理もない。この人は極端に擽ったさに弱い。そろそろ限界だろう。
「・・・へえ?皆で随分、楽しそうなことをしているんだね・・?」
部屋の温度が一気に5~6度は下がったような気がした。
俺が腕づくで日向さんを攫ってここから抜け出そうとする前に、やってきてしまった。一番、見られちゃいけない奴に見つかってしまった。
「・・・岬!」
ほら見ろ。日向さんの声が、『助かった』というよりは『しまった』といった感じに上擦っているじゃないか。
「あー、日向くんだあ。松山くん、日向くんのことイジめてるの?分かるよ。日向くんって『虐めてください』ってオーラ出してるもんね。でも、ピッチの上であれを出すのはどうかと思うよね。ドSな選手だったら、まあ踏むよね。倒れた日向くんを、踏みつけに行くよね」
岬の後ろからひょこっと顔を覗かせてケラケラと笑う翼も、この場を荒らすだけだ。ただ幸い、日向さん自身は岬の方に気を取られているようで、翼の酷い言い様も耳に入ってはいないようだった。
「若島津。小次郎を部屋に連れて行って。そのまま部屋から出さないでおいて」
「・・・分かった」
軽く肩をすくめる三杉、せっかくの玩具を取られてつまらなさそうな顔をする松山、岬の醸し出す黒いオーラに顔を引き攣らせる新田の三人から日向さんを取り戻し、俺はそのまま手を引いてリビングを出た。日向さんもこれ以上岬を下手に刺激しない方がいいと判断したのか、大人しくついてくる。
「あ、僕は見上さんとミーティングがあったんだ。・・・じゃあ、これで失礼するよ」といかにも自然に席を立ち、俺たちと一緒に部屋を出た三杉を除いては その後に残された奴らがどうなるのか、あまり考えたくはないことだった。
「・・・俺が悪いってのかよ」
「別に、何も言っていませんけど?」
「言ってるだろ!口に出してないだけで、お前はそう言ってるだろ!」
俺と日向さんの部屋につくと、日向さんは唇を尖らせて抗議した。曰く、自分は望んで触られた訳じゃ無いし、くすぐったいのに極端に弱いのも自分のせいじゃない。
(まあ、それはそうかもしれないけれど)
とはいえ、自分の身も守れずに触られ放題なのも困る。岬だって、今回のこれが気の置けない仲間同士の遊びだったのは分かっているだろう。要はあいつは本当は三杉や松山にではなく、危機感の無いこの人に怒っているのだ。
「なら、後で同じことを岬に自分で言いなさいね。・・・それが通用するかどうかは知りませんけど」
「・・・う」
ぐ、と言葉に詰まって目を泳がせる様子が・・・実のところ可愛らしい。
さっき翼が言っていたことは、俺にも分からないではない。ピッチの上では誰よりも荒々しいこの人が、ふとした時に見せる弱さや後ろ向きな所。それが他人の嗜虐心を煽る。
例えば翼のような、屈強な者ほど跪かせたくなるような性癖をもつタイプの人間には、日向さんみたいな人はいい獲物だろう。
一旦この人を深く知って情を交わしてしまえば、『他人』ではなく『身内』となり、それは守ってあげたい点に変わるのだが。
ここに集まったメンバーでは、そこまで日向さんの人となりを知っているのは、まだ岬と俺くらいしかいない。
(ガキの頃は、この人の見た目が怖いってだけで周りが遠巻きにしてくれたから、まだ良かったんだけどな・・・)
とはいえ、これからは色々な人間と関わっていくだろうこの人だ。何かある前に、上手く対処して欲しいと願うのも親心・・・のようなものという訳で。
「まあ、母親から貰う小言みたいなものと思ってさ。俺もとりなしてあげるから、少しの間辛抱しなよ」
「・・・ん~」
はあ、と日向さんはため息をついて、首をカキっと鳴らした。
*****
「もうっ!大体小次郎は、いいように揶揄われ過ぎ!僕以外の男にあんまり触らせないでよね!」
「いや、別にされたくてされてる訳じゃ・・・。っつか、近い!近いって・・・!」
後で俺たちの部屋にやってきた岬は、ベッドに座る日向さんの上に馬乗りになり、その頬を両手で挟んで顔を近づけている。傍からすれば、日向さんが襲われているようにしか見えない。
「小次郎は僕のなんだからね。他の人に好きなようにされるのなんて、許せないの!」
・・・今、聞き捨てならない台詞が聞こえたような気がするが。
「おい」
「なあに。今は邪魔しないでくれる?」
「いつ、この人がお前のものになったんだ」
「そんなの、君が小次郎と出会う前からだけど?」
「わ、若島津」
このチーム内においては味方だと思っていた俺と岬の間に不穏な空気を感じ取ったのか、日向さんが慌て始める。
「日向さんは俺のものだ。お前には残念だが、過ごしてきた年月も得ている信頼も違う」
「年数にしか頼れないだなんて、自信がない証拠だよね。僕らは一緒にいた時間は短かったけれど、それでも深く繋がっている。君には届かないところで」
「近くでこの人を見守ることもできないくせに。それとも何か?フランスから念を送っているとでも?」
「今は君たちに託しているだけ。委託だよ、委託。もうすぐ僕も日本に帰るから、そうなったら君たちの役目も終わるから安心して。ご苦労様でした~」
「・・・てめえ」
「何さ。やる?」
腕っぷしで俺に敵う筈もないのに、平然と「やる?」と聞いてくる度胸は大したものだと思う。だがそれは無謀とも言う。
「・・う、わ!」
その時、日向さんが上に乗っていた岬を跳ね飛ばして起き上がった。
てっきり俺は『くだらない喧嘩なんて止めておけ』と止めに入るのかと思ったのだが 。
「・・みさきっ!ほんとか!?本当にお前、日本に帰ってくるのかっ!?」
「・・・う、ん」
さっきとは逆に、日向さんが横たわった岬の上に乗り上げている。今度は日向さんが襲っているようにしか見えない。
だがその顔は満面を喜色に輝かせて、子供のように目を煌かせて 心から『嬉しい』と思っていることを隠しようもなく示していた。
「じゃあ、高校ではお前と戦えるんだな!?どこの高校に行くんだ?井沢達と一緒か?・・ううん、お前ならどこに行っても上手くやれるな。そんで強いチームにするんだろうな」
「・・・・」
「すっげー、嬉しい!うわ、俺、こんな嬉しいこと無えな。翼もいなくなるっていうし、つまんねーのって思ってたけど、お前が帰ってくるなら、俺、すげえ嬉しい!!やったあ」
「ちょ、ちょっと、小次郎・・・!」
日向さんはガバっと岬に抱きついて、ギュウギュウに抱き締める。
こんなに『お前がいてくれるなら嬉しい』を連呼されて仏頂面を維持できる人間なんて、そうそういやしない。
その点では岬だって同じだった。「・・・もう。まだ怒ってる途中だったのに」と言いながらもすっかり表情は和らいで、日向さんの背中に手を回してポンポンと叩いている。
「後でいくらでも怒っていいからよ。今は喜ばせろよ」
「君が天然の人タラシだってこと、忘れてたよ」
日向さんと岬は『やったやった』と声を上げて、キャッキャとベッドの上で抱き合って転がる。すっかり二人だけの世界が出来上がっていた。正直俺としては面白くはないが、可愛いと言えば可愛いし、日向さんのためにはここで堪えるのが得策だと思い、耐えた。
「もう、お灸をすえる必要もないんじゃないですかね。『お母さん』?」
「・・・ほんと、君のそういう所は嫌いだよ。若島津」
「お母さん?」
「お母さんじゃありませんー」
この件はこれでおしまい。
岬はニコっと『天使のような』と定評のある笑顔になって、その言葉で片を付けた。それだけで終われば良かったのだが、誰が見ても愛らしい容姿をした男は起き上がりざま、日向さんの頬にちゅ、とキスをして、俺たちが反応する前にスっと部屋を出ていった。
「なーんか、疲れたなあ」
「まあ、そうでしょうね・・・」
俺も疲れた。明日も練習があるのだから早いところ休みたいが、さっきの岬からの頬へのキスを日向さんが全く気にしていない様子に、また悶々としている。
俺もしたい。
キスしたい。キスして欲しい。
だが、そんなことを言ったら、嫌がられないだろうか。
岬にはあんなに大きく出た俺だけれど、別にこの人と恋愛関係にある訳じゃない。親友ではあるけれど、恋人ではない。
俺は以前からずっと日向さんをそういう対象として見ているのだから、告白してしまえばスッキリするし、先に進める可能性もある。
だけど、もし拒否されたなら ?
それくらいならば、今のこの、この人の一番の親友であり、特別な信頼を得ているというポジションにある方が 今のままでいる方がいいんじゃないだろうかと、そんな風にも考えてしまうのだ。
俺の視線に気が付いたのか、日向さんが振り返って首を傾げた。
「若島津?どうかした・・・ああ、そろそろ風呂に行くか?」
俺が一度あんたの元を離れるとして また戻るとなったら、あんたはあんな風に喜んでくれるのかな。
「いや、でもビックリだよな。岬が日本に戻ってくるなんて思わなかった。どこの高校に行っても、全国大会で当たるだろうな。楽しみだな」
あんな風に抱きついて、顔も身体も押しつけて、『お前がいて嬉しい』って全身で伝えてくれるのかな。
「でも、負けねえよな。俺とお前で 迎え撃ってやろうぜ。若島津」
「・・・あんたと俺で?」
「なんだよ。まさかレギュラーとれないとか、情けないこと言わないだろうな?俺のキーパーは、お前しかいないんだからな?」
「・・・・・・」
馬鹿なことを考えたな、と自分でも思う。何が、『喜んでくれるのかな』、だ。
戻る戻らない以前に、この人は俺を手放すことなんか考えてもいないじゃないか。
俺は既に、この人にとっても『俺のもの』なんじゃないか。
そう思うだけで、胸の奥底がじわりと温かくなってきて、俺は笑った。
今なら少し思い切ったことも出来そうな気がした。
突然にふふっと笑いだした俺を日向さんが怪訝な顏で見上げてくる。
その日向さんの耳元に唇を寄せて、当然のように俺は「キスしても?」と尋ねた。
END
2017.10.29
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