~ 最上級乙女と高校球児 ~
「日向さーん!こっち向いてー!」
「小次郎ちゃーん!かわいーい!」
あちこちから飛んでくるそんな声には見向きもせず、私立修哲学園高等部の女子生徒、日向小次郎はひたすら前を向いて校舎内の渡り廊下をザカザカと大股で歩き続ける。
学園内で小次郎が歩けば、男子がざわつくのはいつものことだった。小次郎も慣れていたし、一緒にいる女友達もいつものことと流していた。小次郎は女子高生という肩書の他、芸能界で活躍する若手女優としての顔も持っている。学園内では誰一人として知らない者のいない有名人で、アイドルでもあった。
そんな状況だったので小次郎を妬む女子も中にはいそうなものだが、実際にはそのような危惧は無用だった。それは小次郎の性格が男っぽくてサバサバしていたのもあるかもしれないし、その外見が芸能界にあってさえも群を抜くほどの美少女だったせいもあるかもしれない。
「小次郎ー、昨日のドラマ見たよ。ほんとテレビの中のあんたはケチのつけようがないほどに可憐で可愛いよね」
「そうそう。実際の小次郎がこんなに口が悪くて大雑把だなんて、詐欺でしかないよね」
「うっせ。いーんだよ。俺は演じるのが仕事なんだから、本物の俺が雑かどうかは関係ねえの。っつーか、ンなの見るなって言ってんだろ」
「だーかーらー、それだよ!それ!!」
友人二人からビッ!と人差し指を指されて、小次郎は唇を尖らせた。
今更指摘されるまでもなく、小次郎は壊滅的に言葉遣いが悪かった。それこそ、その辺の男子よりもよっぽど男らしく乱暴だと言われている。
幼い頃に男の子ばかりと遊んでいたのが原因かもしれないが、とはいえ既にこれで10数年間を生きてきたのだ。小次郎としてはこれが自然体で、直せと言われたからといって簡単に直せるものではなかった。
「しょーがねえじゃねえかよ・・・。でも役でなら幾らだって大人しくもなるし、お嬢様にだってなれるから、問題ねえもん」
「小次郎・・・・!」
頬を膨らませて語尾に「・・・もん」をつける小次郎は、同じ女子から見ても悶えるほどに可愛らしかった。
友人二人は揃って「やだあ、もう!」と賑やかな声を上げた。
「ごーめーんーね!嘘だよ、小次郎はそのままでいいよ」
「うんうん。カッコつけた小次郎なんてやだし。天然なままでいてよね~」
きゃあきゃあと騒ぎながら友人たちは小次郎に抱きつく。そしてついでの悪戯とばかりに小次郎の脇腹を擽ろうとする。
小次郎が慌てて逃げようと周りも確認せずに動いたとき、何かにぶつかった。
「・・・!ごめん!大丈夫か・・っ!?」
「大丈夫じゃないのはお前の方だろ。前も見ないで走り出したら危ないだろうが、日向」
「・・・なんだ。若林か」
誰かに怪我をさせたんじゃないかと焦って顔を上げれば、相手は同じ学年の野球部のエース、若林源三だった。
若林は190cm超の身長に体重85kgの立派な体格をしている。身長160cmの華奢な小次郎がぶつかったところで、何ともなる筈がなかった。
むしろぶつかったことでよろめいて転びそうになったのは小次郎の方だった。そうならないように咄嗟に支えてくれたのも、目の前にいる若林だ。
「若林くん・・・!」
「ごめんね!私たちが小次郎をからかったから・・・」
「別にお前らのせいじゃねえよ。・・・悪かったな。怪我はねえよな?」
小次郎は若林にはいつもつっけんどんな態度を取ってしまう。今だってぶつかったのは自分の方だし悪いとも思っているのだが、ついぞんざいな口調になってしまった。そのことが苦々しくて、小次郎の顔が更に険悪なものになる。
そんな小次郎のことを丸ごと理解しているのか、若林は笑って「日向は細くて軽いからな。お前にぶつかられたって、俺の方はどうってことないよ」と答えた。
その笑顔がまた爽やかで、小次郎の後ろから「きゃあ」と声が上がる。
(・・・ちょっとデカイからって、人のことを軽い軽いって子供扱いしやがって・・)
小次郎と若林は、小学校からの知り合いだ。若林家は地元でも知られた名家であるが、小中学校は地元の公立で教育を受けさせるのが家の方針だった。だから二人はそれほど親しかった訳ではないが、顔見知りではあった。
話すようになったのは、修哲学園の高等部に来てからのことだ。若林は名門野球部に入るために、小次郎は芸能活動と学業を両立するために修哲学園に進学した。同じ地域の出身でもあり、顔なじみだったこともあって言葉を交わすようになった。
だが「日向、日向」と若林が近づいてくるようになって、却って小次郎は若林につれない態度を取るようになっていった。
多分、その理由を小次郎も若林もお互いに分かっている。だとしても、そのことを口に出すことはどちらからも出来なかった。若林はともかく、小次郎は人気実力ともに若手の中ではトップと言われる女優だ。芸能人だった。
「あ、小次郎。もう行かなくちゃ。授業に遅れるよ!」
「・・・ああ、本当だ。じゃな、悪かっ・・!」
踵を返して教室に戻ろうとしたとき、腕を引かれた。小次郎は先ほどまでいた若林の腕の中にぽすん、と逆戻りすることになった。
「何だよ・・!」
「あー、ごめん。俺、ちょっと日向と話があるから、先に戻っててくれる?時間までにちゃんと返すから」
振り返って自分に噛みつく小次郎のことは軽く流して、若林は友人二人にとびきりの笑顔を向けて断りを入れた。
友人たちは頬を赤らめながら、「若林くんがそう言うなら・・・」「小次郎のこと、教室までちゃんと連れてきてね」と言い残して先に戻ってしまう。縋るような小次郎の視線には気づかないフリをして。
「・・・おい。どういうことだよ」
友人たちが去ってしまうと、小次郎は不機嫌な声音を隠そうともしなかった。若林の腕の中から抜け出すと、『俺の方には話なんかねーぞ』とばかりにきつい視線で正面から若林を睨みあげた。
「日向。そんなに怒るな」
「・・・怒ってない」
「お前を怒らせたくはないし、困らせるつもりもない。お前が迷惑だって言うなら何もしないし、何も言わない」
「・・・・・・」
嘘つき、と小次郎は心の中で若林を詰る。
言わなきゃ分からないと思っているのか。お前は世の中の女子を舐めているんじゃないのか。それとも俺のことをよっぽどの馬鹿か鈍感だと思っているのか 小次郎は、そう大声で罵ってやりたかった。
(お前なんか、さらさら隠すつもりもないくせに !)
小次郎に言わせれば、若林は何も隠そうとしていない。
『言わない』でいるだけだ。だが言わないからといって、何もないことになる訳じゃ無い。
小次郎に話しかけてくる言葉遣いで、態度で、その声で、目で、若林はありったけの想いを告げてくる。
小次郎に対して、『お前が好きだ』と、言葉そのものは無くても雄弁に語りかけてくる。
それが小次郎には耐えられらない。
それはつまり、自分の方からも色々と駄々漏れで伝わっているに違いないということだ。
若林という人間が好きだということ。一緒にいると心が浮き立って落ち着かないということ。胸が苦しくなるということ 。
「好きだ」と一言いえたなら。
そうであればどれだけ楽になれるだろうと小次郎は思う。だがそういう訳にはいかない。小次郎には事務所との契約がある。ひいては日向家の生活がかかっている。
これからも芸能界でやっていきたいのであれば、異性の誰かを特別に想うことは許されなかった。
だけど、きっと若林には全て伝わってしまっている。俺の気持ちなんてお見通しなんだ そう思うと悔しかった。
だからつい、最近はこうして二人きりで向かい合うと睨んでしまうし、突っかかってしまうのだ。
「ごめんな、日向」
「・・・何がだよ」
「俺がまだ高校生で、子供だっていうこと」
「・・・俺だって同い年だぞ」
ぷいと横を向いた小次郎の柔らかな綺麗な黒髪を、若林はそっとすいた。小次郎はしばし迷ったが、結局は好きなようにさせた。
好きな人が髪を触れてくるのだから、恥かしいけれど嬉しくない筈が無かった。
「今はまだ、お前の方が収入もあって、世の中の認知度もあって、到底、俺の方がお前に相応しくはないな」
「・・・お前だって甲子園にも出たし、有名人じゃねえかよ・・」
「でも自分の力で稼いでいる訳じゃないしな。・・・だけどいつか、お前に追い付いて、お前に相応しいだけの男になるから」
「・・・・」
「そうなった暁には、真っ先にお前を迎えに来るから。・・・だから日向、お前はそれまで他に特別な奴を作らないでくれ」
「・・・・」
『自分はまだ相応しい男ではない』などと謙虚なことを言っているようで、この先の小次郎の人生を縛るような不遜な言葉だった。
それをいけしゃあしゃあと言ってのける男は、己に絶対の自信があるのだ そのことを小次郎は理解した。
小次郎は目眩を覚えた。それは晩生な小次郎が初めて知る、甘やかで陶然とした情感だった。
腕を引かれて肩を抱かれ、若林の胸に包みこまれる。誰かに見られたら・・とも思ったが、これだけ体格のいい奴なのだから、自分の小柄な身体くらい完全に隠してくれるとも思った。
「・・・待っても、せいぜい二十歳までだからな。それまでに俺を越えなかったら、お前なんか切って捨ててやる」
気が付いたらそう口にしていた。遥か頭上で、若林がクスリと笑ったのが分かった。
ムっとして大きな瞳で見上げれば、若林の精悍な顔が近づいてくる。トクン、トクン・・という胸の鼓動に導かれるように、ここが学校だということも忘れて、小次郎はゆっくりと目を閉じた。
2年後。
高校野球界で活躍した若林源三は、卒業後はアメリカに渡ってメジャーリーグに挑戦するとも噂されたが、最終的にドラフト会議で単独指名した某球団と契約することに落ち着いた。
それには後に結ばれることになる実力派美人女優との、ある約束が関係していたとかしないとか伝えられているが、その真実は本人たちのみぞ知るところであった。
END
2017.05.17
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