松山に富士山の写真を送った。
単にいい写真が撮れたから誰かにおすそ分けをしたかっただけであって、宛先が松山であったことに大した意味は無い。そもそも僕のスマホには、『誰にしよう』などと選べるほどの数の連絡先は登録されていなかった。

その松山からたった今、返信があった。写真を褒めてくれて、あとは『元気でやれよ』とだけ、短く一言添えられていた。
相変わらず気持ちのいい男だと思う。

「・・・会いたい、なあ・・・。」

そのメールの文面を見ながら、僕は別の男の子のことを考えていた。連絡先も知らない、もっと昔に別れた男の子。僕が一目惚れのように好きになって、すぐに友達になって、離れるときには僕のために泣いてくれた子。夕暮れ色に染まる公園で、下を向いてぼろぼろと涙を零していた彼。

『小次郎』      それが彼の名前だ。






 ~君が傍にいなくても~





僕が携帯電話を与えられたのは早かった。小学校に上がってすぐの頃だ。
家庭環境が特殊だったからだろうか。頼んでもいないのに、父さんが買ってくれた。キッズ携帯ではあったけれど、僕専用の一台だった。

ただそれはあくまでも父さんとの連絡用であって、登録してある連絡先はたった2件しか無かった。1つは父さんの携帯番号で、もう1つは父さんが当時世話になっていた画商の番号。
2件目の番号については、父さんは「お前から掛けることは無いだろうけれど、父さんに何かあれば向こうから掛かってくる。だから登録しておく」と言った。連絡帳に登録しておかないと、キッズ携帯では受信することも出来ないからだ。

幼稚園児に毛が生えたくらいの年齢の子供に対して、しかもたった二人きりの家族なのに『自分に何かがあったら』なんて話すのも正直どうかと思ったけれど、その頃の僕はもう、父さんにその類のデリカシーを期待することは無くなっていた。
父さんは普通の父親じゃなくて芸術家であって、僕ら親子も普通の親子では無かった。

小学生になってからも僕らは移動を続け、住処をしょっちゅう変え、僕は転校を何度も繰り返した。

小学校3年生の時に引っ越した先、明和の町で僕はあの子に出会った。子供の多い賑やかな家庭で育った、サッカーがとても上手な男の子。
彼は僕が憧れた、いわゆる『温かい家庭』『ちゃんとした家庭』の子で、少し気が強いけれど、優しくて面倒見の良い子だった。

彼のことが大好きだったのに、僕が大人じゃないから、父さんについていかなくちゃならないから、ずっと一緒にいることは出来なかった。
彼と別れる時は、どうしようもないくらいに辛くて、ただただ哀しかった。

明和の町を離れてからは、僕と父さんは北を目指してゆっくりと移動した。とはいっても目的地があって真っ直ぐに北上するという訳ではなく、一旦北陸へと進路を取って山や里を見ながら日本海沿いを徐々に北へ上がるという、行き当たりばったりの行程だった。
その途中途中で父さんが気になる場所があれば暫く滞在していたから、東北を抜けて北海道に入った時には、既に明和を出てから一年以上が経っていた。



ふらのには比較的長く居たように思う。
僕はふらのでも勿論サッカーをして、そこで松山や小田たちと知り合った。仲良くはしていたけれども、小次郎との別離の痛みを忘れられなかった僕は、どうしても彼らと深く関係を結ぶことは出来なかった。ふらのに辿り着くまでの途中の土地でもそうだった。どこにいても、僕は親友というものを作れなかった。

ただ松山は僕のそんな弱さを敏感に察知していて、僕が一歩引こうとすると、ズイと一歩を踏み出してくるようなところがあった。
チームの誰かの家に招待されて僕がそれを断った時でも、松山は知らんふりして僕を迎えに来たりした。『えー。岬、都合悪いなんて言ってたっけ?俺、聞いてなかった。でももう迎えに来ちゃったんだしさ、いいから一緒に行こうぜ』だなんて、下手な嘘をついたりして。

松山はとってもいい奴だ。仲間を大事にして、他人を思いやって、チーム全体を慮れる本当にいい奴。
それでも僕にとっては、たとえ彼であっても小次郎の代わりにはならない。仕方が無い。誰であっても、あの子の代わりだなんて、成りえなかった。


僕にとって、『小次郎』は聖域だ。











「太郎。どうした」

『転校の手続きに行ってくる』と言ったのに、スマホの画面を見つめてその場から動かなくなった僕を父さんが訝しむ。父さんは川にかかる石造りの橋梁をスケッチしているところだった。

僕は「何でもないよ。ふらのの時の友達からメールが来ただけ」と答えた。そう返しながらも、画面に表示しているのは松山からのメールではなく、アドレス帳。そこには『小次郎』の文字がある。僕はその名前をそっと指先でなぞる。そっとそっと、何度も。

電話番号もメールアドレスも知らないけれど、僕は小次郎の名前を、スマホを買って貰った時に真っ先に登録した。苗字も入れず、ただ『小次郎』とだけ登録した。
実際に繋がる訳ではないけれど、そこに小次郎の名前を見ることが大事だった。その名前を見れば、僕は彼を近くに感じることが出来る。電波は飛ばなくても、脳内のニューロンは彼の情報を流し始める。それが僕に幸福感をもたらす。


この2年以上、彼に会えないということはすごく哀しかったし、僕の胸にはぽっかりと大きな穴が開いたようだった。明和を離れた時からずっと、僕の心のどこかが空虚だった。
あの日、彼が僕を見送ってくれた日以降、僕は泣くこともなかったけれど、だからといって寂しくない訳じゃなかった。今だって、すぐにでも彼に会えるものなら会いたい。

(でもようやく、近くまで戻ってこれた     

ここ南葛から明和までは、小学生の僕にとっては決して近い距離じゃない。だけど行こうと思って行けない距離でもなかった。彼が住んでいる場所だって一応は知っているのだから、たとえ電話番号を知らなくても会いに行くことはできる。

(落ち着いたら、きっと会いに行こう。・・・もしかしたら、その前に大会で会えるのかもしれないけれど     


「太郎?・・・父さんが学校に行くか?」
「・・・ううん、大丈夫。父さんはここで絵を描くんでしょ?じゃあ、行ってくるね」

スマホをパーカーのポケットに押し込んで、僕はボールを蹴って走り出す。


(待ってて、小次郎。僕もこれからクラブに入って、明和FCに負けないくらいに強くなって      必ず、君との約束を果たすからね)

サッカーさえやっていれば、必ず会える。だから何があっても、絶対にサッカーを諦めない      それが僕と彼との約束。
僕は彼が約束を守っていることを、これっぽっちも疑っていない。僕がそうであるように、彼も走り続けている筈だ。僕にいつか会えるようにと。


日の光を反射してきらめく水面が眩しかった。
僕はこれから始まる僕らの未来を思い描き、晴れ渡った空に向かってボールを高く蹴り上げた。







END

2018.05.13

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