~ 寂しくないね ~





若島津邸の庭先で、その家の次男坊である若島津健と、サッカークラブのチームメイトで親友でもある日向小次郎は暫く無言で対峙していた。

「・・・それで、そのお前の手に持っているものは何だ」
「・・・・」

腕を組んで仁王立ちした若島津がようやく言葉を発したが、日向はやはり黙ったままで、ただ手にしていたものを前に掲げた。夕暮れ時の薄闇の中でも友人からよく見えるようにと。

「俺は『見せろ』、って言っているんじゃない。何でお前がそれを持って、ウチにやってきたのをか説明しろ、と言ってるんだ」
「・・・・」

不機嫌さを隠しもせずに追求してくる若島津に対して、日向はそれでも口を開かずに、ずい、と手にあるものを更に友人の顔の前に近づける。

「・・・お前ね・・・」
「拾った。・・・新聞配達に行く時に見つけて、帰ってくる時もまだいたから」

日向が抱えているものは、子犬だった。白い毛をした、生まれてまだ間もないだろう子犬。目は開いているが、見るからに小さくてか弱そうで、日向に抱えられて短い手足をパタパタと動かしている。

「あのなぁ、日向。俺ん家にはもう既に犬がいるの。あそこ」

若島津は庭の一角を指さした。そこには1年半ほど前に造った犬小屋があり、鎖に繋がれた茶色い毛の犬がお座りをしてこちらを見ている。

「分かってるだろ。小太郎もお前が拾ってきたんだ。お前、一体どんだけ拾ってくるつもりなんだよ」
「俺だって別に拾いたくなんかないんだよ!・・・だけど、捨てる人間がいるからこうなるんだろ。こいつらが悪い訳じゃないんだし・・」
「でもお前ん家じゃ飼えない、という訳だよな。だからってウチに連れてくるのはどうなんだよ」
「・・・・・」

そう言われてしまうと、日向は弱い。

小太郎を拾った時も、貰い先を探したけれど見つからなかった。その時はまだ明和に引っ越してきて間もなく、知り合いがいないというのもあったが、はてどうしようと困り果てていたところを若島津が助けてくれたのだ。
今なら友人知人も数多く出来たから探せば見つかるかもしれないけれど、それでも日向が一番にやってきたのはこの若島津の家だった。それには日向なりの理由がある。

「なあ、若島津。あのさ、俺、思うんだけど」
「・・・んだよ」
「小太郎だって、一匹じゃ寂しいんじゃねえかなって。この家も庭も広いから、もう一匹飼って、小太郎の仲間を作ってもいいんじゃねえのかなーって思うんだけど・・・どうかな」
「どうかなって・・・お前はほんっと、簡単に言うよな!」

犬を一頭と二頭飼うのでは、それなりにかかる負担が違う。ましてや日向が抱いている犬は子犬で、しつけもこれから行わなければならない。だがもうじき自分はこの家を出ていくのだ。

夏に東邦学園からのスカウトを受けて進学を決めた日向を追って、若島津もこの冬に受験した。無事に合格して、入学の手続きも済んでいる。東邦に進学することに対して父親の許可はまだ下りていないが、母親が味方をしてくれているので、その点についてはそう心配はしていない。

それでも我儘を言っている自覚はある。だからこそ、この家からもうすぐ居なくなる身で、拾った犬を置いていくなどとはさすがに若島津でも言い出しづらい。

「・・・やっぱ駄目かな」
「駄目っつうか・・・。他にも当たってみたのかよ」
「いや。ここに最初に来たから」
「はあ!?」

呆れたような声を出す若島津に、日向は「だって、ほんとに小太郎に仲間がいた方がいいかと思ったんだよ!」と言い募った。

「でもしょうがないよな・・・。そうだよな。分かった。他を探してみるよ。・・・な、お前を飼ってくれる家、ちゃんと探してやるからな。安心しろ、健太郎」
「・・・おい、ちょっと待て」

邪魔したな、と言って若島津に背を向けかけた日向を、今度は若島津が呼び留めた。

「ちょっと待て、お前。今、なんて呼んだ。その犬に何て名前をつけたんだ」
「ん?健太郎、だけど?」
「誰から名前を取ったんだ!」
「お前だって、勝手に俺から名前を取ったじゃねえか!」

俺はチビってつけたのに!勝手に小太郎ってお前がつけたんじゃねえかよ!・・・という日向の言い分は正しい。確かに若島津が日向から名前を取って、先の茶色い犬に小太郎と名付けた。しかも     

「小太郎はメスだっていうのに!お前がオスだと思いこんで、男の名前をつけやがって!小太郎が可哀想じゃねえかよ!」
「・・・あー。それは・・・まあ、小太郎には悪かったと思うよ」

小太郎がこの家に来た時、本当に若島津は頭からオスだと思いこんでいたのだ。それまで子犬を見たことがなかったから、としか言いようがない。股の間に突起物があったから、てっきりオスだと勘違いした。姉の志乃から「やあだ、健。この子、女の子よ。男の子のアレは、もっとお腹の方についてるんだから」と言われてネットの画像を見せられた時には心底驚いた。
だが時すでに遅し。メスだと判明した頃にはもう、小太郎は自分の名前を『小太郎』と覚えてしまっていた。

若島津はコホン、と一つ咳払いをする。

「・・・ま、それはそれとして。そいつ、健太郎はちゃんとオスなのか」
「オスだよ。ほら見ろ、ちゃんとついてる。・・・だから、小太郎にいいかと思って連れてきたんだ」
「いいって、何が?」
「だって、小太郎だってそのうち結婚させるだろ。いつまでも一匹じゃないだろ。だったら、こいつ      健太郎はどうかなって」
「・・・・けっこん?」
「健太郎、真っ白な毛で見た目可愛いぞ。それにホラ、手が大きいだろ。きっと大きくて立派な犬になるし、小太郎も好きになるかもしれねえじゃん?そしたら健太郎の子供を産んでさ、小太郎だって健太郎だって家族が出来て寂しくなくなるだろ?」
「・・・・こど、も?」

思わず呆けた声が漏れだしていた。それくらいには日向の言葉は衝撃的だった。

日向から名前を貰った『小太郎』と、自分から名前を取った『健太郎』。その二頭が結婚して子供をつくる。つがいになって、子犬を産む。
子犬が生まれてくるには、それなりのことをしなければならない訳で     

そこまで考えて、若島津はカア、と頬が熱くなるのを感じた。

「~~~~~ッ、馬鹿か、お前はっ!天然にもほどがあるだろーがッ!!」
「な、何で怒るんだよ!?全っ然、ワケ分かんねえんだけど!」

分かってない、分かってない、分かってない。こいつは本当に分かっていない。        若島津は大きく息を吐いて、それからガックリと肩を落とした。

「だから突然に来て、無理なこと頼んで悪かったって・・・。そんな怒るなよ。とりあえず他を当たってみるわ。じゃー・・」

じゃーな、と言いかけたところで後ろから襟首を掴まれた。何だよ、と文句を言いつつ振り返ると、そこには目の据わった若島津がいた。

「いい」
「あ?」
「それ、その犬。ウチが貰う」
「え!?いいのか!?」
「俺の名前をやったからには、どんな家に貰われていったとしても気になるだろーし。万が一そこで虐待でもされたら嫌だからな」
「いや、そんなとこにはやったりしねえけどよ・・・」

日向が軽く唇を尖らせて抗議するが、若島津だって本気でそんなことを危惧している訳じゃない。どちらかといえば、気になるのは小太郎の方だ。

日向の言う通り、いつか小太郎も母犬になる日が来るかもしれない。それは別にいい。若島津にとっても小太郎は可愛い飼い犬だ。赤ん坊が生まれたなら、それはきっと可愛がるという自信もある。
ただそうなるには、小太郎にどこかその辺の雄犬をあてがわなければならない訳で        それは何となく嫌だった。

若島津の家で飼っていようと、小太郎は日向の犬だ。若島津はそう思っている。日向が拾ってきて、自分が日向の名前から『小太郎』と名付けた。元からなのか、それとも日向が可愛がっているからなのか、性格的にも似ているところがあるように思う。活発で外で走り回るのが好きで、少し目を離すと泥だらけになって戻ってくるところなどソックリだ。 若島津からすればある意味、小太郎は日向の分身みたいなものだった。

確かに雌犬だと気づかなかったのは迂闊だった。メスだと分かっていれば、『小太郎』などとつけたりしなかった。だけどもう、そんなことを言っても始まらない。小太郎は間違いなくメスなのだ。しかも室外で飼っているのだし、ちゃんと見張っていなければ、いずれどこの馬の骨とも知れない雄犬の子を身籠ってしまう可能性だってある。

そんなのはちょっと許せないよな       、と若島津は思う。

じゃあ、この『健太郎』と名付けられた子犬ならいいかというと、それも複雑なところではあるけれど。
それでも飼ってしまえば情も湧くだろうし、そうなれば小太郎と交配させるにしても、他の犬よりかは幾らかマシなんじゃないかと思う。
それに健太郎は、確かに日向の言う通り可愛らしい顔をしているし、無駄に鳴くことも無く大人しいから育てやすそうだ。これなら飼ってくれるように家族に交渉してみてもいいかと思った。なんといっても『健太郎』なのだし。

ただ多頭飼いとなれば、何よりも問題となるのが犬同士の相性だ。先住犬である小太郎が健太郎を受け入れるのが難しいようであれば、残念だが健太郎には他所の家に行って貰うしかない。

「だけど、あれだな。小太郎との相性がどうかがまず先だな。結婚させるかどうかはまた別の話として、一緒に飼うには仲が悪くちゃ厳しい」
「そうだよな」

日向と若島津は、庭の隅でこちらを伺っていた小太郎の元に健太郎を抱いて歩み寄る。ふんふんと鼻先を寄せてくる小太郎の前に健太郎を近づけてみると、小太郎は何度か匂いを確かめた後に、舌でペロリと健太郎の顔を舐めた。
健太郎は健太郎で、ちび犬のくせして自分よりもよほど大きな小太郎を恐れる様子もない。日向も若島津もそれを見てホッとした。

「小太郎、健太郎のこと気に入ったみたいだ」
「良かった。これなら一緒に飼っても大丈夫そうだな」

健太郎も小太郎に近づきたいのか手足をバタつかせて暴れるので、日向はそっと地面に降ろしてやった。よちよちと可愛らしい歩き方で小太郎に近づいて、その身体にじゃれかかる。

「良かったなあ、小太郎。これで一人じゃないな。そのうち健太郎がイイ男になったら、お婿さんにしてやってくれよな」
「・・・ンン、ゲホッ!!」
「大丈夫か、お前」

『お婿さん』は、とんでもない威力で若島津の喉を詰まらせ、咳き込ませた。

(こいつ、本当に何にも考えてない・・・!)

もしいつか小太郎が健太郎の子供を産むようなことがあったら、家族を含めた周りからどう揶揄われるか分からない。姉の志乃なんて暫く退屈しないだけのネタが出来たと大喜びしそうだ。
それを想像すると若島津は憂鬱になるのだが、日向は何も気にならないらしい。今も若島津の横で、さも嬉しそうにニコニコと二頭の犬を眺めている。
癪に触らないでもなかったが、日向らしいといえばらしかった。



子犬の顔を丁寧に舐めてやる小太郎と、そうされてしっぽを振って甘えている健太郎を見れば、番というよりは母犬と子犬か、または姉と弟といったように見える。若島津はこれで本当にいつか子供を作る関係になるのだろうか、と疑問に思う。


だけどもし、そうなる日が来るとしたなら      
若島津は隣にいる日向の横顔をちらりと盗み見た。

(きっとお前も、散々に振り回されるんだろうなあ・・・・)

まだ小さくて無邪気に小太郎にまとわりつくだけの健太郎の前途を憂い、若島津はハア、と短くため息をついた。





END

2016.06.02

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