~ 俺でそんな想像するな! ~



「はあぁー・・・」
「・・・ふうぅ・・」


日向小次郎と若島津健は、東邦学園高等部の寮の自室に戻ってきて、荷物を放り投げると同時に二人して盛大な溜め息をついた。

部活を終えてこれから夕食を取りに行くという時間帯だ。その学園から寮までの短い道のりの間に、一体どれだけの人間から声をかけられ、呼び留められ、掴まったのか。
それら全てを躱し、はぐらかし、振り払い、何とかこの部屋まで戻ってきた。だがこれが高等部に上がってからほぼ毎日のこととなれば、さすがに疲れもする。
一体どういうことなんだよ・・・と、日向が愚痴るのも無理のない話だった。


派手な人間の多い東邦学園の中にあっても、日向と若島津は一際目立つ存在だ。中等部3年の時にサッカー部で全国優勝したという実績がある上に、二人とも整った容姿で人目を引く。
東邦学園の誇るアスリート二人は、中等部を卒業する以前から高等部においても進学を待ち望まれ、期待されていた。

そしてこの春、ようやく揃って無事に高等部の学生となったところ、途端に大勢の上級生や同級生たちに追いかけられるようになったのだ。それらは交際の申し込みではあったけれど、しかし大概は性的な欲望を隠そうともしないもので、中には隙を見せればその場で身体に触れてこようとする輩までいた。

そんなことが繰り返されて、日向も若島津も既に限界に近いくらい、辟易していたのだ。


「・・・大丈夫?日向さん」
「・・・大丈夫じゃねえ。疲れた・・・。言っとくけど、部活にじゃねえぞ」
「分かってるよ」

一足先に立ち直った若島津が、先ほど投げたカバンを拾って片づけ始める。洗濯物を出し、一つにまとめる。日向も整理したなら、後で一緒にランドリールームに持っていくつもりだ。

「・・・しっかし、何だよ、高等部って。ホモばっかかよ」
「ですねえ。おかしいな。中等部の時はここまでじゃなかったですよね」

中等部の頃だって、何度か告白されたことはあった。それに対しては別に嬉しいも有難いも無く、正直に言えば「面倒だな」といった程度のものだった。そもそも東邦学園は男子校なのだ。男が男から好きだと言われたところで、どうすればいいというのか・・・というのが日向の率直な感想だった。

若島津はその点、もう少し上手くやっていた。相手の自尊心を傷つけないように、かつ期待を持たせないように上手に断って、またそれがスマートだったと更に下級生からの人気が上がるという、良いのか悪いのか分からない循環を繰り返していた。
だが表面上は取り繕っていたけれど、内心は日向と同じだ。その手の好意を同性から寄せられたところで、どうするつもりも無く、ただ「放っておいてくれ」と思っていた。

だけど今となれば、あの頃の「好き」だの「付き合ってくれ」だのという告白は、まだまだ子供らしく可愛らしいものだったのだということが分かる。

「あいつら、ほんと頭沸いてんじゃねえの。大体何をどうしたら、男と付き合いたいとかなるんだよ。・・・その、男と寝たい、とかよ。・・・よりによって俺を」
「ですよねえ・・・。俺も全く理解できませんよ。よりによって俺に」

まだ床に座りこんで足を投げ出したままの日向と、テキパキと片づけを続ける若島津の声が重なる。

「抱きたいだなんてよ」「抱かれたいだなんて」








騒々しくて当たり前の、男子高校生が生活する寮の一室。
だが現在、日向と若島津のいる二人部屋は身の置き場がなくなるような沈黙と、奇妙な緊張感に満ちていた。

日向は若干顔を青ざめさせて、昔馴染みの同室者を見上げる。
若島津は床に膝立ちになって、こちらも片づけの手を止めて、信じられないといった顔で日向を見つめる。

「・・・抱き、たい?誰が?日向さんを?」
「・・・なんで、お前だけ、違うんだよ?」

お互いの顔を穴が開くほどに見つめ、つぶさに観察する。


日向は日に焼けた肌が汗に濡れたりすると確かに艶めかしくはあるけれど、それはあくまでも男らしい色気であって、女のそれではない。顔立ちも精悍で、意思の強そうな目が印象的な男前だ。どこをどう取っても女性らしさなど皆無だった。
これほどに雄々しく威風堂々とした人を抱きたいだなんて、一体どういう了見なんだか       と若島津は思う。

一方、若島津は長身で身体も鍛えているものの、首から上は線が細くたおやかで、体格さえ誤魔化せば並の女よりもよほど美しく見える。自分がもし同性愛者であれば、おそらく他の生徒よりは若島津にいくだろう。
なのに、どうしてこいつ相手に皆は「したい」じゃなく「されたい」となるのか。自分との違いは何なのか。納得がいかない        と日向は思う。

「・・・おかしいだろう。お前と俺の、何かが間違ってねえか。それ、お前の勘違いじゃないのか」
「いえ。俺に群がってくるのは、中身はともかく見た目はちっちゃくて可愛らしい感じの奴ばかりですし、俺専属のネコになりたい、ってよく言われますけど。・・・あんたこそ、相手の要求を間違って受け止めてないですか?」

若島津の言葉に、日向は首を捻って考える。
だがどう思い返しても、結果は変わらなかった。

「俺に寄ってくるのは、見た目的には申し分のないイケメンだけど、性格に難のありそうな胡散臭い奴ばっかりなんだよな。しかも何故か妙に自分に自信があるようで、俺が断ってもその事を受け入れようとしねえしよ。・・・気を抜くと襲ってくるし、厄介ったら仕方がねえよ」
「は!?襲ってくる!?」
「ほら見ろ、ここ。さっきやられた」

日向がげんなりとした顔で、制服のカッターシャツの襟を開いて首筋を露わにする。そこに赤い、痣のような痕があった。
説明されるまでもなく、若島津にも分かる。キスマークだ。

「お前がホラ、ちっこい先輩に引っ張られていった時だよ。俺も駐輪場の陰に無理矢理連れてかれてさ。見たことない奴だったけど、多分上級生だな。ったく、これが結構な馬鹿力でよ。ここ開かれて・・・」

キスされた、という。

ドクン、と若島津の心臓が跳ねた。
無意識に膝立ちのまま、日向の方へとにじり寄る。
手を伸ばして、その赤く色づいた痕に触れる。触った感触は何も変わらない。他の部分と何も。滑らかな指触りだ。

だけど、と思う。この染みはいただけない。これは汚れだ。取らなくちゃいけない。
どうしてこの人は、他の男の所有の証なんてつけているんだろう。こんなところに。

指でこする。そうしたら消えるんじゃないかとばかりに、強く。何度も。

「・・・痛えッ!何すんだよッ!」
「・・あ、ごめん・・・!」

日向が身を捩らせて逃げようとしたことで、若島津は我に返った。そして自分が何をしていたかに気付き、しばし呆ける。自らの行為が信じがたかった。

(・・・何をしようとしていたんだ。俺)

大体、こんな男らしい人を抱きたがるなんておかしい、って思ったばかりじゃないか。それに男同士だなんて、何の興味も無い。無かった筈だ       そんなことを意識して考えるように仕向けたが、それが上手くいくにはあまりにも先ほどの日向の告白は衝撃的過ぎた。

日向は若島津にとって、これまで出会った中で最も敬愛する人間だ。己を律する心を持ち、他人を思いやることができる。更に弱者には優しく、年寄りと女子供と動物にはめっぽう弱いという、なかなかに可愛いオマケまである。こんな人がそうそういるだろうか。
日向のことは好きだし、できれば一生つきあっていきたいと思っている。ただそれは男同士として長く友情を育んでいけると信じているからであって、日向のことを女の代わりにしたり、恋愛の対象にしたいなどといったことでは決してない。

なのに、この人を女相手のように抱きたいと、征服したいと望む奴らがいるというのだ。何をどうしたらそんな欲求に行き着くというのだろう       若島津には理解できない。
だがその一方で、ならば先ほど日向に対して感じたものの正体は何なのかと、釈然としない自分がいる。自分のとった行動は一体どういう心理によるものなのか。それを見極めたいような気もした。
だから試しに、若島津は想像してみることにした。イマジネーションを駆使して、頭の中で仮想の日向を作り上げていく。

若島津の知らない男に、その綺麗に日焼けした肌を晒し、愛される日向を。
執拗な手に弱いところを暴かれて、泣きながら微かな声を上げる日向を。
快感に耐えられないとばかりに男に抱きつき、その欲望を早く身の内に収めたいと甘えるように強請る日向を。

「・・あっ」
「どうした?」

驚いた。ちょっと日向のあられもない姿を想像しただけで、感じた。下半身に一気に熱が集まった。ズクン、と官能的な痺れが腰の部分から全身に広がる。それは紛れもなく、日向に対して覚えた欲望だった。
若島津はさすがに羞恥と少しの罪悪感を覚えて、頬を熱くさせる。

その様を間近で見ていた日向は、若島津の身に何が怒ったのかを珍しくも敏感に察知してしまった。気づかなければ良かったのにと後悔しても、もう遅い。

「てめ・・・。今、俺で想像しやがったな?しかもエロいことを」
「あー・・・。ごめん。日向さんとやるってどんな感じなのかなー、って思ったら、つい。・・いや、でも悪くないよ!?意外に日向さん、アリだと思うよ?」
「ンなこと、望んでねえんだよ!この馬鹿!!そもそも俺でそんなこと、想像してんじゃねえよッ!!」

スッパーン!と日向の平手が頭に飛んできた。今のは自分に非があると若島津も思っているから、避けずに大人しく制裁を受ける。

「いったぁ・・。ごめんって。・・・でも、本当に、ちょっと・・・びっくりしちゃって。あんたでそんなの、絶対無いと思っていたから」
「ぜってー無えよ!!」
「だから悪かったって。・・・だけど、あんたは?」
「は?」
「あんたの方はどう?俺で想像した?」
「・・・・」

隠さずに白状するなら、日向だって最初に若島津から「可愛い感じの子にばかり言い寄られる」と明かされた時、少しはその様子を思い浮かべた。
だけどそれは、告白してきた相手のことを柔らかくも厳然とした態度で退ける若島津の姿であって、決してそういう濡れ場とか、二人が絡みあう姿なんかではない。
でもそんな風に改まって質問されると、つい想像してしまうのも人間の性というもので。


着痩せする若島津の身体は、服を脱ぎ捨ててしまえばその印象もガラリと変わる。鍛えられた胸筋は盛り上がり、腹筋も見事に割れている。優し気な顔からイメージするものと、実際の若島津の肉体は全く違うのだ。
そして左肩に残る傷の跡。多分、この男に組み敷かれたとしたら自然に目に入ってくるだろう位置にある。皮膚の引き攣れた細い傷痕は、身体が熱を持って火照ったなら肌から白く浮かび上がって見えるだろう。
誰かがこの男の下で、その傷に指を滑らせるというのだろうか       。

若島津と架空の相手の悩ましい様子を脳裏に浮かべてしまい、日向はふるりと細かく身を震わせた。知らず、唇から熱い吐息が漏れる。

「あ、感じた?ねえ、アノ時の俺を想像して、あんたも感じたんでしょ?」
「・・・ば、かやろ・・・っ」

罵倒する言葉にも勢いは無い。日向の身体が蕩けかかっていることなど、若島津にはお見通しだった。


(まさか、この人がこんなにイイだなんて       )

自分では気づいていなかった日向の魅力に、周りの人間の方が先に気が付いていたという事実に「これまで自分は何をやっていたのか」と忸怩たるものも多少は感じる。だが今更それを言っても始まらない。おそらくは『幼馴染』というフィルターが目を眩ませていたのだろうと、自身を納得させることにした。
何より、手遅れにならずに済んだのは幸いだった。まだ日向は誰のものでもない。だけど今の調子で迫られていれば、そのうち誰かの手に落ちないとも限らない。しかも抱かれて愛される側として。

「・・・ねえ、日向さん」
「・・・何、だよ」

そんなのは許せない。
いつかは相応しい素敵な女性を見つけて幸せになって欲しいとは、意識するまでもなく願っていた。苦労してきた人なのだから、この先の人生は幸せで満たされていればいいと、その程度のことは友人として望んでいた。
だが、その辺の男と恋愛をして、しかもそいつ相手に身体を開くなどというのは論外だ。考えたくもない。

同性愛がどうだという訳じゃ無い。
単純に、男を相手にするくらいならそれが自分でも別にいいじゃないか、何で他の男が浚っていくのを指を咥えて見ていなくちゃいけないんだ       そう思ってしまったのだ。

「ねえ。試してみようよ・・・。俺と日向さんで、今アタマの中で考えたこと。やってみよ・・・?」

若島津は手を伸ばして日向の頬に触れる。すう、と指先を顎まで滑らせると、日向がビクリと身じろいだ。
このまま流されてくれればいいと思う。

日向の顔を軽く上向かせ、自分の顔を近づける。意外にふっくらとして柔らかそうな日向の唇に、若島津のそれが今にも触れそうになった時       ムギュ、とその顔面は日向の手の平で押しやられた。

(さすがに、この程度じゃ流されてくれないか)

「・・・てめえ、調子のってんじゃねえぞ。なんで俺とお前でそんなことしなきゃならねえんだ」
「いやあ、男同士でも大丈夫そうだな、って思って。あんたとなら」
「そういうのは、大丈夫だからするってもんじゃないだろう。お互いに好きだからするんだろうが」
「んー・・・。恋愛がどうかは置いてといて、こんなことしてみたい・・・って思うくらいには好きですけどね。あんたのこと」
「・・・・・・」
「それに日向さんだって、俺でエッチなこと考えた時に気持ち悪くなるんじゃなくて、感じた訳でしょ。それって、俺があんたにとってそういう対象になり得るってことなんじゃないかな」
「ちが・・、だってそれは・・・!」

確かに気持ち悪いとは思わなかった。だが、だからといって自分と若島津がそういう関係になり得るんじゃないかと言われると、日向からしてもそれはあまりに乱暴な気がする。

「まあいいよ。今日の今日で、俺もまだそこまで整理ついてないからさ」

『試し』を断られたこと自体は若島津にとっても残念ではあったけれど、日向にその気がないなら、今の時点で急ぐつもりも無かった。じっくりと時間をかけた方が楽しいこともある。

「じゃあこの話の続きは、また今度でね。とりあえずメシ食いっぱぐれちゃうから、早く食堂に行こうか。・・・日向さん、大丈夫?立てる?」

若島津は未だ座り込んだままの日向に手を差し出した。その上に重ねられた手を引き、立たせてやる。それからついでとばかりに、その逞しい体を自分の腕の中に抱き込んだ。抵抗されるより前に、シャツから覗く首筋に顔を埋める。

「・・・お前っ!」

若島津の唇が触れている箇所に、チリ、と微かな痛みが生じた。日向は眉根を寄せる。

「・・・馬鹿野郎、何すんだよッ」
「他の奴の印なんて、腹が立つからね」

不埒な人間が残したキスマークに上書きする形で新たな刻印を施し、若島津は満足気に身を離した。そして「日向さんがどんな奴らから狙われているのか分かったからには、何とかしないとね。・・・これからもこんなの勝手に付けられてきたら、全部俺が上から付け直してあげる。だから気を付けてね」とにっこりと笑顔を浮かべて宣言し、日向の背に冷たいものを走らせた。

どうして今自分はこんな羽目に陥っているのかと日向は振り返る。疲労のあまりうっかりと口を滑らせた自分が迂闊だったとはいえ、どうして親友からこんな脅しを受けなければならないのか。

でも。
やはり知らない男からつけられたキスマークは気持ち悪くて。
それが今は、そうでもなくて。

(やっぱり、こいつだから・・・・なのかな?)

「やべ。ほんとに片づけられるかも。急ごう、日向さん」


とりあえず現時点での最優先事項は夕食だ。まとまらない思考は一旦棚上げし、飯を食べて風呂に入ってさっさと寝た方がいい       日向はそう考える。
明日になれば、「こいつならいいのかも・・・」とちょっと思ってしまったことも、『気の迷い』で落ち着くのかもしれないのだから。


先に部屋を出ていた若島津を追いかける。

「なあ、今日のメシは何かな。唐揚げ無いかな。俺、唐揚げ食いてえんだよな」

今は何も考えずに食う、と決めた日向は子供のように「唐揚げ、唐揚げ」と繰り返し、先ほどの色気はどこへやらといった感じだった。

その変わりように若島津はクスリと笑う。

「ね、日向さん。何でもね、待たされて腹が減って、ようやく・・・ってなった時に頂くのが、格別に美味しいんですよ。俺も楽しみです」





END

2016.11.23






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