~ 12才 ・ 寒椿の咲く頃 ~3








「お前んちって、いいな」
「そうか?」
「おばさんは優しいし、尊は賢くていい子だし、直子ちゃんは無茶苦茶可愛いし、勝も元気で笑えるし」
「笑えるって」

自分の弟妹に対する親友の評に、小次郎はつい笑ってしまう。

「あの子、あっけらかんとして明るいじゃん。いかにも末っ子って感じ」
「お前も末っ子だろ。あんまりそうは見えないけど」
「よく言われる。それ」

狭い部屋に、布団を二組並べて二人は横になっていた。日向の家には客用の布団など無いから、健が小次郎の普段使っている布団に、小次郎が尊の布団に入っていた。

「・・・俺も弟か妹、欲しかったな・・・。直子ちゃんみたいな妹だったら、すげえ可愛がったと思う」
「やらねえぞ」

間髪入れずに返してくる小次郎に、「分かってるよ」と健は笑った。

「お前んとこだって姉ちゃんも兄ちゃんもいて、二人とも優しいじゃねえか。俺は逆に、自分に兄ちゃんとかいたら楽しかったと思うな。一緒にサッカーも出来ただろうし」
「まあね・・・」

姉も兄も、確かに末っ子である健のことを可愛がってくれている。それは自分でも疑っていない。大事にされているという自覚はある。年の離れた姉はたまに母親かというくらいに面倒を見てくれるし、兄とも仲はいい。
だからこそ、父親に対して許せないものがあるのだ。

「・・・若島津。話したくなかったら別にいいんだけど」
「・・・・・・」
「今日、家で何があったんだよ?」

小次郎らしく、飾らずストレートな質問だった。
健はさっきまで『もし日向にあれこれと事情を聞かれたなら、どう誤魔化すか』などと秘かに考えていたのだが、そのことが馬鹿々々しくなるくらいに直球だった。
だから隠す気も無くなる。

「・・・親父がさ。俺の東邦行きを反対してるって、言ってたじゃん?・・・本格的にサッカーをすることを、認めてくれないって」
「うん」
「その理由をさ。あのクソ親父、俺の方が空手の才能があるとか言いだしやがって。突然に」
「・・・・・」
「俺の方が、兄貴よりも・・・って。そんなことを言いだすんだよ。俺と兄貴の前で。信じられるか?それが親の言うことかよ・・・マジむかつく、クソ親父」
「それは・・・」

小次郎としても、何と答えていいのか分からなかった。

健の兄である暁のことは、もちろん小次郎自身もよく知っている。遊びに行く度に声を掛けてくれて、何かにつけ可愛がってくれる。健に面差しのよく似た、だが健よりも穏やかな雰囲気を持つ青年だった。

「ふざけんなって話だよ。大体、俺は兄貴に空手で勝ったことなんて、そうそう無いんだよ。体格だって違うんだし。なのに俺を東邦に行かせたくないからって、適当なこと言いやがって・・・兄貴の気持ち、少しでも考えてみたかってんだよ」
「・・・お前、兄ちゃんのこと好きだもんなぁ」
「好きだよ。普通に俺たち、仲いいよ。なのに、あのジジイがムチャクチャにしようとしてんだよ」
「兄ちゃんは、その時に何て?」
「知らない。顔、見なかったし。・・・見れねえよ、俺だって・・・」

それで上着を羽織ってポケットに財布をねじ込んで、家を飛び出した。何処に行く当ても無かったし、静かなところが良かったから誰もいない公園で時間を潰していた。暗くなったらさすがに誰かが探しに来るだろうから、その前には移動しようと思っていた。
そろそろ場所を・・・と考え始めた時に、小次郎と尊が通りかかったのだった。


「・・・・・・」
「・・・・・・」

小次郎相手に言うだけ言うと、少しスッキリとして、健は身体の力を抜いて布団の中で手足を伸ばした。
今日は小次郎と会えて本当に良かったと思う。家に連れ戻されるのも御免だし、だからといって小学生の身で一晩外にいるのは、やはり無理がある。それに日向家に来て小次郎と話したからこそ、こうして落ち着けたのだ。

「今日はありがとうな。日向」
「俺は、別に何も・・・」
「この家に泊めて貰えて、今お前に愚痴って、少し楽になった。とにかく俺は、親父が何と言おうと東邦に行くし、お前とサッカーをする。兄貴とは親父なんか関係なく、上手くやっていくよ。元々親父以外とは何も問題ないんだ」
「・・・親父さんとも、出来れば上手くやれよ」

らしくもなく静かな声音に、健は小次郎の方を振り向いた。

「お前は怒ってるけど、親父さんだってお前のことが好きだし、可愛いんだ。それくらいは分かってやれよ」
「日向」
「勿論、俺はお前に東邦に来て欲しいし、一緒にサッカーやっていきたいけど・・・でも、親父さんだって俺以上にお前と一緒にいたいし、一緒に空手をやっていきたいんだ。・・・俺が悪かったのかもな、ってたまに思う」

小次郎の言葉に、健は肘をついて頭を起こした。

健がサッカーを始めたのは、確かに小次郎がきっかけではあった。小次郎に誘われて、最初は乗り気でなかったものの試合があれば参加した。いざ始めてしまえば面白くて、徐々にチーム競技の魅力に嵌まっていった。
だが小次郎を出会っていなかったなら、そもそもサッカーを始めていなかったかもしれない。それは可能性として低くはない。
それはそうだが     

「日向。サッカーをやることは、俺が自分で選んだことだから。それに家のことは、何とかするし」
「うん」
「だから、お前が悪いだなんてことは絶対に無いから。それだけは言っておくからな」
「・・・うん」


しばらく二人の間に沈黙が下りた。健は昼間の父とのやりとりや、兄のことを考えていた。もし自分が兄の立場だったら、どうだっただろうと思う。心無いことを平気で口にする父親を恨んだだろうか。それとも父親が特別に目をかける弟のことを、煩わしく思っただろうか。

(分からないな・・・・)

結局のところ、自分は自分であって、兄ではない。それに兄がどう感じたにせよ、もう自分は選んだのだ。東邦学園に行ってサッカーをすることを選んだ。空手ではなく。

それは家族よりも『日向小次郎』を選んだということなのか      それも健には分からないが、そう取られても仕方が無いとは思っていた。それくらいに、自分にとってサッカーと小次郎は切っても切り離せない存在になっていた。小次郎と離れて明和でサッカーを続けるという選択肢は、端から無かった。


「なあ・・・日向・・?」

あまりに静かだったので、もう寝たのかと声を掛けると、思ったとおり小次郎は軽い寝息を立てていた。
健は小次郎の方に少し身を寄せて、その顔を覗きこんだ。眠っていると特徴的な眼力の強さが消えて、年相応にあどけなく見える。
だけどこの少年は健の知る限り、誰よりも誇り高くて強くて真っ直ぐで、一所懸命に生きている子供だった。

「・・・お前、風呂にも一緒に入れないんじゃあさ・・・。寮に入ったら、きっと色々と困ることがあるんだろうな」

だから、やっぱり俺が東邦に行って、手伝ってやらなくちゃな・・・そう呟いて、健は布団の中に首まで潜りなおした。

考えなくてはいけないことは沢山あるが、とにかく明日だ。今日は隣に寝ているこの友人を見習って、自分もグッスリと寝て、明日からの新たな戦いに備えよう。そうだ、それがいい     

目を閉じると、すぐに健にも優しいまどろみが訪れた。







「あら・・・。小次郎は、ホントによく乗られるのねえ」

夜中、すべての仕事を終えて子供たちの寝る部屋を覗いた日向家の母は、小さく笑った。いつもなら尊が小次郎にくっついていて、たまに兄の上に乗っかっていることもある。今日は息子の隣にいるのは友人なのだから、そんなことも無いだろうと思っていたが        普段と同じような光景が目に入り、つい可笑しくなってしまった。

健が小次郎に抱きつくようにして眠っていた。布団に入った頃、寒かったのかもしれない。尊も「兄ちゃんとくっつくと温かいから」とよく言っている。

そのままにしておいても良かったのだが、小次郎が窮屈そうに見えたため、彼女は息子とその友人との間を少しだけ離した。

「小次郎と仲良くしてくれて、ありがとうね。これからも、大きくなっても、どうかよろしくね」

子供たちを起こさないようにと、小さく密やかな声で彼女は囁く。

ささやかな心からの願いは、そっと言霊に託された。






END

2018.01.17

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