~ 決戦前、ドバイの夜 ~



「くしゅん!」
「あー、ほらほら。早く頭を拭いてくださいよ。こんな時に風邪をひいたら大変だからね」

若島津は自分の荷物の中から一番手触りのいいタオルを取り出し、日向に駆けよった。日向の濡れた頭にパサリと被せると、背後から手を伸ばしてそのままゴシゴシと拭き始める。

「誰のせいだよ」
「俺のせいですね。ごめんなさい」

唇を尖らせる日向に対して、若島津は素直に謝った。とはいえ、『悪かった』などとはさらさら思っていない。
若島津は笑顔すら浮かべていた。


二人がいるのは、ドバイで合宿所として使っているホテルの一室だった。

フランスで開催されたジュニアユース世界大会にて頂点に立った全日本チームは、休む間もなくドバイに飛んだ。
日向たちと同世代のスター選手を集めた新しいチーム、レッドストームに試合を挑まれた為だ。そのチームにはシュナイダーやピエール、サンターナといった既知のライバルもいれば、初めて対峙する相手もいた。

彼らとの決戦を間近に控えた今夜、日向は気が張って落ち着かず、眠れそうになかった。だから一人でそっとホテルを抜け出し、近くの河原まで気分転換に出たのだ。そして当然のように若島津はその後を追ってやってきた。

そのまま川辺に座って二人で話していると、同じように外に出てきた岬に声を掛けられた。やはり眠れないのだという。そして岬だけでなく、三杉も松山も早田も新田も、石崎も立花兄弟も。次藤まで。翼を除いた全員が河原に集まった。
そして全員で盛り上がった結果、何故か川に飛び込んで水浴びをすることになってしまったのだ。



日向は若島津に髪の毛を拭かれながら、「ったくよー」と一人くさる。

「押すなっつったろうが。お前、何で俺のこと突き落としたんだよ。しかも空手キックでよ」
「ごめんって。でも、本気で蹴った訳じゃ無いからね。痛くは無かったでしょ?」
「痛いも何も、驚いてそれどころじゃなかった。後ろから押されるなんて思わなかったからよ・・・」

若島津はタオルに半分隠れた日向の顔を覗きこんだ。そして怒っているというよりも照れているようなその表情を見て、クスリと笑う。

(ほんと、素直じゃないんだから・・・)

家の事情で人よりも早く大人にならなければならなかった日向を、若島津は小学生の時から近くで見てきた。
日向が強い人間であることは分かっている。哀しいことや苦しいことを呑みこんで、それでも逞しく健やかに育ってきたことも知っている。

だが時折思うのだ。もう少しだけ、肩の力を抜いてくれればいいのに          と。
一人で立つ後ろ姿を見ていると、若島津は日向のその背中を抱きしめたくなる。弱みを見せる人ではないことは承知しているが、それでも、自分に対してだけでもいいから甘えて欲しいと思う。

さっきだって皆が次々に川へと飛び込んでいく中、若島津には日向が戸惑っているように見えた。同年代と騒いで楽しむことなど殆ど無かった人だから、無理もないだろうと思えた。

だからこそ、あの場で若島津は日向の背中を押したのだ。
『あんたも行っていいんだよ』という意味で、文字通り背中を押した。正しくは蹴り落とした、ではあったが。
落とされた日向は最初こそ若島津のことを怒ったが、松山に水を掛けられて反撃しているうちに、その場に馴染んだ。
楽しそうだった。眺めていた若島津の口元が自然と緩むくらいには。



ひとしきり水浴びをして、その後に一人練習をしていた翼と合流して、皆でホテルに帰ってきたのがつい先ほどのことだ。

「でもさ。これでみんな緊張も解けただろうし、試合に向けていい方向に気持ちを切り替えることができたよ。良かったよね」
「・・・まあ、それはそうだな」
「はい、今度はこっち向いて」

若島津は自分と向かい合うような形に日向の身体を反転させた。今度は正面から日向の髪を拭いてやる。

「もう、いい」
「まだ濡れてるよ。もうちょっと」
「あ~、サッパリしたあ。日向、若島津。お先         って、若島津。お前ってホント、面倒見いいなあ」

先にシャワーを浴びに行っていた松山が、二人に声を掛けた。今回の遠征では、日向と若島津、そして松山の三人で一部屋を使っていた。

「お前らって、いつもそんな感じなの?寮でも同室なんだろ?」
「そんなって、どういう意味だよ」
「別に悪い意味で言ってんじゃねえよ。仲がいいなって思ってさ」
「いつもこんな感じだ。日向さんは意外と、自分のことは後回しになるからな」
「あー、それは分かるな。ピッチだと、俺が俺が、って感じなのにな」
「誰がだよ」
「さっきだって、シャワー、先に使えって俺に譲っただろ。そういう所、お前ってやっぱり長男っぽいよな、って」

長男らしいと言われれば現にその通り長男なので、日向としても言い返すことは何も無い。

「それより、お前たちも早く浴びて来いよ。どっちが先に行くんだ?日向?若島津?」

松山にそう問われ、日向と若島津は顔を見合わせる。

「若島津、お前、先に行ってきていいぞ」
「いいえ。さっきあんた、くしゃみしてたし。先に行ってきてくださいよ」
「大丈夫だって。お前の方が髪を乾かすのに時間が掛かるんだから、先に行けよ」
「あんたが風邪をひいたら大変だって、さっきも言ったでしょう」
「ンな、弱っちい体じゃねえよ」
「あんたは自分というものを、まーったく分かっていませんね」

埒があかない。
しばらく日向と若島津の間で左右に首を振りながら会話を聞いていた松山は、「もう、面倒くせえなあ。それなら一緒に浴びてこいよ」と言い放った。

「はあ!?」と目を見開いて驚く若島津に対して、日向は「お。それがいいな。いっぺんで済むし」と手を打つ。

若島津、一緒に行こうぜ           そう言うと、日向は一人で先にさっさとバスルームに向かってしまった。



「・・・まつやま」
「おう」
「このことは、三杉や岬には内緒に」
「? 一緒にシャワーを浴びたってこと?」
「あの人、寮の風呂と同じようなものだと思っているだけだから」

ホテルの狭いユニットバスで、男二人が一緒にシャワーを浴びることを変だとも思わないのは、東邦での寮生活のせいだ。若島津はそう主張したかったのだが          。

「ふーん・・・。分かった。ってか、俺は別にいいと思うけど」
「・・・何が」
「お前たちがお互いにいいなら、他人は関係ないだろうってこと。あのさあ、一緒にいるのが当たり前って思っていても、そんなこと無いんだぞ。離れる時なんて、ふいにやって来るんだ。出し惜しみすんなよな、若島津」

松山に真顔で言われ、若島津は笑って誤魔化すことも出来なかった。松山が現在進行形で遠距離恋愛をしていることは、チームの人間なら誰もが知っている。

         松山のこういうストレートなところ。やっぱり性格的に日向さんと似てるんだな・・)


「まあ、とりあえず今は目の前の試合のことだけどな。お前も早く温まってこいよ」

背中をパシっと叩かれて、若島津は苦笑する。


松山が話をそれで切り上げて荷物の片づけを始めたので、若島津も着替えを持って、日向が入っているバスルームへと向かった。


(いっぺんで済むとか、気楽に言ってくれちゃってさ・・・。俺にとってはある意味、苦行でもあるんだけどなあ・・・)

内心でそう愚痴っていると、若島津がいつまで経っても来ないことに業を煮やしたのか、中から日向が「早く来いよ、若島津!」と呼びかけた。





END

2017.08.31





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