~ 強面天使と悪魔な俺 ~小次郎ちゃん誕生日編



身体がゆらゆらと揺れる感覚があった。
小次郎は自分が波にでも揺られているのかと思った。小さい頃に父親に連れていって貰った海で、浮き輪に乗ってプカプカと水に浮かぶのに任せていた、あの感覚。それに近かった。

だがその夢とも現実ともつかない浮遊感に浸る前に、執拗に揺さぶられて目が覚める。

「な・・に?」

眠い。もう朝なのかな。起きなきゃいけないのかな・・・・。そう思って無理に目をこじ開けたその先に、ぼうとした人影を見て小次郎は心臓が凍りつくほどに驚いた。

「・・・ひっ・・!」
「しー」

思わず悲鳴を上げかけたところで、その口を手のひらで覆われた。小次郎と同じくらいの大きさの、だがゴツゴツとした手だった。
恐怖したのは一瞬だけで、すぐにその正体が健だと分かって、小次郎は身体の力を抜いた。

「手を離しても大丈夫?」

コクコクと小次郎は頷く。それを見て健はそっと小次郎の顔から手を離した。

「けん?どうしたの?こんな夜中に?」
「小次郎ちゃん。不用心だよ。いくら暑いからって、窓を開けたままで寝てるなんて」

今は夜中の筈だ。小次郎は部屋の中を見回した。
ここは間違いなく自分たちの家で、子供部屋で、尊が隣の布団で寝ている。母親と直子、勝は隣の部屋だ。小次郎は声を上げずに済んだことにホっとした。大声を上げていたら母親が飛んできて、きっと大騒ぎになったに違いない。

「健。本当にどうかしたの?何か、怖い夢でも見たの?」

小次郎自身は臆病で怖がりだから、怖いテレビを見たり暴力的なドラマを見ただけでも眠れなくなってしまう。だけど、健はこれまでそんなことは一度も無かった。
心配気に小次郎は健に尋ねた。

「そんなこと、ある訳ないでしょう?小次郎ちゃんじゃあるまいし」

健がクスリと笑う。小次郎は少し恥ずかしくなった。だって      

「小次郎ちゃん。お誕生日おめでとう」
「・・・けん!そのために来てくれたの!?」
「しー、静かにね」

小次郎は慌てて両手で自分の口を押さえた。
ただ驚くと同時に嬉しかった。今日は小次郎の誕生日だ。布団に入った時にはまだ『明日』だった。だがこうして夜中なのに健が来てくれたということは、もう『今日』になったのだろう。
小次郎は今日、一つ年を取ったのだ。健よりも1歳年上になった。

(俺の方がお兄さん          

だけど、自分の方が一定期間年上になるのは毎年のことではあるけれど、いつの年でも健の方がよほど大人びてしっかりしている。
それもあって、さっき『小次郎ちゃんじゃあるまいし』と言われて恥かしくなったのだ。

「小次郎ちゃん?どうかした?」
「・・・ううん。何でもないよ」

心持ち俯いた小次郎に健が訪ねるが、小次郎は微笑んでかぶりを振った。

「健・・・。嬉しいけれど、朝になってからでも良かったんだよ?」

よくよく見れば、健はパジャマ姿だった。きっと自分の部屋のベッドから抜け出してきたに違いない。

健は暗くなってから小次郎が一人で外出するのは酷く怒るのに、自分はいつも好きなように出掛けてしまう。ふらりとこうして小次郎のところにやってくることもある。
だがさすがに、こんな夜中に突然訪れてくるのは初めてだった。

「だって、朝になったら一番じゃないでしょう?きっと、尊や直ちゃんに先を越されちゃうから」
「・・・・そんなの」
「俺が言いたかったんだ」

健がふわりと微笑んだ。小次郎の大好きな、誰よりも綺麗な健の笑顔だ。小次郎の小さな胸がトクトクと鼓動を速める。

「だけど、起こしちゃったのはごめん。明日も新聞配達だよね」」
「うん。健は?いつものように俺と一緒に走る?」
「当たり前。早朝なんて、それこそ人気が無くて危ないからね。俺が小次郎ちゃんを守らなくてどうするの」

そんなことを言われても、小次郎にはピンと来ない。道ですれ違う普通の中学生ですら、小学生の小次郎を見て、そっと目を逸らして道の端っこを歩くのだ。
こんな自分が危険な目に合うなんてこと、絶対に無いのに。

そうは思うが、単純に健とジョギングが出来るのは嬉しかった。新聞配達のために毎朝早く起きるのは正直辛いが、健と一緒に走れると思うと楽しみにもなる。

「せっかくの小次郎ちゃんの誕生日なんだもの。本当はずっと起きて話していたいけれど、明日起きれなかった困るから、もう寝なくちゃね」
「・・・うん」

綺麗で強くてカッコよくて、小次郎にはとても優しくて、完璧な健。小次郎だって、このまま話していたかった。隣に住んでいて、いつでも一緒にいるというのに、それでも足りない。もっと一緒にいたい。

「お布団、入れて?」
「えっ」

だが帰るのかと思った健は、『一緒に寝てもいいでしょう?』と言って、小次郎の布団に潜りこんでくる。

「・・・この部屋、暑いよ?」
「構わないよ。・・・小次郎ちゃんが朝起きる前に、ちゃんと自分の部屋に戻るから」

健の部屋にはクーラーがついている。よっぽど、この扇風機を回しているだけの部屋よりも涼しくて快適な筈だ。
だが健はこの部屋がいい、小次郎ちゃんの隣で寝たいと言って、さっさと寝る体勢を整える。
健がそれでいいなら・・・と小次郎も隣で横になると、健が小次郎に抱きついてきた。

「ここ、気持ちいい。・・・安心する。小次郎ちゃんの匂いがする」
「・・・・!」

小次郎は恥かしくなった。部屋が蒸し暑いから、寝る前にちゃんと風呂に入ってもどうしても汗をかいてしまうのだ。
狼狽えながら「お、おれ、汗くさい?」と聞くと、健が一瞬目を丸くして、ふふ、と笑った。

「そうだね。汗の匂い、する」
「ご、ごめん・・・!」
「すっごくいい匂いだよ」

健が小次郎の腕の中に入ってきて、首筋の匂いをすんすんと嗅ぎ始めた。健の方が小次郎よりも小柄で細いから、自然と小次郎が抱え込む形になる。
小次郎は恥かしくて、余計に汗をかいてしまう。やめて欲しかった。

「やだ・・健。意地悪しないでよ」
「意地悪じゃないよ。・・・それにどうして嫌がるの?小次郎ちゃんは俺のものでしょう?」
「そ、そうだけど・・・!」

幼い頃から、意識するまでもなくお互いにそう思い続けてきた。健は俺のもの。小次郎ちゃんは俺のもの。
言葉にされたなら、なおさら小次郎は縛られる。
昔からの約束にも似た執着に身動ぎできないでいる小次郎を、健はゆっくりと抱きしめた。

壊さないように、傷つけないように      大事な宝物を、まだまだ細い子供の体で、精一杯抱きしめる。

「何もしないよ。・・・まだね」

まだ、子供だからね      健のそんな呟きが聞こえて、小次郎は首をひねった。

(・・・大人になったら、俺が嫌がるようなことでも止めてくれないのかな?健は)

自分が嫌がっても、馬鹿って言っても、意地悪をするのかな?      そんな健を想像してみると、小次郎は少しだけ悲しくなった。

(ううん。そんなことない。だって健だもの        

赤ん坊の頃から一緒に育ってきたのだ。実の兄弟となんら変わりない。小次郎にとって健は兄であり弟であり、親友だった。

いつか自分に冷たくなる幼馴染を想像して辛くなった気持ちの分だけ、小次郎も健をぎゅっと抱きしめた。その腕の中で健がどれほど幸せそうに微笑んだかも知らずに。


「そうだ。明日、母さんに言わなくちゃね。この家、網戸も鍵をつけてって」
「健・・・窓から入ってきたんだね」

1階だから出来ることではあった。確かに不用心かもしれないと小次郎も思う。自分なら大丈夫だろうけれど、この家には直子や母親もいるのだ。

「でも鍵つけるの、うちじゃなくていいのかな?」
「こういうのは大家がつけるものなんだよ。小次郎ちゃん家は心配しなくていいよ」
「うん」
「だから、ずっとこの家にいてね。俺の家の隣に。ね、小次郎ちゃん」
「うん」
「大好きだよ。お誕生日、ほんとにおめでとう」
「ありがとう。俺も大好きだよ。健」

『大好き』と、それこそ大好きな健に言われて、ついさっき感じた悲しい気持ちもすっかりどこかへ消え失せた。
すると急に眠くなってきて、小次郎はふああ・・・と大きなあくびをした。




「おやすみ。俺の小次郎ちゃん」

優し気な囁きと共に唇に柔らかいものが当たる感触があった。
だがあまりの眠さにそれが一体何であるのか追うこともできず、小次郎はそのまま幸せな夢の中へと落ちていった。





END

2017.08.17





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