~ 強面天使と悪魔な俺 ~
「お前んちなんか、貧乏なくせに!生意気なんだよ、貧乏人が!」
「うるせえ!俺んちが貧乏でてめえらに何か迷惑かけたか!」
若島津健は耳に覚えのある声と、それこそこれまでに何度も繰り返し聞かされてきた台詞に眉をひそめた。駆け足を更に速めて、声のした方へと向かう。
そこは普段は人気のない空き地だった。所属しているサッカークラブの練習がない日は、小次郎はそこで一人でボールを蹴っていることが多い。それを知っているから、健は毎日のロードワークの途中に小次郎に会えるようにと、その場所をルートに組み込んでいた。
「日向さん!?」
健が到着してみると、果たして小次郎が3人の同級生に囲まれて揉み合っているところだった。
運動神経がよく腕っぷしも強い小次郎だから、最初は3人を敵に回しても互角に戦えていた。だがさすがに時間が経つにつれて徐々に体力を消耗する。健が目にしたのは丁度その頃で、小次郎が後ろから羽交い絞めにされて動きを封じられて、3人の中でも一番体格のいい少年から腹部にパンチを受けようとしているところだった。
「・・・グ・・・ッ」
小次郎の食い縛った歯の間から、押し殺せない苦痛の声が漏れる。殴られる瞬間に腹筋に力を入れてダメージを最小限に抑え込んだが、それでも膝が揺れた。ガクンと上半身から力が抜けて、頭が下がる。小次郎は喧嘩には慣れているが、殴られる痛みには慣れていない。相手が一人である場合は、今までそうそう負けることが無かったからだ。
小次郎の腹を殴りつけた少年が、その髪を無造作に掴んで顔を上げさせた。頭皮が無理な力で引っ張られて痛みを訴えるが、それでも小次郎は泣きを入れることもなく、他人から悪い悪いと言われる鋭い目つきで相手を睨みあげた。
不利な状況にあっても決して屈服しようとはしない小次郎に、相手がカっとして更に殴ろうと腕を振り上げる。だがその次の瞬間に吹き飛んだのは、その少年の方だった。
「・・・若島津!てめえっ!」
疾風のような速さで飛び込んできたかと思うと、あっという間に3人との間合いを詰めて、至近距離から強烈な蹴りを繰り出す。小次郎に暴力をふるっていた少年たちはそれぞれ一発ずつで確実に沈められ、すぐには起き上がれない。我流の喧嘩しか知らない少年たちと、幼少のみぎりから格闘技を仕込まれてきた健では勝負にならなかった。
「若島津!空手やってる奴が暴力振るっていいのかよ!」
「多勢で一人を痛めつけようって奴等に、何を言われたところで聞く耳持たないね。・・・言っとくけど、こんなもんで済むと思うなよ。日向さんに手を出したんだ、これからお前らを見かける度にしつこくいたぶってやる」
小次郎を庇うように背にした健が凄むと、3人は捨て台詞さえ吐かずにほうほうの体で逃げ出した。
小次郎はというと、その場に座りこんで俯いていた。長い前髪が表情を隠している。健は小次郎の傍にしゃがみこんで、砂で汚れた髪をすいてあげた。
「大丈夫?日向さん。だいぶ殴られた?痛む?」
「・・・どうってことない」
「嘘ばっかり。本当は痛いんでしょう?」
「・・・」
健ができるだけ優しい声を出して「痛いのなら、我慢しなくていいんだよ」と囁くと、小次郎は唇を噛みしめて更に下を向いた。
「小次郎ちゃん?」
「・・・・っ」
ただ名前を呼ばれただけではあるけれど、それは小次郎にとっては魔法の言葉だった。日向家の長男として、男らしく強くあろうと肩肘張って生きている自分を、本来の姿に戻してくれるための言葉。
幼児の頃ならともかく、小学校高学年となった今では小次郎のことを『小次郎ちゃん』と下の名前にちゃん付けで呼ぶのは、健だけだった。昔から小次郎のことを誰よりもよく知っていて理解してくれる、一番の味方。本当は臆病で泣き虫の小次郎を嘲笑うこともなく、それどころか他人の悪意や暴力から守ってきてくれた大切な幼馴染。
小次郎の目に見る間に涙が盛り上がる。堪えようとしても、胸にせり上がってくるものが喉を震わせ、泣きそうなのだということを健に知らせてしまう。
彼らに何をした訳でもないのに理不尽な暴力を受けたことが、小次郎は心底悔しかったし、悲しかった。
「小次郎ちゃん、本当によく頑張ったね。強かったね。えらかったね」
「・・・・けんっ」
頭を撫でて貰って、優しく「えらかったね」と言われれば、小次郎はそれ以上耐えることはできなかった。うわあん、と声を上げて幼い子供のように健にしがみついて泣き始める。
「けん、けんっ!こわかったあ、いたかったあ・・・っ」
「うん、怖かったね。痛かったよね。でも我慢して、あいつらの前では泣かなかったんだね。えらい子だったね。・・・・今はここには俺しかいないから、もう大丈夫だよ。泣いてもいいよ」
「・・・ひ、・・・う、・・ひっく」
「泣き止んだら、おうちに帰ろうね。小次郎ちゃん」
小次郎はしゃくり上げながら、小学生にしては立派に成長して鍛えられた体を健に押し付けてくる。
健はその身体をいかにも大事なものだというように包むように抱きしめ、秀麗な面に至福の笑みを浮かべた。
日向小次郎と若島津健は、幼馴染としてまるで兄弟のように育ってきた。
若島津家は地元では知られた名士で、裕福な家庭だ。空手道場を営んでもおり、健も記憶にないくらいに幼い頃から空手を始めていた。
日向家はその若島津家の所有するアパートに住んでいる。小次郎の両親が新婚だった頃からその部屋を借りていて、小次郎が生まれて続いて尊、直子、勝と子供たちが増えて手狭になっても、まだ変わらずにそこにいた。
若島津家と日向家は大家と店子という関係ではあったが、同じ年の夏と冬に生まれた小次郎と健は隣同士に住んでいることもあって、赤ん坊の頃から殆どの思い出を共有してきた。二人の仲はこれまでもずっと良かったし、今でも一番の親友同士だ。
幼少の頃から小次郎は心優しく、少し臆病なところのある男の子だった。人見知りもするし、道で犬に出くわすと動けなくなるし、夜はオバケが怖くて一人で眠れないし・・・と、その繊細な気質は小次郎の母親を随分とヤキモキさせてきた。
だが一番の問題は、その見た目が性格を裏切っていたことだ。同じ年頃の子供に比べて体格もよく、顔立ちも大人びていて目つきも厳しいせいか、常に実年齢より2~3歳は上に見られていた。
そんな小次郎がたとえば外遊びの時に虫を怖がって草むらに入るのを嫌がると、ここぞとばかりに同年代の少年たちは「そんな怖い顔をしているくせに虫が嫌いだなんて、女みたいなこと言ってキモイ」などと揶揄する。小次郎は自分が馬鹿にされる分には別に構わないが、自分がそうされることで弟や妹にも害が及ぶのではないか・・・・そのことだけをいつも気にかけていた。
日向家の父親が亡くなってから暫くして、小次郎は自分の性格を偽るようになった。
他人の前では、見た目通りのぶっきらぼうで強気な態度を取り、涙を見せることもなくなった。喧嘩だって売られたら買う。尊や直子たちのために、自分が弱いままではいけないと気が付いたのだ。弱い兄では、いざ尊たちがいじめられたり揶揄われたりしたとしても、助けることができない。こいつらに何かしたら、強くて怖い兄貴が黙っていないぞ・・・、ということを周りに知らしめる必要があるのだ。
小次郎は、父親の代わりに幼い弟妹たちを守ると決めた。だから、強くなろうとした。
だが本来の性格などそう簡単に変わるものではない。家族と若島津家の人たちの前でだけは、小次郎は元の優しくて純粋な、年齢よりも幼くて泣き虫の小次郎に戻ることができた。
ようやく泣き止んだ小次郎の顔は、砂と涙でドロドロのグチャグチャだった。健は道着の袖で拭いてやる。ロードワークの途中だったから、ハンカチやティッシュなどは持っていない。
「いいよ、健。大事な道着が汚れちゃう」
「小次郎ちゃんの方が大事だから、いいよ。汚れたら洗えばいいんだし。でしょ?」
「・・・うん。洗濯機で取れなさそうだったら、俺、染み抜きするから。持ってきて?」
小次郎は家事全般が得意だった。母親が忙しくて代わりにするしかなかったというのもあるけれど、元から料理や洗濯、掃除が好きなのだ。
若島津家の人間からは、よく「小次郎くんはいいお嫁さんになる」と言われている。健の母と姉からは「健のお嫁さんになってよ」とも。
そのたびに小次郎は「俺は男だから!お嫁さんにはなれないから!」と答えるのだが、健が「小次郎ちゃんが女の子だったら、絶対に俺、小次郎ちゃんと結婚してるよ」と言ってくるので、そのあとに言葉が続かず困ってしまう。
女の子になりたかったとは決して思わないけれど。
もう少し、可愛く生まれてこれれば良かったのにな・・・と小次郎は思う。
そうすれば、料理が好きだって、お菓子作りが好きだって、犬や虫やオバケが怖くたって、きっと誰にも何も言われなかった筈だ。それくらいに、人は見た目に左右されるということを、小次郎は身をもって知っている。
だって普通に道を歩いているだけで、「何見てんだよ」だとか「ガンつけてんじゃねえ」などと難癖をつけられるのだ。5年生に上がってからは体格が良くなったからか、「お前、何中だよ」などと中学生から絡まれることもある。
せめて、こんなに目つきが悪くなくて・・・・たとえば、健みたいに綺麗な子に生まれていたなら。
きっと、こんな揉め事も無かった筈なのだ。いや、それどころか健みたいに大勢の人に好かれたかもしれない。
「小次郎ちゃん?どうかした?やっぱり痛いんでしょう?」
「・・・ううん。何でもない。こうして近くで見ると健って綺麗な顔をしてるんだな、って思ってただけ」
「キレイ?そう?」
思ってもいなかったことを言われて、健はふふ、と笑った。
「小次郎ちゃんはね、可愛いよ」
「・・・けん」
小次郎は情けなさそうに眉尻を下げて、健の顔を見上げた。
自分が可愛くなんかないことは、小次郎が一番よく知っている。それなのに、こうして健は「可愛い。小次郎ちゃんは可愛い」と何度も繰り返し言ってくるのだ。慰めてくれているのだと分かるから、その気持ちはありがたい。だけど、最近はそうされることが却って辛いのも事実だった。容姿なんて一目見れば良いも悪いも誰にだって判断がつくのだから、ハッキリと「可愛さの欠片もない」と言ってくれた方がよほどスッキリするような気がした。
「本当だよ。確かに見た目は小学生にしては厳ついし、可愛いって感じじゃないかもしれないけれど・・・小次郎ちゃんは中身が可愛いもん。ね?」
泣いたせいで瞼の赤く腫れた小次郎の顔を健は見つめる。
確かに顔の造作は可愛いとは言えない。幼い頃のような丸さや柔らかさも失われ、眦の上がった目は鋭さばかりが強調されている。
健はさきほどの小次郎の泣き顔を思い浮かべた。決して不細工な訳ではない。凛々しく男らしい顔つきなのだから、中身さえそれに伴って堂々としていたら、かなりな男前になるだろう。だけどその反面、さっきみたいな幼児さながらに顔をクシャクシャにして泣きじゃくる姿は、見た目だけでいえば健からしても滑稽だった。誰かがあの泣き顔を目にしたとしても、到底『可愛い』などという感想は持たないだろう。
だが、それでいいのだと健は思う。小次郎の可愛らしさは、他の誰に理解される必要もない。なんならお互いの家族にだって。
自分だけが知っていればいいのだ。誰も小次郎に触らず、好きにならず、放っておいてくれればいい。勿論、さきほどのように暴力を振るわれるのは言語道断だが。小次郎のすべすべとした肌に痣や傷がつくかと思うと、耐えがたい。
「本当は、小次郎ちゃんがこんなに優しくて可愛い性格をしているって、みんなに分かって貰えればいいんだけど。でも小次郎ちゃんの見た目には似合わないもんね。悪い奴らは、そんなところにも付け込んで馬鹿にして、意地悪をしてくるからね。きっと尊たちにもね。だから、小次郎ちゃんはこのまま、みんなには強い『日向さん』のままでいようね」
「・・・うん」
「俺が小次郎ちゃんの傍にいるからね。ずっと。同じ中学に行って、同じ高校に行って、同じ大学に行けば俺がずっと守ってあげられる。俺は小次郎ちゃんのことを知っているから、俺のそばでだけは本当の小次郎ちゃんに戻っていいんだよ。・・・ね。大学に入ったら、家を出て一緒に住もうね。悪い虫が出たって、躾のなってない犬が寄って来たって、俺がちゃんと退治してあげる」
「うん。ありがと、健」
小次郎がにっこりと笑う。世間的な評価ではやっぱり、こんな風ににへらと笑う顔は似合わないし、いっそ不気味と言っていいのかもしれない。だが健にとってはこの上もなく可愛らしい、それこそ天上からファンファーレが響き渡りそうな天使の笑顔だった。
健は自分の罪深さを知っていた。小次郎が「これからは弱い自分を隠して、強いフリをしようと思う」と相談してきた時に、新しい小次郎の細かい性格や行動の設定を考えて、喧嘩の手ほどきをしたのも自分なのだ。
それが根の優しい小次郎にとってはどれほどの負担になるか、分かっていながらもそうした。自分はあの時、悪魔の手を取ったのだと思っている。
「小次郎ちゃん、早く帰ってウチのお風呂に一緒に入ろう。泡のお風呂にしてあげる。好きでしょ?」
「うん!アワアワのお風呂、楽しい!好き!」
健は小次郎を立たせると、服の汚れを叩いてあげて、手をつないだ。そのまま健が小次郎の手を引くような形で若島津の家に向かう。
小次郎は泡風呂のおかげで悲しみも癒えたのか、ニコニコとしていた。
「ねえ、健。父ちゃんがね、前に言ってたんだ。俺は後からネンレイが追い付いてくるタイプなんだって。だから、いつか俺も『怖い顔』って言われない日が来るよって。・・・ほんとかなあ」
「・・・どうかな。おじいちゃんになった頃にそうなるのかもしれないね。それまでは・・・そんなに変わらないんじゃないかな」
「そうかあ。おじいちゃんになってからかあ」
へへ、と笑って鼻の下をこする小次郎を横目で見て、健は繋いだ手をギュ、と強く握りしめた。
ごめんなさい。ごめんなさい。許してください。
神様なんて信じないし、誰にだって、それこそ小次郎本人にだって謝るつもりはないけれど。
だけど、優しかったあの人 小次郎の父親にだけは、健は心の中で謝罪した。
絶対、俺が幸せにするから。俺は小次郎ちゃんしかいらないから。大人になっても女の人を好きにならないし、他の誰もいらないから。だから。だから、この子は俺にちょうだい?
隣に並んで歩く小次郎が、あ、と思いだしたように声を上げて健を振り向いた。コテン、と首を傾げて健の目を覗き込む。そのまっすぐな視線の奥にある瞳の透明な美しさに、健は目を瞠った。
「健?お腹すいたね。俺んちにクッキーあるよ。昨日、焼いたんだ。食べる?」
「小次郎ちゃんが焼いたの?そんなの、食べるに決まってんじゃん」
陽が傾いてアスファルトの道路に影法師が長く伸びるようになった帰り道。二人は決して手を離さず、肩をくっつけて寄り添うようにして歩き続けた。
END
2016.01.11
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