~ まだ、あげない ~






日向はクローゼットの奥にあるダンボールの中から、妙なものを見つけた。見るからにボロく古びた、布の塊のようなものだった。

「?」

東邦学園高等部での生活も、この春から最終学年を迎える。寮の部屋も階が変わるため、引っ越しをしなければならない。荷物の整理などすぐに終わるものと思っていたが、東邦学園に来てから早5年。それなりにモノが増えていて、今のように何故取ってあるのか分からないものを見つけることもある。

日向は訝しみ、発見したばかりのそれを手にとってみた。

「・・・これ」

古い服だった。あちこち擦り切れてほつれているし、洗っても取れない汚れもある。どうしてこんな所に・・・日向は首を捻る。とうに捨てたと思っていたのに。

「・・・・・」

しばらく見つめた後、日向はそれを手元にあったビニールに無造作に放り込んだ。後で捨てるゴミをまとめておくために出しておいたビニール袋だ。その途端、「駄目!!」と大きな声が近くでした。

「・・何だよ、急に大きな声を出しやがって。びっくりすんだろ」
「それは捨てちゃ、駄目です!」

同室の若島津も先ほどから自身の荷物を黙々と整理していたが、日向の行動を見咎めて慌てて駆け寄ってきた。

「大体、このダンボールは俺のでしょう!?勝手に開けて、中のものを捨てたりしないでくださいよ!」
「でも名前も書いてなかったじゃねえか。それにお前、お前のダンボールって言うけれど・・・ソレは俺のだよな?」

日向は、若島津がゴミ袋から取り戻して大事そうに胸に抱えているボロ布を指さした。

それは確かに日向の物の筈だ。中等部の時に部活で使っていた練習着。襟ぐりや肩のところが破れかけたそれは、日向が吉良監督を頼って沖縄に渡った時に着ていたものだった。

「そんなの、持ってたって仕方がないだろ。見るからに汚えし」
「汚くなんかないよ。ちゃんと洗ってあるし」
「いつの間にそんなもの、隠し持ってたんだよ」
「日向さんに返したら捨てられそうだと思ったから、俺が責任をもって保管しておいたんです」

それを捨てようとするなんて・・・と若島津がブツブツと文句を言うが、日向からすればこれから着る訳でもない、誰にお下がりにあげるでもない、そんなボロ服を取っておく奴の気が知れない。

「何に使うんだよ。そんなもの・・・」と言いかけて、日向はハっとした。

「お、お前っ、まさかそれ、ヤラしいことに使ってんじゃねえだろうなッ!?」
「なんで本物のあんたが目の前にいるっていうのに、俺があんたの昔の服をオカズにしなくちゃいけないんですか」

日向のあまりといえばあまりな邪推に、若島津が些か冷たい視線を送る。それでも「じゃあ何でだよ」と追求の手を緩めない日向に、はあ、と観念したように若島津はため息をついた。

「・・・この服は特別だから」
「特別?」
「このシャツ、こんなにボロボロになって・・・あんたが吉良さんの所でどれだけキツい特訓をしてきたのか、一目で分かった。あの時」
「若島津」

若島津が古びた服を、節くれだった長い指で愛おしそうに撫でる。その様を見て、日向は思わず赤面した。その指の動きはまるで、求められた夜に自身の肌に這わされる、優しくも妖艶な触り方と似ていた。

「たまにね。たまにですけど、あんたが部屋に居ない時に、取り出して眺めることもあります。変なことに使ってるんじゃなくてね。これを見ると、俺はもっとしっかりしなくちゃ、頑張らなくちゃ・・って思えるから。ここで足踏みしている場合じゃないぞって思える」
「・・・・」
「だからこれは、俺にとって大事なものなんです。そりゃあ、元はあんたの物だけどね」

でももう、俺が貰ってもいいよね      そう言って静かな笑みを浮かべる若島津に、日向は胸を締めつけられるような気がした。

     いつも、そうだ。お前はいつも、そうやって、俺のことばかり)

中学三年の、もっとも苦しかった頃のことを思い出す。沖縄に行ったあの時もそうだった。
黙って寮を抜け出た日向のことを、若島津は一言も責めたりしなかった。心配したのだと、憔悴するほどに心を砕いたのだと、日向を迎え入れたその表情が雄弁に訴えていた。それでもついぞ、日向を糾弾することは無かった。

それどころか、若島津は日向に謝罪をしたのだった。「黙って行かせてごめん。庇わなくてごめん」と。

日向は若島津にも、他の誰にでも、自分を庇って欲しいなどと望んだことは無い。人から何を言われたとしても、抗弁するのであれば自分でするのだし、しないのであればそれは納得した結果だった。

だから若島津も同じなのだろうと思っていた。あの時に何も言わなかったということは、この男も同様に自分を『牙の抜けた虎』と思っていたのだろうと     
だが、それでも別に構わないと思った。だから本当に謝って貰う必要など無かったのに。

「ごめん」

気が付いたら、日向は若島津に誤っていた。
沖縄から帰ってきた後に、若島津は自分に誤った。だが自分は何も言ってこなかったということに、今更だが気が付いた。



あの時、心配させてごめん。
黙って行ってしまって、ごめん。
重い責任を負わせて、ごめん。


たった一言の『ごめん』だけれど、それは幾つもの意味を含んでいるのだと、日向は自分でも思う。

「えぇ!?・・いや、別に謝らなくても、俺が勝手に取っておいただけだし。あんたの物なのは本当だし。・・・でも捨てるくらいなら、やっぱり俺にくださいよ」

常ならぬ日向のしおらしい態度に、若島津はどうやら服を捨てたことに対して謝っているのだと勘違いしたようだ。日向を見降ろして苦笑している。日向は訂正しなかった。

「それにね。こういうこともしてみたくって」
「・・・?」

パっと表情を明るく切り替えた若島津は、日向に近寄って手にしていたTシャツを目の前で広げた。シャツの肩の部分を持って日向の身体に押し当てる。

「ほら、あんたがこんなに大きくなったんだなってことも      分かる。逆にあの頃はまだ、こんなに小さかったんだなっていうことも」
「・・・ほんとだ」

肩の幅も丈も、今の自分とは全く違う。中学3年生と高校2年の現在では違うのも当たり前なのだが、こうして実際に比べてみると一目瞭然だった。今の日向がこの服を着るとなると、何とか入るかもしれないがパツパツになるだろう。若島津に至っては着ること自体が無理かもしれない。高校に上がってから若島津は急速に背が伸びて、体の厚みもついてきた。

「こんなに細かったんだ、まだ子供だったんだ・・・って思うと、余計に愛おしくなる。あの頃のあんたのことも、今のあんたのことも」
「・・・・・」
「だからこれは、俺にくれる?俺のものにしても、いいでしょう?」

シャツを抱きしめて強請る若島津を、日向は暫し無言で見つめた。それから口を開こうとしたところで、若島津がそっと顔を寄せてきて、日向の唇に自分の唇を優しく押し当てた。

「・・・・・」

すぐに離れていく形のいい唇を、日向は目で追う。

「・・好きだよ、日向さん。俺の知っている何時の時も、あんたは強くて激しくて、格好よくて・・・でも、これは本当に特別なんだ」
「・・・物好きめ」
「何とでも」

日向が軽く睨むと、若島津は嬉しそうに笑った。綺麗な笑顔だと日向は思った。

(ちぇー・・。・・・まあ、仕方がねえか)

若島津は『特別』なのだと言った。どの時代の日向も好きだと言いながら、『あの時は特別』なのだと。


沖縄での特訓は、あの時点での自分に必要だったから行っただけで、日向にとってそれ以上の意味は無い。なのに、若島津の中では違う。実際に目にした訳ではない分、若島津の中であの数日間の日向が事実以上に美しく捉えられている。もしかしたら崇拝すら、そこには含まれているのかもしれなかった。おそらく、読み違えてはいないと思う。


だが昔の自分に嫉妬したところで仕方が無い。日向は面倒くさそうに、溜めていた息を吐いた。

「これはやらねえから、元の通りにしまってろ」
「くれないの?」
「今はやらねーよ。いつか、気が向いたらお前にやる」

(あの時以上に、お前が俺を『特別』だと思う時が来たなら・・・。っつーか、絶対に、思わせてやる)

内心の決意などおくびにも出さず、日向は嘯き、ダンボールに封をして部屋の隅に積んだ。

「絶対に捨てないでくださいよ」

未練たらしい若島津の声を背に、これから暫くは、あの服を取りだして『俺も頑張らないと』と戒めるのは自分の方なのかもしれないな      日向はそんなことを思い、クスリと笑った。





END

2018.11.30

         top