会いたい。
でも来られたら困る。



それでも、やっぱり。

どうしても会いたい人。






~ いつか、同じ景色を ~





「日向さん?」
「何だ、反町。珍しいな。お前から、こんな時間に電話だなんて」
「こんな時間?」

そう応えて俺は気が付いた。

そうだ。日向さんが今いるのは、イタリアじゃない。ヨーロッパですらない。インターナショナルチャンピオンズカップのため、アメリカにいるんだった。

日向さんの声が聞きたくて電話したはいいけれど、そんなことに思いが及ばなかった自分に呆れる。

「今どこ?」
「フロリダ。こっちも蒸し暑いな」

今はサマータイムだから、フロリダとの時差は確か13時間。ということはトリノと比べても6時間も違う。

「あちこち移動して、大変だね・・・。忘れててごめんね。電話、大丈夫?また後でかけ直そうか?」
「いや、いいよ。お前こそ、そろそろ寝なくちゃいけねえ時間じゃねえのか。夜更かししてんじゃねえぞ」

イイコは早く寝ろ。
日向さんがそう言って、喉の奥で笑う声が電話の向こうから聞こえる。

どんな表情でそんな台詞を吐いているのか、俺には簡単に想像がつく。きっとこの人は今、口の端をニっと引き上げて人の悪い笑みを浮かべているんだ。
東邦にいた頃も、親しい人間を揶揄う時にはよくそんな顔をしていた。そしてそれは、同性の俺から見てもものすごくカッコよかった。

「で、どうした。何かあったのか?」
「ん・・・。日向さんと話したいな、って思っただけ」
「なんだよ。もう寂しくなったのかよ。この間日本に帰ったばかりだろ。こっちはこれからシーズンなんだぜ」
「そりゃ、そうなんだけどさあ」

日本に戻ってきて一緒に過ごしたといっても、プライベートで会えたのはたったの2回。しかもそのうち1回はタケシも一緒だった。
だから二人きりで会えたのは一度だけ。日向さんが俺のマンションに泊まりに来てくれた、たったの1回。

できれば一か月くらい、のんびりと日向さんとバカンスを楽しみたいものだけれど。ヨーロッパのリーグとJリーグではまるでスケジュールが違うから、そうもいかない。
せめてもう少し距離が近ければ、もっと頻繁に会いにいけるんだけどなあ・・と、遠距離であることを恨めしく思う。日向さんから離れたところにいる今の俺は、干からびた土のようなものだ。年がら年中、あの人という潤いに飢えている。


とはいえ、今以上を望むのは本当のところ、贅沢なのかもしれなかった。
こっちに戻ってきても、取材だのイベントだの広告の撮影だのと、日向さんクラスともなると忙しい。それに親善試合やW杯の予選もある。そして日向さんに会いたがっているのは、俺だけじゃなかった。

「それでもさ・・・。やっぱり会いたいよ。もう日向さん不足で、おかしくなりそう」

冗談めかした言葉にしたところで、本音はきっと透けて見えてしまっている。
案の定、電話の向こうから苦笑めいた響きが耳に伝わってくる。俺のこと、甘えたがりだと思っているんだろうな。







俺は日向さんが好きだ。ずっと好きだった。中等部の頃からずっとだ。

初めて日向さんを見たのは、入学式の日だった。桜の花びらの舞う中、あの人は颯爽と歩いていた。凛とした背中が美しく、誰もが彼を振り返ったけれど、声を掛ける者はいなかった。どこか近寄りがたい雰囲気があったからだろう。皆、ただ遠巻きに見ているだけだった。

そしてそれは俺も同じだった。
やはり声を掛けるでもなく、オーラ放出しまくりの新入生を目で追いながら、馬鹿みたいに突っ立って見惚れていたのを覚えている。
その人がサッカー部の特待生である『日向小次郎』だと知ったのは、その後のことだ。

最初の頃はただ憧れて尊敬して、それで傍にいたいだけだった。実際に付き合ってみると、日向さんは中身も素敵な人だったし。

それがいつしか、一緒にいると落ち着かなくなった。ふわふわと浮ついたり、ドキドキと胸が高鳴ったり。
同じ寮で生活しているというのに、日向さんと同じ風呂に入ることが恥かしくなって、裸なんてとてもじゃないけれど直視できなくなって。
そのくせ他の男があの人に近づくと、ひどく癇に障った。誰かがあの人に抱きついたりしようものなら、思わず舌打ちが出たくらいだ。

そんな日々がしばらく続けば、そのうち俺だって気が付いた。
これはおかしいぞ、ヤバイぞ、俺は男であの人も男なのに、どうやら俺はそういう意味の好意をあの人に抱いているらしいぞ・・・って。

一旦自覚してしまえば、もやもやした感情が恋心として形を成していくのは早かった。それこそ坂を転げ落ちるように、あっという間だ。
ただこれは自分でも褒めていいと思うのだが、俺は開き直りも早かった。日向さんのことを欲しいのならば、後のことは考えずに全力で突っ走れとばかりに、猛アタックを繰り返した。何度断られても素気無くされても、めげることなく求愛し続けた。

振られても振られても諦めない俺の根性を認めてくれたのか何なのか、日向さんはイタリアに行く直前、突然に恋人として付き合うことをOKしてくれた。
その日その時の俺は、間違いなく世界で最も幸せな男だっただろう。まさに天にも昇る心地ってやつだ。罰が当たるんじゃないかっていうくらいの、有り余るほどの幸福だった。


ただそれから始まった遠恋が、覚悟していた以上に辛かったのも事実だ。
声を聴けても、顔を見れても、海を隔てては全てが機械越し。この手で日向さんに触れられないのは酷く寂しい。

傍にいたい。会いたい。


「ね。日向さんも、俺に会いたいって思ってくれてる?」
「おう。次に会えるのは代表に呼ばれた時かな。楽しみだよ」
「それって、俺が思ってるのとちょっと違う~」

ほんとにサッカー馬鹿なんだから      俺はため息をついた。

だけど実のところは、俺だってこの人と同じくらいにサッカー馬鹿なんだ。

「日向さん。あのさ」
「うん?」
「今度、うちのチームに新しく誰が来たか知ってる?」
「もちろん知ってるよ。良かったな。お前も近くで学べることが沢山あるだろう」
「うん、そうだね。・・・ね、記者会見、見た?その後のインタビューだったかな。日向さんのこと、話してたよ」

チームが招いた元ドイツ代表のFW。気さくで陽気で、俺も敬愛する選手ではあるけれど、日向さんを甚くお気に入りであることでも知られている。
その選手がインタビューで言ったのだ。ユヴェントスにいるこの人に対して、神戸に来いと。
日本での日向さんの人気は絶大だから、リップサービスもあったのかもしれない。だけど何割かは、本音も混じっていたんだろうと思う。

「日向さんに電話するって」

俺の言葉に、日向さんはクスリと笑った。何だか意味ありげな笑い方だった。

「それ、チームの奴らにも言われたよ。あいつら、電話が来たら替われってよ。つっても、まだ連絡は無いけどな」
「そう」
「代わりにシュナイダーから電話があったぞ。日本に戻るな、絶対に帰るなだってさ。何言ってんだよな。俺、まだまだこっちで何もやれてないのにな」

ドイツの誇る”皇帝”すらも、ジュニアユースの頃から日向さんに心酔している面々の一人だ。ピッチに立つ日向さんはこの上もなく魅力的で、敵も味方もなく惹きつけてしまうから手に負えない。

そんな日向さんに同じサッカー選手として全く嫉妬しないかというと、多分嘘になる。特に東邦にいた頃は、少なからず劣等感もあった。

だけどそれは昔の話だ。
今の俺はプロなんだから、羨んだり僻んだりしているばかりではいられない。


男であるからには、強くなりたいから。
フットボーラーであるからには、試合に出たいから。

フォワードであるからには、チームの誰よりも点を取らなくちゃいけないから。




「そんで? お前は、どう思ったんだよ? お前も俺に、神戸に来て欲しいって?」

日向さんが俺に尋ねる。いつものように、揶揄うような軽い口調で。

「来て欲しくなんかないよ」
「・・へえ?」
「日向さんには会いたいけれど、来て欲しくはない。来て貰ったら困る。だって日向さんは、俺とポジションが被るからね」
「俺が奪えないくらい、お前が強くなりゃいいだけの話だ」
「うん。正論だよね」

そのとおりだ。全くもって、日向さんの言う通り       腹が立つくらいに。

「俺って、薄情なのかな。恋人の日向さんには会いたくて仕方がないのに、サッカー選手の日向さんには来て欲しくない、なんて思ってる」
「そんなもんだろ」
「俺が、日向さんに勝てる自信がないだけなんだ。情けなくない?」
「そんなことを言うために、わざわざ電話してきたのか?」

日向さんの声が、笑みを滲ませている。
電話じゃ見えないけれど、きっとチェシャ猫のような表情をしている筈だ。

この人だったら、たとえ自分より強い選手がチームに来ることになっても、慌てたり恐れたりはしないんだろう。そんな暇があるなら、自分がもっと強くなるためにはどうすればいいのかを考える。そういう方へと思考が向く人だ。

じゃあ、俺は      

「正直言うとさ、あのインタビューを聞いた時、悔しかったんだよ、俺。チームのフォワードは俺だぞ、俺がいるんだぞ、って」
「・・・・・・」
「だけど、もし日向さんが本当に神戸にくるようなことがあったら、困るな、試合に出れなくなるな、それは嫌だな・・・って思ったのも本当」

できるものなら、今すぐにでも日向さんのところに飛んでいきたいくらいなのに。
会いたくて会いたくて、抱きしめたいしキスしたいし、セックスだってしたいし、一人で過ごす夜は寂しくて仕方が無いのに。

「俺も、こんな自分は嫌なんだ」

それでもやっぱり、サッカー選手としての俺はこの人が神戸に来るのを心から歓迎することはできない。
ようやくチームの定位置を手に入れたばかりの、今の俺では。

だが、それは俺の側の問題だ。俺の方だけの。

そうであるなら、俺が変わるしかなかった。
そもそも実力が無ければ落ちていくだけの世界で、進歩がなければどうなるのかくらいは俺にだって分かっている。

「ねえ、日向さん・・・俺、強くなるよ。どんな強い奴がチームに来ても、それが例え日向さんであっても、『ようこそ、我がチームへ!』って、諸手を挙げて歓迎できるくらいにさ」
「・・・・・」
「もう少し時間はかかるかもしれないけれど、日向さんに『お前のところに行ったら、ポジション争いが大変なんだよな』って、そう言って貰えるようになるから」

強くなりたい、じゃなくて、強くならなくちゃいけない。
そうでなければ今後、俺は引け目なしで日向さんに向き合うことが出来なくなるだろう。それは嫌だった。

俺は恋人としてもライバルとしても、日向さんと対等な関係にありたいのだ。





しばらく黙って俺が話すのを聞いてくれていた日向さんは、小さく吐息をついて、そして笑った。

「反町。お前って、かっけえなあ・・・」
「・・・へ!?」

予想もしなかった日向さんの反応に、俺は驚く。「え?何?何?いま、何て言った?」と、何度も聞き返してしまう。

「カッコイイって言ったんだよ。お前って昔から適当なようでいて、何気に頑固だし根性あるし、恰好いいよな。そういうところ、すげえ好き。惚れ直す」
「・・ほ!惚れ直す!?」
「反町、お前どうしてくれんだよ。会いたくなっちまっただろ。そんな風に言われたらよ。・・・俺が普段、どんだけお前のこと我慢してると思ってんだよ、ったくよー」

日向さんのすごく熱烈で正直な言葉に、俺の方こそが『どうすんの』って焦ってる。

「えと・・・それって、日向さんも俺に逢いたいって思ってくれてるってこと?キスしたり、エッチしたいって思ってくれてるってこと?」
「当然だろ。お前、俺の何なんだよ」
「・・・やる?電話で」
「馬鹿。しねえよ。・・・次に会う時まで大人しく待ってろ。沢山可愛がってやるから」
「日向さん・・・」

その言い様につい笑ってしまう。
ものすごく男前な台詞だけど、俺たち二人の関係においては俺が日向さんを抱くのであって、可愛がられるのは日向さんの方だった。

「お前は強いよ」

ふいに日向さんの声のトーンが柔らかくなって、そう告げてくれる。

「お前がやるって言ったら、やるんだろうな。昔からそうだった」
「・・・日向さん」
「いつだったか、言ったよな?俺はお前のこと、信じてんだよ。多分、お前が思う以上にさ」
「・・・そんなこと、言っちゃって・・・。いいの?俺、調子に乗っちゃうよ?」
「おー。乗っとけ乗っとけ。その方がお前らしくていいんだからさ」

俺がここのところ悶々としていたものを、日向さんは何でもないことのように笑い飛ばしてくれる。
元から太陽のように眩しく大きい人だったけれど、イタリアに渡ってから更に磨きがかかったようだ。
こんなに素敵な人が俺の恋人なんだということが、今でもどこか信じられない気がする。

「・・・大好き。日向さん」
「お。今日初めてだな、それ聞くの。いっつも第一声がそれなのにな」

それだけでも何かあったんだなって、お前の場合は丸わかりなんだよ        日向さんはクックと笑う。

赤くなった顔を見られないことだけが、せめてもの救いだったと言えるだろう。







「やっぱ、日向さんって最高・・・」

電話を切った後も暫くは余韻に浸っていたが、そろそろ寝なくてはと、俺は寝室に移動してベッドに潜り込んだ。

いつもなら一人寝が寂しくて仕方が無いのに、今日はそんなこともない。しっかり日向さんを補給して、満たされた感じだ。カラッカラに渇いていた心を、愛情という名の水がひたひたと浸していく。細胞の一つ一つがあの人で潤っていくイメージ。
言葉を交わすだけで、これかよ      と、自分の単純さに笑ってしまう。

ただこうして暗く静かな場所で落ち着いて振り返ってみると、結構大それたことを言っちゃったのかなぁ、とも思ったりした。
サッカーの神様に愛されているようなあの人と、渡り合えるほどに強くなるだなんて。

(でも、もう言っちゃったんだしな・・・)

無謀な約束だっただろう。だが宣言したのだから、後は頑張るしかない。一歩ずつでもいい。少しずつでも、確実に近づいていきたい。

口惜しさも情けなさも、これからの人生でまだまだ俺を苛むだろう。それら全てを糧にして、俺は強くて美しい人を追いかけ続ける。




横たわって目を閉じれば、脳裏に浮かぶのは桜の花びらを纏わせたあの人。真っ直ぐに伸びた若木のような、あの日の背中。

懐かしい姿の日向さんを胸の内に留めて、俺は久方ぶりにいい夢を見られる予感にふふ、と笑った。







END

2017.07.23

         top